あやまち
願いが叶うと謳った
あのミイラのような腕に願って
早1週間が経っていた。
その間の私の生活は
酷く快適で夢を見ているようだった。
願った通り悠里さんとは
学校で出会うことはなかった。
図書室前を通っても、
自分のクラスにいても、
なんなら1年生のクラスばかり
並んでいる廊下に突っ立っていたって
一切出会うことはない。
本当に願いが叶うんだ。
嬉々とした気持ちで
1週間が始まったのを覚えている。
しかし、火曜日になっても
水曜日になっても
彼女が突っかかって来ないことが
どうにも気になってしまった。
金曜日まで気がかりな
状況は続いていた。
「気をつけ、礼。」
日直の人が声を上げる。
3年生ともなれば皆頭すら下げず
鞄を肩にかけては教室から
颯爽と去っていった。
5月なもので、
まだ部活がある人も多くいることも
理由のひとつだろう。
「じゃあね、寧々ちゃん。」
寧々「はい。ばいばい。」
小さく手を振ってぎこちなくはにかむ。
彼女は何も感じなかったのか、
そのまま緩やかに背を向けた。
私の噂はまだほんのりとは
蔓延しているけれど、
日に日にその濃度は薄くなっていった。
まさか私が万引きなんて
するわけがないと思ったのか、
してるに違いないと思ったのか、
それともただ単に興味がなくなったのか
私には判断できない。
もし今週、悠里さんが
学校に来ていたら
また大きく違ったのだろうと思う。
もっと悪い噂を流されていたり、
物を損壊されたり等々
嫌な妄想ばかりできる。
そもそも、噂を流したのは
悠里さんと決めつけているのも
よくはないけれど。
澪の席を見てみる。
けれど、当たり前のように
既に姿を消していた。
寧々「……はぁ。」
集大成だと言わんばかりの暑さで
汗が滲み出るばかりだった。
徐にTwitterを開いてみる。
悠里さんと学校で会わないのは
もちろん理由があった。
私が願ったからといえば
それまでなのだが、
どうやら彼女はインフルエンザに
罹ってしまったらしい。
39℃を超える熱が出ているようで
きついとツイートしている。
寧々「…。」
自然のうちにスマホを握りしめていた。
何故なのだろう。
罪悪感からか、それとも悠里さんが
学校にいなくて心底安心しているからか。
はたまた愉悦か。
…そんな醜い感情を持つなんて、
お兄ちゃんからはかけ離れてしまう。
そんなの許されない。
そんなの、怒られてしまう。
そんなの、違う。
寧々「違う…。」
私はお兄ちゃんの
代わりにならなきゃ。
そう思うたびに心の首が締まっていく。
それに気づかないふりを
し続けるしかなかった。
今日も何気なく図書室や音楽棟へ
ふらふらと立ち寄った。
意味もなく歩いては
多くの人とすれ違う。
楽器を持った人、せかせか歩く人。
時には先生とも。
その誰もが私に声をかけることなんてなく
そもそも視界にすら
入っていないかのように
通り過ぎていった。
自分がちゃんとここにいるのか
不明瞭になりつつある中、
いつの間にか地面を見て歩く。
人とぶつからないか不安だったものの
人々は綺麗に私を避けていった。
寧々「…どうして理由もないのにこんなところに来ているんでしょうか。」
自分で言葉にしてももちろん
答えなんて見つかるはずもなく。
からりからりと鞄の金具が鳴る。
いつの間にか普通科の棟まで
戻ってきており、
自分の教室の中を見てみると、
ふと見覚えのあるシルエットがあった。
そこには悠里さんを彷彿とさせる
女性が中央に立ち尽くしていた。
寧々「…っ!」
ぞっとして身を隠したかったが
足が固まってしまう。
そのまま力が抜けて
後ろに倒れてしまうかと思った時。
女性はゆっくりこちらを向いた。
髪は先週出会った時よりも短くなっていて
目も澄んでいる気がする。
「…。」
寧々「………悠里さんですか。」
震える声で問う。
もし彼女であれば、
願いは正確には叶わなかったことになる。
そうすれば私の計画は…。
