第13話 最終決戦


 ___四年前、システム重要拠点。


「あぁ、彼はダメだ」


 七星、アルバーン・ゼノはとある実験の被検体を見て、彼にしてはめずらしい、嫌悪を隠さない声色で否定を吐き出す。

 傍らにいた、同僚たる別の七星も彼の珍しい言葉遣いに思わず振り向いた。


「君がそこまではっきり他者を否定するなんてね。誰のことだい?」

「あそこの……モノクロ色のスーツの彼だ」


 ブレイドの性能を試す、広大な実験スペース。

 映像によってあらゆるデータが採取されている彼は今、その凄まじいスペックを見せつけ『研究者』たちの関心を惹いてやまない存在である。

 もう一人の七星もまた、彼にはそこそこの興味がある。彼女にも彼女で別の計画がある以上、強力なエージェントであるブレイドの存在は重要度が高い。

 そういった利用価値を知ってなお、アルバーンは一切表情を変えなかった。


「大抵の被験者はね、あれだけ強大な力を持つことは恐ろしいと感じるんだよ。あのエースですら、得体の知れない力に警戒していたくらいだ。だが、彼には恐れが一切ない。持ちうる力の全てを自分のものにすることに、疑いがない」

「それはいいことだろう。強いブレイドには必要な素質だ」

「あぁ。彼は強くなるだろう。きっとイカれた強さになる」


 七星の中でも先輩にあたるアルバーンが何を見ているのか、傍らにいるもう一人は知る由もない。

 ただ、力を全開放し実験スペースの外壁にも亀裂を入れてみせた少年の迷いのない顔を見て、言わんとしていることを朧げながらも理解する。

 

「人は他者を愛し、己よりも他者を慈しむからこそ、価値ある生命体になれる。自らの意思で、多数の他者を生かそうと考えることができる。だからこそ、他者を害することを恐れ、力を恐れるんだ」

「彼は……人を愛せないと?」

「その可能性がある。僕は彼が恐ろしいよ」


 いずれ、彼はシステムきっての有力なブレイドとなる。

 そして、いつか必ず対立する日が来るだろうと考え、四年もの間対策を練っていた。

 人類という、種のために。

 システムを捧げ、種の進化と深化のために。

 その日が___今やってきたことの感慨は、アルバーンにしか理解できない。



 * * * *



 ぶつかり合う拳と拳が、ただでさえ崩れかけていた中央制御室に取返しのつかない破壊痕を刻む。

 ひび割れ崩壊していく部屋の中でも、セーナの眠るカプセルだけは何の傷も受けずに佇んでいた。下手な刺激はセーナの安全にも関わるため、エルも無理矢理破壊しようとは考えていない。

 重要なのは、ここでアルバーン・ゼノを殺すこと。

 ザラシュトラ計画、その実行者を失えばサイクロンベルトの起動は不可能だ。

 だが、それが容易でないことをこの一手で理解する。

 打ち合う拳撃と拳撃。その奥にある、見通すことすらできない巨大な力の塊。

 推しはかることすらできない、圧倒的なプラクト総量。

 振り落ちる小惑星を山の頂上から望むがごとき、絶大極まる圧倒的質量。

 打ち出された敵の拳の威力は吸収してしまえるエルの異能だったが、その能力が上手く働かない。


(エースの時と同じ……! プラクト出力が高すぎて、能力が中和される!)


 エースと異なる点は、その奥に感じるプラクトの総量。

 エルとエースの間にはプラクト総量そのものに大きな違いはなく、純粋にエースが技量のみであそこまで出力を上げたことによるものであった。

 だが、アルバーン___ブレイド・ゼットはそうではない。

 技量でいえば、恐らくエルの方に部がある。

 だが、元から持ち得る総量に違いが大きすぎる故に、プラクトの干渉が掻き消えてしまう。

 人体で例えるならば、エースは同様の筋力量で体術に優れる相手、アルバーンはそもそもの肉体サイズが人間のそれを大きく超えた巨人サイズ、といったところとなる。

 力の差を『吸収』で埋めることが大きなアドバンテージであったはずのエルの作戦は、これにより致命的な打撃を受ける。

 当然ながら、アルバーンもまた即座にこの状況を看破し、躊躇なき猛攻が始まる。

 桁外れのプラクトをあるばままに放出。圧倒的な速度、圧倒的な膂力で力任せにエルを打ち付ける。


「ちっ……!」

「エル、まさか僕のことさえ倒せば、なんて考えてるんじゃないだろうね?」


 耐えきれず後退するエルに、圧倒的な速度で近づき次々と攻撃を繰り出すアルバーン。純粋な身体能力を活かした攻撃に加え、放出されるプラクトを束ねて放つことで疑似的な衝撃波を生み出し攻撃する。セーナのプラクト銃や、エルが放つエネルギー砲に近い原理で、プラクトそのものを攻撃に回す。

