第7話 翼と牙


 気づけばセーナは温かなベッドの上で眠っていた。

 僅かに差す日光がぼんやりと温かく、目覚めたばかりの目を開けさせてくれない。

 体を起こそうとしても、体のあちこちが軋むように痛い。


『おはようセーナ! ここは惑星スラウトの都市レクテプだよ。エルは物資の補給をしに外に出てるから安心してね』

「…………OSオーズ、おはよう」


 ここにエルがいなくて良かったと、少しでも思ってしまったことが腹立たしい。

 あのプラクトの世界から追放された時、エルに流し込んだプラクトを押し戻されたことで急激な負荷が脳にかかったことで昏倒してしまったのだろう。

 OSが小さな腕を生やして持ってきてくれた食事をゆっくりと口にしながら、霞がかった意識を取り戻していく。


「OSは……エルのこと、全部知ってるの?」


 この呑気で気楽なロボットの方が、まだ人間らしい。

 自ら人をやめた青年とは異なる、人に限りなく近い機械生命。彼が相手であれば、あるいはプラクトなど使わなくともエルのことを知れるのかもしれない。


『ふむ、エルは僕のことまでは話さなかったのか』

「…………え?」

 

 途端に、OSの音声のトーンが変化する。

 表情再現機能によるものとは思えないほどの、人に近しい表情の変化をセーナは感じていた。ふわふわと浮かびながらもOSの単眼は何ら色彩を変えていない。

 だが間違いなく、表情が変化していたのだ。


『君たち二人がプラクトを介して意思を交換していたことは把握している。見たんだね、エルの”穴”を』

「……エルは、いつまでつの?」

『戦わなければ、あと三カ月といったところかな』


 端的に、抑揚豊かに。

 命の長さは、残酷にも告げられる。


「三カ月経ったら、どうなるの」

『人間としての人格が破綻し、脳機能の大半が停止する。ヴェイルスーツが無理矢理彼を生かそうとするだろうけど、完全に失われた機能を取り戻すことはできない。内側からヴェイルスーツに食い破られることになるだろうね』


 彼の死には、記憶も死体すらも残らない。

 穏やかに死を迎えることも、走馬灯を眺め人生を振り返ることもない。

 恐怖に怯えることも孤独に打ちひしがれることもない。

 ただ全てを食いつくされ、消え失せ、何の感情を抱くこともなく死ぬ。

 それは一体、どれほど恐ろしいことなのだろう。恐怖すら抱くことを許されず、弔われるための亡骸すら残せず、ただ全てを破壊して消えるなど、人の死ではない。

 獣ですら、死してなお自然に吸収され役目を果たす。機械ですら、何者にも阻まれることなく孤独な死を与えらえる。

 心を失い、そして何も残すことなく、最後は自然に還ることもなく死ぬなど、到底許容できる死ではない。

 そんなものは、人生のゴールではない。

 決して。


「止める方法は」

『失われた精神のプラクトを補給し続けるくらいかな。でも根本的な解決にはならないし、一年は保たないだろうね』


 セーナが全プラクトを注ぎ込んでも尚、ひび一つ変えられなかった傷を、埋め続ける。そんなことは、セーナにも不可能だ。

 先延ばしにすることすらできない、回避できぬ運命。

 受け入れるには、時間が必要だった。


『それよりも君には驚いたよ。エルは確かに君の恩人かもしれないけど、出会ったばかりの他者だろう? 全プラクトを送るなんて命知らずな方法、僕は推奨しないよ』

「まぁ……先が長くないのは、私も同じだからね」


 遠くの星では、『一期一会』という言葉が存在する。一度の出会いは今生の別れになる時もあるのだから出会いを大切にするべし、というのだそうだ。

 セーナは人と出会うことが好きだ。一人では知り得ないこと、体験し得ないことを体験させてくれる。人がちっぽけであることを、そして繋がることで大きな存在となれることを教えてくれる。

 だからエルとて、出会ったばかりの相手でも、間もなく別れるだけの相手と割り切ることはない。

 

「エルには生きて欲しいし……無理だと思うけど、もう戦わなくてもいいって……そう言ってあげたい」

『優しいね、セーナは』


 用意されたお茶を飲みながら、セーナは思考を巡らせる。

 エルは自身の時間が残り少ないことを知っている。自信を利用しブレイドたちを引き付けるのは合理的な判断であり、残り少ない時間を使ってシステムを壊滅させるにはブレイドとの会敵回数を増やさなければならない。