私の次の願いは…。
ばくばくと心臓がなる中
女性は口を開いた。
結華「いえ。結華ですけど…。」
寧々「え…?」
結華「あー…双子なんですよ。たまに間違えられるんです。」
結華さんはこちらに近寄って
くることもなくその場で静かに言った。
確かに悠里さんとは大きく
印象が異なっている。
物事の本質をすぐに
見抜きそうな鋭い眼差し、
落ち着いた態度、刺すような凍てつく声。
悠里さんとは正反対で
私も驚きを隠せなかった。
寧々「えっと…そうだったんですね。」
結華「はい。」
寧々「その、ここで何を…?」
結華「少し用事があって。ここ、先輩の教室なんですか。」
寧々「そうなんです。忘れ物を取りに来ただけでして。」
結華「すみません、勝手に教室に入っちゃって。」
寧々「誰もいないし大丈夫ですよ。」
そそくさと自分の机に向かい、
わざわざ鞄を開く。
忘れ物を入れるふりまでして
私は一体何がしたいのだろう。
お兄ちゃんであれば
こんなことしないだろうに。
焦っていたのだろうか、
いつもは鞄に入れるスマホを
ポケットに突っ込んでいた。
寧々「そういえば、何をされていたんですか?ずっと立ってたみたいですけど。」
沈黙が続くのも苦で
半分笑いながら声をかける。
ぼうっと立っていた彼女の姿が頭をよぎる。
多分時計を見ているだけだと思ったけれど
何となく聞いていた。
結華さんは私から視線を外し
ふらりと時計へ体を向けた。
結華「人と待ち合わせをしてまして。それがもうすぐなんです。」
寧々「この教室で、ですか?」
結華「はい。」
寧々「そうでしたか。そしたら私はすぐ出ますね。」
結華「お気遣いありがとうございます。」
結華さんは笑うことなく
こちらを向いては頭を下げた。
へらへら笑いながら雰囲気を
柔らかくしようとする私よりも
何倍もかっこよく、何倍もお兄ちゃんに
似ているように見えてしまった。
寧々「…いえ。」
重量の変わらない鞄を肩にかけ、
結華さんに別れを告げてから
とぼとぼと靴箱に向かった。
今日も悠里さんに会うことはなかった。
変わらない日々が戻ってきたように思う。
お母さんからの愛は変わらず、
バイトや学校に向かう毎日。
ただひとつ、いじめというものがないだけで
こんなにも心持ちは変わるらしい。
悠里さんからの絡みを
既にいじめだと判定している自分に
くすりと笑みが溢れた。
あんなもの、お母さんにされてきた
ことと比べれば大したことないのに。
寧々「…。」
…。
お兄ちゃんなら外の人と
お母さんを比較したりしないのに。
下を向いて、自転車に
ぶつかりそうになりながら
何とか家まで帰って来た。
何故か足が重く、
途中で寄り道をしていこうか
とすら考えてしまった。
勉強してきたと嘘をついて
数日前に向かったカフェや
行ったことすらない公民館に向かって
時間を潰そうかとすら思った。
それでも私は真っ直ぐ
家まで帰ってきていた。
まるで犬のよう。
惨めな自分に笑いが溢れてきた。
鍵をさし、重たい扉を開く。
今日は天気がすぐれないこともあってか
より一層薄暗く見えた。
寧々「…?」
ふと違和感が襲う。
何かと思えば、お兄ちゃんの部屋の扉が
開かれており、中まで見えるように
なっていたのだ。
刹那、ダイニングの椅子に座る
お母さんと目が合う。
生唾を飲み込みこもうとするも
喉がうまく動いてくれず
口の中で右往左往した。
お母さん「ねえ。」
名前すら呼ばれないまま
凍てつく声が私を刺す。
結華さんとは違った冷たさに
目を見開き、浅く呼吸した。
どく、どくと急速に
血を送り出しているのがわかる。
心臓のうねりが聞こえる、耳に届く。
口は声を発するわけでもなく
僅かにぱくぱくと動いた。
ばれたんだ、と悟ってしまった。
お母さん「佑の部屋にどうして入ったの。」
寧々「………入って、な」
お母さん「入ったでしょ。」
いつもは怒鳴り喉の細胞が
切れてしまうのではないかと思うほど