 十二体ものサクリファイスタイプとの戦闘によって大きく消耗したエルに対し、アルバーンは十分な余力を残している。

 そして、ダメ押しの一手。

 戦いとはただ打ち付け合うに留まらず、敵の戦意を削ぐもの。

 

「……何の話だ」

「戦いの基本とは『戦わずして勝つ』ことだ。己の勝利を戦闘行為に委ねるようでは、戦略的視点が欠けていると言わざるを得ない」


 圧倒的なパワーでエルを抑えつけ床に押し当てながら、アルバーンは指でセーナが収まったカプセルを指差す。

 カプセルは知らぬ内に大きな音を立て初め、次第に建造物全体___すなわちサイクロンベルト全体が駆動の振動を起こしていた。


「既にサイクロンベルトは起動している。彼女は既に、サイクロンベルトに取り込まれ切り離せない存在となっているよ。無論僕もだが」


 ___血が頭から引く感覚。


「残り十数分で、ダイソンネットワークの掌握が完了する。三十分も経てば、僕の命令が彼女を通してダイソンネットワークに拡散されるだろう」


 ___そして再び、血が頭に登る感覚。

 血圧が跳ね上がり、強く脈打つ。


「そして一時間もすれば___ザラシュトラ計画、全人類の強制異能進化は完了する。完了と同時に、僕と彼女は___」

 

 力が、湧き上がる。

 抑えつけていた力を湧き上がる力が強制的に引き剥がし、アルバーンを蹴り飛ばす。勢いそのままにアルバーンへと突進し、その巨大極まる力の塊を中央制御室の壁と共に吹き飛ばし、二人の超人がサイクロンベルト内を縦横無尽に駆け巡る。


「ハハッ、土壇場で覚醒に至るか」


 怒りに身を任せ暴走したわけではない。

 むしろ逆。アルバーンが話した内容を元に、吸収する力の元を変更し一気に大量のエネルギーを吸収、そして取り込んだ大量のプラクトを活かすよう、ヴェイルスーツの形態そのものを変質させた。

 内なる力に呼応するかのような禍々しい変化。背面には翼のような突起物が生え、腕と足を覆う鎧が鋭さを増す。頭部には一本の角が生え、口に当たる部位には牙のような刃が形成された。

 肉食獣を思わせ、それでいて人の形を保った変化。それが内なる者の精神性の表れだと知っているアルバーンは、内側を流れる膨大なプラクトをさらに力強く躍動させる。


「サイクロンベルトの駆動エネルギーそのものを食うか」

「俺がやることは変わらない」


 高まるエルのプラクトがぶつかり合い、超古代の遺物に雷が走る。

 この宇宙の誰にも観測されない戦いは際限なき高まり合いを続け___ついにその壁が破られる。

 宇宙空間に放り出されたエルとアルバーン。しかし、先ほどよりも一方的な展開ではなくなり、むしろエルが押す戦いとなった。

 無尽蔵に等しいプラクトを大量に放出し力のままに叩きつけるアルバーンに対し、エルはサイクロンベルトから吸収したエネルギーをぶつけることで相殺。そして変形したヴェイルスーツを使った刺突、そしてアルバーンのヴェイルスーツを力任せに引き剥がすような獣じみた戦い方でアルバーンを追い詰める。

