2
その日、アラスターに告げられた魔道具の出現地点は美術館だった。
「貴族の屋敷に留まってくれればよかったのに……よりによって王立美術館の女神像に成り代わってしまったんだよ……」
溜息交じりに言われて、イヴリルは頬を引きつらせた。
女神像。元は有名美術家がつくった像であり、人が嫉妬に囚われたときに諫めに現れるという意味があるらしい。王立美術館に収納されているだけあり、この価値は既に金に換えられるものではない。
「私、これ盗み出さないと駄目なの……?」
イヴリルは当然ながら涙目になるが、それにはアラスターは「そうだ」ときっぱりと言い切る。
「美術館というものは、どうしても嫉妬が溜まりやすい。その嫉妬の澱みを魔道具につつかれてしまったらどうなるか、こちらだって予測ができない」
「美術館って、そんなに嫉妬が溜まりやすいものだったっけ……?」
基本的に王立美術館は無料であり、平民貴族関係なく、美しいものに触れるようにという精神で開放されている。そこに嫉妬が溜まるというのが、いまいちイヴリルにはピンと来なかったが。アラスターは「そりゃそうだ」と言う。
「王立美術館にでも納められなかったら、どれだけ著名な芸術家であったとしても、自作が焼き払われてしまったり、外国に売り飛ばされてしまうリスクだってある。おまけに王立美術館にある作品は、全て後世に残すと国が決めたもの……無名でどれだけ実力はあれども認められなかった者からしてみれば、たまったものではないと思うよ」
「……実力があったら、認められるものではないの?」
「イヴリル、覚えておきなさい。我が家だって、元を正せば王宮魔術師の家系だけれど、表向きは魔法がなくなってしまった現代では、我が家の価値だって忘れられてしまったんだよ。実力があれば認められるなんていうのは、時勢を絶えず読み切れた者だけが言い切れることであり、王宮魔術師である先祖ですら、それらを読み解くことができなかったんだよ」
アラスターの言葉に、イヴリルはしゅんとなってしまった。
魔道具は絶えず人に影響を与えてしまうというのに、肝心の魔術師や魔法の存在だけは忘れ去られてしまった。だからこそ魔力に抵抗力を持つアリンガム家の人間でなければ、魔道具の回収はできない訳で。
「……わかったわ。盗んでくる。でもおじい様。ちょっと学園で困った話を耳にしたの」
「なんだい、イヴリル」
イヴリルは学園でやり合っていたエルマーとクリフォードの話を、一部始終伝えた。それにアラスターは顎に手を当てた。
「それは参ったね」
「どうしよう。護衛銃騎士団だけだったら、私の怪盗装束で隠れられるけれど、エルマーはそもそも怪盗装束の見えなくなる力が通用しないでしょう? そんな中で探偵まで入ってきたら……」
「いや、エルマーくんが怪盗装束の力が効かないのは、おおよそ納得はできるからいいとして。問題はそのクリフォードくんだね」
「やっぱり探偵にいろいろ見透かされてしまったまずい?」
「そちらではないよ」
そうアラスターにきっぱりと言われて、イヴリルは困った顔をする。
(どういうこと? エルマーに魔道具の魔力がちっとも効かないことも気になるけど……クリフォードが探偵じゃなくても気になるの?)
意味がわからず困っていたら、アラスターが告げる。
「他の魔道具のときだったらいざ知らず、よりによって女神像だなんてね。しかも場所が王立美術館というのが最悪だ。イヴリル、悪いことは言わないから、盗み出したら即離脱しなさい。今回は予告状を送らないから」
「え……予告状を出さないの?」
日頃は、魔道具の魔力に当てられた人たちを保護してもらうためにも、わざわざ予告状を出した上で怪盗稼業を行い、護衛銃騎士団から逃げ回るのが怪盗トリッカーの仕事であった。しかし本当に珍しくアラスターが焦っている。
アラスターは皺の寄った額に手を当てながら言う。
「予告状を出して、護衛銃騎士団の数が膨れ上がり、そこで嫉妬を魔道具で増幅されたら……本当に最悪な話、王都が血で染まる」
その言葉に、イヴリルは引きつった。
たしかに何度も何度も銃から逃げ回ったことはあれども、銃で死傷者が出たことはなかったのだ。それが今回ばかりは勝手が違うと言うのだ。
「どうして? 今回は中止したほうが」
「先程も言っただろう。これ以上王立美術館に魔道具を放置はできない。いつもよりも念入りに魔道具を準備してから、行きなさい」
「え、ええ……」
イヴリルは心臓がシクシクと痛むのを感じながら、アラスターの指示のままに荷造りをした。
気がかりなのはクリフォードもだが、エルマーもだ。
(いつもおかしなことにならなかったからいいけど……エルマーも銃撃戦に巻き込まれてしまうの?)
