一度魔道具に成り代わられてしまった宝物は、魔法を自由に使えた時代だったらいざ知らず、既に魔法の存在すら忘れられてしまった現在では、宝物から魔道具を分離することなど不可能だ。

 だからこそ怪盗トリッカーは魔道具の鳥籠に魔道具を納めている。他の宝物の元に飛んで行ってしまわぬよう、他の宝物に成り代わらぬよう。そうでもしなかったら、また他の宝物が魔道具に成り代わられ、完全に消失してしまうのだから。

 しかしそんなことは、王宮魔術師だったアリンガム家だったらいざ知らず、他の貴族たちにそんな伝承は残っているんだろうか。


「……あなた、いったい何者なの?」

「予告状は新聞に出ていなかったかな? 私は怪盗コンスタント。全ての宝石を愛し、全ての宝石を手中に納めたいと考えている欲張りな怪盗さ」

「まあ……本当に欲張りさん」

(そうね……答えてくれる訳はないか)


 彼がどうして魔道具の秘密を知っているのか、どうして怪盗トリッカーの姿が見えるのか、どうして天使の雫を欲しているのか、今はどっちでもいいが。

 この魔道具を野放しにしておくことだけは、なんとしてでも阻止しなければならない。

 怪盗トリッカーは鳥籠を開ける。戸を開き、そのまま天使の雫を中に入れれば終わる……そう思ったが、その鳥籠にブワリ……と怪盗コンスタントのマントをかけられてしまった。どういう訳か、鳥籠の力、天使の雫を魔道具に戻す魔法が作動しない。


(このマントも……私の怪盗装束と同じで魔道具だっていうの!?)

「言ったはずだよ? 天使の雫は奪わせないと」

「……あなた、正気? これを野放しにしていれば最後、この区画全域の人々が、魔道具で正気を失うかもしれないのよ?」

「万人のために、たったひとつの宝石は失われてもかまわないと?」

「私は……そんなこと……!」

「言っていることとやっていることが一致しないね? そういうお嬢さんには……お仕置きが必要だ」


 そう言って、怪盗コンスタントは仮面を少しだけずらした。形のいい、肉付きの薄い唇が目に留まる。そのまま怪盗トリッカーに近付いてくる。

 吐息が近い。紅茶の芳香が漂う。


(な、に……この人……! 離して……!)


 鳥籠で頭を殴ろうとしたら、鳥籠ごと手首を締め上げられた。足は踏まれ、痛さで悲鳴を上げそうになるが、人を呼ぶと堪える。だが。

 彼からされそうになっているキスから逃れる方法が思い浮かばず、頭が真っ白になる。

 そんな中。

 あまりにも場違いな騒音が響き渡ってきた。


「本当にこっちなんだろうな!?」

「大切なものなんて、人には任せないさ。ましてやあれだけ稀少価値の高い真珠、傷まないようにするんだったら余計にね。だから自分の手元に置くはず。さしずめ、私室に隠し部屋でも丁重に片付けられているだろうさ」


 ……あれだけ宝石商に護衛を拒まれていたはずの、護衛銃騎士団のエルマーとクリフォードの声である。

 隠し部屋の仕掛けは開けっ放しだったため、さっさとエルマーたちが入ってきて、この光景を目撃されてしまう。


「……なにやってんだ? あんたたちは」

「やあ……勇敢な騎士くんたち。まさか宝石商を口説き落とせるとは思ってもみなかったけれど」

「口説いてねえよ。無理矢理入ってきた」

(……だろうね。エルマーはいっつもそうだもの。それにクリフォードが付き合うことのほうが驚いたけど)


 それでも怪盗コンスタントに締め付けられた手を振りほどくことができず、足も踏まれたままで身動きひとつ取れない怪盗トリッカーは、ちらちらと鳥籠を見る。


(マントさえどけてもらえれば……天使の雫を封印できるのに……)


 エルマーはいざ知らず、クリフォードは魔道具に当てられやすいことを知っている怪盗トリッカーからしてみれば、彼がまたしても正気を失うんじゃないかと、気が気ではなかった。

