第6話 心がなくとも


 破壊され尽くした宇宙ステーションの居住区。

 腕を治され、元の状態にまで回復したセーナは、先ほどまで殺しあった二名のブレイドの亡骸に近づく。

 頭を撃ち抜かれ、飛び出た眼球を押し戻し、目を閉ざした。血に濡れた両名の顔をハンカチで拭き取り、せめて穏やかに眠れるよう、そっと布をかけた。


「……彼らの遺体は、どうなるの」

「ヴェイルスーツは貴重な財産だ。一つ残らず回収される」


 間もなく宇宙ステーションの護衛部隊が駆けつけ、現場を調査するだろう。

 そしてそれよりも早く、システムの『回収屋』によってディーとアイは処理される。

 その場を離れようとしたエルとセーナの前に、ちょうど彼らは現れた。


「こんにちは、ブレイド『エル』、そしてセーナ様。我らは『回収屋』でございます」


 咄嗟に身構えたセーナに対し、エルは何の構えも取らず悠然と彼らの前を横切った。


「あぁ、ご安心ください。我らはただの回収屋なれば、あなた方に対する実力行使は認められていないのです。どうぞお通りを」

「……私たちも、死んだらあなたたちが回収するの?」

「ブレイド『エル』についてはそうなりますが、セーナ様は特殊でして。亡くなられても、我々ではなく『研究者』の元に運ばれます」


 研究者。システムの基盤を支える賢者たち。

 システムが発令する計画の技術的基盤を管理する者たち。

 サイクロンベルトの起動やセーナの『製造』も、彼らの手によるものである。


「あっそ」

「皆様は等しく我々の『顧客』。少しだけ営業させてもらいましょうか」


 そう言うなり、回収屋は一つの箱を取り出しセーナに手渡した。

 仲には、粘性のある液体が充満している。


「我々の手元には皆様の生体情報の全てが保管されております。身体の欠損等の怪我を負われた場合は、こちらをお使いください」

「……これは」

「保管されていたセーナ様の細胞を液状化して保存したものです。欠損した部位に浸せば再生しますよ」

「……色々とツッコミどころがあるけど、これエルの分もあるの?」

「用意していますよ。どうぞ、ブレイド『エル』」


 そう言ってエルにも箱を手渡し、回収屋は悠然と仕事を始めていった。

 仮面を被っている故、その顔は見えない。

 もっとも彼らの表情など、見たくもないのだが。


「私の立場で下手なことは言えませんが、ご武運を。この先も追手が来ますよ」

「…………行くぞ」


 OSを連れて、二人は宇宙ステーションを去る。

 物資の補給も済んだ。次に向かうべき星も決まり、もうここに用はない。

 戦場には、何も残らない。

 悲しみ以外の、何も。



 * * * *



 『回収屋』に渡された箱に手を入れ、エルのヴェイルスーツによって一時的に傷を塞いだ両腕の欠損した細胞を取り込み、徐々に腕が再生していく。

 『体が生える』という奇妙な体験をした後、セーナの体は無事に戦闘前のものに戻っていた。エルの方も幾分か負傷していたものの、液状細胞を使うまでもなく、ヴェイルスーツによる治癒機能のみで既に回復している。OSが言うには、臓器が破損しても数分休めば回復する驚異的な回復力を持つらしい。


「…………なんで」


 宇宙ステーションを飛び立ってから数時間。

 ようやくのことでエルにかけることができた声は、僅かに震えていた。


「なんで、みんな殺したの……?」


 エルは悪ではないと、そう思っていた。

 そう、思いたかった。

 だが、彼は血をかき分けて進む道を迷わずに選んだ。

 それに恐怖しなかった。

 今は、彼が___ただ、怖いと感じた。


「……ディーの能力で操られた人間は、脳に負荷をかけられることで一時的に身体能力を強化される。代償として、一度支配された人間は支配を解かれた瞬間に負荷に耐えられず脳が破損する。助かる見込みはなかった。それに___」


