第12話 「はい」

 遠くなる天井とアルノー達に、菜奈は、仰向けに落下しているいう事実を理解した。しかし、すでに両足は地面から離れ、手の届く範囲に掴まるところはない。


 視界の端で、アルノー達の足元も崩れていくのが見える。また、視界の外でオークの困惑したような鳴き声のようなものも聞こえるので、オークも落ちてきているのかもしれない。

 その証拠というように視界の端で、菜奈と一緒に落下しているエリックが菜奈よりやや上方に杖を向けて呪文を唱え始めていた。


 「岩射ロックミサイル!」


 詠唱は先ほどより短く、魔法の名前を鋭く発した瞬間に菜奈達と一緒に落ちてきていた岩が一斉に杖の指し示す方向に射出されるように飛んでいく。

 重く、鋭い衝撃音が連続して聞こえた後、粘性のある水が壁などに当たるビシャビシャといった音が聞こえてきた。それとならんでオークの咆哮がやや苦し気に聞こえてきた。

 体勢の問題で、菜奈には何が起こっているのかを見ることはできない。その事が余計に恐怖を煽る。


 「強風エアブラスト!」


 菜奈がオークの方から聞こえている音に気を取られている間に、エリックは続けざまに呪文の詠唱をしていたらしく、気がつけば、杖を下方に向けて魔法を放っていた。

 ごう、と下から風が吹き上げてくる。風は、どんどん強くなり、菜奈の身体を持ち上げるほどになる。落下のスピードが遅くなったと思ったところで、菜奈の背中が地面についた。


 落下のスピードを強風により殺せたとしても、受け身をとることも出来ない菜奈には、落下の衝撃をなくすことはできず、強かに背中を打ち付け、息をすることが出来なくなる。


 「ナナ、大丈夫か?」


 アルノーはうまく着地したようで、背中の痛みに踞る菜奈に駆け寄ってきた。エリックは周囲に視線を走らせて、警戒をしている。


 「だい、じょう、ぶ…」


 背中に受けた衝撃が抜けきらず、息がうまく吸えないため、アルノーへの返答は掠れた声しかでなかった。

 アルノーに助け起こされて、なんとか起き上がる。そこでようやく周囲を見回すことが出来た。周囲には、菜奈達と落ちてきたのだろう瓦礫が散らばり、所々に血らしき赤い液体のついた瓦礫が見える。幸か不幸か、オークの死体は瓦礫の下に埋もれてしまったらしく、直に見なくて済むことに菜奈は安心する。


 「どうやら、ダンジョンの深層部あたりまで落ちてしまったらしいな」


 周囲に魔物がいないことを確認したらしいエリックが落ちてきた穴を見上げて二人に告げる。

 その言葉の意味を深く考えられない菜奈は、だからどうした、という不思議そうな顔をすることしか出来ないが、それとは対照的にアルノーは顔を真っ青にする。


 「なんとか上に戻ることはできないんですか…?」

 「私の使える魔法の中にこの高さを登ることが出来るものはない。正規ルートで出口を目指すか、最奥部にあるといわれている転送装置を利用する他ないだろう」

 「そんな……」


 そのいずれもが難しいのだろう、エリックの顔は険しいものだった。その言葉を受けたアルノーの顔も絶望だといわんばかりの顔をしている。


 「アルノー、そんなに難しいの……?」


 二人の表情から簡単ではないことは理解できたものの、それがどれ程のものか、菜奈には想像が出来ない。


 「ダンジョンは、最奥部に近くなるほど強い魔物が出るんだ。それなのに、まともに戦えるのはエリックさんだけ。魔物に出くわしたら、エリックさんは俺たちを守りながら戦わなきゃ行けなくなる。オークよりずっと強い魔物と」

 「あ……」

 「それにここがどの程度の位置かわからないけれど、出口までは大分距離がある。その間、魔物と全く遭遇せずに出口に辿り着くのは、相当難しいってのは、ナナもわかるだろ?」


 懇切丁寧に説明されて、ようやく菜奈にも現状がどれだけ絶望的なのか理解が及んだ。アルノーが戦えるのかは知らないが、菜奈は全く戦えない。武器といえるものはジルに借り受けたナイフ1本だし、それを武器として戦えるスキルなど持ち合わせていない。唯一、エナジードレインというスキルを持ち合わせているが、どうしたら発動するのか全くわかっていない。魔物に遭遇したら役立たずもいいところだ。

 それにもかかわらず、出口に出るために、何度も魔物に遭遇して戦うか、先程のオークより強い魔物と遭遇して戦うかしなければなないのであれば、エリックの負担は計り知れない。


 「さて、どうする?ここからなら、最奥部を目指す方が生き残る確率が高いと思うが」


 菜奈の顔色の変化から、菜奈の状況理解の程度を悟ったエリックがこれからの方針を提案する。


 「ただ、更に最奥部に行くなら、魔物は強くなるんじゃないんですか?」

 「私が使える魔法の中に、周囲から見えなくするものがある。それを使えば、ある程度、魔物との戦闘を回避できるはずだ」

 「ここから正規ルートで出口に出るより、最奥部の方が近いなら、より戦闘回数を減らすことはできるでしょうか」

 「私はそう考えている」

 「それなら、最奥部を目指すことに賛成です。ナナはどう思う?」

 「え?えっと……わ、私も、それでいいと思う」


 しっかりと自分の意見を言えるアルノーに感心していたところに、意見を求められて、適当に同意してお茶を濁してしまった。内心、そんな年の変わらないであろうアルノーとの差に内心恥ずかしくなった。


 「では、全員の意見も統一できたのであれば、一ヵ所に長居は無用だろう。移動を開始しよう」


 エリックは、早速呪文の詠唱を始める。これまで3回エリックが魔法を発動していたが、魔法の発動をゆっくり見れるのは、これが初めてだ。エリックの呪文の詠唱とともに、エリックの身体から何かが立ち上っているように感じる。不可視のそれがエリックの身体を中心に広がり、菜奈やアルノーにも霧吹きで水がかかるように降り注いでくる。


 「幻影イリュージョン


 エリックの詠唱が終わると同時に、ぼんやり菜奈達の身体がぼやけて見えるようになった。これで菜奈達が周囲から見えなくなっているのか、菜奈にはわからない。


 「これで私を中心に一定範囲内にいる者は周囲から見えなくなっているはずだ。私から離れると魔法の効果が切れてしまうから、離れないようにしてくれ」

 「わかりました」

 「はい」


 菜奈は、内心、エリックから離れないように、エリックにしがみつきたくなったが、いつ戦闘をするかわからない状況でエリックの動きを制限するような真似をしてはならないことくらいは菜奈にもわかっていた。


 菜奈、アルノーはエリックの左右やや後方を、エリックの側を付かず離れず歩くことにした。

 

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