アイリスとの話 1

 レズリーと護衛騎士に送られ、滞在する天幕へと戻ってきた。

就寝の挨拶をして天幕に入ろうとすれば、レズリーが何か言いたいことがあるよかのような視線を向ける。


「他に何かありましたでしょうか?」

「いいや。ただ、エマちゃんは不思議な人だね。今日はゆっくり休むといい」


 そう、よく訳の分からない台詞を言うとレズリーに手の甲にキスをされる。手の甲にキスで挨拶されたのは初めてかもしれない。以前の世界では、海外の人から頬に軽く挨拶のキスをされたことはあった、それに、アラフォーなので動揺はしないけど……急にどうしたの?


(お疲れね。きっとそうね)


 今日は長い一日だったので、バグっているのだろう。


「ありがとう……レズリーさんもゆっくり休んでください」

「ああ……」


 レズリーが去り、護衛の騎士に挨拶をして天幕に入るのと同時にアイリスが大声で尋ねる。


「なんで分かったんだ? 目的はなんだ?」

「外に騎士もいるから声を抑えて」


 アイリスや。せめて座らせておくれ。おば……お姉さんはちょっとお疲れなのよ。シオンと私のマントを脱ぎ椅子に座り靴を脱ぐとアイリスが目を丸くしながら声を漏らす。


「ぎ、銀髪……」

「二人とも座ってね。クッキーとジュースを出すから」


 クッキーを出せばシオンが駆け寄りテーブルに着きすぐに頬張る。

 訝しい顔をしていたアイリスも満面の笑みでクッキーを食べるシオンを見て、渋々とテーブルに着きクッキーの匂いを嗅ぐ。


「とってもおいしいよ!」


 シオンの言葉に、一口クッキーを齧ったアイリスが驚いた顔で言う。


「美味しい……」


 その後アイリスは無言で何個もクッキーを平らげ、クッキーの誘惑にすぐに陥落した。警戒は少し取れたようで良かった。

 オレンジジュースを飲むアイリスに尋ねる。


「本当の名前はアイリスちゃんだけど、マーク君って呼んだほうがいい?」

「……マークでいい」

「マークね。今は深い事情は聞かないから安心して。誰だって知られたくない事情の一つや二つや……三つあるから」


 アイリスがチラチラこちらを見ながら尋ねる。


「あんたも秘密があんのか?」

「あんたじゃなくてエマね。これからしばらく一緒に生活するのだからお互い相手に丁寧に接したほうがいいでしょう?」

「分かった。エマ」


 アイリスはぎこちなく私の名前を呼ぶとオレンジジュースを一気飲みする。笑いながらシオンとアイリスにリンゴジュースを渡し、尋ねる。


「ただ、今後のためにも幾つか質問するから、答えられる範囲で教えてくれるとうれしい」

「分かった」

「まず……マークは今、誰かに追われているの?」

「今は追われていない……と思う」


 やっぱりか。子供が一人で、しかもここまでの擬装をするからには高い確率で誰かに狙われると考えていた。マークは、今は追われていないと思うと続けて答えた。


「以前は誰かに追われていたの?」

「五歳の鑑定をした後に……母上に逃げろと言われた」


 マークの高価なネックレス、それから母上という言葉にある程度裕福な家庭だと察する。親も心配からあのネックレスを持たせたに違いない。それなら一人でいるのは何故?


「……誰かと一緒に逃げていたの?」


 アイリスが一瞬躊躇して答える。


「知らない男、傭兵だと言っていた」


 傭兵は今どこにいるのかと尋ねれば、知らないと言われた。


「ここで、他にマークの力を知ってる人はいる? 魔法を使ってる姿を誰かに見られたりした?」

「いないと思う。ここで魔法は使わないから」

「そっか。分かった。じゃあ、もう一つ質問」

「尋問かよ」


 アイリスが面倒そうに舌打ちをする。


「そんな顔をしないで、本当に最後だから。ここの調理班では、どうやって働き始めたの?」

「食べ物がなくて道で死にそうになっていたのをガスが拾ってくれた」


 ガスとは黒騎士団の調理班の料理長だという。アイリスを拾って調理場の仕事を与えた人物らしい。たぶん、予想だけどいい人なんだろうな。


「そうなんだね、分かった。質問は以上だよ」

「……ガスはいい奴だ。俺のことは知らなかったんだ」

「心配しなくても、ガスさんには何もしないよ」


 アイリスはガスのことを責められると思っていたようでホッとしていた。


 寝支度をして、ベッドへ入りため息をつく。

 今日は本当に疲れた。私はこれから異世界でやっていけるのだろうか……精神的に。精神耐性は付いてる。でも、日本では在宅ワークを始めてから外出はスーパーに行く以外家からはあまり出ていなかった。目まぐるしい日々についていけるの?


(心はアラフォーなんだよね)


 若い頃は数多く旅行して知らない人や文化にたくさん触れていたのに、四十歳近くになったからなのか……家大好きっ子になり1DKの狭いアパートが私の城になった。


「あ、みかん……」


 そういえば、テーブルの上にみかんを出してきたままだった。今ごろ腐っているだろうな。前の世界では、私がいなくなったって誰か気付いてくれるのだろうか? 地球に未練はない、それは本当だ。未練はないのだけれど、考えてしまう。

 いつまでもベッドに入ってこないアイリスを確認すれば、ベッドの足元でモジモジしていた。遠慮しているのかな?


「マーク、どうしたの? 早くベッドに入って」

「いや、俺は椅子でいい」


 ああ、これは遠慮している。まぁ、そうよね。今日会ったばかりの人と寝るのだから。でも椅子で寝られるのは困る。ニヤっと笑い手足をばたつかせる。


「マーくんがベッドに入ってくれないとエマリン寝れなーい。困るぅ!」

「……なんだよ、それ」

「いいから、早く入って」


 呆れた顔でゴソゴソとアイリスがベッドへと入って来たが隅のほうで小さく横になったので、ギュッと後ろから抱きしめこちらへと引っ張った。


「おい! 何すんだよ」

「この方が温かいでしょう?」

「……まぁな」


 アイリスはそう言うと静かになった。シオンはすでに隣でおやすみの国へ旅立ったし、私もそろそろ寝るかと目を閉じるとアイリスが絞り出すように尋ねる。


「エマは俺を奴隷にするのか?」


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