第4話 「ありがとう、ございます」
イザベルから聞いた話によれば、街の北側にある広場で炊き出しをしているらしい。
街には入れたものの、手持ちの金銭はなく、今日の寝床はもちろん、今日の夕飯の確保もすることはできない。しかし、この近辺では、最近魔物に襲われる事例が増え、家を失う人が相当数存在しているらしい。その結果、このネセバーの町では、そういった家を失った人々のために、炊き出しと難民キャンプのようなものを作っているらしい。
イザベルが菜奈の事情を勘違いしたのは、このような情勢があった故らしい。菜奈は、イザベルのそのような勘違いにうまく乗ることができたのだ。
門をくぐってすぐ目に入るのは、おそらく街の中央につながっているであろう大通りである。車が余裕をもってすれ違える程度の広さの通りに、人が行きかっている。馬車は数える程度に走っているだけで、そこまで多くはない。
菜奈が入った門は、街の西側に位置しているらしいことから、街の北側を目指して歩き出す。休みを挟んだとはいえ、丸1日歩いた足は痛みを訴えていたが、あと少しと自分を奮い立たせ、足を動かしだした。
大通りの左右は、石造り、レンガ造りの2階建て程度の大きさの建物が立ち並び、その外観はヨーロッパの古い町並みのようだった。
通りを歩く人々の衣服は、オランダやドイツ、ノルウェーの民族衣装のような雰囲気で、菜奈からすれば、コスプレをしている人ばかりのように感じる。
一方で、民族衣装の人々のばかりの中、制服姿の菜奈な目立っており、人目を引いていた。すれ違う人々に振り返られることを自覚して、菜奈は、徐々に足を速めていく。
大通りをまっすぐ進んでいくと、広場のようなところに出た。広場は、菜奈が歩いてきた西側の大通りのほか南側、北側、東側の大通りがそれぞれつながっていた。広場には、特段何かがあったわけではない。ただ、地面には、何かを設置した形跡があることから、イベント時には、人々が集まる場所となるのだろうことが予想できた。
東側の大通りには、他の南北西とは異なり、ゲームのような武装をしている人がやや多いように見られた。剣のようなものを背負った男性、弓矢を背負っている女性等がいる。門のところにいた金属鎧のようなものを身に着けた人は少ないが、革製の防具を身に着けている者は多かった。
とはいえ、菜奈の目的地は、ここではない。そのため、菜奈は広場を突っ切って北側の大通りに進んでいく。
北の通りに入って、菜奈は、西の通りと雰囲気が異なるように感じた。西の通りでは、商店らしき建物や呼び込みを多く見かけたが、北の通りではそれが少なくなり、おそらく、住宅街なのだろう、人通りは少なくないが、やや静かになっている。とはいえ、建築技術の問題なのだろう。基本的に2階建て以上の建物はない。石造りの建物は建築費がかかるのか、レンガ造りの建物の方が多いように感じる。
菜奈は、物珍しい光景に周囲を見回しながら、それでも足を進めていく。
制服が注目を集めていることについては、もはや諦めつつある。
15分程歩いた後、街の周囲を囲っている塀が再び視界に入ってくる。さらに歩を進めれば、塀沿いに多数の天幕が張っているのが見えてくる。それと同時に炊き出しによるものだろう食べ物の匂いも漂ってきた。
昨日の昼から食べたのは、イザベルからもらったパン一つだけだった菜奈は、空腹に腹の虫が騒ぎ出す。
疲労による休息の必要性も感じていたが、空腹により眠れそうにない。とにかく何か食べられないかと、菜奈は匂いの元へふらふらと近寄っていく。
匂いの元は、少し開けたところで、湯気を立ち昇らせる大きな鍋があり、そこに多くの人が並んでいる。どのような料理を作っているかわからないが、鍋をかき混ぜている人が、並んでいる人々に順番に料理を配っているようだ。
「あの……」
「なんだい、お嬢ちゃん」
「えっと…ここに並べば、食事を頂けるんですか?」
「そうだよ。アンタ、器は持ってるのかい?」
「あ…いえ、荷物は全部なくしてしまって…」
「あっちで器を配ってるから、もらってきて並びな。そしたら食事をもらえるよ」
「ありがとうございます」
列の後ろの方に並んでいる女性を選んで、菜奈は声をかけた。
