第11話 行き先
目が覚め、記憶が戻った。
唐突に差した光が鬱陶しくて、嫌々と目を開ける。
寝て起きる瞬間が、エルはあまり好きではない。昨日の自分と今の自分、その境目が分からなくなる瞬間が時々あるからだ。
精神を削った影響か、戦うことに関連しない情報については記憶することすら曖昧になっており、どんなものを食したか、どこを移動したのかといった日々の様々な情報が”穴”から零れ落ちており、エルが記憶を抱えて眠ることを許してくれない。
______いや。
そもそも、眠るという行為自体久方ぶりだ。エースとの戦闘後に一時的なプラクト不足で意識が昏倒したことを除けば、実に一年以上眠りに誘われていない。ヴェイルスーツの影響もあり、体内の疲労は自動的に除去され続ける仕組みとなっている。眠る必要などなく、夢を見るということがどんなことであるかも、目覚めの心地よさも忘れている。
今はただ、この眠りが不快で仕方がなかった。
「______セーナ」
最後の記憶は、夕暮れの高台。
涙を流し、手を取り合い踊り、そして新たな旅の道標を見つけた場所。
キスをして、彼女の笑顔を見て、そして___
『エル』
「セーナはどこだ」
目線を向けることなく傍らに控えていたOSに、ただ答えだけを求めた。
常に最短時間で応答をするよう作ったにも関わらず、この時だけは応答に間が空く。
OSは人工知能だが、単純な応答機能しか持ち合わせていないわけではない。人間の人格情報を元に生み出されたこともあり、人間の細かな機微が理解できる。
つまり、空気が読める。
人間らしいその優しき空白の数秒で、エルは全てを察する。
『…………既に、この星を出た』
「……だろうな」
その後恐らくはOSの手で、元々宿を借りていた荒野の街まで連れてこられたのだろう。小屋からはセーナの私物が消えており、都市部に出かけた際には全てを仕組んでいたのだと思われた。
最初から、彼女は。
「俺から逃げた……わけじゃないな」
『行方については、何も言われていない』
「分かるさ」
おめでたいほどにお人良しで、人が好きで、旅が好きで、どこまでも駆けていくような彼女がやろうとすることなど。
サイクロンベルトに関する情報、その起動方法、その使い方。
それら全ての情報を手に入れてしまった彼女が何をするかなど、烏滸がましいことに理解できてしまう。
触れ合った唇の感触を思い出すように自身の唇に触れ、セーナに思いを馳せた。
この広い宇宙の、どこかで。今もまだセーナは旅を続けている。
___自分を、終わらせる旅を。
「サイクロンベルトに向かう。セーナは絶対に、自分一人でそこへ向かったはずだ」
『宇宙船は既に起動準備を終えているよ。セーナが飛び立ったのは十三時間前だ』
「使うとしたら民間の宇宙船か……いや、違うな」
システムから見れば、計画成就のための最重要キーアクターが自ら乗り込んで来るのだ。セーナが何を企んでいるにせよ、きっとシステムは自らセーナの手を導くだろう。『回収屋』や『研究者』同様、システムに仕える専属の移動手段の担い手『運び屋』と接触できれば、超高速の宇宙船が使用できる。
「全速力で追い付く。今すぐ出るぞ」
行かせはしない。
彼女に、願いを叶えさせもしない。
サイクロンベルトを、決してセーナには使わせない。
* * * *
サイクロンベルトは、星系の重力圏から外れた小惑星浮遊地帯___『アンビスの雲』と呼ばれるエリアに存在する。群星圏とは異なり文明の痕跡が存在せず、時折星系の外から現れる宇宙怪獣に脅かされることもある、宇宙の危険地帯。未だ星系の内側すら踏破できずにいる人類にとっては想像することすらできない、世界の外側。
そこに、巨大な十字架のような形をしたそれは___長さ数十キロにも渡る超巨大構造物サイクロンベルトは存在する。