 エルは一瞬だけその言葉を躊躇ったが、すぐに口にする。


「彼らは皆、この宇宙ステーションの不法滞在者や、犯罪を犯し収容されていた者たちだった。死んでもいい人間をわざわざ選んだんだろう。一般人をあのように使うことは、流石にシステムの理念が許さない」

「だから……殺してもいいって……言いたいの」


 エルは、決して人の機微が読めない人間ではない。

 単にその機能が削がれているだけで、セーナが何を思っているのか理解できないわけではない。

 だからこそ、非論理的なまでのその哀愁を、気味悪いと感じてしまう。

 エルは未だに、セーナに心を許せていない。


「君も殺しただろう。自分が助かるために、ジェイルを自ら殺した」

「……そうね」

「やつが死んでいいなら、なぜ俺が殺した人たちを殺すのはダメなんだ?」


 セーナの手が震えたのを、エルは見逃していない。

 あの時、ジェイルを突き刺したあの殺意が、セーナが必死に振り絞ったものであることは理解している。生きるために、ただそのためだけに、彼女は殺すことを選んだ。

 ならば、戦いに勝って生き残るために、殺さざるを得ない者たちを殺してはならないのか?

 殺す数の大小に応じて、人は悲しまなければならないのか?


「俺は……君のその考えが嫌いだ」


 エルはセーナを一切見ることなく、出会ってから初めて強烈な感情をむき出しにした。


。なぜその程度のことも割り切れない?」


 人が生きるために、獣の肉を喰らうように。

 獣が生きるために、草木を啄むように。

 セーナは生きるために、殺さなければならない。

 当然な自然の摂理を受け入れない様は、エルにとって酷く醜悪なものに見えた。


「違うの。違うのよ、エル」


 精一杯の嫌悪を伝えても、なお。


「あなたは、やはり殺すべきじゃなかった」


 お前は醜悪だと伝えても、なお。彼女は。

 悍ましくも、美しかった。


「私を助けるために誰かを殺すなんて、間違ってる」

「……君は旅を続けたいんじゃないのか」

「彼らにだって、生きるべき理由があった。私のそれが、彼らより価値あるものだとは、私は思わない」

「やはり、俺には理解できない」


 なぜ、システムに生まれてなお、人の命などというものに固執できるのだろうと、疑問に思わずにはいられなかった。

 多くを知っているはずだ。システムは人類という億単位の生命体のためにのみ存在する。一人一人の個人の尊厳など、種のためであればいくらでも使い潰す。

 その事例の一つが自分であるというのに、なぜ他者の命に執着するのだと。

 

「自分のために他人を殺すのことの、何がおかしい」


 そんなエルの疑問と嫌悪に、一抹の”穴”を、セーナは感じ取っていた。

 比喩表現ではない、文字通りの”穴”。彼の心を形成するプラクトの中に存在する、何もない場所。


「……エル、あなたは誰かを殺すことに、誰かを傷つけることに抵抗を感じないの?」


 白星ホワイトとしての能力故か、セーナは相手のプラクトを観測しその状態を察知する能力に優れている。精神を構成するプラクトの揺らぎから、大まかな心理状態を察する力が、これまでの旅でも何度も役立ってきた。

 その能力が、”穴”の存在を教えてくれる。


「人には誰しも、愚かな部分が存在する。それは経験の積み重ねで消せるものじゃない。でもあなたには、愚かな部分を何も感じ取れない」

「……俺のプラクトを見るなと言ったはずだが」


 初めてエルの心を覗いた時には見えることのなかった何か。

 それが二人を隔てるものであると理解したセーナは、迷わなかった。

 席を外し、エルの頭に手を伸ばす。反撃を想定し、素早い動きで抵抗なくエルに触れるために。

 

「同じ手は喰らわない」


 伸ばされたセーナの腕を掴み、床に押し倒す。

 そしてさらなる抵抗を続ける前に、セーナを抑えつける右手のみにヴェイルスーツを纏った。

 微かに紫の力が反応し___セーナの手足が一切の動きを失う。


「…………⁉」

「手足の筋力を”吸収”した」


 人間の身体能力は宇宙空間を流れる力に比べて遥かに小さく、そして細かい。エルの能力を制限させずに使えば、一瞬で体内の全エネルギーを吸い尽くしてしまい殺してしまう。細心の注意を払いつつ、手足のみに絞るために直で触れて能力の演算を行う必要があった。


