第11話 「え……?」

 その場に響き渡った咆哮は、獣のものであることはわかったが、それがどのような生物のものかわからない。低く体に響くそれに、菜奈は先日襲われたハティを思いだし、体が萎縮するのがわかる。


 「食事の匂いを嗅ぎ付けたか」

 「坊主、嬢ちゃんを連れて後ろに下がってな」

 「ロベール、リシュアン。後ろは任せろ」


 護衛役の冒険者達は素早く咆哮が聞こえた咆哮に武器を構え、菜奈達を後ろに庇う。ロベールとリシュアンと呼ばれた盾と槍を持った男が前に立ち、ローブを着込んだ魔導士らしき男が後ろに立つ。おそらくこの魔導士がエリックなのだろう。


 暗がりのなか、ランプの明かりのみが光源であるため、お世辞にも視界が良いとは言えず、咆哮の主は未だに菜奈には見えてこない。しかし、以前として唸り声のようなものが空気を震わせているのは感じることが出来た。

 震える手を握り合わせながら、菜奈は見えないとしても咆哮が聞こえてきた洞窟の奥から視線を外すことが出来ないでいた。アルノーは、菜奈を背にかばい、その姿を前にいるであろう魔物から隠してくれる。


 「大丈夫。何とかしてくれるよ」


 アルノーも洞窟の奥から視線を外すことなくそう言い切る。自分も恐怖に震えているにも関わらず、菜奈を安心させようとしているのがわかる。その心遣いをあり雅楽思いながらも、菜奈の恐怖心が消えることはなかった。


 ロベールとリシュアンは洞窟の奥に向かって油断なく武器を構える。

 咆哮が収まったかと思えば、ズシン、ズシン、と重量のあるものが歩くような振動を感じ始める。おそらく、魔物がこちらに歩き出したのだろう。

 やがて、足音の主が、ランプに照らされている範囲に入ってきたことで、その姿が菜奈にも視認できるようになった。遭わせて獣臭いような生臭いような生理的に嫌悪感を抱く匂いが漂ってくる。


 「オークか。少し数が多いな」


 ロベールが苦々しく呟くように、菜奈の視認したオークと呼ばれた豚の頭部をもつ人形の魔物は、全部で7体。いずれも棍棒のような殴打武器を所持している。

 菜奈達を守りながら戦うのは、多いのかもしれない。しかし、オークがどの程度の強さなのか、ロベール達がどの程度オークと渡り合えるのか、全くわからない菜奈からすれば、見守る他ない。


 「君達は私から離れないように。そこにいてくれ」


 エリックは、眉をひそめて苦々し気な表情をして、菜奈達に鋭く指示をする。菜奈は来た道を走って逃げ戻りたい気持ちがありながら、恐怖から足がすくんで動かない現実からすれば、エリックの指示に従う他ない。


 「リシュアン、行くぞ!」

 「おう!」


 菜奈が恐怖に震えている間に、ロベール達は戦闘を開始していた。

 先頭を歩いていたオークの一匹に、リシュアンが盾を構えながら槍を突き出す。動きの遅いらしいオークは、防御も間に合わず、リシュアンの槍を胸付近に受け、苦痛の咆哮を上げる。

 味方に危害を加えられたことに怒ったらしいオーク達が咆哮を上げながら、武器を振り上げた。

 ロベールは、リシュアンの影から飛び出し、一番近くにいたオークの腕を振り上げたことでがら空きになった胴を剣で橫薙ぎにする。

 ロベールもリシュアンも一撃で倒しきることはできなかったものの、確実にダメージを与えており、攻撃された2体は、動きが明らかに鈍くなる。知能は低そうに見えるが、生物としての危機シグナルとしての痛覚は機能しているらしい。

 元々素早くない動きが更に遅くなったオークの首をロベールが立て続けに切り落とす。リシュアンは、その間に次のオークに攻撃を開始する。

 