構造内部は人が出入りできるよう既にシステムの手によって改修されており、防衛設備なども整えた基地としての側面も持つ。巨大な機構ではあるものの、その起動に必要なものは少ない。
一に、白星の能力者。他者のプラクトにも区別なく干渉する能力は不可欠である。サイクロンベルトはあくまで強力な
二に、膨大なプラクト。白星の干渉力をダイソンネットワーク全体に命令を行き渡らせるためのプラクト総量は、一国の国民全てのプラクトを合わせても足らないほどの膨大であり、何らかの手段を用いて調達しなければならない。星系の外側に位置するためダイソンネットワークにも隣接しないこの地でプラクトを収集することは困難を極める。
三に、ダイソンネットワークに打ち込む命令の実行者が必要となる。増幅され全てのプラクトを変え得たとしても、そこにどのような改変をもたらすかは実行者によって決められる。
システムでは、この二つ目と三つ目の用意を既に終えている。
様々な計画の中でも、特段に優先度の高いこの計画。人類の進化と深化を進めるにあたって、不可逆的な変異を人類にもたらす、大偉業。
ザラシュトラ計画。
その実行者もまた、計画の立案者であるアルバーンにしか許されない。
「やっぱりアンタか」
「機嫌が悪いようだな、セーナ。君と会うのはいつぶりか」
「どうせずっと見てたんでしょ」
システムの最高管理者『七星』の人柱、アルバーン・ゼノ。
年は既に八十を超えているはずの人物なのだが、容姿は最も身体的に頑健とされる二十歳前後のそれを維持しており、肉付きや軽やかな動き、声の張りからして肉体は完全に老いずに若々しさを保っていた。
七星として選ばれる方法は先代からの指名が基本的なものであるが、指名なく欠員が出た場合には、他三名の推薦によって選ばれる。
七星アルバーンは就任当時、先代の七星をその手で殺害し、その他三名を味方につけて自ら七星の席を奪った、力と権謀を操る恐ろしき七星である。
___と、セーナは認識している。その他にも、恐ろしい点はいくつかあるが。
「私の遺伝子情報の元となった異能者___アルシーナ・クリストロフを見つけ出したのもあなた。私に
「ブレイド・エースだけは想定外だったがね。彼は今でも自由にしているんだろう?」
「色々と教えてもらったわ。エルのこととか」
「やれやれ、あの老害竜め」
「推測でしかないけど___一応、人道的な試しはしたのね」
「やはり分かるか」
セーナの目が能力の行使によって発行する。プラクトの完全制御を可能とする白星独自の身体現象が目で発現するのには理由がある。
それは言うまでもなく『見る』ためだ。他者のプラクトを暴き御するために、特殊な感覚器官の依り代として一時的に視神経が使用される。
その光は、アルバーン黄金色の瞳からも確認できる。だが完全なものではなく、光は右目からした出ておらず、左目には発現していない。
「研究情報を利用した白星の疑似再現、ってところかしら。プラクトを管理する能力は持ち合わせているけど、プラクトを移動させる能力しか使えない、といったところかしら。私みたいに複雑な命令を与えることはできなさそうね」
「そういうわけだ。残念ながら、僕ではサイクロンベルトを起動できない。他にも何人もの人間で試したが、ダメだったよ」
多くの人間を使い捨てたことを平然と口にする異常性には、もはや怒りを感じることすら億劫だ。彼らが犠牲にする者の中には、自分自身すら含めている。人類のためであれば、その僅かな切れ端に過ぎない一部の人間の犠牲など、壮大な新陳代謝程度にしか考えていない。自分も他者も、理想のためには何の価値もない材料でしかないと、彼らは割り切っている。
「来てやったんだから、答え合わせくらいはさせてくれないかしら」
「何でも答えよう。旅の終点には、宝が必要だ」