 だが、システムは巨大だ。『ブラックバード』を含め、ブレイド以外にも様々なエージェントや実行部隊を有している。『回収者』や『研究者』といった協力者もいる上、頂点の『七星』には未だ手が届かない状況だ。

 どれだけエルの戦闘力が高く、そして自身がシステムに必要な存在として狙われ続けても、残り少ない時間で全てを滅ぼせるとは思えない。

 そしてこのことを、エルが理解していないはずもない。

 エルはできないことに労力を割く半端者ではない。目的を成すためならば、いかなる手段であっても利用し得る思考を持っている。

 ならば、エルは残った時間を使ってどのようにシステムを壊滅させるつもりなのだろう?

 このままひたすら戦い続けるだけではないという結論にたどり着くも、その先には考えが及ばない。


「お、久しい気配だ! いるんだろ、エル!」


 唐突に、宿として利用していた空き家の玄関から朗らかな声が響く。

 咄嗟のことに判断が遅れたが___ここにエルがいたことを知る人物はいない。

 そもそもエルのことを知る人物など、相当に限られる。


(ブレイド……!)


 咄嗟にベッドから跳び上がり、カバンにしまっていたプラクト銃を手に取る。まだ回復し切っていない体が軋む痛みに声が漏れそうになるが、精神力だけでそれらを抑えつけ、気配を探る。


「……んん? エル……いや違うな、人間じゃない匂いだ。それともう一人……白星ホワイトの能力者でもいんのか? 随分と静かなプラクトだな。エルの野郎はどうした?」


 ここまで饒舌なブレイドは初めて見るが、もう疑いの余地はない。ドア越しにプラクト銃を放ち、不意を突く。

 残された僅かなプラクトの発射であっても、銃である以上な十分な殺傷能力を持つ。ブレイドといえど、ヴェイルスーツなしで受ければ意識を失う程度にはダメージを受ける。

 吹き飛んだドアに注意深く近づきながら、向かい側の壁に激突した男の人影に目を凝らす。銃撃は胸に直撃しており、最低でも戦闘不能にはできるだろう。

 プラクトの密度をあえて低めにしていたため殺傷能力は低減されているが、これでひとまずブレイドを無力化することには___


「痛っっってぇ~! プラクト銃ってやつか!」


 男は何事もなかったかのように埃を払い、起き上がった。

 続けざまに、その姿が消える。気づいた時には、その手がセーナの眼前にあった。

 バチリ、と電撃のような音を立てて、男の手が弾かれる。


『悪いがセーナに対する接触は許可できない。まずは腰掛けてくれないか』


 OSから発せられた電磁障壁が、セーナとOSを守るように目の前に展開される。

 物質の連結を解く透明な壁に、男は心から気怠げな表情を見せた。


「お前、エルじゃ……あぁそういうことか。今はただの人形ってことか」

「…………?」

「嬢ちゃん、まさかあのセーナ・クリストロフか? 本当なら力づくでお前さんを連れていくべきなんだろうが」


 電磁障壁は、あくまで対人間用だ。真に人ならざる力を持つブレイドたちの力を弾けるほど強固ではない。ヴェイルスーツを装着すれば、すぐに破られる脆い板に過ぎない。

 だが男はヴェイルスーツを装着することなく、大人しく椅子に腰かけた。


「俺はちょいと特殊なブレイドでな。七星セブンスター共のために頑張る必要はねぇのさ」

「あなたは……何者? 本当にブレイドなの?」

『セーナ、警戒を解かないでくれ。彼は危険だ』


 いつものお気楽な調子ではなく、いたって真剣にOSは防御を解かない。今この瞬間も瞬時に電磁障壁が破られることを想定し、何重にも障壁を張り巡らせていた。


『彼はブレイド・Aエース、一番最初のブレイドだ。そして、唯一七星と対等の交渉権を持つブレイドでもある』

「七星と、対等……⁉」


 ブレイドであろうと、システムに逆らうことは許されない。全てが『計画』を遂行するための部品とするシステムにおいて、頂点たる七星の指示は絶対的な権限を持つ。だが、エースはそれらの指示を無視し、自由に動くことを許可された存在。

