正しさ

翌日、満員電車に揺られながら

見慣れているはずの外を眺める。

長い連休明けだからか、

多くの路線で遅延が発生していた。

緊急の救護があったと

アナウンスが響いている。

学校に遅れそうになりながらも

教室に入ると、

まだ多くの生徒が到着していないのか

空席がぽつぽつと目立った。


「今日は遅延が発生しているので人数は少ないですが、朝のホームルームを始めますね。」


先生がタイミングよく声を上げる。

浅く会釈をして

慌てて席に着こうとする。

ふと、澪がこちらを見たのがわかった。

澪は私の姿がたまたま目に入っただけで

眉間に皺を寄せて

怪訝そうな顔をしている。


寧々「…。」


やっぱり、私のことは

好きではないらしい。

それどころか、とてつもなく

嫌われているらしい。

こんな時、お兄ちゃんなら

一体どうするだろう。

そんなことを考えながら

自分の席についた。


お兄ちゃんだったら…。

きっと、どんなに嫌われていても

まずは話しかけるに違いない。

それから、ちょっとしたことを

聞いたり、お願いしたりする。

例えば消しゴムを少し

貸してもらうだとか。

そうすればきっと…。


…。

…私はどうしてこんなにも

澪とのつながりを無くしたくないのだろう。

お兄ちゃんだったら人との繋がりを

おざなりになんてしないからかな。


寧々「そうに決まってます。」


誰にも聞かれないよう

小さく小さく呟いてた。

そうに決まってる。

絶対。

その裏にある感情に

そっと蓋をする。

私はお兄ちゃんみたいに

ならなくちゃいけないんだから。


朝のホームルームが終わる頃には

わらわらと生徒は集まってきて、

1限目が始まる頃には

ほとんどの生徒が着席していた。

授業が始まる前まで

澪は教室から出ては

戻ってくることはなかった。

その次の時間も、そのさらに次の時間も。

澪は明らかに私を避け続けていた。


もしも私が何かしてしまったのであれば

謝りたい気持ちが大きかった。

仲良くなれるのであれば

そうなりたいに決まってる。


帰りのホームルームが終わって漸く

そのタイミングは訪れた。

私は帰りの用意をすることもなく

すぐさま澪の元へと駆け寄った。

彼女はというと、

既に教室から出ようと

鞄を肩にかけて扉の方へ向かっていた。


寧々「澪!」


声をかけても澪は止まらず、

私のことすら見ないで

すたすたと教室を後にしてしまう。


寧々「待って、澪!話したいことがあるんです。」


教室を出て数歩追う。

止まってくれる気配もなくて、

まるで私のことが

見えていないようだった。

まるで…私のことを一切見てくれない

お母さんの背中のようで、

心臓がぎゅっと押しつぶされそうになる。


寧々「あのっ、私が何かしてしまったのならごめんなさい!」


足を止めて頭を下げる。

それでも彼女は止まってくれなかった。

私が頭を下げていることも

きっと知らないままだろう。

頭を上げても追う気がすり減ってしまい、

立ち尽くしたまま背を眺めていると、

私と仲良くしているらしい

同級生の子が駆け寄ってきた。

私からすればこの人は

ただのクラスメイト程度にしか

認識していないのだけれど、

どうやら仲良しのようで。


「寧々ちゃん、あんなやつ放っておきなよ。」


寧々「…でも。」


「あいつ、感じ悪いよね。少しくらい話したっていいのに、小学生の喧嘩みたいで子供っぽい。」


寧々「…。」


「寧々ちゃんも寧々ちゃんでどうしちゃったの。」


寧々「え…。」


「だってこれまで篠田さんに話しかけようなんてしたことないじゃん。」


寧々「…何となくですよ。」


「何となくで寧々ちゃんが傷つく必要なんてないからね。」


寧々「…あはは、ありがとうございます。」


「ううん、だって私ら友達だし。友達のことは守りたいじゃん?」


寧々「…。」


私にとってはその友達が

澪だったんです。

澪だったはずなんです。

けれど…。


「何か悩んでることがあるんだったら言ってね。いつでも相談に乗るからさ。」


寧々「…そうですね、ありがとうございます。頼りにしてます。」


にこり、と笑ってみる。

嘘をつくことに後悔も何も

感じなくなっているのは

もはや病気なのだろうか。

口からは出まかせばかりが出続けた。

だが、今日の嘘は

心が絞られたのか掠れた声でしか

発することができなかった。


友達らしい子たちに声をかけてから

1人とぼとぼと教室を出た。

鞄を肩にかけ廊下を歩く。

図書館にでも寄って、

暇つぶしができそうな本でも

見に行こうと足を進めた。

赤本や受験勉強のためになる本を

探す方がいいのだろうが、

今だけはそんな気分ではなかった。


図書館はクラスとは離れた場所にあった。