 怪盗コンスタントは面白そうに、乱入してきたふたりを眺めていた。


「おやおやおや、怪盗同士で話し合いをしているところで、無粋なものだね?」

「……怪盗トリッカーを確保に来たのに、まさか模倣犯までいるなんてな。しかもなんであんたまで捕まってんだよ、怪盗トリッカー」


 エルマーは銃の切っ先の銃剣を怪盗コンスタントに突きつける。


「天使の雫を返せ。そしてそいつを解放しろ」

「おやおやおや、怪盗を助けるとでも?」

「あのなあ……」


 エルマーは心底呆れた顔をした。なお、クリフォードは本気で見えていないせいで、「おい、どうなってるんだ!? 僕にはなにも見えてないが、ここに誰かいるのか!?」と騒いでいる。

 クリフォードの肩を叩くと、エルマーは短く言う。


「隠し部屋の出入り口を確保していてくれ。ここに怪盗トリッカーと模倣犯がいる」

「なっ!? ど、どこだ!?」

「なんか知らないけれど、俺は見えてるし聞こえてるのに、クリフォードは全然見えないし聞こえてもいないんだよなあ……とにかくこの部屋から出られないように、封鎖」

「……信じていいんだな?」

「ああ」


 それだけ言うと、慌ててクリフォードは隠し部屋の外の私室へと出て行った。

 そのタイミングで、エルマーは動いた。そのまま銃で怪盗コンスタントの脚を突き刺そうとすると、それを怪盗コンスタントは長い脚を仰け反らせて避ける。そのタイミングで、怪盗トリッカーの足が外れた。


「あっ……!」

「……怪盗とか模倣犯とか関係なくさあ……女の足を踏むなよ。砕けたらどうすんだよ」

「おや……君は紳士を語るのかな?」

「そんなんじゃなくって……不愉快ってだけだ……!」


 エルマーの銃捌きは思いの外凄まじく、普段幼馴染として近くにいても、彼の普通の王都学園の生徒としての側面しか知らなかった怪盗トリッカーは思わずポカンとしていたが、彼とやり合っている間に怪盗コンスタントのかけたマントが取れたことに気付く。


(今はクリフォードがここにいない。彼が魔道具の魔力に当てられたらおしまいだ……早く魔道具を封印してしまわないと)


 天使の雫はたしかに美しく、宝石商としてもこれを盗まれたらしばらくは寝込むだろうが。だが。


(人の心と宝石だったら……人の心を取るよ、私は)


 怪盗トリッカーは鳥籠を開くと、そこに天使の雫をしまい込んだ。途端に、天使の雫は光り輝いたかと思ったらそれも一瞬。たちどころに消えてしまった。

 それに怪盗トリッカーはほっとひと息しつつも、現状を眺める。

 エルマーと怪盗コンスタントがやり合っている。エルマーの銃を怪盗コンスタントはマントで捌き、エルマーの蹴りを怪盗コンスタントは避けていた。エルマーの訓練された体術に対して、怪盗コンスタントはまるで闘牛士のような捌き具合だった。

 そして、隠し部屋はクリフォードにより封鎖されてしまっている。


(どうしよう……これで今日は撤収でいいはずなのに)


 怪盗トリッカーは鳥籠を持ってそろそろと隠し部屋から逃げようとする中。怪盗コンスタントとやり合っているエルマーと一瞬目があった。

 エルマーは時折イヴリルにも向けるような、心底不機嫌に唇を尖らせながら睨んできたが、やがてパクパクと唇を動かしてきた。


『いいからさっさと逃げろ』


 それに怪盗トリッカーは小さく頷くと、そのまま逃げ出す。

 エルマーにだけ聞こえるように、小さく言う。


『ありがとう、騎士さん』


 そのまま走り出した中、エルマーと怪盗コンスタントのやり合いは激しくなり、とうとう銃声まで響きはじめた。それに怪盗トリッカーは唇を噛んだ。


(エルマーの馬鹿……あとで護衛銃騎士団の人たちに怒られたって……知らないんだから……でも)


 普段はカリカリしているし、変に熱血だし、変にルール遵守する、はっきり言って変な幼馴染だと思っていた。でも。

 怪盗とか泥棒とか関係なく、助けてくれた。思えば前に暴走したクリフォードを止めるときも、わざわざ自分から囮を買って出るような人間だった。

 怪盗トリッカーは鳥籠を撫でた。バラバラになってしまった天使の雫は、やがて形を取り戻して魔道具に戻る。家に帰ってきちんと封印し直さないといけない。

 護衛銃騎士団や私設騎士団がバタバタしている足音を聞きながら、怪盗トリッカーは屋根を走った。

 今は夜風が心地よかった。

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