 力で劣るとはいえ、戦闘経験自体はエルがアルバーンの上を行く。何度もブレイドと戦い続けた故、対ブレイドにおいてエル以上に技量を積んだ者はいない。


「お前をここで殺して、この計画、そして全てのブレイドを終わらせてやる!」

「ほざくな、破壊者!」


 両者が再びぶつかる。

 声の響かぬ宇宙空間にすら轟く咆哮。轟くプラクトの振動が疑似的に音を発生させ、両者の体を震わせる。

 制限するものなき戦いはその速度を際限なく高め、音速すら遥かに超える速度でサイクロンベルトの外壁で二つの力がぶつかりあった。

 〇.〇一秒の差が勝敗を分ける、異次元の戦い。

 互いが互いの全てをプラクトに込めて、敵を打った。

 ある拳は衝突と同時に高密度のプラクトを放出し、受け止めた腕がボロボロに砕け散った。

 ある拳は拳撃の後に吸収したエネルギーを撃ち放つことの二重の攻撃によってタイミングをずらし、その牙でヴェイルスーツそのものを剥がしにかかった。

 ある一撃は密着した状態で膨大なプラクトを送り込み、凄まじい力の奔流に耐えきれなかった体の各所から血が噴き出す。負けじと敵を抱き込み、力任せに背骨を折ろうと抱き潰そうとする。

 高まったプラクト出力はヴェイルスーツによる肉体の治癒速度を向上させ、骨の粉砕や臓器の損壊を瞬く間に補修していく。もっとも、失われた血まで無から生み出せるものではなく、両者の体力は著しい速度で減っていく。

 それでも、止まることなどなかった。

 止まる理由など、彼らには一つもない。

 

「エルゥゥゥゥゥゥッッッッッ!!!」


 アルバーンのヴェイルスーツが、エル同様に変形を遂げる。

 膨大なプラクトが高まる出力によってさらに強く動くのに合わせ、器たるスーツが力の発散を求め最適な形を模索する。

 プラクトを取り込み、ヴェイルスーツがその細胞を増殖させる。躯体は強大な力に見合うように大型のものとなり、そして敵たるエルを討つために自らをも獣へと変化させた。

 牙と角が発現し、装甲の各所が鋭く変化。そして本来人間にはなかった部位___尾が生え、先端に刃が形成された。

 青と黒が入り混じった体は揺らめく炎のように噴出するプラクトに覆われ、体高は四メートル近くにも達した。

 変形直後の状態を狙いすかさずエルが攻撃をしかけるが、戦闘のためにだけ生み出された尾は瞬く間にエルを絡めとり、身体能力が高まったその体を容易く押さえつける。

 そして押さえつけられたエルを打ち付け、背面からのプラクト噴射で音速の数十倍まで加速したアルバーンは速度が生み出すGでエルを振り回し、サイクロンベルトの外壁へと投げ飛ばす。

 何十枚もの壁を抜け、打ち付けられた外壁の反対側から吹き飛んだエル。衝突の威力を吸収していなければ、今頃は体が粉々になっていた。

 それだけの速度で吹き飛んだにも関わらず、アルバーンの猛攻は続く。拳の先を鋭く変化させた上、尾を含んだ三本の拳が格闘戦のセオリーを無視したラッシュを続ける。巨体と化した体のパワーは変形前とは比べ物にならないほど高まっており、一撃を受ける度にエルの体力は凄まじい勢いで削られていく。

 プラクト出力が高まった影響で『中和』の威力も高まっており、吸収したサイクロンベルトの駆動エネルギーも底を尽きかけている。力の差も埋められてしまえば、もうエルに後はない。

 そして、それ以上に。


「______…………ッ⁉ ご……が……」

「君が自分に何をしたのかは知ってる。殺意を止め得る精神因子を取り去ったそうだな。無茶なことをする」


 突然の眩暈と、激しい頭痛。

 戦闘用に高まったプラクト出力が、急速に弱まっていく。


「心に穴を空けるとは、脳に不可逆的な損傷を与える結果となる。君の精神、そして脳は既に死ぬ寸前だ。意識を保つことすらできないはずだ」


 変形したヴェイルスーツが元の形へと戻り、不規則に蠢く。仮面に隠されたエルの顔には大量の鼻血によって呼吸すらままならなくなっており、それ以上に意識の途絶が避けられそうにない。

 エースとの戦いから顕著となっていた、”穴”による精神の崩壊。それは脳に物理的な傷を生む結果となった。

 常人であれば重度の脳出血によって一瞬で意識を失い死に至るほどの重傷。だが体中に住み着いたヴェイルセルがそれを癒さんと血液を無理矢理生み出し続ける故、すぐに事切れることはない。

 だがそれは、脳を切りつけられるような激痛を味わい続けなければならないということ。頭痛どころか、もはや痛覚という感覚そのものに電流を流されるような苦痛に、ここまで全てを精神力でねじ伏せたエルも地に伏せる。