「……ザラシュトラ計画。あなたが発令したこの計画の目的は何? サイクロンベルトを起動して、人類に何をするつもりなの?」
「少し待ちたまえ。人と話すのは久しぶりだからね、うん」
大仰に咳払いをしてみせたアルバーンの足元に、銃痕が刻まれる。
セーナが持つプラクト銃特有の、焼け付いたかのような銃痕。当たれば確実に殺傷能力を持つそれを、次は躊躇なくアルバーンの眉間に対して向けてみせた。
「一応言っておくが、僕を殺しても計画は止まらないよ?」
「でも多少は支障が出るでしょ? 精々足を引っ張ってやるわよ。嫌なら話しなさい」
「別にいいけど」
アルバーンは命を奪う銃口を向けられても何の動揺も見せず、サイクロンベルトを起動するために必要なプログラムが仕込まれた荘厳な椅子に腰かける。
椅子の上部には人一人が入るカプセルが置かれており、そこが贄として捧げられる白星が入る場所なのだと、セーナは悟った。
「人類の強制異能進化。すなわち、全人類の異能化」
「…………」
「人を次なる
『超人』。
システムの計画や思想を語る上で度々出てくる語彙である。
観念的なものでも、概念的な存在でもない、決して存在し得ない人類の完成した姿。生物の枠組みすら超え、この宇宙から決して消えることのない存在として刻まれる、神にも等しい超存在。
決して辿り着かず、しかし辿り着くための努力を惜しまない。システムがあらゆる可能性を模索するのは、不可能な存在に辿り着くためである。
「人類は母星___地球という星においては、唯一無二の能力を持っていた。何だと思う?」
「あなたから聞かされたことがあった話ね」
かつて、研究所にて生を受けた自分の前に一度だけ現れ、生まれた理由を淡々と語られた、あの時。
アルバーンは、当時と何の変化もない。柔和な笑みの底に、理性的な狂気を孕んでいる。
「自らの意思で、適応能力を獲得する能力……だったかしら」
「そうだ。昆虫や植物、他の動物にも高い適応能力はあるが、それはあくまで生存に適した個体が生き残る、というだけだ。遺伝的な突然変異に留まる、自由なき進化に過ぎない」
それは宇宙を隔てた新たな星系に辿り着いても、変わらぬ事実であった。人間以外に存在した生物もまた、環境を作り変え、自らの意思で身の丈を超えた力を手に入れることはしなかった。
「人は自分の意思で進化し、環境に適応できる唯一の生命体だ。その発現の形の一つが異能であり、人が獲得した新たな『手』でもある。システムの研究者においては、プラクトを操り異能を持つ者のことをサピエンスと区別し『ホモ・エクストリウス』と呼ぶらしいが、まぁそこまで大仰な区別はしなくてもいいだろう。重要なのは、異能が人類にもたらす高い適応能力だ」
プラクトを知覚し、行使することの凄まじさは、セーナとて間近で見続けている故、誰よりも理解している。
システムが生み出した、異能者の極致。古代の超生命の肉体を持つ、力の極致たる者たち。
「ブレイドたちを見れば、その凄まじさが分かるだろう。個人の性能によるが、時に星の環境すら激変させ、宇宙の法則すらねじ伏せる。プラクトを制御するだけであっても、高い身体能力を手に入れ、肉体の治癒が容易になり、感覚が研ぎ澄まされ言葉なしで意思疎通ができる。君もここまでの旅で、その恩恵を多分に享受してきただろう」
高められた身体能力は事故や闘争から身を守り、極限の環境下にあっても肉体を守ることができる。
再生力に近い治癒力は医療の存在を抜本から変え、疾病以外では人間は死ななくなるだろう。あるいは疾病すらも、プラクトを流用した医学が発達すれば、解決できるものとなるかもしれない。
研ぎ澄まされた感覚は人類に属さぬ異種族との交流を可能とし、言語の壁をなくす。人類はより一層互いの結束を強め、無限に続く宇宙に羽ばたく力を手に入れるだろう。
