第9話 私たちの記憶


       ______俺には、母がいた。


   幼い頃、探索者として遠い星に行って帰らなかった父に代わり。


        女手一つで俺を育ててくれた、母がいた。


     ずっと、笑ってくれた人だった。


                 夫に先立たれた悲しみも。


          村で孤立していた孤独も。


  全てのみ込んで、俺を愛してくれた。




          ______そんな人を、俺は故郷で孤独にさせてしまった。


 写真で見た父のようになりたくて。

 何の目的も先見もなく、探索者になって星を抜け出した。

 色んな人に出会って、色んなことを学んで。

 そして___目指すべき未来を見据えて、俺は暴力の執行者ブレイドになった。

 たくさんの戦いを経て、そして特別な力を手に入れて。自分が特別な存在だと、思えるようになって。

 その矢先に、あっけなく話を聞かされた。

 故郷の星が滅んだ、と。

 群星圏から飛来した宇宙怪獣によって、何の抵抗もできずに滅ぼされたのだと。

 一人一人の安否なぞ確認するまでもなかった。その星を脱出できた生還者は、一人も発見されなかったのだから。

 悲しみと怒りは湧かなかった。

 それ以上に、取り返しのつかない喪失というものがどういうことか分からなかった。

 母を捨て、独りよがりな夢を追った代償であると受け入れるまでに、相当な時間がかかった。


 ___しばらくして、その宇宙怪獣がシステムによる実験の産物であると知った。

 大古の宇宙怪獣を蘇らせる実験によって生み出された、半端な怪獣。完全な復活には至らず、破壊を振りまく肉片のみの復活だったにも関わらず、怪獣は衝動のままに星へと向かい、破壊の限りを尽くした。

 そしてデータからして、恐らくはブレイドの戦闘能力であれば、倒すことはできずとも足止めをする程度であれば可能な敵だった。

 当時遥か遠い星で任務にあたっていた俺に、どうにかできた話じゃない。

 それでも。

 少しでも、故郷に帰ろうと考えていれば。

 システムの暴挙を、止めていれば。

 俺が、間に合えば。

 俺が、母さんを一人にしなければ。

 俺が。

 俺が______


 俺が、母さんを殺した。

 

 耐え難い自己嫌悪は、何度も俺を自殺に向かわせた。

 だが、俺は死ねなかった。ヴェイルスーツは既に俺の奥深くまで浸透し、例えバラバラになろうとも生かそうとする。

 死ぬ方法を、求め続けた。

 宇宙空間に放り出されようとも、マグマ溜まりに飛び込もうとも死なないならば、もはやその手段は常識外の代物にしか委ねられない。

 サイクロンベルト。

 ダイソンネットワークを通して人類のプラクトそのものを変質させる、遥かな超古代に使われたとされる人類の管理装置。

 これを使えば、あるいは。

 システムに属する人間のプラクト情報のみを完全消去させることも、あるいは可能なのではないか。

 

 当然ながら、自分は死ぬべきだ。というか、死にたい。

 だが、せめて意味を見出して死ぬべきだ。

 母さんの死だけは、決して無意味であってはならない。喪失は、喪失を生み出した者の犠牲によって償われるべきだ。

 ならば、


 ______システムを、滅ぼさなくては。

 

 無意味な死を振りまく者たちを、消さなければ。

 復讐でもなく、怒りに任せた断罪でも、悲しみによる嘆きでもない。

 母さんの死に、ただ報いるために。

 俺は、進み続ける。

 

 俺は、捨て続ける者。

 故郷を、母さんを、俺を愛したものを捨てて、ここに辿り着いた。

 そして、これからも。

 強くならねば。強くなるために、捨てなければ。

 悲しみ、怒り、恨む心も。

 共に戦場を駆けた仲間を手にかけることを拒む良心も、同情も、倫理感も。

 俺の存在さえも、全て要らない!


