第15話 エピローグ
空を見上げる。
かつて窓の外でしかなかった景色が、今や既に通った過去の道でしかないと分かり、溜め息が出る。
それでも見上げているのは、しばらくの間は体を動かすことも億劫なくらい、意識がぼんやりとしているからだ。プラクトの核たる精神を喰われたことで一時的に昏倒していた意識は取り戻したばかりであり、気が付けば名も知らぬ惑星の荒野で一人取り残されている。
しばらくの間水も飲まず何も食べていないせいで少しづつ飢餓の感覚が芽生えてきたが、いつの間にか体に憑りついた蠢く物体は空気中から養分を吸って動力を生み出しており、体を動かすエネルギーは直接補給されている。腹は減り続けるが、これで死ぬことはないのだろう。
体の中に意識を向けると、血管の隅々、臓器の各所、骨の中に至るまで、肉体の情報全てが脳内に流れ込む。疲労を感じる部位にはすぐさまナノマシンが流れ込み、疲労を発生させる成分を取り込み回復させ、筋肉や臓器の損傷などはすぐさま補填される。
やがて体力は完全に回復し、意識だけが朧気のまま___セーナは歩き出した。
『エル。ブレイドナンバー12番、コードネーム《
初めて聞いた、彼の声。
思い返せば、彼にとってセーナを見つけたことは望みの達成条件を満たすことであり___同時に、己の終わりを取り返しのつかないものにする決定的な瞬間だった。
己の存在を終わらせ、そして己を作り上げた根源たるシステムを巻き込み全てを破壊する、宇宙全体を巻き込むほどの強烈な破滅願望は、この時にその出口を迎えたともいえる。
セーナが命を救われたあの瞬間は、同時にエルの終わりを決定づける瞬間でもあった。
初めから、二人は反対の方向に進んでいたのだ。
『どうか、変わらないでくれ。俺みたいには、なるなよ』
ブラックバードとの戦闘後の、何気ない一言。
追手として迫っていたジェイルを自分の意思で殺したことを、僅かでも後悔していることを見破られた時の言葉。
敵を屠り、そしてその後のディーとアイとの戦闘に巻き込まれた者たちを容赦泣く皆殺しにした彼から向けられた言葉。
破滅に突き進み、ただひたすらに周囲の全てを無に帰した彼からのメッセージ。
彼は、分かっていた。システムを壊滅させ、己すらも無に帰そうとする行為に、正当性も尊厳もない。無意味な破滅だけが、当時の彼を突き動かしていた。
分かっていても、止まることのできない破滅。それが間違いだらけで愚かであることを、初めから彼は分かっていた。
『俺は……君のその考えが嫌いだ』
なるほど、嫌われたのは当然だ。
破滅することが分かっていて、そして破滅したいなんて望みすら叶えたくない、ありとあらゆるものを否定してしまいたい衝動に駆られた彼からすれば、絶望の淵にあっても希望を持って明日を生きようとし、そして敵の破滅すらも拒もうとするなど気味の悪いものでしかないだろう。
あるいは______それは嫉妬の感情だったのかもしれない。
自身と同等の絶望的な状況に置かれてもなお、破滅を望もうとしなかった者への憧憬、そしてそれに呼応した自己嫌悪が入り混じった、彼なりの嫉妬だったのかもしれない。
『ありがとう、セーナ』
今思えば、彼には随分とひどい事をした。まさに今、同じことをされて最悪の気分なのだから。
思いを交わした相手を幸せにする方法。その唯一の方法は、ただ共にいることだけ。それだけでいいのに、人は相手を救おうと、相手を幸せにするために自己を犠牲にする。
今なら、分かる。誰かのために命を投げ出す行為は、確かに英雄的であるかもしれない。
だが、同時に誰かに対して癒えない傷を刻みつける、いわば呪いでもある。
現に今、自分は胸を掻きむしりたいほどに呪われている。
『そして進み続けた先で、ふと後ろを振り返って___その時に『ありがとう』って、言ってあげるんだ』
「…………そんなこと、言えないわよ」
まだ、腹は減らない。
喉も渇かない。
既に一日が経過しており、荒野の夜はよく冷える。にも関わらず、疲労も睡魔も一切感じられず、足はいつまでも歩き続けることを可能にしていた。
ふと見上げると、かつて旅をした星々が浮かんでいる。か細く太陽の光を反射し光ながら、星ごとに特徴ある輝きを反射している。
ふと、景色が歪んだ。
「……あ、あれ?」
上を見上げているのに、涙が溢れる。
何かに激情を抱くほどの気力も残っていないのに、勝手に涙腺だけが反応している。
