一寸法師
京の都の外れ、陽もだいぶ暮れかけた頃。古いながらも立派な屋敷の前を通りがかった一台の牛車。そのすぐ後ろを歩いていた若い従者がつまずきそうになって止まる。牛車が突然止まったからだ。
「運びなさい」
牛車から降りた主の声を聞いた従者達が荷車からうやうやしく幾つもの箱を担ぎ下ろす。若い従者もそのうちの一つを持ち、屋敷へと入る主のあとへと続いた。
背の高い草が生えた庭を通り抜け小さな門の前まで来ると、主は傍らの台に貢ぎ物を積んでゆくよう指示を下す。そして一人で門をくぐると従者達にこう言い放つ。
「ここよりは供はいらぬ。しばらく待ちなさい」
主が奥へと行ったのを見計らい、若い従者は隣に居た小太りの従者に小声で尋ねた。
「お泊まりだろうか。我らはここで夜を明かすのであろうか」
「知らぬのか。ここに住んでおられるお方は……姫は姫だが……」
小太りの従者がそこまで言いかけた時、最も年長の従者がそれを静かにたしなめた。闇が裾野を広げ星が増えゆく空を眺めていた若い従者は、出かかったあくびを慌てて噛みころす。まだ一刻も経たぬというのに主が戻ってきたのだ。とても逢瀬を楽しんだとは思えぬ様子。
「あちらの軒下まで運びなさい」
若い従者は言われるがままに貢ぎ物を運ぶ。そして屋敷の入り口まで戻ってくると、主が勺で若い従者を指した。
「お前、明日の日の出前に再びここへ来なさい」
若い従者はうなずきながらも、何をしたらよいのかと怪訝な表情でたずねる。
「姫が出かける際は必ず付き従うように。そしてそこで見たもの全てをあとで伝えなさい」
「承知いたしました……しかし全てとおっしゃいましたが特に何に気をつければよいものか……」
「離れて付き従いなさい」
「心得ました」
翌朝、若い従者が屋敷の入り口が見える所まで来るとなにやら騒がしい。近くを通りがかった者に尋ねると姫のお触れが出たという。
「お触れとはなんですか」
「知らないのなら教えてやろう。あちらの姫様は名の知れた陰陽師でな、人に化けた鬼の気配を感じるとああしてお触れを出すのだ。鬼を見たいのならばあの姫のあとをつけるといい」
鬼という言葉を聞き、若い従者は震え上がった。鬼を探してどうするのだろう。だが主からの命令もある……そうやって悩んでいるうちに、姫の屋敷の前がにわかに歓声でわきたった。
姫が出てきたのだ。
姫が乗り込んだ牛車のあとを、野次馬らしき人々が少し離れてついて行く。若い従者はその集団に紛れ込むことにした。鬼が現れようともこれだけ人が居ればなんとか逃げられるであろうと。
やがて大通りを三つほど下り梅の名所と呼ばれるところへさしかかると、姫の牛車が停まった。歌を詠みに来たのだろうか、名のある貴族たちの顔もちらほらと見える。まさかここへ鬼が? 姫のあとをついてきた野次馬集団の中で、若い従者は固唾をのんだ。
すると、姫が牛車を降りた。
市女笠を目深に被り、顔は見えないものの美しい髪が風にたなびいている。
すぐ近くに居た貴族のもとへ姫はおずおずと近づいてゆく。
あの貴族はなかなかにお偉い方、ご挨拶でもするのだなと若い従者が気を抜いた途端、その貴族が自らの首をつかんでうなり始めたではないか。野次馬集団はさらに姫たちへと近づいている。まさか鬼が、と、若い従者は体がすくんだが、この集団より取り残されて一人になる方が怖かったから、勇気を振り絞って近づいたのであった。近づくにつれ、姫が何かを唱えているのが聞こえはじめる。
「……さま、法師さま、鬼を退治てくださりませ……」
法師さま?
若い従者は辺りを見回した。姫、それから首をおさえて唸っている貴族のほかは、この野次馬たち同様に少しの距離を置いている。
「法師さま、法師さま、鬼を退治てくださりませ」
姫がもう一度唱えると、野次馬の中から一人が叫んだ。
「よっ! 待ってました! 一寸法師さま!」
若い従者は隣に居た男に一寸法師とは何かと尋ねると、小さすぎて見えない法師さまだよと要領を得ない答えが返ってくる。
「……うう……ううう……」
貴族の唸り声も大きくなってゆき、やがて貴族は自分の首を押さえたまま体を揺らしはじめた。その顔はだんだんと赤くなってゆく。
「法師さま、今でございます!」
姫が声高らかにそう告げると、貴族はのけぞるように倒れこんだ。
「お戻りください、法師さま。人に化けていた鬼は見事、退治されました」
姫は何事もなかったかのように牛車へと戻り、それと入れ違いで数名の衛士が駆けつけてくる。
「こら、鬼の骸より離れなさい!」
衛士はそう言うものの、死んだ鬼への好奇心が恐怖に勝ったのか、野次馬集団はさらに近づいてゆく。実際に鬼を見ることなど初めてだった若い従者も人の波に押されるまま近づいた。
鬼は、肌が赤く腫れ上がっている。これが赤鬼というものだろうか。目を見開き苦悶の表情を浮かべている。そして烏帽子が外れた頭からは大量の血と供に白い角のようなものが飛び出ていた。
「これは、法師さまが?」
若い従者がもらした独り言に、隣の男が自慢げに答える。
「そうさ。イヌガミの姫様は小さな法師さまを鬼の体の中へ送り込んで中から鬼を倒すのさ。外からじゃなく中から倒すから、人の皮をかぶった鬼も倒すことができるのだ」
これが、鬼なのか。鬼というものを見たことがないからそう言われればそうなのだろうけれど……若い従者は鬼の骸をそれ以上見ていることができず、その場を離れたのだった。その足で主の屋敷へと戻り、自分が見聞きしたものを報告した。
「そうか、鬼が出たか」
恐ろしい話をしたというのに主は妙に機嫌が良く、危険を乗り越えて鬼を見てきたなどと若い従者に労いの言葉をかけた。
後日、鬼となったのが主の上司だと人づてに聞いた若い従者は、暇乞いをして郷里へと帰った。
<終>
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