第6話 見下ろす瞳
6.見下ろす瞳
登校初日は、小見尻にとって成功といってよいだろう。
本人も何となく学院に通う気になってくれた。
ただ、ここからが問題である。
通学するためにバスをつかうことは、ほぼ不可能だ。そこで、母親がたまの週末につかうぐらいで、物置の肥やしとなっていた自転車を活用することにした。ただ自転車で通学させようと思っていたが、新たな弱点が判明した。彼女は自転車に乗ったことがないのだ。
「うちもそんな余裕のある家じゃないから、二人分のバス通学は中々に大変。ということで、君には自転車に乗れるようになってもらう」
ボクの言葉に、怯えた表情を浮かべる小見尻だけれど、ここは心を鬼にしないといけない。
近所の公園へとやってきた。
母親のそれは電動だが、一先ず電気を切って、ふつうの自転車に乗れないと、話にならない。
自転車が苦手な人はハンドル操作と、ペダルを漕ぐ動作とが連動しない、と聞いたことがある。自転車に乗れるようになると、考えずとも体が連動するし、すぐ乗れる人も連動するのが速い。
小見尻は、どうやら基本的な運動神経はもつようだけれど、圧倒的に経験値が足りないようだ。
後ろから荷台を支えると、ジャージに着替えさせた小見尻の、可愛いお尻が目の前にあって……。
後ろにつくと、変な気になりそうなので、前にまわることにした。
「しっかりとハンドルをにぎって動かさない。まずは自転車を漕ぐ感覚だけを覚えるんだ」
ボクが前輪をまたぎ、ハンドルをにぎって彼女に自転車を漕がせるが、そうすると必然的にボクは後ろ歩きになる。彼女が安定して前にすすむのを面白がって、速度を上げようとすると……。
「ぎゃッ‼」ボクが轢かれるのも、必然だった。
「おぉ……、おぉ……」
普段からあまり声を発しない小見尻が、そんな呟きを漏らすほどに、それは刺激的な体験だったようだ。
何とか自転車に乗ることができるようになった。
「おおぉ……、おおぉ……ッ‼」と、さらに声が大きくなって公園の中をぐるぐると回りはじめた。
やっぱり、小見尻の運動神経は悪くないようだ。ただ電動をオンにすると、速度がでて、慣れていない彼女はハンドル操作を誤り、木にぶつかりそうになった。ボクが慌てて飛びこんで衝突といった大事故は避けられたけれど、彼女のことを抱き止める形となった……。
男性恐怖症で、暴れるぐらいに嫌がるかと思ったけれど、案に相違して彼女は赤い顔で俯いただけだった。
二人で二時間をかけて、服も破れるほどだけれど、何とか自転車通学できる目途だけは立った。
次にスマホを準備することにした。彼女はスマホをもっていない……どころか、触れたこともなかった。ずっと家にいたし、必要なかったからだ。固定電話も止まっていて、専らアパートに敷設されたWi-Fiをつかい、基本的な外部との連絡は済ませていたらしい。
スマホを必要とするのは、連絡をとる……ばかりでなく、未だにチャットでしかボクとは会話しない。彼女とコミュニケーションをとるためだ。
藍紗さんのお古のスマホに、格安SIMを契約して挿すことにする。ちなみに、契約などの手続きはすべてボクがしたし、何より操作に慣れさせるための教育までがボクの仕事となる。
一応、教科書は入学するときにそろえてあった。それで一人で勉強をした、ということである。カバンも学校指定はあるけれど、基本は自由なので、一先ずボクのもつ無難なカバンをもたせることにした。可愛くないので、きっと彼女的には不満だろうけれど、いずれ買いに行く約束をして納得させた。
体操着も必要だけれど、当面は『呼吸器系が悪い』として、体育は休ませることにした。
美少女とバレたら、大変なことになる。体育も基本は女子だけでするけれど、油断するに越したことはない。彼女も運動はあまり好きではないので、お休みすることで納得してもらった。
これで、明日から学校に通える……。ボクはへろへろ、ボロボロになったけれど、小見尻が新生活にむけて、少し嬉しそうにするので、ちょっとは報われた気分になっていた。
夕飯をとった後、すぐにネトゲをしようとする小見尻を、お風呂に入れるのが日課となった。