女性は、菜奈の恰好を見て、若干不審そうに見るが、質問にはこたえてくれた。女性が指さした方向を見れば、列に並んでいる人々が持っているような食器が多く置いてある。
とにかく、食事がもらいたい菜奈は、女性に頭を下げて、器が置いてある場所に向かう。
「あの、食器をもらえるって聞いたんですが……」
今度は、食器を配っている男性に声をかけた。男性は、街に入るときの門にいた兵士と同様の装備をしていた。男性は、菜奈を見ても女性ほど不審そうな顔をすることはなく、菜奈に器とカトラリーを手渡してくる。
器もカトラリーも木製で、日本で購入できるような食器よりよほど粗末ではあるが、少なくとも食事をする機能としては問題がなさそうなレベルの品だった。
「これを持ってあっちの列に並べば、食事をもらえるよ」
「はい。ありがとうございます」
受け取った食器を手に、菜奈も列に並ぶ。
一人、知り合いもおらず、服装も周囲とは全く異なることに心細さは消えない。しかし、それ以上に空腹は耐え難い。そのため、周囲からの奇異の目に耐えながら小さくなって列に居続ける。
「これからどうするよ」
「いつまでもここにいるわけにもいかないしな」
「とはいえ、家もなくなっちまって、畑も荒らされちまってるからな」
「やっぱり冒険者にでもなるしかねぇのか……」
「俺たちみたいな農民が冒険者になっても、怪我するだけさ」
菜奈の前に並んでいる男性は、30代から40代くらいの2人組で、知り合い同士のようだ。話から推測するに、農業をしていたようで、イザベルが言っていたように魔物に襲われて、家を失ってしまった人のようだ。
冒険者とは、おそらく東側の通りに多くいた武器を持った人々のことだろう。やはり武器が必要となるだけあって、危険な職なのだろう。しかし、家も職も失ってしまった人がすることができ、お金を稼ぐこともできるようだ。ただし、怪我をするような危険な仕事でもあるらしい。
男性たちの話を聞いているうちに菜奈の順番が回ってきた。
鍋をかき混ぜている男性に器を差し出すと鍋の中身であるシチューのような料理が盛り付けられる。返された器とともに、紙に包まれたコッペパンのようなパンが手渡された。
並んでいた時には気が付かなかったが、パンも配っていたらしい。
シチューは、それなりに具がたくさん入っており、パンと合わせて食べれば、それなりに万福になるだろう。
ありがたく食事をもらい受けると、菜奈は、人が少なく、落ち着いて座れる場所に座り込んだ。
パンを膝の上に置くと、カトラリーを器に浸し、シチューを掬い上げる。1日ぶりに口にする温かい食事をありがたく感じる。カトラリーに乗った野菜は、少しクセがあるが、食べられないほどではない。
また、器を左手に持って、右手でパンをひと口大にちぎる。ちぎった時にわかったが、イザベルにもらったパンと同様に硬いため、シチューに浸して少しでも柔らかくする。
それらを繰り返して、器が空になるころには、菜奈も人心地つけることができた。
そうして菜奈は、現状確認と、これからのことを考え始める。
菜奈も無一文であることには変わらない。菜奈の知る日本ではない現在地から、どのようにすれば家に帰ることができるかも変わらないのであれば、当面の生活基盤を整える必要がある。
取り急ぎは、この難民キャンプに身を寄せていれば、食と住についてはまかなえるかもしれないが、そのままでは、帰ることもできないだろう。
とりあえず、情報収集が必要である。
そこまで結論付けると、思い出したように左腕が痛み出す。おそらく、食事をして体温が上がり、血流がよくなったことも起因しているのだろう。
そもそも、消毒もしていないのであるから、一度傷口を洗うべきだろうと考え、菜奈は器をもって立ち上がる。
そして、先ほど器をくれた兵士の元に向かい、水場を訪ねると、近くに井戸があることを教えてくれた。
井戸には、数人の女性が何人かの子供とともに洗濯をしているようで、盥に水を張り、布を板に擦り付けていた。
菜奈は、洗濯をしている女性の邪魔にならないように、四苦八苦しつつ、ロープにつながれた桶を使って水をくみ上げた。そして、左腕に巻いているネクタイをほどく。