 セーナの知る限りでは、そのような特権を持った人物は存在しなかった。

 ならばエースは、強大無比な戦闘力を持つエルですら持ちえない、何かを持っている。

 

「正確には、俺はシステムに属していないただの他人だ。なぜかデータベースのアクセス権をもらえたりしたが、契約を交わしただけの関係なんだよ」

「一体どんな契約を?」

「ヴェイルスーツが欲しかっただけだ。そして、システムにとっても俺がヴェイルスーツを装着することで得られる各種データを得られるわけだからな。俺以降のブレイドたちも、俺のことをベースに生み出された、いわば同世代型ってことだ」

「だから、私を連れ去る理由はないと?」

「どうだかな」


 エースは会話をしながらも何のためらいもなくOSが用意していたお茶を勝手に飲み、勝手に『美味くねぇ』といって顔を顰めている。

 先ほどから常にプラクトの制御能力を全開にして探りを入れているのだが、今のところプラクトの流れに敵意は一切感じない。身体強化としてのプラクト操作も、ヴェイルスーツを装着しようとする動きも感じられず、一切の敵対的意思を感じ取れない。

 動きも隙だらけであり、体術を修めた人間のようにも見えない。エルのように一切の隙を見せない完璧な強者としての気配を、エースには感じなかった。

 だが、OSが警告してくれているおかげか、肌で僅かに感じ取る『危険』の気配が一向に消えない。視線をエースから外すことを、心のどこかが無性に恐れている。


「お前さんを連れ去ろうとすれば、エルは俺を殺そうとするだろうな」

「……嬉しそうね」

「嬉しいさ、そりゃ。俺は嫌われてるみたいだが、それでも俺と対等な関係を結べる数少ない友人さ」

 

 OSが話す七星との対等な関係性、とは恐らく異なるベクトルの『対等』。

 同じブレイド。だが他のブレイドに対しても対等であると認めているわけではないように感じる。

 ブレイドの中でも、エルが際立っているもの。

 それは、既にブレイドを半壊させるほどの圧倒的な『強さ』に他ならない。


「お___噂すれば、だ」

「え……?」

「おい丸いの。ちゃんと嬢ちゃんのことは守っとけよ」


 エースは椅子から立ち上がると、おもむろに窓の外を覗いた。


「ここら一帯、更地になるぞ」

「何を言って___」


 ___全てが、砕けた。

 音よりも先に、目の前の全てが弾け飛ぶ。


「______ぁ」


 思わず目を瞑り、か細い声を出した時には、もう。

 石造りの宿は消し飛び、あとには更地だけが残る。

 揺蕩う砂煙に佇むモノクロ色の人影と、遠くに吹き飛ばされた人影を除いた、全てが消し飛んでいた。


「…………エル」

「OS、セーナを全力で守れ」

『分かったよ』


 OSも一切の隙を見せることなく電磁障壁でセーナを囲い、礫による負傷すら負わせないよう防御を張り続ける。

 ブレイド同士の全力戦闘。思い出されるのは、宇宙ステーションでのディー、アイとの戦闘。


「エル!」


 遠ざかろうとするエルを呼び止める。


「一つだけ、言うことを聞いて」

「…………」

 

 エルはきっと、命をかけて彼を、エースを倒そうとするだろう。

 周囲の全てを利用し、そして己の魂すら削り、戦い続けるだろう。

 それでは、エルが消えてしまう。あんな戦い方は、もう二度と繰り返させてはならない。


「無理しないで」


 守られてばかりであろうと、今だけは。

 しばらくの間を共に過ごした者として、これくらいのわがままは許されて然るべきだ。


「逃げてもいいから……私の元に、帰ってきて」


 エルは、答えなかった。

 一度だけ振り返し、再びエースに向かって歩いていく。

 完全な不意打ちであり、エースはヴェイルスーツを装着する暇すらなかったはずだ。少なくとも、セーナの目ではエースが装着したことを確認していない。

 生身でエルの蹴りを受ければ、骨の形すら残らない。防御できたとしても、全身の骨が砕けることは間違いない。

 だが___悠然と立ち上がる影は、生身の弱さを微塵たりとも見せない。

 。一挙手一投足が木を、岩を、山を砕く威力の攻撃を受けて、なお。


「嘘でしょ……無傷⁉︎」

『エースは特別なブレイドでね』


 OSのデータベースの中にも、その情報はある。

 始まりのブレイド。その検体として選ばれたのは、人の身にて、人の域を超えた存在であると。

 すなわち、異能者。


『ブレイドになる前から、規格外の力を持つ異能者だったんだ』


 その肉体は超人の域に達し、人の力を遥かに凌駕する。白星としての能力や、エルが持つエネルギーの吸収など、異能には様々な種類が存在するが、エースのそれは一際ずば抜けている。