 呼吸困難によって高まった血圧が余計に脳を圧迫し、出血を増やす。冷え行く体から力が抜け、指先から感覚が徐々に消えていく。


 ___割れる音がする。

 

「ぐ…………はは、お互い様だな」


 巨大化したアルバーンのスーツ、形成された尾が砕ける。

 立ち上がることすら困難なエルにとどめを刺すこともなく、アルバーンもまた苦しそうにその場に倒れた。


「そうか…………セーナに、核を削られていたな」

「当たり。君ほどじゃないが、プラクト制御の核___すなわち精神そのものに”穴”を開けられてね。プラクトの制御能力そのものが弱ってるようだ」

「本当なら、その程度じゃ済まなかったはずだ。完全な白星ホワイトの能力であれば、プラクト全てを乗っ取られてもおかしくない」


 事実、エルがセーナに”転換コンバート”を最初に受けた時は抵抗レジストすることもできず、プラクトをセーナに乗っ取られていたのだ。一度経験を積んだからこそ今なら抵抗できるものの、初見の技として受けたアルバーンが最初から抵抗できるとは思えない。プラクトの総量がどれだけ多かろうと、白星の力を無力化できるわけではない。


「僕は自分を後天的な白星の能力者に改造したんだ。同じ能力に対して多少は免疫が働いたらしい。それがなければ負けていたよ」

「…………そうか」


 つまりセーナは、ヴェイルスーツなしで致命打を与えたことになる。

 恐らくは全ブレイドの中で最大のプラクト量を誇る、ブレイド・ゼット相手に。

 OSの支援があったとはいえ、白星としての能力意外は常人並しかないはずの少女がこれだけの戦績を残してみせた。

 ___ただ、エルを助けるために。


(…………腹が立つよ、本当に)


 これまでは知らなかった。

 人は、誰もが己のためだけに生きているわけではない。

 自分のように、故郷も母も捨てて心のままに生きる者も大勢いる。

 だが、人はいつしか他者を愛し慈しむことを知る。

 そして、己の命すら捨てて他者を救おうと考える者がいるのだ。

 人は成長し、いつしかそこへとたどり着く。

 どれだけの旅をしても、どれだけ戦っても___最後まで、エルはそこに到達できなかった。

 それがたまらないほどに悔しいと、思ってしまう。

 今、体を突き動かすのはアルバーンへの怒りでも、システムの横暴な計画に対してでもない。

 ただ、己に。他者を愛せず、何も知らずに破滅に向かおうとした、己への怒り。

 沈み行く鋼のように重く静かで、そしていかなる炎すら鎮めてみせる強い力。

 それが、崩壊寸前のエルの精神を紙一重のところで支える。


「……まだ、立つのか」

「そっちこそ……


 互いにプラクトの”穴”を抱え戦闘不能寸前の状態にあるが、両者が負った傷には違いがある。

 エルは内側の精神崩壊が限界を迎え、脳が損傷を受けたことによる傷。肉体そのものが死に近づき、プラクトを制御する能力が著しく低下していた。

 一方のアルバーンは肉体そのものには傷をほとんど負っていないものの、プラクトの制御能力そのものをセーナによって削られ、内側に秘める膨大なプラクトが制御できず内圧によって傷を負い続けている状態である。

 戦闘不能に近いのはエルの方だが、アルバーンは自身のプラクト制御に集中力を大幅に割いている状態であり、戦闘には大きな支障をきたす。

 あと、何度か。

 たった数度の打ち合い、プラクトの衝突で互いに決定的な綻びが生じる。


「少し話をしてもいいかな。回復の時間が欲しい」

「……なぜそんなことを馬鹿正直に言う」

「もうすぐ死ぬ気がしててね」


 角も折られ、元の姿へと戻ったアルバーンは力なく腰を地につける。


「勝つのは僕のつもりだけど、負けるかもしれないだろう? だったら、相手に自分を託さなくては」

「時間がないんだ。お前の話を聞くつもりはない」

「いいや、聞いておけ。死ぬ寸前の説教はよく効くぞ」


 互いに口を動かすことなく、喉からプラクトを放つことで疑似的に思念を交換しながら、エルは立ったまま己が滅ぼそうと戦い続けた敵___七星セブンスターにして最後のブレイド、アルバーン・ゼノを静かに見守る。