金切り声を上げるのだけれど、
今に限っては恐ろしいほどに
静かに、静かに圧をかけている。
信じられないほど濁った恐怖が
足元から迫り上がってくる。
お母さん「だって先月にはあの変な箱なんてなかったもの。」
寧々「…っ!」
お母さん「どうして嘘をつくのかしら。」
寧々「それは、違っ…」
お母さん「佑と違って嘘つきでだらしなくて…産まなきゃよかった。」
箱は、私が持ってきて置いたんじゃない。
私じゃない。
そう言いたかったのに、
存在そのものを否定されては
口を開く気すら無くなった。
お母さんは、私を必要としていない。
そんなの、昔からわかってた。
学校で悠里さんと会って、
彼女から色々とされるたびに
自分の存在意義を疑った。
澪からは邪険に扱われた。
生きている意味はあるのだろうか。
この先もこのような日々が続くのであれば、
私は別に、いなくてもいいかなって。
こういうことを相談できるのは
澪だけだったな。
今の友達に話しても病んでるだとか、
重いだとか言われて
距離を取られるのは目に見えてる。
寧々「…。」
どうして私ばかり
こんな役回りなのだろう。
休んでもいいのであれば、
そこらで少し休みたいものだ。
寧々「……箱の中、見たの?」
お母さん「見れなかったわよ。開かなくて。」
寧々「……えっ。」
お母さん「佑の部屋になんて異物を混ぜ込んでんの。気持ち悪くて捨てたわよ。」
寧々「…。」
お母さん「あれだけ部屋に入るなって言ったのに。」
のそ、とお母さんが立ち上がるのが
俯く視界の隅に映る。
はっとして顔を上げるも遅く、
気づいた時には体は床を這い、
至る所に鈍痛が走った。
お母さん「この出来損ないっ!」
寧々「…っ。」
お母さんがまた手を挙げる。
たった今タバコを吸っていなくて
よかったなんて思いながら、
ぎゅっと目を瞑る。
何発か、頭に拳が飛んだ。
部屋の隅で縮こまりながら、
お兄ちゃんだったらどうするかなんて
未だに考え続けていた。
お兄ちゃんって、
どうやって生きてたんだろう。
こんなふうに怒られたこともないだろうし。
でも、怒られたことくらいはあるはず。
どうやって乗り越えてたんだろう。
宥めたのかな。
言い訳しなかったのかな。
むしろ、口が達者で
丸め込んでいたりして。
寧々「………はは…。」
…おもしろ。
何考えてるんだろう、私。
お母さん「あんたなんていなければ、佑はっ!」
死ななかったんでしょ。
死ななかったって、
そう言いたいんでしょう。
分かってる。
それ以上お母さんは口にすることなく、
急に膝をついて背を丸めたかと思えば
わんわんと子供のように泣き出した。
あやさなきゃ。
宥めなきゃ。
じんじんと痛む腕を背に伸ばしかけて、
そっと下ろした。
下ろしてしまった。
それは、母親を裏切ると
同等の行為だというのに。
私は。
…私は、お兄ちゃんみたいにはなれない。
寧々「……ごめん…なさい…。」
ひと言だけ口にして、
母親に背を向けて家を飛び出した。
スマホだけは偶々ポケットに
入れていたからいいものの、
財布も定期も鞄すらも
何も持って出なかった。
ごみ収集所に見覚えのある箱が
転がっているのを見つけて、
制服が汚れることなど厭わず
両手で大事に大事に抱えた。
寧々「…。」
お母さんは開かないと言ったけれど、
私が触るとやはり最も簡単に開き、
そこには1週間前に見た時と同様に
細い腕が入っている。
安心してほっと息を吐くも束の間、
お母さんが追ってきそうな気がして
すぐさまその場を離れた。
ふらふらな足で道を歩く。
何度か叩かれた後だから
髪は崩れていることだろう。
真面目の象徴のためにしていた
2つ結びを解く。
向かう先は何故だろう、
自然と決まっていた。
家からだと歩くと30分ほど
してしまうだろうけれど、
自転車の鍵も定期もないのでは仕方がない。
寧々「仕方ない。」
そう。
そんな時だってある。
仕方ない時だって。
咄嗟に履いた靴はスニーカーのようで、