 その後は、リシュアンが弱らせて、ロベールが止めを指すという連携で、次々とオークを倒していった。その動きは、熟練の冒険者というにふさわしく、危なげのないものである。

 途中から、菜奈も安心して方の力を抜いていた。


 しかし、それがよくなかったのだろうか。突然、菜奈の右側にある壁が轟音を立てて崩れ落ち、人が2、3人通れるほどの大穴が空く。菜奈の気が抜けていたこともあり、呆然とその穴からロベール達が相手をしているオークより一回り大きいオークが出てくるのを呆然と見ているしかできなかった。隣にいるアルノーも同様である。

 

 「な……っ、こいつらは囮かっ」


 ロベールとリシュアンが焦ったようにこちらに戻って来ようとしているのがわかったが、オーク7体を菜奈達から引き離して相手をするために、距離を空けてしまっているため、すぐに駆けつけることができない。


 「離れなさい!」


 エリックの悲鳴のような叫びにより、アルノー共々我に返った菜奈は、アルノーに引っ張られるようにオークに背を向けて、エリックの方に向かって走り出した。

 進行方向にいるエリックの切羽詰まった表情は依然変わらず、手に持った杖を菜奈達の背後に向けて何か唱え出した。逃げることに夢中な菜奈には、その意味を聞き取ることはできないが、耳慣れない発音にどうやら外国語のようだとだけ思う。


 「空気障壁エアショック!」


 詠唱が終わったらしいエリックの杖の先から何かが放たれる。不可視のそれは、菜奈の頭上を通り過ぎ、オークに当たったらしく、ロベール達の相手をしているオーク達より一段階低く体に響く咆哮が当たりに広がる。

 そして、エリックの攻撃は、衝撃波を生むものだったのだろう、余波で菜奈達の身体も前方に吹き飛ばされた。


 それと同時に、菜奈達の足元にも衝撃が広がる。

 前方に転がった菜奈は、思わず後ろを振り替えると、オークが棍棒を菜奈達が立っていたところに振り下ろしたところであった。

 菜奈が転がっている場所からわずか数メートルの位置にめり込む棍棒を見て、菜奈の血の気が引く。あと少し、動き出しが遅ければ、菜奈達の身体に棍棒がめり込んでいたと考えれば、生きた心地がしなかった。

 

 「立ちなさい!次が来ますよ!」

 「ナナ!立って!」


 エリックとアルノーの言葉に返事もできないまま、震える足に鞭を打って立ち上がる。エリックの元まではまだ数メートルある。まだ、走らなくてはならない。

 アルノーは、吹き飛ばされた拍子にエリックの元まで辿り着いたようで、エリックの隣でナナを呼んでいる。

 ナナも急がなくてはと、一歩踏み出したその瞬間、菜奈の耳は、みし、と建物が軋むような音を拾う。周囲が岩で構成された洞窟では到底聞こえるはずのない音に、菜奈は一瞬動きを止める。しかし、全貌で急かすエリックとアルノーの声に意識を切り替えた。今は、逃げることが先決だ、と。

 後ろでは、狙いが外れたことに不思議そうにしているオークが首を傾げながら、棍棒を再び持ち上げている。考えている時間はないのである。


 再び走り出した菜奈の後ろで、オークが一歩踏み出したのだろう、ズシン、と振動が足に伝わってくる。その振動と同時に再び、みしみし、と軋む音が菜奈の耳に届いた。そして、その音に合わせて菜奈足元の地面に亀裂が走った。最初は一本だった亀裂は、菜奈が一歩踏み出す度に増え、その長さも長くなっていく。

 しかし、菜奈にはそれに構っている余裕はない。


 「ナナ!」


 あと少しで、アルノーに手が届く、と思ったところで、菜奈の身体が不自然に後ろに傾いた。引っ張られたわけでも、ころんだわけでもないのに、前に出した足が地面につかず、身体が後ろに倒れていく。


 「え……?」

 

 後ろ向きに落下していることに気がついたのは、後ろ足から踏みしめていたはずの地面の感覚がなくなってからだった。

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