異能がもたらす可能性など、いくらでも思いつく。当のセーナが、それを一番理解しているといっていい。
理解できるからこそ___その先に待つ結末を、絶対に肯定できない。
「人の可能性をナメてるわね、あなた」
確かに、そこには無限の可能性がある。
だが、そこに眠る可能性は希望だけではない。
人を前に推し進めるだけではない。人を否定し、幸福を打ち消し、理を拒絶する可能性もまた存在する。
人は希望だけを持ち合わせているのではない。
___絶望もまた、人から出づるものなれば。
「異能は、人の手では制御できない力。それを何の抑止力もなく解き放つことの危険性を理解しているの?」
異能は人を守ることを容易にする。
同時に、人を壊し、世界を壊し、繋がりの全てを引き裂くこともまた可能となる。
プラクトというエネルギーがなければ生まれることのなかった希望と絶望、その両方を世界にもたらすことになる。
脳裏をよぎる、強大極まる異能の数々。
星の嵐すら取り込む力。
全てを無に帰し切り裂く力。
破壊を司り、星をも掘削する力。
あらゆるものを操り、心を掌握する力。
天にも届く翼を手に入れ、全てを打ち砕く力。
あれらが仮に、力を持たぬ者たちに向けられればどうなるか。
想像するに恐ろしい結末を、七星ともなる者が理解できぬはずもない。
だがアルバーンは表情を一切変化させることなく、まるで予定調和だとでも言わんばかりに言葉を続ける。
「構わないさ」
「…………は?」
「可能性があるなら、それを模索する。その先に待つのが絶望であろうと、諦めず希望を探す。それが、あるべき人の形だとは思わないか?」
……あぁ。
彼らは、呆れるほどに。
人を、信じている。
希望を見出し、夢を見ている。そこに絶望があることを知ってなお、進むことをやめない。
何よりも輝かしくて、何よりも悍ましい、狂気に満ちたその思想。
それがシステムのあるべき姿だと教わったことを、今更になって思い出した。
「なるほど、確かにある程度の人間が不幸になることもあるだろう。悲劇が生まれてしまうこともあるだろう。だが、それを理由に進歩を阻むことは許されないことだ」
「……そう。止まることはないのね」
そこからは、一切無駄な動きがなかった。
対話が終わったことを悟り、両者同時に手を動かす。
セーナはトリガーを引き絞り、アルバーンは手を翳した。
プラクト銃の弾丸がアルバーンの頭部を真っすぐと狙い___その手によって弾かれる。
「まぁ、分かってたけど」
「ブレイド計画もまた、システムの重要計画の一つだ。その最終到達点となる者には___やはり責任者たる
手の甲を覆う、黒と青の色が散りばめられた金属質な鎧。
体内から湧き出るようにして這い出るそれは、瞬く間にアルバーンの全身を覆う。
「僕は君を殺し、ザラシュトラ計画を成し遂げる。君にも、エルにも、邪魔はさせない。事を成す執行者として、戦うとしよう」
その頭部が、鎧に覆われる。
ラピスラズリのように美しく、そして虚空の黒を思わせる恐ろしさ。
エルやエースのそれよりも一際コンパクトに、それでいて豪奢なヴェイルスーツを着込み、執行者はそこに立つ。
「ブレイド計画、その最終被験者にして完成体『ブレイド・ゼット』だ」
ブレイドではないセーナに対して、一切の油断を見せない変身。
自分以上に白星の能力を使いこなすセーナを順当に評価し、そして警戒してのことである。
アルバーンが一切の慢心をしないことを確かめ、セーナもまた静かに闘争心を高める。
白星としての能力だけでは、正直なところブレイド相手に勝ち目はない。ジェイルやディー、アイ、エースといった猛者たち、そしてエルに対しても、ほとんどの場合接近してプラクトを掌握する前に基礎的なスペックが違い過ぎるため戦いにならないのだ。