「へぇ」


「そっか」


「私、あなたのお母さんに似てたんだ」


 底知れぬ穴の縁にて、彼は相も変わらず無表情のまま座っている。

 プラクトの世界は現実での傷が投影されたかのようで、空はひび割れ、地面はあちこちで煙が上がっている。荒廃した世界の中でさえも、喪失の穴は何の傷すらも見せることなく、二人の前に広がっている。


「あなたが殺してしまった/殺そうとした人、あなたが捨てた/捨てようとした人。あなたはいずれ、

「…………」

「男の子の精神は母親の愛情を求めるために発達する、とも言われるものね。あなたがお母さんを忘れるなんて、できるはずもない」


 殺意を止め得るもの___他者を愛し、慈しむ心を捨てて尚、彼の母親はここに居続けた。

 プラクトの世界は、本人の精神性を強く表す。幼い頃から愛情を受け、そして故郷に置き去りにしてしまった後悔は他者への殺意を止め得るものではなく、今も強くエルに根差している。


「怖いのね。また、同じことが起きるのが」

「……………………


 精神の内側だからか、ここにいるエルは現実のエルに比べて本音を話しやすい。いつもとは考えられないほど素直に、まっすぐにセーナの言葉を受け入れる。


「俺は何も変わっていない。同じことを繰り返そうとしている。母さんの死に意味を見出すために、俺はまた母さんを殺そうとしているんだ」


 辻褄の合わない、論理性の欠片もない子供じみた望みと葛藤。

 精神の世界であるが故に隠されることのない、エルの本心。

 現実のエルでは絶対に気付けない心の奥底に隠された、捨てきれなかったもの。

 プラクトの制御能力が弱った今だからこそ覗くことができたものの、回復すれば再び侵入を拒絶されるだろう。


「俺が君を避ける理由が分かるだろ。ただでさえ、俺の心は脆い。生きる意思もなく、ただ何かを殺すためだけに存在する。そんな人格が長続きするはずがない」


 穴から連鎖するように生まれたこの世界の亀裂は、依然の侵入時よりもさらに大きく深く、この世界を蝕んでいる。エルの精神根幹は穴によって崩壊の一途を辿り、過度なプラクトの消耗に伴い、崩壊は加速を続けている。


「そしてさらに、君に対する迷いが俺の殺意にブレーキをかけている。いっそ発散してしまえば精神が循環して安定するが___この迷いが、崩壊をさらに早めている」


 この世界のエルの体にも、以前とは比べ物にならないほどの亀裂が生まれている。

 それどころか、腕の一本は既に欠けた状態だ。瞳も片方が失われており、亀裂からは砂のように精神力が漏れ出ている。

 現実のエルの肉体とのリンクがあるわけではないが、このままでは遠からず___いや。


「エースとの戦闘でもかなり消耗した。残りは一か月といったところだ」

「そうはさせない」


 再び、セーナはエルの顔に手を伸ばす。


「思い出だけじゃ、ダメね」

「…………気まずいことをするんだな、君は」

「見せびらかしたいのよ、私」


 今度は、セーナの番。

 崩れ行く体を包み込むように、そっと近づき。

 目を閉じ、その唇をエルに預けた。



 * * * *



         始まりの記憶。


    研究所の培養カプセルにて生を受けた、純白の乙女。


 彼女の命は、初めからただ使われるために生まれた。

 薬剤投与による強制成長。電磁記憶による知識の植え付け。科学的な手法によって『白星』として育てられた少女は、そのから二年で十五歳相当の肉体へと成長を遂げた。

 サイクロンベルトの起動に見合った精神的成熟度に到達したことで、いよいよ計画は大詰めとなる。

 しかし、その少女が脱走を果たしたことで計画は中断。何重もの厳重な警備、そして少しでも叛意を持たぬよう徹底した教育と洗脳を重ねたにも関わらず、その少女の羽ばたきは止められなかった。

 全ブレイドが収集され捜査が始まったものの、プラクトを操る力を持った白星はプラクトの痕跡を一切残さない。しばらくした後、とあるブレイドが裏切り大勢のブレイドが抹殺されたことも相まって、捜索は難航を極めた。

 束の間の自由な時間。それを使い、セーナ・クリストロフは旅を続ける。


 初めて降り立った、星の大半が森に覆われた緑の星。そこに住まう緑の民と交流を図った。

 独自に発展した言語体系を持つ緑の民の言語はうまく理解できなかったが、言葉にプラクトを載せて話し、耳にプラクトを集中させることで言語の大まかな意味を読み取るという機能を発見したことで、交流は進展。

 部族長の娘だという少女と仲を深め、森での生き方、獣の狩り方、そして踊り方を教わった。彼女からもらった髪飾りは、今も花弁を散らすことなくここに在り続ける。


 次に降り立ったのは海だけの星。巨大海獣と戦い続ける戦士の一族になんとか拾われ、『海神の遣い』とか言われてかなり大変だった。とんでもなく美味しい料理を次々と振る舞われ、一生このままでもいいかなとか思ったりもした。