 規格外の肉体強度。

 エースの異能は、ただその肉体の強さのみである。

 ただ、それが山を裂き天にも届く強さのブレイドに匹敵するレベルであるというだけ。


「久しぶりだな、エル。随分と気配が変わったな」

「何をしに来た。お前にセーナを狙う理由はないはずだ」


 軽口を交わしながらも、既に両者の戦闘は始まっている。

 ヴェイルスーツを纏い衝撃波が出るほどの速度で踏み込むエルに対し、エースは生身のままで同速で踏み込み、拳を軽々と受け止めてみせる。


「この星にいたのは偶々だが、遠くから___見上げた空に、お前の気配を感じたんでな」

「なら戦う理由はない。さっさと消えろ」

「いや、そうもいかん」


 エルの打ち込みを全て捌き、自身からは一切の攻撃をしない。エースはまだ、遊び半分でしか戦っていない。エルの中を絶大な速度で駆け巡るプラクトの出力は、既にジェイルやアイとの戦闘時の水準を超えている。

 だが、エースは涼しい顔を続けたままである。


「俺は一度、お前に負けているんでな。敗者として、お前に挑む権利がある」

「悪いがお前に構う暇はない」

「___残り三ヶ月……いや、そんな無茶を続けてるとなると二ヶ月も保たんだろうよ」


 的確に、エースはエルの残り時間を告げる。底を見通す不気味な視線に舌打ちしながらも、エルは告げられた運命を噛み締める。


「ここを逃したら、二度と戦えないかもしれないからな」

「知ったことか。お前に付き合う義理はない」

「なら、お前の計画を阻んでやろう」


 エースの表情が変わる。涼しげに受け止めたエルの拳を握り、徐々にその力を高めていく。

 肉体に宿す異能を超えた、ヴェイルスーツですら軋むほどの膂力。

 それがエースによる合図だとすぐに察した。


「俺はお前を負かせた後、あの嬢ちゃん…………セーナ・クリストロフを連れていく。俺には必要ないが、システムの人形どもに渡せば相応の報酬がもらえるかもな」

「…………本気か」

「勝ちに来い、エル。俺に負ければ、お前の願望はここで潰えるぞ」


 エルが全てを捨ててでも成そうとすることを、ここで阻む。

 もはや、エルはこの戦いから逃げることができない。

 ___渦が生まれる。

 高まる膨大なプラクトから発せられる絶大なエネルギーが、空間を歪ませ風を生み出している。

 出力を高めるエルに対抗するように、ついに原初の超人がその御姿を晒す。

 異能を宿す肉体が、重なるように第二の肉体を纏う。赤と黒を基調とした禍々しくも美しいヴェイルスーツが、膨大なプラクトと共にエースを完全に包み込んだ。

 高まる両者のプラクトが渦をさらに巨大なものへと変質させ、荒野に黒い稲妻を生じさせる。

 空が、大地が___星が、世界が、彼らを恐れている。

 かつての戦闘時、とある星の山岳地帯を平坦な大地に変えてしまった超人たちが、今再び睨み合った。 


 初撃は、右拳の衝突だった。

 拳が重なり、衝撃が電磁障壁を震わせる。地平線の彼方まで届くのではないかと思うほどの音が連続して続く、両者は凄まじい速度で打撃をぶつけ合う。

 単に身体能力のみであれば、生身ですらブレイドに匹敵するエースが圧倒的に有利である。放たれるプラクトの圧は、遠くから眺めているだけのセーナですら押し潰されるほどに強大だ。