セーラー服に似合わない
格好をしているなとしみじみ思う。
道ゆく人から嫌な視線を
浴びないだろうかと危惧したけれど、
皆私のことを見ることすらしなかった。
こちらから視線を合わせに行っても
透明人間かと思うほど
誰も私のことを気にかけない。
見ず知らずの人など
普段からそんなものだと
分かってはいるはずなのに、
心苦しくて仕方なくなった。
きっと「どうしたの」「どこ行くの」と
聞いて欲しかったのだろう。
何と浅ましいことか。
箱をぎゅっと抱きしめて、
より早くつくようにと
足を動かし続けた。
中途小雨が降り、髪の毛は湿っていった。
毛先から鼻先へと雫が垂れる。
服を着ているのに濡れているのは
気持ち悪くて仕方がなかったけれど、
今日ばかりはどうしようもない。
今更帰る気にもなれないのだ。
目の前には、蔓の多く絡みついた、
鬱蒼とした建物があった。
私の家よりも鬱々としている。
扉は半壊しており、入ろうと思えば
最も簡単に中へ行くことができた。
2階建てほどで大きくなく、
立ち入り禁止とも書かれていない。
けど、人は住んでいなかった。
寧々「…澪…。」
彼女の名前をぽつり呟きながら
草木をかき分けてその建物の
中へと足を運んだ。
中も地面が露出している部分があり
暖かくなってきたこともあって
虫が幾らか這っている。
薙ぎ倒された後のような机に、
隅に並べられた4つの椅子。
ダイニングらしく、
比較的綺麗なフローリングが
敷かれていたようだけれど、
今では紫陽花すら咲いている始末。
天井に目に見えるような
穴が空いていないだけ
ましだと思ったけれど、
刹那ぴとんと頭に水滴が垂れた。
既にびしょ濡れだったもので、
今更気にすることもなく
部屋全体を見回した。
靴のまま入っても汚れたことが
わからないくらいには
暗清色で満たされている。
腐った畳が立てかけられていたり、
足の踏み場が全て壊されている
階段があったりと
この世の終末を彷彿とさせた。
そのどれもが記憶の通りで、
または記憶よりもやや色褪せて
存在し続けていた。
並べられた椅子の近くにある
大きな棚を背にして座り込む。
椅子に座ればそれほど汚れずに
済んだというのに、
迷わず地面に腰を据えていた。
寧々「…。」
ここは、私の思い出の場所。
そっと背後に手を伸ばし、
棚を優しく撫でた。
お兄ちゃんが亡くなって以降
お母さんがおかしくなってしまった。
向かい合うことが正解のはずなのに、
そこから逃げるために、
いつの間にかここに足を運んで
いたことがあった。
どうやってきたかも思い出せない。
ただ、必死に走ってきただけ。
インターホンを鳴らしても出るはずもなく
壊れた扉から体を屈めて入った。
その日は晴れだったこともあり、
魔女の隠れ家のようだと思って
少しワクワクしたのを覚えている。
冬が近くなっていたので
虫もほとんどいなかった。
蜘蛛の巣がところどころあって
探索しづらかったんだっけ。
いい場所を見つけた。
そう思った私はちゃんと
学校に通い始めつつ、
この場所に通い詰めるようになった。
家では自分の部屋がないもので、
日記なんておちおち書いていられない。
スマホに書いたっていつ見られるか、
いつ壊されるかわからない。
怯えて過ごす中、この場所であれば、
隠れ家のようなこの場所であれば
日記を残せると意気込んだ。
そして、背にある棚にノートを置いて
家に帰るのだった。
寧々「よいしょ。」
体をうんと伸ばして、
棚に仕舞われたノートを手に取る。
澪と仲良くなってからは
あまりこの場所に
依存しなくなったんだっけ。
ここ3ヶ月ほどはあまり
通い詰めていなかった気がする。
幾分かあるノートのうち、
1冊を手に取った。
寧々「…。」
息を呑む。
そして、徐に開いた。
そこには、まるで小さい子が書いたような
ぐしゃぐしゃな絵と、
心の底からの叫びとも取れるような
大きく荒んだ文字が連なっていた。