傷口は、歯形になっており、血がこびりついて固まっている。今のところ化膿している様子はないため、一安心だった。
とりあえず、桶から食器に水をすくい、器とカトラリーを洗う。そして、右手で水を掬い上げて、左腕にこびりついた血を洗い流していく。
水は傷にしみるが、医者にかかる金もない現状で化膿することの危険性を考えると泣き言を言ってもいられない。
そうして傷口を洗い流すと、ネクタイもついでに洗う。凝固してしまった血のシミが取れることはないが、包帯もないので、再びこのネクタイを包帯代わりに巻くしかないのである。
「アンタ、それどうしたんだい?」
「え……?」
ネクタイを洗っていると、洗濯をしていたと思われる女性に声を掛けられた。
おそらく、40代前後恰幅の良い、おふくろさん、といった雰囲気の女性だった。
「それ、噛み跡だろう?魔物に襲われたのかい?」
「は、はい。狼みたいなのに、噛みつかれてしまって……」
「傷はそこまで深くなさそうだけど……そんな布を巻いとく気かい?」
「え、っと、あの、荷物もなくて…包帯とか買うお金も、その…」
「ちょっと待ってな。エレーヌ!使ってない布あったろ、持ってきてやりな!」
「はーい」
エレーヌと呼ばれた10歳くらいの少女は、女性に言われたと同時に立ち上がり、どこかに走り去っていく。
「す、すみません」
「ここはみんな魔物に襲われて家をなくしたんだ。アンタの気持ちはわかるよ。頑張ったね」
「は、はい」
魔物に襲われたのは本当だが、家をなくしたわけではなく、なくしたのは帰り道であるため、菜奈の反応は微妙なものとなる。
数分もすればエレーヌと呼ばれた少女は、バスタオルほどの大きさの布をもって戻ってきた。
女性は、少女から布を受け取ると、その端を口と手を使って引き裂いて、紐状にする。そうして手際よく、菜奈の左手に包帯のように巻き付けた。
「こんなもんかね。この調子なら、2、3日もすればよくなるね」
「あの、ありがとうございました」
「いいよ。子供が気にするもんじゃないよ。それより、アンタ、見ない顔だけど、今日ここに来たのかい?」
「はい、さっきここに来たところで…」
「じゃあ、今日の寝床は確保してるのかい?」
「い、いいえ。その、その辺で横になろうかと」
「アンタ、女の子だろう!そんな危ないことするもんじゃないよ!」
「ご、ごめんなさい……」
「とはいえ、うちの天幕はいっぱいだし……」
ちょっと待ってな、と言い、女性は、一緒に洗濯をしていた女性たちに声を掛けに行く。しばらくやり取りをした後、やがて、菜奈を振り返り、手招きをする。
菜奈が女性のところまで小走りで駆け寄ると、女性は、一緒に洗濯をしていた女性のうち、最も年配の、菜奈の祖母と同じくらいであろう女性を示す。細身で、顔には深い皴が刻まれているが、温和な雰囲気の老女だ。日向でお茶を飲んでいるのが似合いそうである。
「こっちはヴァレリアだ。ヴァレリアの天幕なら余裕があるらしいから、泊めてもらいな」
「あの、えっと、ヴァレリアさん、いいんですか?」
「かまわんよ、私と私の夫がいるけどそれでよければおいで」
「あ、ありがとうございます!」
菜奈は勢いよく、ヴァレリアと女性に頭を下げた。
「あ、あの、手伝います!」
せめて恩返しでもしなければと提案するのだった。
無事に寝床も確保できた菜奈は、ヴァレリアの洗濯を手伝った後、彼女の天幕に案内された。
天幕の中は、寝床と思われる場所に布が敷いてあり、隅にはヴァレリアとその夫の物と思われる荷物が置いてあるだけだった。
ヴァレリアは、あまった布で菜奈の寝床も用意してくれ、菜奈はそこに腰を下ろす。屋根のある場所に座れたことに安心して、眠気が襲ってくる。
「眠いのかい?」
「すみません、昨日あまり眠れてなくて……」
「いい、いい、少し休みな。夕飯の時間には起こしてやろう」
「ありがとう、ございます」
ヴァレリアにそう促され、菜奈は素直に従って寝床に横になる。地面に布を敷いただけの寝床は、一昨日まで使っていた自室のベッドと比べ物にならないほどに硬いが、屋根があり、人がいるという環境は、菜奈を容易に眠りに落とした。
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