だが今は___セーナだけではない。
「頼むわよ、
エルと共にしばらくの旅を共にした相棒が、一際小さな姿となってセーナの横に現れる。
アルバーンの手から発射された衝撃波が、OSの張った電磁障壁にぶつかり霧散する。続けざまに放たれた高圧縮プラクトの光線は障壁にヒビを入れ防ぐことは叶わなかったものの、光線はセーナを焼く前にあらぬ方向へと捻じれていった。
「
(やっぱり……通じはするわね)
プラクトの制御能力においては、セーナはアルバーンに勝る。接近し干渉力を発動しさえすれば、どれだけ膨大なプラクトであろうと自分の元へと
問題は、超パワー、超スピード、そして高い攻撃力のブレイドに対していかに接近するかということ。それを補助するために、エルを気絶させた後OSの助けを借りることとしたのだ。
今のOSは機能を制限された分裂体。会話機能はエルの元にある分裂体に置いてきたものの、能力等については本来のものを維持している。
今もまた、アルバーンによる高速の突進をOSが障壁で弾き、その隙をついてセーナがプラクト銃を放つ。改造を施したプラクト銃は、至近距離からの銃撃であればヴェイルスーツにも穴を空ける。
ブレイドを相手に、常人の体力しかないセーナは着実に勝ち筋を見つけ、戦闘行為を可能としていたのだ。
(問題はコイツのプラクト量ね。尋常じゃない……エルとかエースよりも遥かに多いんじゃないかしら)
ブレイドの中でも突出した戦闘能力を誇るエルやエースと比べても、アルバーンが保有するプラクト量は群を抜いている。個人のブレイドとは思えないほどに、文字通り桁違いの量を保有していた。
「そういうこと。あなた自身が動力源なのね」
「大変だったよ。数十年かけて、宇宙中を探してこれだけのプラクトを集めたんだ」
「卑怯なやつ」
「君が言うかい?」
膨大なプラクトを有するということは、エルのようにプラクト切れで瀕死になることもない。体力が尽きず、永遠に攻撃をしかけてくるということでもある。
おまけに、白星の力で制御するにも、エルのように制御能力が高く干渉を拒絶される可能性もある。なるべく体力は削っておかなければならない。
そのための___とっておきの手は、用意している。
「自立稼働型適応機種___OSは特別な素材で作られた、システムの重要制作物だ。持ちうる機能はサイクロンベルトを含めた超古代の
「えぇ。あなたに対抗するために、どんな手段でも使わせてもらうわよ」
OSが電磁障壁を駆使してアルバーンの攻撃を防ぐと同時に、セーナがより一層濃いプラクトを銃に込める。電磁障壁は強力であるものの、ブレイドの攻撃を防ぐほどではない、と判断したアルバーンは躊躇なく距離を詰めた。
拳で砕くことのできる壁を、わざわざ遠くから破壊する必要はない。この程度のものは、ブレイドの動きを封じる壁とはならない。
___だが、拳が障壁に触れた瞬間、肉が捲れるほどの勢いで拳が弾かれ、態勢を崩す。
(なんだ……? 衝撃の発散……これはエルの異能か⁉)
「
同時に、障壁の裏から放たれたセーナの銃撃が肩を穿つ。ヴェイルスーツの装甲すら破り、内側の肉を削った。
銃痕程度の傷であれば、ヴェイルスーツの再生機能で無理矢理傷を塞ぐことができる。しかし、傷はいつまでも塞がらなかった。
傷口を癒そうと集まったヴェイルセルのナノマシンたちが、まるで腐食するかのように零れ、血と共に流れ出る。
「銃に
「何よヘラヘラと。戦うのが楽しいの?」
「エースほどじゃないが、それなりに高揚はするとも」
両者の戦いは、未だセーナの手の上。アルバーンは何ら有効打を与えられておらず、徐々に体力を削られている。
だが、一撃でも攻撃が決まれば、その時点でセーナの敗北は確定する。
非常に危うい綱渡り___だがそれに臆することなく、セーナは戦う。