帰りたくない。
生きていたくない。
何もしたくない。
お兄ちゃん助けて。
助けて。
私のせいでごめんなさい。
助けてください。
学校で何があった。
家で何があった。
そんな世間一般で見るような日記らしさは
ほぼ見受けられなかった。
死にたいと、消えたいとは
常日頃から僅かにでも
思っていることであるはずなのに、
それについてばかりは記載がない。
これを認めてしまったら
もう2度とあの家には帰りたくなくなるし
積み上げてきた全てが壊れるとでも
思ったのだろう。
寧々「…頑張ってた…はずですなんですけどね…。」
ノートをそっと撫でる。
黒鉛がわずかに指の皺に引っかかった。
この隠れ家は、いつのことだろうか、
1度澪と来たことがあった。
大切な友達に、私の居場所を
教えたかったのだと思う。
2人で中に入っては
一緒に椅子に座って、
ふざけてリコーダーを吹いた。
その日は確か音楽の授業が
あったんだろうね。
馬鹿みたいな話ばかりして、
大声で笑うことはなくとも
笑顔は絶えなかった覚えがある。
この時間が終わってほしくないと
強く思った記憶が頭にこびりついている。
けれど、今の澪はそのことも
覚えていないのだろう。
…否、そもそもそんな出来事すら
なかったのだろう。
私の全てを、苦しみを、悩みを知る人は
この世にはもういないのだから。
音を立てないようにノートを閉じて、
元の場所には戻さず
足元に放り投げる。
片付けもできない悪い子だけれど、
今だけは許して欲しい。
…それを甘えと言うのだろう。
ゆっくりと箱を開く。
すると、きい、と音を立てて
腕は湿気った空気に触れた。
寧々「…お願いします。」
最も簡単に折れてしまいそうな腕を
両手で祈るように握る。
頭を下げて、項垂れながら口を開いた。
私の幸せを返してください。
私にお母さんの意識が向きませんように。
どうか。
寧々「…お兄ちゃんを生き返らせてください。」
お兄ちゃんさえ生きていれば、
お母さんはおかしくならなかった。
私を殴ることも、暴言を吐くこともなかった。
私がお兄ちゃんを目指すことだって
しなくてよかったのに。
だから。
「寧々。」
寧々「…っ!」
はっとして顔を上げる。
彼の、お兄ちゃんの声がふと
耳に伝った気がした。
どこから聞こえてきたのだろうか。
耳を研ぎ澄ませ、
左右を何度も見やった。
それでもお兄ちゃんは現れず
結局願いが叶うとはいえ
この程度かと諦めかけた時。
ふと。
隣に圧を感じた。
熱のこもった、生き物の圧を。
寧々「…お兄ちゃん?」
ゆっくりと振り返ると、
お兄ちゃんは、隣で眠たげに微笑んだ。
刹那、呼吸が止まった気がした。
そうだ。
お兄ちゃんって勉強もできるし
コミュニケーション能力だって高いのに
いつも眠たげで大きな
あくびをしていたんだった。
寝坊することもまちまちで
お母さんに叩き起こされてたっけ。
運動もそんなに得意じゃないから
遅れたとしても学校まで
走って行くなんてことは
してなかったな。
大学入って早々、お母さんから
許可されたからってバイクを乗り回して、
一体いつ授業に行っているのか
てんでわからなかったよね。
私も背中に乗せてもらって、
夜中の海に遊びに行ったりしたっけ。
その後お母さんにバレて
こってりしぼられたけど。
ああ。
思ってみればお兄ちゃんって、
全然完璧人間じゃなかったんだな。
お兄ちゃんをお母さんの元に
行かせれば全て解決だ
…なんて思っていたけれど、
お兄ちゃんに執着していたのは
私だって一緒だ。
今は、お兄ちゃんを手放したくない。
寧々「お兄ちゃ…ん…ぅ…。」
生暖かく、触り心地のいいそれに抱きつく。
だんだんと冷えて行くような気がしたのは
今も雨が降っているから。
きっとそうに違いない。
「寧々。」
また、名前を呼んでくれた気がした。
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