廊下を歩いて人気がやけに

少なくなってきたと実感した時。


寧々「…?」


近くのトイレからはしゃぐ声が聞こえてきた。

女子高校生が何人か集まっているようだ。

そのまま通り過ぎようとしたが、

妙に気になってしまって足を止める。

何が引っかかったのか

自分でも不思議だった。

声の集合体は友達と話しているからか

楽しそうにも聞こえたが、

それにしては物音がすると感じたのだ。

がらがらと固形のものが

床に叩きつけられる音であったり、

ぼぉんと腹の底にまで響く音が

耳に届いてきた。


流石に無視するわけにもいかず、

そっとトイレの中を覗く。

こんなことしなければ

いつだって辛い思いをせずに済むのにと、

頭の隅で膝を抱えたままの私が言った。


「だっさ、ウケる。」


「クラス中から無視されてて可哀想。うちらさ、それを知った上で構ってあげてんだけど。」


「お礼言ったら?」


「…。」


「黙ってないで喋れよ。」


がらんがらん。

1人が倒れた箒を蹴り飛ばして

個室の奥へと追いやった。

その一瞬で全てを悟る。

いじめだ、と心の中が突然

ざわめき出した。


鏡には青色のリボンが反射していた。

青色は1年生の証だと

数秒経てようやく頭が回り理解する。

入学してまだ間もないはずだ。

それなのにこんな悲惨な目に遭うなんて。


このまま放っていたら駄目だ。

このまま見て見ぬふりをして帰ったら

それは真面目でもなんでもない。

お兄ちゃんのようにはなれない。

お兄ちゃんだったら、どうするか。

そんなの決まってる。


…。

もしかしたらお兄ちゃんがいなくなってから

今までの間に、大きく美化していたのかもと

不意に思ってしまったのだった。


寧々「何してるんですか。」


「はあ?」


「え、誰々?」


「ちっちゃ。何こいつ?」


次々と獣のような視線が降り注ぐ。

見下してくるものだから、

足が逃げ出す直前のうさぎのように震えた。

だが、ここで逃げては駄目だ。

逃げたら私は何にもなれない。

お兄ちゃんは愚か、

きっと、人間にすらなれない。


「だれぇ、それ。」


リーダーらしき女子生徒が

こちらに向かってずけずけと

大股で歩いてきた。

箒を持って肩にかけている。

短ながらポニーテールをしていて

目は大きく、ぱっと見は

快活そうな雰囲気だ。

それなのに、

不敵な笑みを浮かべているせいで

悪人顔に成り下がっていた。


「知らね。リボン的に先輩でしょ。」


「先輩かぁ。ちっちゃくて可愛いでちゅね。」


寧々「…。何をしていたんですか。」


「遊んでたんですよぉ。」


リーダーらしき子は

語尾を伸ばしながら

甘えるように言った。


寧々「大きな音がしていましたが、そう言うのはやめていただけませんか。他の人の迷惑になります。」


「うわ、こいつガチで言ってる?」


「あーね、自分正義かっけーってやつね。」


「ださ。」


突如無表情になって、

そのリーダーの子は言った。

ぞくりと背筋が震えたのがわかる。

踏み込むまではそんなに

考えていなかったけれど、

実際こんなに怖いことなのか。


私に群がる女子生徒の奥には、

個室で1人蹲る女の子がいた。

大きな音を鳴らしていた

だけでないと思い知る。


いじめ。

その単語が思い浮かんで、

私はよりここから身を引けなくなった。

引いてはいけないと思った。


だって、私が助けなきゃ

この子は一体どうなる。

今後も辛いいじめを受けながら

いずれ学校にも顔を出しづらくなって、

そして、最悪の場合には。

…そんなこと、考えたくない。


寧々「今すぐやめなさい。」


「だってさ、どうする?」


「うーん、そうだねぇー。あのドブに変わって先輩と遊んであげてもいいんだけどぉー。」


ずい、と顔を寄せられる。

リボンをぐっと引っ張られ、

バランスを崩しそうになった。

ぶち、と嫌な音が響いたかと思えば、

リボンはリーダーの子の

手の中に収まっていた。

リボンの取り付けは簡単だったおかげで

制服が破れる等はなく安心するも束の間。

その子はリボンを自分の

ポケットの中に突っ込んだ。


「可愛いし、意地悪する程度にしたげるー。」


「性格悪ぅ。」


「お前に言われたくないんですけどぉ。ってか萎えたし今日は解散で。」


そういうと、女子生徒たちは

洗面台に置いていた鞄を手に

次々とトイレから出ていった。


「はあーい。」


「後片付けしていけよー。」


「はあ?んなの先輩にやらせりゃいいじゃんー。」


リーダーの子は笑いながら

みんなを見送る。

私は立ち尽くしたまま

彼女のことばかりじっと見つめた。


彼女はトイレの個室で

うずくまっていた人を見ると、

「さっさと出てけよ、邪魔。」

と冷たく言い放った。

怯えながら鞄を抱え、

