怪盗の日常は続く
1
イヴリルとエルマーは幼馴染だった。
片や騎士の家系で常日頃から鍛錬を欠かさずにいる少年。片や貴族家系の末娘で、みそっかす扱いを受けて育ってきた少女。
このふたりが知り合いになったのは、年頃の貴族の少女たちをお茶会に集める会で、同じく騎士見習いの少年たちが、護衛として集められたからである。
今思えばそういう機会がなければ、王立学院にでも入らない限り年頃の少女たちが友達をつくる機会もない。一方騎士たちは護衛対象を知らずに力だけ身に着けたところで、ただの暴力装置にしかならない。
まだ幼い少年少女たちの交流の場を設けるという機会だったのだろう。
イヴリルは兄と一緒に庭でボール遊びをするのが好きな少女だったため、少女たちと一緒に人形遊びをしてもあまり楽しくなく、だからといってこの子たちと乗馬もボール遊びもできそうになく、つまらなくなって「お手洗い!」と言って逃げ出してしまった。
その逃げ出したところで、とことこと少年がついてきたのだ。
「手洗いだったら、洗い場はこっちじゃないぞ」
敬語が下手な少年だったが、そのほうがイヴリルも気楽だった。
「いらない。お母様に連れてこられたけど、全然楽しくないんだもの」
「皆でお菓子食べてたけど、あれ嫌いか?」
ミルクと一緒にビスケットに甘い甘いミルクジャムをたっぷりと塗りたくって食べる。想像しただけで口の中が甘くなってしまう。
「私、本当はミルクジャムあんまり好きじゃないの。レモンカードが好き」
「ふーん」
「あと人形遊び好きじゃないの。私、乱暴者だから人形を触っててもすぐに壊しちゃうの。それよりも体を動かしたい」
「なるほどなあ……だから、あそこのお嬢様たちと全然話が合わなかったのか」
「ええ……男の人たちは、乗馬をしてもボール遊びをしても褒められるでしょう? 私ももっと小さいときにお兄様とやる分には怒られなかったけれど、ひとりでしようとすると途端に怒られるのよ。はしたないって」
だんだん溜まっていたものが、イヴリルの中から次から次へと出てきてしまった。
残念ながら、アリンガム家は兄姉が多くて、末っ子のイヴリルはメイドたちからすらほったらかしだったし、自分の面倒を見てくれる家庭教師は、典型的な詰め込み教育の人だったために、彼女の不平不満を聞いてはくれなかった。
だから出会ったばかりの見ず知らずの少年に、延々と愚痴を言ってしまっていた。少年は意外なことに、面倒臭がらずに最後まで黙って聞いてくれた。
全部聞いたあと、少年は「はあ」と溜息をついた。
「貴族でも騎士でも平民でも、下っていうのは上がいるだけでもう軽く見られるよな」
「……あなたも、兄姉がいるの?」
「いない。ただ騎士団にいても、一番下だからって、なんでもかんでもとばっちりを受けるだけ。お嬢様ほどひどい目には遭ってないかもしれないけど、それを理不尽だ、不公平だとは、思ったりするよ」
そう平然と言ってのけた。それに思わずイヴリルはぎゅっとスカートを掴んだ。
「あなた、お名前は?」
「そういうのって、聞いてもいいものなの?」
「お姉様やお兄様がちゃんとなさってるから、私はいいの。私はイヴリル。あなたは?」
「あー……エルマー。エルマー・アンソニー」
「そう、またお話をしてもいい?」
「したければどうぞ。でも俺、そんなに面白い話なんてできないよ?」
「いいのよ。あなたは私の知らないお話を知っていて楽しそう。それに、私、他の子たちと楽しく遊べないと思うの」
そう言ったら、エルマーはどこか遠い目をしたが、やがて諦めたように肩を竦めた。
「仰せのままに」
それから、ふたりの時間はぐんと伸びた。
本来、貴族が貴族以外と交流をしていたら、なにかと陰口を叩かれるし、卑しい扱いをされるものだが、片や現場でずっと扱かれている騎士、片や下級貴族の末娘。周りがどうこう言ったところで、なんの影響力もないのだった。
乗馬に付き合ってくれるのも、ボール遊びを一緒にしてくれるのも、兄姉以外だったらエルマーしかいなかった。だからこそ、イヴリルにとってその時間はかけがえのないものであった。