「ザラシュトラ計画で起こされる人類の強制異能進化___それが具体的に何を引き起こすか、考えたことはあるかな」


 サイクロンベルトは今も尚駆動を続け、星系全体に広がる人類の集合無意識、ダイソンネットワークへの干渉を始めている。残り三十分もすれば人類の強制進化は火蓋を切り、儀式の中枢であるセーナはまず間違いなく命を落とす。


「ダイソンネットワークへの干渉___そのためには、実行者の意思と白星ホワイトの力の二つをダイソンネットワーク全体に溶け込ませる必要がある。つまり、実行と同時にセーナ・クリストロフ、そして僕の全プラクトはサイクロンベルトを通して全宇宙に拡散されるんだ」

「…………お前も、なのか」


 サイクロンベルトが起動すれば、セーナは死ぬ。計画の実行者は、セーナを生贄に計画を成すのだと、ずっとそう思っていた。

 だが、違った。この男は自らすら生贄に捧げようと考えていたのだ。プラクトから伝わる偽りのない思念を感じ取れば、そこに恐怖など全く抱いていないことが読み取れる。


「厳密にはダイソンネットワークの中にプラクトごと残留するから、意識が消えるわけじゃない。肉体は死ぬけど、僕を起点として人類を作り変える以上僕の存在は消せないものとなるんだ。彼女も同じく、ね」

「……お前を起点に人類を作り変える、だと?」

「あぁ。人類の強制異能進化とはつまり、全人類に対し等しく疑似的な白星ホワイトの能力を与えるということだ。そのために僕は自分に模造白星実験を行い、不完全ながらもプラクトの制御能力を手に入れた」


 全人類の白星ホワイト化。

 人が決して触れることができなかった神秘の根源たるプラクトを、誰もが扱えるリソースにする、システムの一大計画。

 それがもたらす影響など、良い面も悪い面もいくらでも思いつける。


「人は言葉や文字を使わずとも、こうしてプラクトを使って話し合うことができるようになる。異能者への理解と同時に、抑止力も生まれるだろう。あるいはこれを契機として、多くの者が新たに異能に目覚めるかもしれない。星系に散ったことで分かたれてしまった人類の多くを新たに繋ぎ止め、同時に新たな混沌を生み出す。正しく___『人類の進化と深化』だ」


 システムの管理者たる七星として、誇り高く拳を握る。

 歩んできた道に過ちがないとは思っていない。能力に限りがあるために、行いには必ず犠牲が生じ、そして償わなくてはならない。

 夢も罪も、報いも悪意も、愛も憎悪も、全て等しく彼の養分であり、そして進見続けるための燃料である。

 人類という種の、その歩みの先端を行くものとして、彼は今宇宙の彼方にて壮絶に微笑む。


「君が相対した男は、人類の最先端を行く者だ。それを拒むことがどんなことか、分かっているか」

「…………俺は、変わらないままだ。アルバーン・ゼノ」


 かつて一度だけ顔を合わせ、強い失望の目を向けられたあの時から。


「俺は、俺が後悔なく生きるために、全人類の歩みを阻む」

「…………来い」


 これは、すなわち。

 全ての他者に慈愛を持ち、そしてその歩みをさらに進める愛を持つ者と。

 己と誰かのみを愛し、その守護と幸福に全てを捧げる者。

 どちらが強いのかを、決める戦いである。


 踏み込み。

 拳の威力は、筋力が集中する脚力をいかに使うかで決まる。

 

「ぬ…………っ」

「ごっ……」


 両者、互いに腹部へのアッパー。胴体を上に駆けのぼる衝撃が肺の空気を押し出し、互いの心肺機能を阻害する。

 臓器の一部に傷が入り、血が逆流し血を吐き出す。


 ___二発目。

 意識を刈り取るには、神経が集中する頸部を狙うことが必要となる。

 そしてそこに衝撃を加えるために、骨格を利用し顎を狙う。

 互いが互いの狙いを理解していたが故に僅かに攻撃が逸れ、その顔面に深々を拳が刺さる。


「ぐぅッ……!」

「ぎ…………!」


 頭部への直接殴打は、振動を通し脳を揺さぶり、意識障害を引き起こす。特に脳にダメージを受けているエルは今の一撃で一時的に意識を飛ばすが、溜まった血を吐き出すことで意識を一時的に戻す。痛みだけが、エルの体を動かしている。


