貴族の末娘の縁談というのは、とにかく厄介だった。他の姉たちの嫁入り先と揉めないで、あまり面倒なしがらみがなくて、他の兄弟姉妹の面子を守るというのがある。自己主張が強い娘であったら、自ら起業することもあるのだが、今も昔も男尊女卑が幅を利かせているため、本当に強い意志がなかったら、自立の際に折れてしまう。

 理屈ではイヴリルがしばらくの間放置されていた理由はわかってはいるが。気持ちの上ではちっとも納得していない。


「……怪盗稼業はどうするの? まだ魔道具を全部回収できてないわよ? お兄様もお姉様たちも手伝ってくれないのに……」

「ああ、それだけどね」


 アロイスは「本当に苦労した」と言いながら続けた。


「どうにかこうにか、王宮魔術師の系譜を確保してきて、我が家と似た境遇を探してきたんだよ。うちは本当に魔法そのものが使えなくなってしまったし、魔法が利かないくらいしかなくなってしまった家系だけれど、中には今でも魔術を残している家があるかもしれないとね。そこで、ようやく見つけたんだよ。郊外、だけどね」

「郊外……」


 イヴリルたちは父の仕事の都合で王都に住んでいるが、昨今の貴族は郊外で家を持つのが流行りである。

 ただ、魔道具回収のためにも、イヴリルは郊外になんて行きたくなかった。


「ますます……回収できないじゃないの」

「だから最後まで聞いておくれ、イヴリル。その家には、話をする際に魔道具の話も持ち掛けたのさ。そしたら、向こうもずいぶんと乗り気になってねえ……魔道具回収を任せられそうなんだよ。それなら、お前はもう面倒な怪盗活動をしなくてもいいし、魔法に対して理解のある伴侶を得られる。いいこと尽くしじゃないか」

「でも……でも……」


 頭がぐわんぐわんとする。イヴリルはようやっとエルマーへの気持ちを自覚したところなのだ。それをいきなり無視して婚約がまとまり、怪盗稼業も取り上げられる……。

 それに対してウィルマが「もう、あなたったら」と苦言を呈す。


「この子も乗り気じゃありませんし、まだ学校を卒業するのだって時間がかかりますから。そんなこと急に言われても困るでしょうが。それにいくら同じような魔法に関連のある家とはいえど、魔道具は我が家のものなんでしょう? お義父様とお話しはされたんですか」


 ウィルマに一蹴され、アロイスはぐうの音を上げる。


「と、父さんにはきちんと話をするさ。だが、これ以上いい縁談がイヴリルに来ることは……」

「それを決めるのはイヴリルでしょうが」


 またふたりが揉めはじめたのを見て、だんだんイヴリルも冷静になってきた。


(……お母様は私の縁談に乗り気じゃないみたいだし、顔合わせで思いっきり相手に嫌われて、先方から断られたら、波風は立たないかな? お父様もおじい様に話をせずに勧めちゃったみたいだし……魔道具回収だって、元はうちの家の問題だもんね)


 そう話を決めると、顔を上げた。


「顔合わせはいつから?」

「ああ、イヴリル! 乗ってくれるかい?」

「顔を合わせるくらいならば。それに、先方が断るかもしれないから」


 思いっきり含みを込めて言うと、途端にアロイスは「ほどほどにするんだよ?」とうろたえ、ウィルマに「そりゃそうでしょう」と返される。

 ふたりのやり取りに思わず笑いが込み上げながらも、イヴリルはいかに先方に嫌われつつも、父を傷つけずに縁談をお断りされるかについて、真剣に考えはじめた。


   ****


 馬車に乗ってしばらく。

 貴族同士の社交の場として貸し切られるコテージを訪れた。郊外住まいであったら自宅に招いて、庭でお茶を飲みながら縁談を勧めるのだが、王都住まいだと屋敷の関係上、なかなか縁談をするふたりを、ふたりっきりで語らわせる場所がないため、コテージに出かけて行われている。

 コテージの庭で咲き誇る季節外れのバラを眺めていると、先方らしき馬車が既に留まっているのが目に入り、一気に憂鬱になる。


(王宮魔術師の家系の人らしいけど……どんな人だろう。年齢すら聞いてないし)


 貴族の末娘の縁談は、下手をすると先方が再婚だったり、年齢差がひど過ぎたりする場合があるため、話が全く合わないこともある。

 どこに住んでいてもかまわないから、せめて年齢くらい近いといい。そうイヴリルが切に祈っていたところで、こちらに歩いてくる姿があった。

 パリッとしたドレススーツの似合う、少年と青年の間くらいの年齢……それこそイヴリルとあまり年の変わらない様子の人であった。


「ようこそお待ちしておりました、アリンガムさん。愛らしい方ですね」


 イヴリルをひと目見た途端に、歯の浮く台詞を言い放ったのに、イヴリルはゾワゾワッと背中が粟立つのを感じた。


(なにこの人……気持ち悪っ)