 だが、エルも一歩も引かない。

 スペックで勝るエースの攻撃を真正面から受け止め、そして有効な反撃を加え続ける。一見すれば、両者の戦闘能力にさほどの違いはない。

 プラクトの流れを読み取るセーナは、その攻防がエルによる綱渡りの神業によるものであることに気づいていた。


衝突インパクトの瞬間、エースから受けた攻撃の一部を『吸収』して威力を軽減させつつ、次の攻撃に吸収したエネルギーをぶつけることで相殺しているのね」

『エルの能力は吸収とその発散を同時に行うことができる。エースの攻撃力が高いから完全な相殺はできないけど、力を吸収してぶつけ続ければ___』

「エネルギーが溜まれば溜まるほど、エルの方が有利になる」


 セーナとOSが予測する通り、初めはエースがスペックの力だけで押していた戦いは、徐々にエルがエースを押し返す結果となる。空を切れば衝撃波が発生するほどのエースの攻撃を防御し威力そのものを『吸収』、そして反撃として放った攻撃に吸収したエネルギーをぶつけ、エースの身体能力にさらに自身の身体能力を上乗せした打撃を加える。

 無論、エースもそれらを完全に防御するため互いの消耗は最小限に留められるも、エルの技巧はこれに留まらない。攻撃の瞬間、自分に跳ね返ってくる衝撃すら『吸収』し、攻撃を加えれば加えるほどさらに次の打撃の威力が増す仕組みを作り出し、一方的に攻撃力を増大させ続けた。

 エースの拳が小さな丘を吹き飛ばす威力なのに対し、時間経過と共にエルの攻撃は一発が谷を形成するほどに高まっていく。人気のない荒野が、瞬く間に入り組んだ峡谷を作り出すに至った。


「はっはァッッッ! 流石だなエル! 前は受けてばかりだったが、今度はちゃんと攻撃してくれるのか! 嬉しいぞ!」

「俺はお前のように戦いが好きなわけじゃない。攻撃をするのは勝つための合理的な手段だ」

「全くだ。おかげで前回は一撃でやられてしまったからな。今でも忘れんぞ」


 既にエルのヴェイルスーツは目で見ることが困難なほどに強く発光し、膨大なエネルギーを溜め込んでいる。全開まで溜めればブラックバードを壊滅させたように、小惑星すら破壊しうる力を放つ。今この状態で全開でエネルギーを放てば、小型の隕石程度の被害は出るだろう。

 それほどの力を向けられてもなお、エースの仮面の下には高揚した笑みが張り付く。桁外れな暴力が行き交う二人だけの戦場に、内在する闘争欲がエースを動かし続けた。


「あと三発だ」

「…………ほう?」

「お前の攻撃を後三回吸収すれば、次はない。一撃でお前を沈める攻撃が出せる」


 これ以上、エースはエルに攻撃を加えられない。だが攻撃をやめれば、エルの苛烈な攻撃が続くだけだ。

 それに、エルが『吸収』するのはエースの攻撃だけではない。必要となれば、この星の表面から直接重力を吸い上げ、攻撃に転じることができる。それをしないのは、エースの攻撃を警戒してのことだ。

 既にエルには切り札が揃っている。エースには勝ち目がないように思われた。


 だが、狂戦士は笑う。


 迫り来る敗北を前に一切臆することもなく、そして後に引こうともしない。

 より一層、自らのプラクトの出力を高め、内なる魂が苛烈な光を放ち始めた。


「なんてプラクト出力……!」

『セーナ、それ以上エースを見るのはやめた方がいい。君の目がブラックアウトするぞ』


 白星として生まれながらに強化されたプラクトを見る擬似的な『目』が、エースの放つ強すぎるプラクトの圧を捉えられなくなり、脳が軋むような感覚を覚えた。目眩に近い視界の眩みに、思わず膝を突く。