 やがて誤解を解き普通の人間として認めてもらえたおかげで、一族の祭りにも参加できた。そこで出会った少年の戦士に『花真珠』と呼ばれる綺麗な貝をもらったりもした後、その星を離れた。後になって知ったのだが、花真珠を贈る行為は永遠の愛を伝える行為だったらしい。生まれて初めて、顔を赤らめた経験だった。


 次に降り立ったのは超古代文明の遺跡群が地上を埋め尽くす廃墟の星。自分たちを『盤人』と呼ぶ彼らは、自分たちが超古代文明を築いた民族の末裔であると信じ、文明の復興を掲げていた。遺跡探索を手伝ったりする内、白星の能力を使って開かずの門を開いて長年謎に包まれていた遺跡の謎を解明したりした時は興奮が覚めなかった。 

 その後のパーティーで、人生で初めてお酒を口にした。本当は飲んだらダメな年齢なのだが、少しだけ。本当に、少しだけなのだ。

 酔っ払って探索隊の隊長を殴ったとか、そんなことはない。決して。あれは何かの間違い。


 そこから___


「おい」

「ん?」

「何を見せられているんだ、俺は」


 プラクトの全てをただ精神世界に送り込むだけではなく、さらに奥底___エルの魂そのものに吹き込む行為。

 制御を間違えれば、そのまま人格情報がエルの体に残され、セーナは二度と目を覚まさなくなる可能性すらある危険な行為だ。

 それだけのことをして行なっているのが、ただ旅の有り様を見せられるだけとは。

 映画の上映会じゃあるまいし。


「これが私の全て。明日をどう生きようとか、生きる意味とか、どう死のうとか……私にはそういうの、難しくてさ。生き方も死に方も選べないし」

「旅が、君の全てだと?」

「そう。出会った全てが私の家族で、旅が私の家だった」


 続け様に次々と見せられる、旅の光景。

 肌が紫色にされてしまう虫に刺されて生死の境を彷徨ったり、巨大な生き物に飲み込まれて助け出されたり、貴族様の社交パーティーに給仕させられて変な服を着せられたり___