「そろそろ鬱陶しいから、はっきり言う。俺を知ろうとするな。俺に近づくな。そして、俺を止めるな」

「…………」

「俺は君の仲間ではない。君の味方でもない。君を利用しているだけだ」

「だったら、最初から私を拘束しておけば良かったじゃない」


 僅かに、セーナを床に抑えつける力が弱まった。


「最初から私を宇宙船内に閉じ込めておけばよかったじゃない。私をノコノコと歩かせなければ、ディーに捕まった私を助けようとする必要も、あんなに殺す必要もなかった」


 認めざるを得ない”愚かさ”に、僅かにエルの強固なプラクトが揺らぐ。

 手足と止めるだけに留め、口を動かさせたままであることがいい証拠だ。

 宝石のような赤い目が、一瞬だけ濁ったように見えた。


「私を自由にさせた理由は何? 優しさ? 必要性? 違うでしょ」

「…………黙れ」

「黙らせたいなら私を殺せばいい。死んでもブレイドたちは追いかけてくるんだし、ちょうどいいでしょ」

「黙れと言っている!」


 怒りで、抑えつける力が強まる。

 力の乱れが、僅かに態勢を崩させセーナに隙を与えた。

 手による頭部への接触は叶わない。強固な防壁が張られているエルのプラクトを覗くためには、精神を司る頭部に近い場所への接触が必要となる。自信のプラクトを直接エルに流し込み、防壁を突破するには___

 力を込めたことで近づいたエルの顔に、上体を起こすことで顔を近づけ、


 その口に、自身の唇で触れた。


 咄嗟に開いた口の穴に、経口によってプラクトを流し込む。

 舌を噛み切られることすら承知で、一切の躊躇なく全プラクトを送り込んだ。

 

 ___壁が、破られる。



 * * * *



 前に入った時には、見えなかった空間。

 プラクトの密度を高めて送り込んだことでようやく踏み越えられるようになった、エルの心の深層。そして恐らくは、先ほどのやり取り故にエルが無意識に浮かび上がらせていた、その精神の根幹でもある。


 そこには、何もなかった。


 ただ平坦で穏やかな場所、という意味ではない。

 入る前から朧気に感じ取れていた”穴”が、黒淵を覗かせている。

 踏み込むことすらできない、”無”の領域。

 心の基盤となる部分が、削り取られたかのように失われていた。


「これは……なんなの、エル?」

「見た通り、既に削られ俺の中からは消えたものだ」

「あなたは一体……何を削ったの?」 


 それは明らかに、削っていいものではない。

 心の構造をよく知るセーナからすれば___そこには人間が人間であるために絶対に欠かすことのできないものがあるはずだった。

 人間が群体として生き、社会の一員となるには絶対になくてはならないもの。

 すなわち___殺意の制御機構ストッパー

 獣性を克服するための、理性的な尊厳。

 人を人たらしめる要素が、決定的に欠けていた。

 精神の一部が刃で切り取られたかのように、そこは一本の線によって区切られている。

 初めから無かったものなのではない。

 彼は自ら、その部分を切り捨てた。己が己である証を、自ら切り裂いた。

 心を削るとは、想像を絶する苦痛が伴う。精神を構成するプラクトの切除など、まさしく脳を切り分けられるに等しい激痛を味わうことになる。

 

「俺には、システムを壊滅させなければならない理由がある。だがそのためには、多くを敵に回し、そして殺さなければならない。かつての俺には、絶対にできないことだった」


 その虚空を___かつて自分自身だったものの”穴”を見下ろしながら、エルは記録されただけの出来事を語る。

 真に、他人事のように。


。自分の中の矛盾を解決するには、片方を捨て去るしかなかった。精神を構成するプラクトの中から、『殺意』を抑え得る因子のみを抜き取り、残った部分を繋ぎ合わせることで辛うじて人格を維持する……そうしてできたのが、今の俺だ」