別に、一緒にお風呂に入るわけではないけれど、ボクがお皿を洗っていると、部屋でパソコンの電源を立ち上げようとする。そんな小見尻の前に立ち塞がり、お風呂を指し示すのだ。
不満そうに頬を膨らますけれど、ヘッドギアをつけると、周りの声や音も耳に入らなくなり、椅子から立とうともしなくなるので、その前にお風呂に入れないと生活が乱れるので、これは必須の作業だ。
しかも、これはお風呂上りも同様で、髪を乾かすことなくネトゲをしようとするので、ボクがドライヤーを当て、櫛で梳かす。
美少女なのに勿体ない……と思うのは周りだけで、本人にとってはどうでもいい、むしろ周りが騒ぐのでマイナス……としか思っていないのだ。
決してお風呂嫌いでも、不潔が好きでもないけれど、美しく身を保つことにも興味がない。
まったく厄介な美少女だ。
ボクはその後でお風呂をつかうけれど、決して美少女がつかった後のお湯を……というやましい気持ちはない。
断言するが、小見沢は今のところ、ボクの中では年上でも妹、といった位置づけである。ゲームでは師匠だけれど、それを覗くとあらゆる生活をする上で、彼女はボクの下だった。
そして、ボクが女の子の髪を乾かしたり、櫛で梳いたり、そうしたことがうまいのには理由もあった。
その日の晩、訪問者がある。もう夜更けだけれど、こんな時間にチャイムを鳴らす相手は、想像もつく。
「お兄ぃ。夕飯のおかず、もってきてあげたぞ!」
三軒隣に暮らす、名木宮 香凛――。
三つ年下の中学二年生。ポニーテールでくりくりとした吊り目。活発さを絵に描いたような少女だ。互いに両親が共働きということもあって、昔からボクと過ごすことが多かった。
ボクは料理もできるし、お風呂にも入れていた。彼女のお世話をしていたからボクは扱いがうまいのだ。
「ねぇねぇ。さっき公園で、女の子と二人でいたって、本当?」
それを確認するため、おかずをもってくる、という用事をみつけたようだ。
未だに数日おきに顔をだすぐらい、うちに入り浸っているけれど、ボクの女性関係は夙にうるさかった。
「確かに二人だったよ。今も家にいるよ」
名木宮に嘘をついても仕方ないし、嘘をつく必要もなかった。自分の部屋に案内すると、すでにヘッドギアをつけ、ゲームに没頭する小見尻を紹介する。
「え? え? 一緒に暮らしているの?」
「とある事情であずかったんだよ。ゲーマーで引きこもり。明日から学校に通わせようと、自転車にのる練習をしていたんだ」
ボクが事情を説明する間も、ヘッドギアには耳当てもあり、小見尻は動じることがない。
「しばらくって、いつまで?」
「次の居場所が決まるまで、かな……」
ボクが曖昧なのは、本人は存外この生活を気に入っていて、居座るつもりではないか? という点だった。
しかし彼女のプレイはモニタに映っており、素人の名木宮がみても、彼女が『プロゲーマー』というのが理解できたようだ。
動いていって相手を一撃で仕留めると、また動く。FPSの中でも彼女の動きは特筆であり、唯一無二といってよいほどの強さをもっていた。
名木宮は帰ったけれど、最後に「毎日くるからね!」と、捨て台詞をのこすことを忘れなかった。
ボクは家事をこなし、彼女の自転車の練習を手伝うなど、今日はへとへとだ。部屋が明るくても、小見尻がゲームをしていても、ボクは寝ることができる。だからボクの部屋に、彼女のゲーム設備をおくことを赦したのだ。
彼女は夜遅くまでゲームをして、明け方に寝るのが日課のようだ。
ボクも眠い目をこするぐらいになって、布団に入りながら「小見尻も早く寝ろよ。明日からは学校に通うんだ。いくら眠いといっても、朝になったら叩き起こして学校に引っ張っていくから。ふぁ~……お休み」
どうせ、小見尻はヘッドギアをしていて聞こえるはずもない。ボクはそう思って、そのまま眠りにつく。
だからその後、小見尻がヘッドギアを外して、ボクの寝顔を見下ろしていたなんて知る由もなかった。
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