 ___三発目。

 アルバーンの打撃が一歩早くエルの横顔を打ち、大きく仰け反った隙に蹴りが腹を目掛けて向かう。

 重心をずらし体を捩ることでそれを回避し、返しの回し蹴りがアルバーンの顎に入った。体重の乗った蹴りに、アルバーンの体は大きく後方へと吹き飛ぶ。


 ___四発目。

 全体重をかけたエルの突進が決まり、頭突きがアルバーンの腹を押し出す。戦地となった外壁から落下し、サイクロンベルト内部に働く重力の影響を僅かに受け、月面のように緩やかに落下、数百メートルの落下中に何度も体を壁に打ち付けながら再び両者が起き上がる。


 ___五発目、六発目。

 アルバーンの膝蹴りが顎に入り、仰け反ったところで顔面にストレートが決まる。

 お返しに頭突きを見舞い、タックルを入れてアルバーンを吹き飛ばした。


 ___七発目、八発目、九発目、十発目。

 倒れない。倒れない。倒れない。

 倒れず、ひたすらに相手を打ち付ける。その内に、闘争の意思宿るプラクトがある限り。


_________


___


______



__________________________________________________________________________________________________________________



 互いが打ち合った回数が数えきれないだけの数に達した頃。

 血が、ヴェイルスーツを破り噴き出す。

 崩れ落ちた体を支えられず、その場にうつぶせた。


「…………はぁ」


 内側の圧力が臨界に達し、暴走するプラクトが抑えきれず体の各所から抜け出していく。制御できない力の奔流は臓器の各所を突き破り、取り返しのつかない傷をアルバーンに刻んだ。


「君と戦うための荷物として……全人類は重過ぎるな」

「…………」

「君は昔より弱くなったんだろう? 守るものなど何もなかった、あの時に比べて」

「実行者を失えば、サイクロンベルトは停止する。もうザラシュトラ計画は実行されない」

「とどめがまだだぜ?」


 仮面の奥で作られた笑顔を振り返ることなく、エルはその場を立ち去ろうとする。

 とどめなど刺す必要もない。既に心臓が止まっている以上、アルバーンは残り一分もせずに死ぬ。

 

「……エル、生きていたいか?」


 唐突な一言に、足が止まる。

 というより、それ以上歩けない。

 既に死に体となっているアルバーンと同じかそれ以上に、エルも深刻な傷を負っていた。

 ここまで立ってこれた闘争心も抜け切り、もはや精神の崩壊は止まらない。

 己を構成する核の部分が次々と剥離し___人格を構成する重要要素が次々と抜け落ちていく。記憶が消えていき、かつて手にかけた者たちの記憶も戦いの記憶も、旅の記憶も等しく消え去っていく。

 もはや、目の前にいる敵が誰であったかも覚えていない。

 それ以前に、感覚器官が衰え上手く前が見えていない。三半規管が損傷しており、真っすぐ立てない。

 だが、プラクトを介した敵だった者からの思念だけには、なんとか反応することができた。


「……………………」

「僕は死ぬ。老化を止める異能で若い体のまま生きてこれたけど、死を回避できる異能はないからね。でも___」


 それは、己を負かした相手に対する仕草とはかけ離れた動作だった。

 親愛を持つ相手に対してしか行うことのない、人類共通の儀式。

 

「手を握れ。それで、僕のヴェイルスーツを受け取れ」

「…………?」

「ヴェイルスーツは、元は単一の生物の細胞だ。君が受け取れば、欠けた君のスーツの一部となって守ってくれるだろう。それに……」


 スーツが剥がれ、宇宙空間の極寒によって皮膚が凍っていきながら、それでもアルバーンは笑みを浮かべ手を差し出した。


「君たちが助かるためには、これしか方法がないだろう」


 もはやこの敵が何を目的としているのか、どんな敵であったか、そして自分が何のために戦っているかすら、エルの認知能力は理解できていない。

 それでも、隣にいるべきたった一人のために、精神の奥底に今も眠る彼女のために、微かに残った思考力でその手を握った。

 ヴェイルスーツがエルに流れ込み、欠損した部位や傷を瞬く間にヴェイルセルが覆い尽くしていく。同時に膨大なプラクトが流れ込み、傷の修復を促進した。


 今度こそ振り返ることなく、エルは去っていった。

 エルの最後の敵たるブレイド・ゼットにして、システムの管理者たる七星セブンスター、そして人類の進展を夢見て百十五年に渡って人類史の裏で暗躍し続けた怪物、アルバーン・ゼノは星系の果てにて、氷像となって消えた。

 

 


 

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