「見ないわけにはいかないわよ……エルが、戦ってるんだから」


 対するエルも、エースに負けず劣らず膨大なプラクトを体内に循環させる。吸収したエネルギーがヴェイルスーツの出力を高め、星ほどの輝きを放つ。

 そして、極限まで高まった二つの力が再び衝突した。

 爆発、そして暗転。

 ぶつかり合った力は空気を揺らすだけに留まらず、大気を熱し一瞬だけ空気を醗酵させるに至った。隕石の落下のような衝撃が大地を揺らし、飛び散った瓦礫の山を浮かす。

 想定よりも強力な打撃の衝突は、本来であればエルにさらなる力をもたらす結果に終わる。さらなる力の発散は、エースにとって不利な結果を生むだけのはずだった。

 だが、想定すらも超えて、力は瞬く。

 超人と超人。怪物と怪物。

 高まり合う力は、いつだって想像の遥か先の結果を生む。


「______⁉︎」

「ハハハァァァァッ! いいぞ、骨まで響くいい拳だ!」


 エースの攻撃を、

 それどころか、既に吸収したエネルギーの一部が剥離し、紫の光が失われていくのを、エルと遠目に見ていたセーナは感じ取った。


「一体、何が……⁉︎」

『……過去のデータにない現象だが、推測はできる。恐らくだが___エースの高すぎるプラクト出力が、エルの異能を中和したんだろう』

「異能を……中和ですって?」

『例えるなら……相手のコンピューターに処理できないくらいのデータを無理矢理送信して、一時的にバグを起こさせるようなことに近い。エルの処理能力を以てしても、接触するエースから与えられるプラクトの出力が高すぎて”吸収”が上手く機能していないんだ』


 さらなる激突が二度、三度、そして数えきれないほどの回数が繰り返される。

 もはや二人が撃ち放つ力は、拳を振るった衝撃のみで地形が変化するまでに達し、何度も衝突する力の拮抗は大穴と瓦礫の雨を生み出した。

 大小様々な瓦礫が降り注ぐ終末の景色。障壁を張るOSがさらに強く駆動し強度を高めていなければ、放たれる衝撃波で砕かれる。

 そして、これは未だ終末の始まりに過ぎぬ。

 巻き上がる瓦礫と砂塵が周囲に降り注ぐだけでなく___風に乗せられ、次第に渦の形を生み出していった。


「…………竜巻が」


 黒い嵐が、生まれる。

 両者が生み出す高出力のプラクトの渦、ではない。

 それは時に、風と水が豊かな星で生まれるとされる、週末を告げる渦の名前を冠する形をしていた。現れれば最後、その下に存在する全てを薙ぎ払う神の怒りとも。


 ___超巨大積乱雲スーパーセル


 惑星スラウトの大気圏外に存在する気象衛星はこの時、惑星スラウトの歴史を塗り替える嵐を観測していた。

 気流や気団といった大気のダイナミズムを全て否定し、まるで意思持つ存在であるかのようにこの星に降臨した、怪物の嵐。

 吹き抜ける突風。

 突き抜ける轟雷。

 天揺るがす雲海。

 それら全てが、まるで王に従う従者のごとく、とある荒野地帯に発生した超巨大積乱雲スーパーセルへと吸い寄せられていく。

 星々から集めた雲が、風が、雷が。巻き上げられた大量の土砂すら巻き込み、単一の生命と化し___そしてたった一人の超人へと捧げられる。


「ほぉ……この星の空を駆け巡るエネルギーの全てを『吸収』し続けているのか」

「惑星の引力を吸い上げるのは難しいからな」


 この星の大気の動きは、予め情報として叩き込んでいる。それらの情報を駆使し、異能の解釈を拡大することで星そのものの巨大な空気の流れを丸ごと『吸収』する。

 これほどのエネルギー全てを完全に御することはエルであっても困難だ。エネルギーの総量でいえばブラックバード戦時の方が上であるが、あの時は星が公転するエネルギーのみを吸収したため、容量は膨大であっても演算は単純なものであった。

 大気を流れる風の力学は非常に複雑であり、エルの演算を以てしても完全な効率で吸収することは難しい。無理矢理取り込んだエネルギーの内、プラクトへの変換が叶わなかった余剰のエネルギーが漏れ続け、それが瓦礫を巻き上げ巨大な竜巻を生み出している。

 今も尚、上空に生み出された巨大嵐が星の隅々から集まった風を吸い込み続け、風によって浮かび上がったエルに絶え間なくエネルギーを供給し続ける。そして漏れ出たエネルギーは竜巻を作り、戦場を天空へと移していた。


「無茶なことをする。この嵐そのものを無限のエネルギー源として、俺に真っ向から力勝負を持ち込む気とはな」

「お前の倒し方は、知っている」


 『吸収』が中和される以上、高まり続けたエルは戦えば戦うほど力が弱まり、エースとの打ち合いに対抗できなくなる。今もなお力を高め続けるエースに対抗するには、中和されるよりも早い速度でエネルギーを吸収し続ける必要があった。

 それすなわち、エースの唯一の倒し方。


、大出力で打ち倒す。それがお前の倒し方だろう」

「よく分かっているな、エル!」


 嵐を生みし二人の超人。

 その両拳、未だ果てることを知らず。


 

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