やけに暑苦しいし、生真面目だし、どうにもイヴリルを年相応の女子に見ていない部分が目立つが。それでも幼馴染なのだ。
イヴリルは女神像を盗まれて悲しむだろう王都の人々を見なかったふりをして、王立美術館へと向かうことにしたのだった。
****
王立美術館周辺は予告状を出したときのように道路こそ封鎖されてはいないものの、日頃のように護衛銃騎士団が警備しているのが見えた。
怪盗トリッカーは時計塔から望遠鏡で確認する。
「今晩はエルマーたちもこっちの護衛みたいね……当然ながら一階から行くなんて無謀な真似はできないとして……王立美術館の二階はと」
王立美術館ゆえに護衛銃騎士団が配置されているだけで、今回は予告状すら送っていない。
そのため二階の屋根には、当然ながら護衛銃騎士団は配置されてはいない。普通だったらそこから侵入を試みようとするが。
怪盗トリッカーが気にしているのは、エルマーとクリフォードの存在であった。
(今回難しいのは、王立美術館だから、普通に中に護衛銃騎士団の配置ができるってことよ……そうなったら、当然エルマーは女神像の前にいるはず。彼にはなぜか魔力による悪影響が効かないから、暴走することなく私に向かってくるはず。それに……クリフォードの場合はどうなるのかしら?)
今まで、怪盗トリッカーの怪盗活動に探偵が捜査に関わったことがない。有名なヘイウッドの次男が王都を離れているときに怪盗活動をしていたということもあるし、そもそも今までの怪盗トリッカーの怪盗活動をする場が貴族邸内だったものだから、下手に民間の探偵が立入できなかったというのが大きい。
クリフォードの存在をどう取るべきか、怪盗トリッカーも判断に困っていたのである。
(でも……ここで止まっていても駄目ね。正攻法で行きましょう。あくまで怪盗、としてのだけど)
そう結論をまとめると、怪盗トリッカーはそのまま時計塔から飛び降りた。
既にアラスターの助言や、兄姉たちの助言により、護衛銃騎士団の行動パターンは読めている。エルマーやクリフォードのような騎士見習いならともかく、正騎士たちはふたりひと組で行動している。
怪盗トリッカーは、王立美術館の敷地ギリギリまで出て警備している人々のギリギリ近くまで行くと、風船を膨らませた。ちょうど彼女の大きさになったところで、画鋲を一気に突き刺した。
パァーンッと、人気のない道路に向かって音が響く。
「何者だ!?」
「すぐ確認を……!!」
そこで慌てて道路まで護衛銃騎士が出てくる。怪盗トリッカーは、それめがけて、次の魔道具を投げる。
「ごめんなさいね……これも、女神像を盗み出すためだから……!」
彼女が投げつけた魔道具は、眠気を誘うもの。顔全体を覆うような仮面でもしてない限り、直接吸ったらたちまち眠ってしまう。
やってきた護衛銃騎士団の内、彼女と背丈の近い人を選ぶと、その人をずるずる引きずって路地裏に寝かせた。
「ごめんなさい……」
そう言いながら、その人の服を脱がせると、そのまま着替えてしまった。
本来、仮面を付けたまま銃騎士団の制服を着ていれば怪しく見えるものだが。この仮面をつけたまま、他人の着ていた服を着た場合、周りはその人そのものとしか認識できなくなる魔法がかかっている。
もっとも変装の魔法にも弱点が多い。他人が来ていた服の温度が残っている間でなければ変装はできず、服の持ち主の温度が完全に消えてしまった場合は元に戻ってしまう。その上他人の温度が必要な場合は必ず他人を脱がせる必要があり、おびき寄せたり眠らせたりしないといけないため、服一式を引っぺがすのにも手間暇がかかる。
(今が真冬じゃなかったからよかったけど……真冬だったら怪盗トリッカーの罪が殺人未遂で加算されるんじゃないかしら……)
さすがに裸で放置するのも忍びなく、怪盗トリッカーは上に飛んできた新聞紙を被せておく。そのまま銃騎士たちに紛れていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます