第4話 別れ

一方、エステルは隣国で庶民生活を満喫していた。


モニカはエステルのことを『妹のエマ・ガルニエ』として人々に紹介した。モニカが茶色い髪だったので茶色のカツラを被り、化粧で特徴となる泣きぼくろも消したのである。


モニカと二人で居酒屋を切り盛りする生活は楽しくて充実していた。


エステルは前世の知識を使い料理のメニューを工夫したので、美味しくて珍しい食事を出す店として評判になり、人々はこぞって居酒屋にやってきた。


料理に関しては前世日本の方が遥かに進んでいる。おかげで地域でも有名な人気店になり、モニカはエステルと出会えた幸運に感謝していた。


客が増えたので新しく雇ったマットは精悍な顔立ちで女性客からの人気も高いが、浮ついたところがなく職人気質で信頼できる料理人である。


彼は新しい調理法に興味津々で、エステルのレシピに目をキラキラと輝かせた。


「こんな調理法は初めてです!茶碗蒸し?プディングのように卵液を蒸して固めるのに甘くないなんて・・・斬新すぎます!」


居酒屋の経営は順調で、モニカとエステルの関係も本当の姉妹のように親密なものであった。


**


「あの時エステルに出会えたのは運命だったのかもしれない」


居酒屋が閉店した後、片づけをしながらモニカがポツンと言った。彼女のお腹は徐々に大きくなってきている。


(あまり無理をさせちゃいけない)


とエステルはそれまで以上に仕事を頑張るようになっていた。


「私にとっては有難い運命だわ。行き場がなくて彷徨っていた時にモニカに拾ってもらったんだから」


エステルの言葉にモニカが首を振った。


「ううん。『拾う』なんて思ったことないわ。私にとっては幸運の女神が降りてきてくれた感じよ」


「幸運の女神なんて大袈裟ね」


と笑うエステルを、モニカはギュッと抱きしめた。


「私と一緒にいてくれてありがとう。本当は独りで店を始めるのも、子供を産むのもとても怖かった。エステルが来てくれてやっと心が穏やかになったの。ようやく人を信じられるようになったのよ」


モニカの声が涙でくぐもった。エステルも目の奥が熱くなるのを感じる。


「モニカ。私は弟以外の家族から愛された記憶がないの・・・。モニカが私に居場所をくれたのよ。あなたが私の家族。ここでの生活は今まで生きてきて一番幸せだと感じるわ。全部モニカのおかげよ。ありがとう」


涙をにじませながら、二人は微笑み合った。



*****


しかし、モニカは女の子の双子を出産した直後に亡くなってしまった。


「・・・子供たちを頼むわ。エステルがいてくれて良かった・・・ありがとう。どうか・・・幸せに・・・」


モニカの最後の言葉を聞いて慟哭するエステルの悲痛な泣き声と赤ん坊の泣き声が重なった。


エステルは半身がもぎとられたような絶望を感じたが、新生児の双子を抱えて悲しみに浸っている余裕はなかった。


今でもモニカのことを思い出すと胸が痛い。エステルにとって初めてできた信頼できる家族であり、心を許せる親友だった。


悲しい気持ちを隠しエステルは、マットと協力して店を切り盛りしながら懸命に双子を育てた。


幸い店はますます繁盛し、サリーという通いの給仕も雇うことになった。彼女もテキパキと仕事ができる気立ての良い娘だ。


そうこうするうちに五年の月日が経ち、エステルは二十四歳になっていた。


この世界ではもう若くない年齢だ。


エステルは恋愛や結婚は既に諦めていて、自分の生涯はモニカが残してくれた双子と居酒屋のために捧げようと決意している。


双子はもう五歳。


お喋りも達者になり店の手伝いをしたいと熱心に希望したので、空いているお皿を下げたり、テーブルを拭いたりするような簡単な仕事から任せることにした。


愛らしい双子のココとミアは常連客からも大人気で、幼いのにませた口をきく二人との会話を楽しむ人も多かった。


庶民には珍しいプラチナブロンドの双子の評判は遠くまで広がっているようで、エステルは少し心配になる。


(モニカの元恋人はもしかしたら貴族だったのかしら・・・)


物思いにふけるエステルに双子が纏わりつく。


ココとミアはエステルと血がつながっていないことを知っているが、彼女のことを『ママ』と呼び実の母親のように慕っている。


「ねぇ、ママ。お顔のここにしわができてるよ」


眉間を指さしながらココが言う。大真面目な顔でそう言う彼女の眉間にもしわが寄っていてとても愛らしい。


「そうよ。ここにしわができるとべっぴんさんがだいなしよ」


とミアも同調した。客から教わったのであろう『べっぴんさん』という言葉を得意気に使うところも可愛い。


エステルはふふっと笑った。エステルが笑うと二人の顔もほころぶ。


「ありがとう。ココとミアがいてくれるおかげで私は笑顔になれるわ」


「でもね、ママ。ママに『いい人』ができたらすぐにあたしたちに言うのよ?」


「そうよ。ママはいつも『せつやく』って自分のドレスはつぎはぎだらけじゃない?それじゃ『こいびととのお出かけ』にもいけないわ」


「あたらしいドレスを買って、こいびとをみつけてね。せっかくママはきれいなのにボロボロのドレスじゃもったいないわよ」


「あたしたちはママのじゃまにならないように、いい子にしてるからね」


そんな会話を小耳に挟んだマットがぷっと噴き出した。


「お嬢さん方、エマはどんなにみすぼらしい服を着ていても十分に魅力的ですよ」


顔が赤くなるようなことを平気で言えるイケメンのマットはきっとモテるに違いない。


「私には恋愛なんかよりずっと大切なものがあるからね。恋人なんて必要ないんです!」


エステルが堂々と宣言した。


「たいせつなものってなーに?」


というココに


「ココとミアとこのお店よ。あなたたちを産んでくれたお母さんから頼まれているんだから」


と微笑んだ。


そう。


モニカは亡くなる前に遺言書を作成していて、店の権利を全てエステルに譲ってくれた。


モニカは大切な店と尊い双子をエステルに預けてくれたのだ。


その信頼に応えることがエステルにとって何より重要なことだった。

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