 いきなり、目を塞がれた。


「……何だ?」

「見ないで」

「……………………何も見てない」

「見たでしょ。絶対に見たでしょ! 最悪!」


 雪山で熊に襲われて悲鳴を上げたら、熊魔獣と人が交わった『熊人』の人だったり。

 砂漠で蟻地獄に吸われて死ぬかと思ったら、砂の下にあった地下都市に落下して『姫様』って呼ばれたり。

 犯罪者まみれの船に間違えて乗り込んだら一発ギャグで受けてチヤホヤされたり。怪しい薬を出された時は全力で断ったが。


「どんな一発ギャグだったんだ」

「サングラスして自分の武勇伝語っただけだけど」


 なぜそこを気にする。


「随分と______下らない旅だ」

「そうね」


 エルの中に吹き飛んだ記憶のプラクトは、拒絶を跳ね除けて魂の奥底に焼き付けている。実質、エルはセーナの記憶を受け継いだと言っても過言ではない。

 セーナの生き様、その人生、その旅。

 対して美しいとも感じないその光景。


「これを見せて、何がしたい」

「見せたがりだから見せただけよ」

「君の生き様が、俺の中にある穴を埋められるわけじゃない。あれが消えることはない」

「別にそんなんじゃないわよ」


 記憶の旅は、ついにジェイルに追われ森を駆け抜けるところまで来た。

 飛来した白黒の男。自分を連れ去ってしまった、罪深い超人。


「俺は、こう見えているんだな」

「どう?」

「…………はっ」


 自嘲気味に、彼は見上げた先にいる血に塗れた男を見下した。


「くたびれてるな、まったく」

「自己肯定感が低いのね、ほんと」

「俺は死のうとしている人間だぞ。意地が悪いな」

「そう」


 そこからは、よく知っている最近の話。

 戦って、戦って、逃げて。

 命知らずなほどに、力を使って。

 どんどん自分の命を削って、ひたすらに自分が死ぬために頑張っている。


「エル。あなたは本当は___自分の望みすら、果たしたくないのね」

「………………」

「自分が、望みを叶えていい人間じゃないから。また、お母さんを殺すようなこともしたくないから___自分を擦り減らして、このまま消えたかったのね」


 事実、エルのこれまでの戦い方は異常そのものだった。

 自分を削り、そして削り続けて戦う。

 力を使えば使うほど命は減り続け、その命は無意味に散らされていく。

 このままサイクロンベルトに向かっても、戦いは続く。

 また戦えば___次はもうない。

 望みも果たせず、無様に、夢を持つことも希望を抱くこともなく死ぬ。

 それが罰であると、この男は受け入れている。


「呆れた。私を助ける気も、正義のためにシステムを壊滅させる気もなかったなんて。あなたにとって、私もシステムも、自分が死ぬための道具でしかなかったのね」

「______なぜ、俺を殺さない」

「殺して欲しいの?」

「君が俺にできることなんて、それくらいだろう」


 ああ。

 ずっと、強い人だと思っていた。

 自分よりもずっと多くのものを持って、ずっと多くの痛みを知って。

 前に突き進む、たくましい人だと思っていた。

 違う。

 彼は、誰よりも弱い。

 誰よりも脆く、誰よりも儚く、誰よりも愚かだ。

 旅の果てで、よもやここまでの馬鹿に出会うとは。

 なるほど、旅とはつくづく予想できないものだと思い知った。


「死ぬとか殺すとか、あなたはそんなことばっかりね」


 セーナは立ち上がる。

 送り込んだプラクトの思念体は、今なら安全にエルから分離させられるだろう。

 じきに、エルも回復し目を覚す頃だ。


「旅に連れて行ってあげる」

「…………旅?」

「そう、旅。あなたが知らない、私の旅」


「私が、あなたを助けてあげる」



 * * * *



 それは衝撃的な寝覚めだった。

 プラクトによる接触を終えた後、睡眠によって奥底に沈んだ意識が覚醒へと向かう。

 両者が同時に意識を元の場所に戻したことで、同時に目を覚ましたのだ。

 体の体勢は、プラクト接触を果たした状態のまま。


 すなわち、互いの唇を触れ合わせたままとなる。


「…………………………………………」

「…………………………………………」


 目を何度も開閉させ、自分が覚醒状態にあり正気であることを自覚する。

 続けて、感覚器官が大量に存在する口元の粘り気のある熱気が蠢くことを実感し。

 エルはゆっくりとセーナを引き剥がした。


「遠慮しろ」

「こっちのエルは可愛くないね」

「うるさい」


 口元を拭い、数日ぶりとなる覚醒。体の動きが元の水準まで回復していることを確認し、エルは起き上がる。


「セカンドキスの味はどうだったかしら」

「二度とするな」


 ケラケラと笑いながら、セーナはエルの寝室を去った。

 精神世界での記憶は、今もまだエルの中に残されたままだ。プラクトの移動ではなく、プラクトに残された記憶情報の複写をされたため、セーナにも記憶は残ったままだ。


『自分の望みすら、果たしたくないのね』


 言われて、初めて気付いたように思う。思ってはいたことだが、自分の中ではいつまでも自覚できなかった、破滅の願望。

 そうだ、どうでもいいのだ。システムも、ブレイドたちも、そしてセーナさえも。

 死ぬことができないと思っていたが、とんだ勘違いだった。苦しみの果てに、何もかも食い尽くされて死ぬという、おあつらえ向きの死に方がある。

 それでいいと、どこかで思っていたのだ。


 ふと、力が抜ける。ベッドの上から起き上がれなくなるほどに、体は重力に縫い止められ言うことを聞かない。

 残り、一ヶ月。

 たったそれだけの時間で、望んだ通りに残酷な終わりを迎えることができる。

 母さんを捨てた怪物に相応しい末路を迎えることができる。


「何してんのよ?」


 再び目を閉じようとしていたところに、騒がしい銀色の姿が舞い込む。

 動きやすい探索用装備ではない。

 街に住む少女が楽しげに出掛けに向かう時に着るような、機能性など微塵も存在しない、シンプルで涼しげなスカート。

 

「……まだ、寝ていいか」

「ダメよ。旅に行くって言ったでしょ?」


 ずるずると足を引っ張られ、地面を転がされる。

 この星に未曾有の嵐をもたらした超人は今、か弱い少女に何一つ逆らえないか弱い少年と成り果てていた。

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