「何なの……やめてよね……」
ゴシゴシと目を拭っても、それは止まらない。
いつしか呼吸も荒くなっていき、体の震えが止まらなくなる。
頬が紅潮し、体温が上がっていくのが分かる。
それでも、ここでそれを初めてしまったら、もう二度と歩き出せない気がして、ひたすらに足を動かす。
震える喉から声が溢れるのを無理やり手で押さえつけ、前の景色が歪むことも、足取りが覚束無いことも無視してひたすら歩く。
進め、進め、進め。
進んだ先に、進んだ先に、進んだ先に______
『____________』
「_______あぁ」
何かに躓いて、手を地につけて転ぶ。
溢れた雫が砂の上に落ち、染みを作っていく。
「____あぁ、あぁぁ……!」
ダメだ。
ダメだと、分かっているのに。
どうしてこの気持ちは、止まってくれないんだろう。
「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
誰もいない荒野で、セーナは大声をあげて泣いた。
別れを惜しんで泣いたことも、再会を祝して泣いたこともある。
でも、誰かに■されて、そして自分の■を届けられなかった悲しみは、初めてだった。
止め方を知らない涙が、何度もこぼれ落ちる。
いつしか、セーナは目元を拭うことをやめていた。
ただひたすらに、泣いて、泣いて。
暗くも輝かしい宇宙の中で、独り泣いていた。
* * * *
声が聞こえる。
* * * *
______エル。
聴覚も失われたにも関わらず、炎の中で声がする。
砕け散る体が剥離する直前に、魂の根底に直接響くような声が。
______これで、君の破滅は遂げられた。
______君は死に、ブレイドは死に絶え、全てとはいかずともシステムの計画を食い止め、七星の一角を君は落としたんだ。
______そして、旅の末に君は見つけることができた。
______託す者を。君を忘れずにいてくれる者を見つけることができた。
______エルの物語は、ここでようやく終わりを迎える。
そうだ。
エルという人間は、もういない。ヴェイルスーツも失った今、サイクロンベルトの爆発を逃れ、宇宙空間を生き残る術はない。
ここで、俺というエルは終わりを迎える。
______そして、僕も。
……………………?
______君から分離し、君の『穴』に本来はあったもの。
______『
______君と共に、
何かに、体が包まれる。
温かく、柔らかな光に包まれていく。
______かつて最強だったブレイドから分離した、意識を持ったヴェイルセルの塊が僕だ。
______ヴェイルセルはナノマシンだが、元は生物の細胞。栄養を吸って増殖することを可能にする。
______君には黙っていたけど、ずっと前から僕の体にはストックを用意していたんだ。
______いつか、こうなる気がしていてね。
(やめろ。お前は、俺から離れたままでいるべきだ)
______そうはいかない。確かに、エルはここで終わりを迎える。
______でも、君は終わらない。
______失われた欠片を取り戻し、エルは『
(それは……お前が消えるということだぞ)
______あぁ、消える。僕の情報の全てをエルに統合し、本来の姿を取り戻す。
______一度分かたれてしまった以上、統合にはどちらかを核に設定しないといけないからね。
______ならば、人である君が残るべきだろう。
(違う。俺はここで終わるべきなんだ。ここで、終わって……)
______セーナに言ったことを思い出しなよ。
(______俺は)
______会いに行くんだ。必ず、彼女と再会してくれ。
______もうすぐ、統合が終わる。
______新しい人生を歩むといい。
______
______
全身を包む温かさが、崩壊していく魂の欠片を拾い集めていく。
壊れ散っていく記憶が再び紡がれ、一つの人格を形成していく。
かの者のプラクトが再構成されていき、肉体をヴェイルスーツが覆っていった。
爆発に伴う閃光の中、彼は静かに眠る。
どこか遠くで生きる、彼女のことを思いながら。
______第一章 完結______
LOS(エルオーエス) 八山スイモン @x123kun
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