 そもそも少女趣味が皆無なイヴリルは、その手の気障な言動はてんで駄目であった。イヴリルが顔をしかめたのに、彼はくすくすと笑う。

 どうも同年代の男子たちよりも余裕を漂わせている。


「お初にお目にかかります、私はトラヴィス・ヒギンボトムと申します。私とイヴリルさんは遠縁……ということになっておりますね」

「そ、そうだったの……」


 たしかに遠縁であったのなら、同じように先祖が王宮魔術師である可能性もあるのだろうとイヴリルは納得した。父が思いっきり実家の魔道具のことを口を滑らせたことはさておいて。

 イヴリルがひとりでクルクルとどうにかこの場を切り抜ける方法を考えている中、トラヴィスは妖艶に笑った。その含み笑いは、とてもじゃないが同年代とは思えない質のものだった。


「婚約がそんなに嫌で? そこまで視線を背けられると残念です。魔道具の回収も、私が行いますが」

「……魔道具が王都中に散らばったのは、私のせいだもの。それを全部トラヴィスさんに丸投げするのは、違うんじゃないかしら……?」

「そこまでお人よしだから、簡単に唇を奪われかけるんじゃないですか?」

「……っ!」


 イヴリルは思わず仰け反った。彼女が男から唇を奪われかけたことなんて、一度しかない。思わずトラヴィスを睨みつける。


「あなた……まさか……」

「魔道具で姿かたちをわからなくし、それで怪盗稼業を続ける。たしかにそれで一般人は騙し通せるでしょうが、魔術師の血を引く者には、魔力の耐久性がありますからねえ。そんなことをしても見えてしまうんですよ。あなたの魔道具頼みの怪盗稼業では、いずれ銃騎士団に見つかっても仕方がないと思いますけどねえ。素直に、私と婚姻を結んで、私に全部委ねてくれたほうがよくありませんか?」


 そう言ってトラヴィスは彼女の顎を掴もうとするが、イヴリルは思わずその手を大きく払いのける。


「嫌よ……! たしかに私は怪盗稼業をするには下手でおぼつかなくてだめかもしれないけれど……あなた怪盗稼業を楽しんでるじゃない……!」


 怪盗コンスタントは、宝石専門の怪盗だ。そもそも怪盗トリッカーと違って怪盗稼業で胸を全く痛めていない。

 もし魔道具の魔力に当てられた人たちがおかしな行動を取ったらどうしよう。もし魔道具のせいで誰かがむやみに傷ついたらどうしよう。同じ魔道具の回収でも、痛みに理解があるのとないのとでは、結果は変わってくるはずだ。

 イヴリルの発言に、一瞬トラヴィルは目を丸くしたものの、やがて双眸を細める。


「ずいぶんと健気な方だ、イヴリルさんは」

「……なんだか馬鹿にされている気がするんだけれど?」

「そんな、私は褒めているつもりですよ。そうですね……しかし我が家も婚約をまとめたいため、ここですぐに『はい了承しました、婚約を白紙に戻しましょう』とは参りません」

「……っ」

「ですから、私と賭けをしませんか? もしあなたが賭けに勝ったら、私が父を説き伏せて婚約を白紙に戻しましょう」


 そのトラヴィスのにこやかな表情に、イヴリルはザラリとしたものを覚える。


「……なにをするっていうの?」

「簡単です。どちらが怪盗として優れているか、競争しましょう。あなたのほうが優れている場合、私がわざわざあなたの代わりに魔道具を回収する必要もない訳ですし、あなたの家も諦めがつくのでは?」


 トラヴィスの提案に、イヴリルは思わず彼を睨みつける。

 彼女が指摘した通り、やはりトラヴィスは怪盗稼業を楽しんでいるのだ。とてもじゃないがイヴリルと相性がいいとは言えない。


(でも……私のほうが向いていると証明できれば、この人との婚約もなかったことにできるし、お父様にも諦めてもらえる?)


 元々ウィルマは反対している婚約だし、なによりも先代であるアラスターへの了承を求めていない見合いの席である。ここで怪盗として勝てば、母と祖父がふたりがかりで父を言い任せることが可能かもしれない。


「……わかったわ。それ、乗ります」

「そうですか、ありがとうございます。最高の夜にしましょうね、怪盗の夫婦が誕生するというのも、面白いでしょう?」

「私、絶対に勝つわ……あなたのこと、好きになれそうもないもの」


 イヴリルはそうプイッとそっぽを向いて告げた。

 初恋を思い知った日に、婚約を決められた上に、全然相性のよくない相手のところに嫁ぐのは、絶対にごめんこうむる。イヴリルはそう、怒りで闘志を燃やした。

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