3.高嶺の花は押しが強い

 一ヶ月間送ると宣言していた通り、翌日もテオドールから手紙が来た。

 今度は領地で穫れたというオレンジが一緒だった。

 さっそくメイドが作ってくれたオレンジジュースを片手に、シルビィは手紙を開いた。


『私の輝かしき太陽様。

 天気がすぐれませんが、今日もきっと庭の手入れに精を出していらっしゃることと思います。

 あなたが草花に注ぐ愛情を削ぐつもりはありませんが、雨の中での作業はほどほどに。

 風邪でも召されたらと心配です。油断から肺炎になることもありますので、くれぐれもお体にご注意下さい――』


 二度目の手紙も求愛者らしい書き出しで始まっていた。

 ナナメ読みしてテーブルに置くと、メイドと姉たちがさっそく食いつく。

 文面にくすくす笑った。


「公は心配性ですわねえ。シルビィお嬢様は風邪一つしたことがないのが取り柄ですのに」


「本当本当。超健康優良児だってことは、見れば分かるでしょうに。

 恋は盲目というから、閣下にはあなたが深窓のお嬢様に見えているのかも知れないわね」


 陽に焼けた肌をつつかれる。

 シルビィは煩わしそうに、二枚目もさっさと姉たちに渡した。

 興味があるのは予言だけだ。三枚目の末尾を熟読する。


『明日のライド誌の新聞には、迷子犬の記事が出ますよ。

 名前はリリィ。十万リルの懸賞金付き』


 果して翌日、新聞の片隅にテオドールが書いた通りの記事が掲載されていた。

 これまではシルビィの身の回りのことだけだったが、それ以外のことで当てられると『二度目の人生』の話はいよいよ真実味を増した。


「……犬、見つかるのかしら?」


 なんとなく気にしていたら、三度目の手紙にはその回答が記されていた。


『お優しいあなたはきっと気にしているでしょうから、伝えておきます。

 先日の犬は今月の二十日に見つかります』


 シルビィはほっとし、ついでに、手紙と一緒に届いた刺繍入りのハンカチを噛みたくなった。

 心の動きを完全に見透かされている。


 毎日毎日、手紙は花やお菓子や小物などの贈り物と一緒に届いた。

 毎度毎度、甘い文言も添えて。

 毎回毎回、シルビィは手紙については末尾にしか興味を持たなかったが。


『首都からパディトン港まで鉄道の敷設が決定』

『ウォーリック街の通り魔が逮捕される』

『観客が誤って舞台に上がり、役者と一緒に演技するハプニング発生』


 テオドールの未来予報はどれもが当たった。

 半月経つと、シルビィはテオドールの言ったことを信じないわけにはいかなくなった。


「最初は疑っていたが、トレント公は本気のようだなあ」


 プレゼントを手に取って、シルビィの父親はつぶやいた。


 今日の手紙と一緒に届いたのは、多色刷りの高価な植物図鑑だ。

 絶版になっていて今では入手困難な一品。

 若い女性への贈り物には変わっているが、シルビィの好みを把握した贈り物である。


「おまえにちゃんと関心があるらしい」


「よかったわね、シルビィ。トレント公は家柄も財産も見た目も完璧。非の打ち所がないわ。

 もし求婚されたなら、理想の結婚相手よ」


 姉に肩に手をおかれ、シルビィは胸がもやもやした。


 自分は家柄と財産と容姿で相手を選ぶことに、抵抗感を持ち続けてきた。

 なのに、この三点がそろっているというだけでテオドールを選ぶのは、安直な気がした。

 つい『二度目の人生』の話が本当なら結婚する、と答えてしまったが、自分にとって話の真偽は本来、結婚を決意する理由にはならない。


「シルビィが公爵夫人、か。きちんと務まるか心配だな」


「お父様ったら。私のときもそうでしたけれど、結婚しろしろ言うくせに、いざ実現しそうになると、そんな憎まれ口をおっしゃるのだから。見苦しいですわよ」


 姉は腰に手を当てて呆れたが、シルビィは父親の肩をもった。


「お父様のご心配通りです。