* * * *
思い出される、OSとの会話。
「OS、私を捕らえないの?」
『エルの目的は、たった今変化した。君を拘束する正当性はないよ』
「……そう」
プラクトの浄化によって強制的に意識を途絶させ、昏倒したエルをOSに任せる。
エルの目的は、自己を含めたシステム全ての消滅。破滅願望に突き進むだけだった彼の行き先を変えることができたことは、喜ぶべきなのだろうと思う。
だが、彼にはもう未来がない。残り僅かな時間の後、エルは全てを失う。
やっとのことで未来を探し始めた彼に、未来を渡す。
それが、未来を示してしまった自分の責務であると、セーナは理解したのだ。
「私は、自分の手でサイクロンベルトを起動してみせる。全人類に干渉するだけの力があれば___たった一人を治すことくらいできるでしょう」
『……可能性はある。エルの中にあるプラクトの空白は多少のプラクトを足しただけじゃ治せないけど、プラクトを埋め続ければいつか埋められるものだ』
「そうね、可能性はある」
『でも、いいのかい? エルは助かるが』
OSの中にあるセーナのデータにおいては、決して自己犠牲を選ぶことなどないと考えられている。誰よりも生きることを楽しみ、そして他者の死を認めない、命にこだわる性格であると、OSは分析していた。
故に、理解し難い現象にOSのCPUが軋む。
『君は死ぬ。エルを助けるために、自分を犠牲にするつもりなのかい?』
「……はぁ」
この時のセーナの顔を、OSのカメラはしっかりと記憶域に収めていた。
諦めたような、悲しいような___それなのに、明るく微笑んだ顔。
それをなんと表現するのか、OSが持つデータでは判断できない。
「なんでだろうね。これまでたくさん旅を楽しんできたんだし……」
足元で昏倒したエルの頬を撫でながら、セーナは微笑む。
「そろそろ私も、大人にならないとなぁって」
その後、セーナがエルを振り返ることはなかった。
残された連絡手段を使い、システム御用達の『運び屋』に連絡をつける。
標的が自ら赴いてくるのだから、『運び屋』にセーナを拒む理由はない。
「まぁ、タダで捕まってやるわけないし。OS、ちょっと協力して欲しいんだけど」
『……なんだい?』
「あなた、エルの異能を使えるでしょ? ブラックバードとの戦闘時、宇宙船を守ってくれていたし』
『エルの異能は僕の中にデータとして残ってるから、十分なプラクトさえあれば再現は可能だ。でも、星の重力を吸収するほどの再現性は難しいよ』
「十分。私の作戦に乗ってくれる?」
本来エルの命令には逆らえず、エル以外からの命令も受け付けないはずの人工知能OSは、この時だけ己の全機能を使い、刻まれた命令を拒む。
人格情報として刻まれた判断基準の全てを動員し、人工知能としての理性に争っていた。
『……条件が、一つだけ。僕本体の情報核は、エルから離れないようになっている。だから、ボディの一部を切り離して、命令権をセーナに変更する形でなら協力可能だ』
「分裂……それ、大丈夫なの?」
『エルを助けるためであれば、この程度は簡単だ』
そう言うなり、ボディの大半を自身から切り離し、メインエンジンの付いた本体をセーナに譲渡。統括を司る情報核のみをエルの傍に残した。
「ありがとう。ちょっとの間だけだけど___借りるわね、相棒」
『セーナ』
残されたボディだけでも、エルの体を浮かせて移動する程度のことは可能だ。
僅かに残された単眼をセーナには向けず、OSは機械生命として最大限の感情表現を込めて言葉を放った。
『頑張って。そして、死なないで』
「……ありがとう」
セーナは去っていく。
「あなたのことも忘れないわ。OS」
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