「先程の音は一体!?」

「それが……現場に先行して向かった者たちが全員倒れておりまして。向こうに毒薬でも使われている可能性があります!」

「おのれ怪盗トリッカー……! 今まで毒など使ったことなどなかったのに、とうとう手段を択ばなくなったか! 医療班、マスク着用の上で、すぐに現場に急行!」

「はっ!」

「君も体に問題がないか確認のため、向こうの待機班で医療班の診察を受けるように」

「ありがとうございます!」


 怪盗トリッカーは護衛銃騎士の格好のまま、待機班のほうに向かうふりをして、王立美術館の前方を守っている人々のほうへと向かっていった。


「交代だ」

「……君はひとりか? 我々はふたりひと組のはずだが……」

「それが、先程怪盗トリッカーに相棒がやられてね」


 怪盗トリッカーの声は甲高いが、変装の効果で声は低く男のものだ。しかし、あと数分で効果も切れるのだから、それまでになんとしても中に入りたい。

 彼女の言葉に、前方の人々は顔をしかめた。


「まさか、待機班のほうにまで被害が?」

「ああ……今はハチの巣をつついたような大騒ぎさ。ここのほうが安全かもわからない」

「……わかったよ、心して行ってくる。君も気を付けたまえよ」


 そのまま待機班の無事を確認すべく走り去っていく人々を見ながら、怪盗トリッカーは騎士団服を脱ぎ捨てる。

 地図を確認してから、怪盗トリッカーは走り出した。


(エルマーには魔道具が効かないから……なんとかして彼をどかさないと)


 また誰かを襲って騎士団服を奪うべきか。怪盗トリッカーはそう思案しながら走っている中。


「──、落ちた、落ちた」

「よし」

「しかし、これって意味があるのかい?」


 護衛銃騎士団は、案の定国立美術館内にも入っていた。怪盗トリッカーは彼らの会話に耳を澄ませる。


(それにしても……聞き覚えのある声が混ざってる……クリフォード?)


 そっと様子を窺うと、騎士団服に袖を通したクリフォードがたしかに混ざっていた。彼は誇らしげな顔をして、上官らしき騎士団たちに自説を語っている。


「怪盗トリッカーはおかしな手品を使うと聞いています。それならば、怪盗が変装してないとも限らない。それならば合言葉を決めて、交代のたびに確認すべきだよ」

「しかし……今まで変装して侵入されたことは……」

「今までは、貴族邸に侵入していたのだから、護衛銃騎士団ではそれぞれの屋敷内まで護衛をしたくとも許可が降りずにできなかったよね? でも王立の場所ならばその限りじゃない。どうかな?」

(ばれてる……)


 思わず怪盗トリッカーは頭を抱えてしまった。


(お兄さんが探偵とは聞いてたけど、クリフォード自身も充分推論だけでやっていけるくらい頭いいじゃない。どうする? また爆発事故みたいなのを起こして、それで人を引き付ける? ……エルマーが来るかもしれないしぃ……)


 今の怪盗装束だけで、魔力なしの人間ならば誤魔化されるが、どういう訳がエルマーには見破られてしまうもんだから、エルマーに見つかるのが早いか遅いかの違いなのだ。その上今回は頭のいいクリフォードまで出し抜かないといけない。


(……このまんま行ったら、もう強行突破で押し進むしかないんじゃないかしら)


 アラスターも指摘していた、このまんま放っておいたら女神像がどう周りに悪影響を及ぼすのかがわからない。わからない以上、さっさと回収するしかない。

 怪盗トリッカーは勇気を出して、そのまま走りはじめた。やはりというべきか、走っているだけならば、彼女の着ている怪盗装束だけで、誰も彼女に気付くことはない。

 地図で確認した女神像の近くに差し掛かったとき、彼女はその像を見て唖然とした。


「綺麗……」


 真っ白なエンパイアドレスを着た女神の姿は神々しく、その微笑みは誰もが目を見張ることだろう。怪盗トリッカーは思わず見惚れてしまったが、我に返って鳥籠を開ける。


「お願い、早く入って……!」


 怪盗トリッカーが女神像に触れ、成り代わった魔道具を鳥籠に入れようとしたときだった。パァンパァンと銃声が響き渡る。


「怪盗トリッカー、やはりここにいたな!?」


 案の定と言うべきか、銃を構えたエリマーが走ってきたのだ。それに怪盗トリッカーは舌打ちをする。


(やっぱりエルマーが来ちゃったか……でももう、女神像さえ確保してしまえば、あとは魔道具に戻して鳥籠にしまえる……そうなったらもう、魔力に当てられて人も暴走しなくて済むし)


 怪盗トリッカーはそう算段していたのだが、こちらに他の者たちも走ってきた。


「どうした!?」

「はい、怪盗トリッカーを発見しました! 確保に向かいます!」

「……怪盗トリッカーがいるんだな? わかった、確保はエルマーに任せる」


 その会話に、怪盗トリッカーは冷や汗を掻いた。


(やっぱり……エルマーには私の姿が見えていても、他の人たちにはこんなに至近距離に来ていても見えていないんだわ……エルマーひとりだけだったら、まだ対処できるかもしれないけど……)