いつしか、エルマーは訓練に訓練を重ねて、すっかりと身長も肩幅も大きくなり、イヴリルの前では同い年の男の子をしてくれるものの、現場に出た途端に銃騎士として毅然と戦えるようになっていたが、イヴリルは怪盗稼業を続けていなければ、そのことをすっかりと見落としていた。
幼馴染は異性であり、いつかは女の子を置いて成長していくのである。
そしてイヴリルは、そんな彼に惹かれている事実に、本当にこれっぽっちも気付かなかったのである。
****
目が覚めると、幼い思い出の頃から一転、見慣れた自室のベッドだったことに、イヴリルは思わず「最悪……」と言いながらゴロンと寝返りを打った。
怪盗コンスタントなんていう模倣犯に出会ったと思いきや、いきなり唇を奪われかけた。男の幼馴染と長いこと一緒にいときながら、ここまで男に対して危機感を持ったことはなかった。それを、エルマーに助けられてしまった。
それを思い返して、頬にどっと熱を持たせる。
(私……エルマーは生真面目で熱血漢で、なんかそういう……そういう奴だって思っていたのに)
一緒にいて楽しい。女の子の遊びが好きじゃないイヴリルに付き合ってくれる。騎士としての側面をイヴリルにはちっとも見せない。そんな彼のことが好きだなんて、本当にこれっぽっちも考えたことがなかったのだ。
(怪盗稼業をしていて、腐れ縁の幼馴染のことが好きだったなんて気付くとか、そういうのってあるの……?)
残念ながらイヴリルの趣味や気性の問題で、女友達というものはほぼほぼ皆無なため、誰に聞けばいいのかわからなかった。既に婚約済みの姉たちに聞いたら教えてもらえるかもしれないが、彼女たちはとにかくかしましいのだ。彼女の誰かひとりにでも告げたら最後、アリンガム家全域に噂が知れ渡った上に、王立学院の全く見ず知らずのご令嬢から「あなたは騎士様に恋してますのね、うふふ」と声をかけられること請け合いだ。彼女たちの口の軽さは、それも人の噂話に関する口の緩さは、全く信用ができなかった。
どうしようどうしようと、イヴリルがうだうだ考えている間に、自室の扉が鳴った。
「お嬢様、起きてらっしゃいますか?」
「は、はーい!」
慌てて飛び起きると、メイドが入ってきた。
「お嬢様、支度がお済み次第、旦那様がお待ちです。それと今日は学院を休むようにとのことです」
「はい? お父様から?」
アロイスは常に忙しくしているため、怪盗稼業はもっぱら隠居のアラスターと頑張ってやっているのだ。その忙しいアロイスからの呼び出しというのは、いささか引っかかるものがある。
しかもわざわざ学院を休めとは、どういうことなのか。
メイドに着付けられながら、イヴリルは首を捻ってしまった。
亜麻色の髪にはリボンが留められ、ドレスはいつにも増して気合が入っているのにも訝しがりながら、彼女は食卓へと向かっていった。
食卓ではアロイスとウィルマが言い合っている声が聞こえた。
「さすがにあの子にはまだ早くはありませんか? あの子ははねっ返りですし」
「だが他の子たちだって彼女の年頃では既に決まっていただろう? イヴリルだけまだなんていうのはよくない」
「ですが……」
普段から仲のいい両親の言い合いは本当に珍しい。
(ふたりが言い合うことなんてあんまりないんだけどな……)
イヴリルは恐る恐る、食卓に入っていった。
「おはようございます」
「おはよう、イヴリル。早速で悪いけれど、今日は顔合わせがあるからね」
「顔合わせって……なんのですか?」
アロイスはにこやかに笑うのに、イヴリルは嫌な予感を覚える。母が止めて父が強行することには、大概よからぬことが働くのだ。
「そろそろお前も婚約者が必要な時期だから、見繕ってきたんだよ」
「は、はあ……!?」
思わずイヴリルは悲鳴を上げる。
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