8話「油断大敵」


 少しだけだが、独り言を話させて欲しい。


 まるで、誰かに語り掛ける様な口調で凱亜は心の中で1人考える様にして話し始めた。

 勿論だが、この言葉が誰かの耳に入る事は決してない。


 何故ならこれはあくまで心の中で喋っている独り言。


 ましてや、誰かが盗み聞きしている事なんて有り得ない。



 半場、勢いな形でゴブリン退治のクエストを受けたまでは良かった。


 しかし受けたまでは良かったのだが、武器もろくに持たずに挑んだ自分達を今になって恨みたくなった。


 第一武器が無い。

 あるのは僕の持っているナイフと虚仮威し棺桶だけだ。

 ナイフは本来護身用に受け取った物であり、解体や切断、殺傷用にも使う事の出来る便利な道具だ。


 武器としても使えるが、致命的なのはやはりそのリーチだ。

 槍よりも、剣よりもそのリーチは短くかなり敵に接近しなければ何の使い用途も存在しない。


 ましてや投げナイフの感覚で投げてしまえば、そのまま敵に突き刺さって帰ってこない可能性だってある。


 投擲武器としての力もあるにはあるが、如何せん一本しかない為、投げるなんて以ての外だ。


 ボールを投げる感覚でポイッと投げてしまえばたちまち丸腰と化する。



 それに、一応見掛け倒しとして購入した棺桶だって使い道が今の所意味不明だ。


 大体、武器にしても使い道があまりにもなさ過ぎる。

 今の所、見掛け倒しか本体で無理矢理殴打ぐらいしか使い道がなさそうな所だ。


 それなりに軽量で、鎖が手網の様にして取り付けられているので鉄球や鎖鎌の感覚で振り回す事も可能だが。



 ◇◇



 そしてシルヴァに関してなのだが、彼女に至っては素手で戦うつもりらしい。


 本人曰く……。



「戦いは拳だ。武器なんて使うよりも、殴って制圧する方が早い!」



 と、自信満々で揺るぎない表情でニコッと言っているので問題無い様だが…。


 お金が溜まったら、籠手やメリケンサックでも買ってあげる事にしよう。

 防護もしないまま、素手でモンスター相手に殴らせるのも気が引ける。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 さて、街を出て国周辺を覆う敵や魔物からの侵入を防ぐ為の高い石造りの壁を抜けた2人は、異世界にありがちな平原へと足を運んでいた。