 しかし、他の銃騎士に見えていないだけで、銃を構えているエルマーを相手どらなければいけないのだ。なにか彼の気を散らさなければ、ここから逃げ出すことは不可能だ。

 怪盗トリッカーが歯を噛みしめたときだった。フラリ……とこちらになにかが寄ってきた。


「エルマー、君は怪盗トリッカーを見つけたのかい?」


 先程逃げてきたクリフォードが現れたことに、怪盗トリッカーだけでなく、エルマーまで訝し気な顔をした。


「クリフォード、お前はここの管轄じゃなかっただろう!? それに怪盗トリッカーは今目の前に……」

「君まで裏切るのかい?」


 昼間に聞いた彼の声よりも、明らかに湿度を帯びた声であった。しかしエルマーには本気でわかっていないらしく、彼はまたも「だからなに言ってるんだよ」とすげなく返す。

 しかし怪盗トリッカーにはこの会話で、クリフォードの異変に気付いてしまった。


(しまった……エルマーが来たから焦って女神像を回収できなかったけれど……もうクリフォードが魔力に当てられてしまっている……)


 魔道具による人の心身の暴走。それは魔道具の置かれた場所によりまちまちだが、王立美術館は一見すると華やかな場所ではあるがその実、祖父のアラスターの指摘通り嫉妬の煮凝りのような場所だ。

 妬み、嫉み、歪み……。人間誰しもわずかに持っている感情な上に、クリフォードはそもそも偉大な兄をふたりも持つ末っ子。みそっかすに甘んじていた少年の矜持にわずかに混ざっている嫉妬を魔道具で突いたらどうなるのか。

 ……燻った嫉妬心が、暴走する。

 クリフォードは銃を構えると、それを闇雲に打ちはじめた。パァンパァンと音が響く上に、怪盗トリッカーにはかすりもしない。


「おい……! だから、怪盗トリッカーはそこには……!」

「ああん、もう! うるさいな!? 君まで僕を馬鹿にするのかい!?」


 エルマーからしてみれば、普段の格好つけなクリフォードしか知らないのだから、彼の変貌ぶりには困惑しかないだろう。しかし怪盗トリッカーには、彼の変貌の理由がよくわかっている。


(やっぱりクリフォード……ご家族のことが原因で、嫉妬が暴走しているんだ……!)


 本当ならば、彼が暴走してエルマーに八つ当たりしている間に、女神像を盗み出せばそれで終わるはずだし、クリフォードの暴走だって収まるはずだが。闇雲に打ち放つ銃弾が、女神像以外を傷つけていく。

 近くにかけられていた絵の額縁が、壁面にかけられた剣が、銃弾で傷ついていく。これを無視して女神像だけ盗んだとしても、ことは収まるんだろうか。


(せめてクリフォードを気絶させてからでないと、被害が……被害が……!)


 本当ならば、わざわざ見えるような真似はしたくないし、援軍が来た場合取り囲まれる危険があるが。それでも一旦彼を納めないといけなかった。エルマーはどうにかクリフォードに近付いて彼を羽交い絞めにしようと柱に隠れているところに、怪盗トリッカーは近付いて行った。


「騎士さん、お手伝いしましょうか?」

「はあ!? 手伝いってなにを!?」


 相変わらずエルマー自身は魔力がないせいで怪盗トリッカーの隠蔽魔法を破ることはできないが。怪盗装束の隠蔽魔法は、解くことができる。しかしこれを解いたからと言って、怪盗トリッカーが捕まってしまったら、そもそも女神像の回収は成功しないのだ。


「私を捕まえたいのでしょう? 今の彼、私のことが見えていないみたいだから、彼に見えるようにしてあげる。そうしたら、彼は十中八九私に標的を変えるから……彼の視線が逸れている間に、騎士さんが彼を止めなさいな」


 怪盗トリッカーの提案に、エルマーは押し黙ってしまった。


(そりゃそうか……エルマーからしてみれば、クリフォードを止めるために、捕縛対象と手を組めって言っているようなものだものね。でも……)


 正直、全部無視して女神像を盗めば話は終わるはずだが、それを怪盗トリッカーはよしとはできなかった。


(……私、クリフォードの気持ちわかるから、彼の気持ちをそのまんま蓋して、なかったことにしちゃっていいの?)


 エルマーはアンソニー家の長男だから、末っ子であるクリフォードの気持ちを理解できないかもしれないが、大家族の末っ子である怪盗トリッカーは、少なからず彼には同情してしまっていた。


(一番目のお兄さんが立派な女王直轄騎士団所属の騎士様で、二番目のお兄さんが優秀な探偵だったら……クリフォードだってお兄さんたちの猿真似にならない手柄を手に入れなかったら、立つ瀬ないもんね……わかるよ。だって私だって)


 イヴリルは婚約ひとつ決まっていないみそっかすだ。そもそも怪盗稼業だって、婚約やら仕事やらで忙しい兄姉ができないからやっているが、その実。なにもできない末っ子にだって意地があると、兄姉たちに知らしめたかったからだ。

 だからこそ、嫉妬で暴走してしまったクリフォードを他人事とは思えず、臭いものに蓋をして、彼の暴走を取り上げてしまうことができなかった。

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