猫檀家
にゃあ、と和尚の膝の上で猫が鳴いた。和尚は猫の頭を撫でながら、目を細めた。
「そうか、テン丸や。お腹がすいたか。そうじゃのう……」
和尚が猫の背中をトンと叩くと猫は膝の上から降りる。和尚はそのまま台所へと行き、米びつの中を覗いた。米がわずかに3粒。和尚はそれを炊いて薄い薄い粥にして、猫と分けた。
「テン丸や。とうとうお前に食べさせるものがのうなってしもうた。わしはお前が愛しくてしょうがないが、お前にはもっとたらふくメシを食わせてくれる飼い主の方が良いのかもしれんのう」
猫はまたにゃあと鳴き、和尚の膝の上に戻ってきた。寺の本堂に隙間風が入り込む。起きていれば腹が減る。檀家もほとんど居らずすることもない和尚は明るいうちから早々に床についた。
あまりの寒さに目が覚めた和尚は、いつも布団に潜り込んでいる猫が居ないことに気づく。閉じている戸の破れた隙間から見える満月はこうこうと輝き、夜中だということを教えてくれる。猫ならば簡単に出入りできるほどの隙間だ。とうとう他の家に行ってしまったかとうなだれる和尚の背後からかわいい声がした。
「おしょうさま、おしょうさま」
和尚が振り返るとそこに猫が立っていた。後ろ足だけでまるで人のように。
「テン丸や……おお、テン丸や。おったのか」
「いえ、わたくしはもうゆかねばなりません」
「ゆくってどこへじゃ」
「ねこの神様のところへご奉公へまいらねばなりませぬ」
「どうしてじゃ」
「おしょうさまにはずいぶんとかわいがっていただきました。その恩返しがしたいのです」
「わしはお前がここにいてくれるだけで良いのだよ」
「いえ、このままではおしょうさまは飢えて死んでしまいまする」
「テン丸や……お前にそんな心配までさせていたとは」
「いえ、おしょうさまにはもうじゅうぶんに大切にしていただきました。わたくしはねこの神様へ、わが身をささげてもかまいません、どうかおしょうさまをお助けくださいとお願いしたのです」
「テン丸……お前というやつは……」
和尚の目に涙がにじむ。
「おしょうさま、よくお聞きくださいまし。近いうちに庄屋の家で葬儀があるでしょう。そこへいらしてください」
「わしは……あの庄屋様はわしの檀家ではないが……」
「はい。ぞんじております。それでもいらしてください。そして棺が動いても驚かずにいてくださいまし」
「棺が動くじゃと?」
「はい。多くの僧たちがそれをしずめようとするでしょう。おしょうさまはそれをだまって見てらしてください」
「見ておればいいのか?」
「はい。そして僧たちが疲れ果ててあきらめたとき、おしょうさまは前へとお出になってください」
「わかった」
「あとは、おしょうさまがお経を唱えてくだされば、すべてうまくいくのでございます」
そう言い残すと猫は満月の光の中へ溶けるように消えてしまった。
「ああ、テン丸や……」
猫が居なくなったことを和尚は嘆きはしたが、悲しみの中でも愛猫が去り際に言ったことを忘れはしまいとしっかりと心に留めたのだった。
数日後、愛猫が言ったように庄屋が亡くなった。和尚は言われた通り庄屋の家へとおもむく。
葬儀が始まりしばらくすると、庄屋の死体が入った棺が天へと舞い上がりくるくると回りはじめたのだ。
その場に居た者たちは口々に妖怪の仕業だと恐れおののいた。
何人もの僧たちが必死にそれを止めようとするが宙を舞う棺にふりまわされて転ぶばかり。とうとう和尚以外の全ての僧が疲れ果てて座り込んでしまった。
そこで和尚はすっくと立ち上がり、念仏を唱えはじめる。
はじめはくるくると回っていた棺はしだいに動きが遅くなり、やがてもとの場所へと収まった。と同時に庄屋の棺の陰から火の塊が飛び出すと西の山の方へと飛び去って行ってしまった。
居合わせた人々は妖怪が逃げたぞと安堵の息をはく。庄屋の家の者たちは和尚のまわりに駆けより、檀家になるからどうか葬儀を最後まで終えてほしいと頼み込む。和尚は頼まれるがままに葬儀を続け、そして無事に終えることができた。
和尚が妖怪を退けたという話はあっという間に広まり、またたくまに檀家も増え寺はたちまち裕福になった。
和尚は飢えも寒さもない日々を送ることができるようになったが、いつもうかない顔をしていた。
一番大切なものがない毎日。
自分が心から可愛がっていた猫がそこに居ないのだ。
ある晩、和尚は夜中にむっくりと起き上がると墓場へと向かった。辺りをうかがうと、一つの墓の下を突然掘り返しはじめたのだ。そして土に埋めた棺の中から庄屋の死体を取り出した。和尚は墓を元通りに戻したあと、庄屋の死体を背負子で背負い、夜道をとぼとぼと歩きだした。
和尚の向かった先は火の塊が飛んでいった西の山。
夜道を歩きながら和尚は考えていた。愛猫が身をささげてねこの神様に仕えると言っていたこと。葬儀の時に見た火の塊。猫が時を経ると妖怪になるという話も聞いたことがある。
そして何より、和尚は「火車」という妖怪を知っていた。悪行を尽くした人間が死ぬと、その死体をさらってゆく妖怪だ。
この庄屋はずいぶんと悪どいことをして金を儲けたと聞いていたから、火車に死体が持ち去られることもあるだろう。もしも愛猫が自分のために火車になったのだとしたら、その初仕事を、自分のためにフイにしたことになる。
不意に、和尚は転びそうになってはっと気づく。いつの間にか自分が山道に入り込んでいたことに。
この山のどこかに愛猫が居るかもしれない。和尚は愛猫の名を呼びながら、真っ暗な夜の山道を歩き続けた。すると、少し先になにやら光るものが見える。
「テン丸や……テン丸や……」
帰ってくる言葉はなかったが、代わりに光が増えてゆく。和尚はその光にすっかり取り囲まれてはじめて、その光が燃えるような獣たちの目だと気づいた。
「わしは……東の寺の和尚だ。テン丸に会いにきたのじゃが、どなたかご存知ないだろうか」
すると獣たちの間から一つ、炎の塊がすっと飛んで現れた。火に包まれたかつての愛猫の姿だった。
「おしょうさま!」
「テン丸や……おまえ、わしのために大事なご奉公を途中であきらめてはおらぬか? わしのためにねこの神様の前で肩身の狭い思いをしてはおらぬか?」
そう言いながら背負子から庄屋の死体を降ろすと、テン丸の前へ差し出した。
「おしょうさま……わたくしのために……」
「テン丸や。わしはもう年じゃ。いまさら檀家が増えたところで跡取りも居らぬ寺だ。それよりも短い余生をおまえと一緒に過ごしたいのじゃ」
「おしょうさま、わたくし、しあわせものでございます」
翌朝、近所の者が寺を訪れると和尚の姿はなく、本堂に一通の手紙が置いてあった。そこには事の次第が書かれていたのだが、この辺りでは字を読める者が庄屋の家の者しか折らず、庄屋に都合が悪い部分は削られて話が残ったのだと言う。
ただ、庄屋の家で下女をしていたお熊という女が子孫にひっそりと口伝していため、この真実の話は残ったそうだ。そのお熊の子孫も、和尚がその後どうなったのかは知らなかった。
<終>
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