 木々や草が生えており、死角も至る所に存在している。


 少しでも気を抜いてしまえば、背後から一撃で仕留められそうな程だ。


 気は抜けない、凱亜は冷や汗を僅かに垂らしながら呟く。


 一応、敵からの先行襲撃に備えて左手でナイフで握り締め右手を空けておき、いつでも棺桶で対応出来る様に身構える。



 しかし、そんな堅実な凱亜とは異なり…。



「オラァ!下等生物共!さっさと出てこい!」



「おい、シルヴァ!大胆に立ち回り過ぎだ!」



「心配するな、マスター。劣りしか見せない下等生物共に、私が…」



「ギギギィ!」



 と、うつつを抜かしていたシルヴァであったがまるでお約束の様にしてゴブリンが数匹視覚外から容赦なく襲いかかってきた。


 やはりか、緑色の体色、それなりに古びた布の服装、そして手には小型の剣や戦斧が握られている。



「危ない!」



 咄嗟の事で、多少の動揺。


 初めての経験、ゲームと創作の中でしか起こりえなかった出来事。



 たったそれだけの小さくて些細な事が判断を僅かに鈍らせる。



「え、しま…!」



「ギギギャァ!!」



 刹那、先程まで下等生物と見下していたゴブリンは人間よりも素早い程の瞬発力で、凱亜ではなく優先してシルヴァの事を狙う。


 凱亜には、まるで目もくれず美しいシルヴァの事を真っ先に狙おうとしていたのだ。



「たかが五匹!全員顎を砕いてやる!」



 しかし、シルヴァも負けてはいなかった。

 目の前に現れた五匹の内の一匹にシルヴァは強い殺意を向ける。


 拳を固く、血が流れる程に握り締めるぐらいに握るとそのまま正面に向けて正拳突きを容赦なしに放った。



「潰れちまえ!」



「ギャウ!」



 シルヴァの放った正拳突きは正に神速の如く素早い速度だった。


 ゴブリンは目の前の女にしか集中出来ていなかった為に、内の一匹は彼女の正拳突きに対応する事が出来なかった。


 刹那、ゴブリンの頭部がまるで潰された様にして無惨にも吹き飛んだ。



「雑魚が!」



「おい、後ろ!」



 一匹は確かに、確実に殺した。


 しかしこの場所にいたゴブリンの数は全部で五匹だ。

 一匹確実に処理した所で、まだ四匹残っているのだ。



「な、まだ!?」



 ゴブリンの一番恐ろしい事は、個々の強さではなく集団での圧倒的物量だ。


 確かにゴブリンは一匹だけならそこまで高い戦闘力を有する事はない。

 しかしそれが何匹もいたらどうなる。数の暴力、それがまるで波の如く襲い掛かるのだ。



 シルヴァは内一匹に気を取られてしまい、後方に回り込んでいたゴブリンによって組み付かれる。



「やっ、離せ!」



 そのまま四匹に同時に掴まれてしまったシルヴァはゴブリンに体を押さえ付けられたまま地面に倒れてしまう。


 勿論、もがいたり暴れたりして抵抗するもののゴブリン四匹の力は凄まじく、女性であるシルヴァでは振り払う事は出来なかった。


 抵抗虚しく、彼女はゴブリンによって押さえ付けられると同時に刃を突き立てられるのではなく、彼女の衣服を躊躇無く破いていったのだ。



「やはりか!」



 ビリビリと、彼女の身に付けている古びた衣服が裂けていく音が無常にも響く。



 ゴブリンと言うのは、いつの時も女性をこうやって押さえ付けた挙句乱暴しようとするのだろうか。


 美しいから?


 肉体が魅力的だから?



 そんな事を考えている暇があるのなら、助けるべきだ。

 凱亜の目は、他者を跪く程の強い殺気を目に宿らせる。


 それと同時に、凱亜は右手に握り締めた鎖に固定された棺桶を鉄球を振り回す感覚で振る。



「くたばれ…」



 僅か一瞬、人の目では捉えられない程のスピードで凱亜は躊躇いも無く棺桶を振るう。



 先程まで、シルヴァを押さえ付けていたゴブリンは今から彼女を犯せるとでも思っていたのだろうか。


 そんな小さくて馬鹿馬鹿しい考えをしていたせいなのかは、後ろから迫っていた凱亜の殺気に気が付く事は出来なかった。



 生きていたはずのゴブリンが、気が付いたら一瞬で死した肉塊へと姿を変えていた。



 一瞬だけだが、凱亜は完全に悪魔と呼べる程に恐ろしいオーラを醸し出していた。


 まるで、見つめ合っただけで恐怖と絶望に顔を歪めてしまいそうな程に人間を軽く超越する様な姿だった。



 しかしそれは正に一瞬。

 桜が咲き、僅かな時間で散っていく様にして、凱亜はいつもの少し気弱で頼りげない感じの青年へと時を逆行する様な形で戻ってしまう。


 ハッと、殺意の波動に目覚めた様にして異常な程の怒りと敵意を剥き出しにし、我を失いかけていた凱亜であったが、すぐに我に返った。



 すぐに我に返ると同時に、首を数回横に振ると、すぐに地面にへたり込む様にして座り込んでいるシルヴァの元に駆け寄った。



「大丈夫か…?」



 彼女は小動物の様に身を震わせ、凱亜に背中を向けたまま正面を腕を使って隠している。


 先程までは、ゴブリンの事をと罵っていたが、今はそんな事を言っていられる余裕も無さそうであった。



「……しっかりしろ」



 凱亜は彼女の傍に寄ると、優しげな手付きで彼女の肩に手を置こうとする。



「私を、見るなぁ!」



 後ろから触れようとした瞬間、彼女は涙混じりな声でそう叫んだ。


 表面上だけでは、頑張って怒りだけを前に押し出して、完全に強がって彼女は話している事が一目で分かる。


 しかし彼女の本心は、きっと怖かったのだろう。


 ブルブルと震えている彼女の体、ゴブリンに乱暴されかけてボロボロに破れてしまった古びた衣服。

 無惨にも破れ、所々美しく汚れが一切無い肌が露出してしまっている。

 しかし今の状態のままで彼女が立ち上がったら、彼女の服は間違いなくはだけるだろう。


 ただ被っているだけ、覆っているだけに過ぎず、衣擦れを起こしてしまえばその瞬間。


 彼女の肉体は公にされる事になる。



 みすぼらしく、そして健気で美しい。



「はぁ……ほらよ」



 軽く溜め息を吐きながら、凱亜は国の方から宛てがわれていたそれなりに良い素材で作られた上着を脱ぐと、彼女の体の上からその上着を被せた。



 服が殆ど破けてしまい、産まれたままの姿同然であったとしても体の大部分を隠す事の出来る上着なら、彼女の肉体を隠す事は容易だった。



「下等生物の分際で……!」



「ほら、立てよ。こんな所で泣いても、何も変わらん」



「な、泣いてなどいな…ひぐっ!」



 泣いてんじゃん、凱亜はそう心の中で呟く。


 蚊の鳴く様な声で、少しだけしゃくり上げている。


 目を数回擦っているのが、後ろからでも簡単に分かった。



(嘘をつくのが、下手だな…)



「服は新しいのを買おう。クエストも完了した事だ、戻るぞ」



 下手に言葉を増やす様な事で慰める事はせず、それだけの言葉を彼女に投げると同時に凱亜は素直に手を伸ばした。



「あぁ、油断大敵だな。次はもう失敗しない!」



 まだ彼女の目の周りは少し赤かった。やっぱり、隠れて泣いていたのだな。



「まぁミスは誰にでもある、気にするなよ?」



「言われなくとも、マスター。恥をかかせる様な事は今後はしない!」



 その言葉に、凱亜は軽く。


 そして小さな笑いを見せた。



「あ、マスター。今、私の事笑っただろ?」



「いいや、まさかね…」

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