 殺意を止めることができない人間。

 止まらない暴力に動かされるだけの人間。

 いや、それはもはや人間ではない。

 破壊者。破壊装置。システムを壊滅するだけの、プログラムではないか。


「だから俺には、君が理解できない。君を理解するための機構がない。君の努力は、この穴に落ちるだけで、俺を埋めることはない」


 虚空に雫が零れた。

 プラクトの世界で流した涙は、セーナのプラクトの結晶そのもの。

 それが流れても尚、虚空は深く、全てを無に帰す。


「あなたはシステムを壊滅させたら……その後はどうするつもりなの」

「役目を終えて穏やかに余生が過ごせるとでも?」


 ふと横を見れば、エルはいつもの泰然とした姿ではない。

 相変わらず表情に乱れはなく、諦観すらない表情の欠落が見えたままだ。

 だがその体は___プラクトで構成されたエルの魂そのものは、ひび割れたかのように各所が崩れかけている。

 内側から生じる絶大な量のプラクト故簡単には壊れないようになっているが、今もエルは壊れ続けている。

 そう遠くない未来___このままブレイドたちと熾烈な戦闘を続ければ、人ならざる歪んだ人格はいずれ崩れ壊れる。

 彼に、後などない。

 全てを破壊した時、エルもまた壊れるのだと、知ってしまった。


「…………私の力を使えば、あるいは」

「無理だ。完全に抜け落ちた部分を他者が埋めることはできない。この穴は、君には埋められない」

「諦めたくない」

「君が命をかけても俺は助からないんだから、助けても無駄だと言っているんだ」


 エルの声は、もうセーナに届いていない。

 白星ホワイトとしてのプラクト制御能力、その全てを賭してエルの崩壊する魂の修復を試みた。エルの魂の頭部に触れ、僅かに崩れ砂と化した部位を引き戻し、崩壊を留める。

 一時的に、頬に入った小さな亀裂が消えた。だが、内在する膨大なプラクトが生み出す傷は、すぐに三つの亀裂を生み出す。

 

(こんなんじゃダメだ。私の一部を……エルに移植する!)


 自らの精神の余剰部分___精神を構成する中でも膨大な質量を持つもの。

 すなわち、記憶。

 旅を続けたことで手に入れた記憶、その一部を自ら切り離し、プラクトのリソースとしてエルの中に直接継ぎ足す。

 記憶を自ら削り出すという常軌を逸した行為には、その分の報いが下る。脳が焼かれるが如き激烈な痛みに耐えながら、エルの魂に高密度のプラクトを届けた。

 だが、エルにとっては血の一滴を輸血される程度の影響しかない。

 不意に、ひび割れたエルの肉体の隙間から煙が噴き出す。

 黒く粘性のあるそれは、やがて生物の手足のように自在に蠢き、エルに異物を混入させようとするセーナを無理矢理引き剥がした。


「……っ! これは___」

「ヴェイルスーツの材料……ヴェイルセルだ。コイツと俺は、魂の奥底まで接続されている。今は宿主である俺を異物から守るために無意識の防衛機構を発生させているんだ」


 煙の手足によって引き剥がされたセーナは、大量のプラクトを使い果たしもはやエルの中に留まることは難しい。全プラクトを注ぎ込む勢いであったため、下手をすれば現実のセーナは二度と目を覚ませなくなる可能性があった。


「もうここには来るな、


 息も絶え絶えのセーナに近づき、送り込まれたプラクトを送り返すべく___

 仕返しのように、その唇を自分の唇で塞いだ。経口によるプラクトの送り込みに対抗するかのように、今度はセーナが送り込んだプラクトを送り返した。脳髄に近い部位からの直接供給により、セーナのプラクトは記憶も含め無事に送り返されることとなる。


「いや……! あなたを死なせたくない!」

「……俺は酷い人間なんだろう」


 セーナのプラクトが、完全に除去される。

 エルの心は再び孤独な時間を取り戻した。


「俺を生かしたいと思う人を、殺そうとしているんだからな」

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