私を見ることもなく

背を向けて逃げていく。

別にお礼を求めてやったわけでは

なかったのだし、

特に何も思わないはずなのに、

傷がひとつ増えたような気がした。


「うは、先輩と2人きりだぁー。」


寧々「…私も帰ります。」


「待ってよー寧々せんぱぁい。」


甘ったるくて反吐が出そうな声が

私の耳へと届く。

怒りに似た何かが

湧き上がるのを感じる直前、

疑問がふと浮かび上がった。

何故。

何故、私の名前を知っているのだろう。

はっとして彼女の方を見ると、

大きな目でこちらをじっと見つめていた。

口角をややあげて、

気持ちの悪い笑みをこぼしていた。


「だってぇ、Twitterでフォローしあってるじゃないですかぁ。」


寧々「……そうでしたっけ。」


「覚えてるくせに。あ、新しい寧々先輩だから、分からないんですっけ?」


寧々「新しいって何が」


悠里「うち、悠里って言いまーす。槙悠里でーす。」


槙悠里と言ったその人は

体をくねくねとさせながら

自己紹介をした。


悠里「てか先輩、さっきのかっこよかったですよぉー。」


寧々「…。」


悠里「何してるんですか、やめなさいっ!…ふふ、うふふ…。」


寧々「何がおかしいんですか。」


悠里「いやぁ、盲信って怖いなぁってだけっすよ。」


寧々「盲信?」


悠里「自分の中の正義を曲げちゃいけないのぉ、私が守ってあげなきゃ、みんなが悲しむのぉ!…みたいな?」


寧々「…。」


悠里「それで自分がターゲットになったら助けてよぉ、っていうんですよ。自業自得なのに悲劇のヒロインみたいにさ。馬鹿みたい。」


寧々「…。」


悠里「それで周りが助けてくれなかったら、私は助けたのにとか勝手に話拗らせて。きもいったらありゃしない。」


寧々「…。」


悠里「ヒーロー兼悲劇のヒロインとか笑える。そーゆーの、誰も望んでないですから。」


寧々「少なくとも、さっきの子は助かったんじゃないですか。」


悠里「お礼、言われました?」


寧々「…。」


悠里「言われてませんよね?邪魔だったんですよー先輩っ。」


寧々「パニックになっていただけでしょう。あの状況でお礼を言えという方が」


悠里「あれあれ、ありがとうが欲しくってあんな行動したんじゃないんですかぁ?」


寧々「違います。あの子を救うためです。」


悠里「うわぁ、鳥肌立ってきた。」


悠里さんは鞄を手に取り、

ぶんぶんと振り回しながら

出入り口の方まで向かった。

ぎりぎり当たらないように振るもので、

何度もひやひやとしていた。

かちんときたせいもあり、

鞄がぶつかれば正当防衛として

1発くらい入れてやりたかったが、

それは叶うことはない。


トイレから出る直前、

彼女はふとこちらを振り返った。

短いスカートがひらりと揺れる。


悠里「先輩ってぇ、嘘ばっかついて疲れませんかぁ?」


寧々「…?」


悠里「うちも昔は結構疲れちゃったんですけどぉー。今は慣れの域って言うかぁ?あ、先輩ももしかして慣れの域ですか?」


寧々「…。」


ここでうんとかすんとか言ってしまえば

揚げ足を取られるような気がして

ぐっと唇を噛んで黙った。


嘘ばかり。

それはお母さんにも言われたことだ。

私がお兄ちゃんの

真似事ばかりしていると、

それが、嘘だと言う。

けれど、今の私にとって

その嘘が全てで、大切なもの。

…あれ。

何で大切なんだっけ。


悠里さんは諦めたのか、扉を開いた。

そして静かに言ったのだ。


悠里「うちから見るに、先輩、いつか嘘で潰されますよ。」


寧々「…!」


悠里「んじゃ、2度と顔見せんなよぉー。」


華麗に手を振りながら

姿を消していった。

ばたん、と大きな音が鳴る。

どくんどくんと未だ

心臓は跳ね上がり続けていた。

これは緊張か、不安か、それとも図星か。


寧々「…槙、悠里。」


本当に嫌な人間と出会ってしまった。

今日はつくづくついていない日だと

天を仰ぐことしかできない。


寧々「…。」


今日は、勉強せずにすぐに帰ろう。

…あ、でも…リボンが。


寧々「………あーあ…。」


また怒られるんだろうな。

今日は殴られなきゃ、それでいっか。


自分の中で折り合いをつけなければ

いけないことが多すぎて、

何が何だかわからなくなりかけていた。

あの子を助けられたのは

いいことのはずなのに、

もやもやし続けている私がいる。


ありがとうのためじゃない。

あの子を救うため。

…でも、お兄ちゃんの模倣を

しているだけでもあって…。

これは、きっと嘘じゃなくて。


寧々「………。」


さっさと帰りますか。

そのひと言すら口から出ず、

乾いた息が僅かに漏れただけだった。

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