 わたくしも自分に公爵夫人なんて務まるとは思えません。

 お父様のところにトレント公から縁談がきたら、お断りしてくださいませ」


「シルビィ! あなた、なんてもったいないことを。一生に一度もないチャンスなのに」

「本気でいっているのか?」

「本気ですとも」


 シルビィは父親の方へ身を乗り出した。


「お父様、よくお考えになってください。

 わたくしが公爵家に嫁いだなら、わが家にとって名誉なことではあります。

 けれども、わたくしが公爵家で何か失敗すれば、わが家の大きな不名誉にもなるのですよ?」


「む……確かにそうだな。有名になればなるほど、世間の注目も集まるからな。

 公爵家との繋がりは、わが家にとっては過ぎた栄誉かもしれん」


 シルビィの父親、スターロン伯爵はご自慢のひげをなでた。

 スターロン家は貴族ではあるが、その思想はどこまでも慎ましく小市民的である。筋金入りの中流貴族であった。


「おまえは粗忽そこつなところがあるし。公のご期待には沿えまい。

 もし縁談が来たら、お断りした方が無難だろう。

 シルビィ、それでいいのだな?」


「ぜひそうしてくださいませ。公爵夫人なんてわたくしには荷が重いです」


 父親を味方につけることができ、シルビィは安堵した。


 テオドールとの約束を反故にするのは心苦しいが、本当に自分でも公爵夫人なんて肩書は似合わないと思っている。

 自分と同じような条件の娘なら、他にいくらでもいるのだから、テオドールも困らないだろう。

 シルビィはのちのち返品するつもりで、贈られてきた図鑑をきれいに包み直した。


 ところが数日後。

 競馬場に出かけたシルビィの父親は、テオドールを連れて帰ってきた。

 とても親しげな様子で。


 シルビィは嫌な予感がした。


「いやあ、競馬場でたまたまトレント公とお会いしてな。

 特別席にお招きいただいて。お話ししていたら意気投合してしまって。

 ぜひわが家に来てみたいとおっしゃるから、お招きしたんだ。

 かまないだろう? シルビィ」


 かまうわっ!

 シルビィは赤ら顔で上機嫌な父親に怒鳴りつけてやりたかった。

 お酒有りの接待ですっかり懐柔されてしまっている。


「第二のわが家と思ってゆっくりしていってくれ、テオドール君」

「ありがとうございます、お義父さん」

「お父様!」


 すでに親子のような間柄になっている二人に、シルビィはわが身の危機を察した。

 父親に詰め寄る。


「どういうことですか。先日のお話は、覚えていらっしゃいますよね?」

「おまえに公爵夫人なんて役は重いという話だったな。あれなら心配ない」


「どう心配ないのですか!」


 具体的に答えたのはテオドールだった。


「私は隠棲生活を送るつもりですから、華やかな場に出ることはほぼありませんし。

 何かあっても、私がサポートしますし。

 跡継ぎを産んでもらうこと以外の責務は要求しませんから、安心してください」


 テオドールはシルビィの左手を両手で包む。


「何も心配しないでください。

 シルビィは趣味に没頭してもらって結構です。

 あなたが毎日、立って歩いて話しているだけで私は充分なんです」


「わたくしの辞書にも一応、努力とか向上心という単語はございますよ……?」


 そこまで何も期待されていないと悲しくなり、シルビィは言い返した。


「私は少し部屋で休むから。

 シルビィ、おまえの自慢の庭を案内してきなさい」


 なかば強制的に、シルビィはテオドールと庭に出された。


「突然すみません。お邪魔しますね」


 高嶺に咲くエーデルワイスのように、テオドールは態度は楚々として遠慮深い。

 が、わが家が掌握されるのも時間の問題、とシルビィは危ぶんだ。

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