第2話 出会い
エステルの前世は『真面目』という言葉に象徴される。
真面目に学生生活を送り、卒業後は公務員になり真面目に働いた。
真面目な男性とお見合い結婚し、乙女ゲームのおの字も知らない生活を送り天寿を全うした彼女は、子供はいなかったものの平穏で真面目な人生を送ったのである。
まさか死後に乙女ゲームの悪役令嬢に転生するとは思ってもみなかったであろう。
彼女は前世の記憶を持ったまま転生したが、自分の役どころも知らないまま公爵令嬢として王太子ロランの婚約者となった。前世でも見合い結婚だった彼女はろくに会ったこともないロランとの婚約も粛々と受け入れた。
エステルは前世と同様に全方位に真面目に取り組み、人望が厚く教員からも信頼される優等生になった。学校で彼女を悪く言うものは一人もいなかった。
・・・いや、ロランと男爵令嬢セシル、そして彼らの取巻きを除いて。
残念な王太子ロランは常に上から目線で
「可愛げのないお前が俺みたいな美男子と結婚できる幸運に感謝しろよ」
なんてことを宣(のたま)い、エステルがそれに鳥肌を立てていることなどつゆ知らず、セシルだけでなく多くの女子生徒から秋波を送られて有頂天になっていた。
エステルは実家の公爵家でも厚遇されていなかった。
兄のパスカルや弟のダニエルを常に優先させていた両親は、エステルが婚約破棄されたと知るや否やすぐに彼女を勘当して、着の身着のままで追い出した。
女王もエステルもお互いの親交を表には出さなかったから、リオンヌ公爵家ではエステルが女王や王太后のお気に入りであることを把握していなかったのだ。
屋敷を去る時に見送ってくれたのは六歳年下の弟ダニエルだけで、彼は目に涙を一杯に浮かべて
「姉上・・・父上たちを説得することができず申し訳ありません。僕がもっと大人だったら・・・悔しいです」
と謝った。
「気にすることないのよ。私は大丈夫。どうか体に気をつけて」
そう言ってエステルはダニエルを抱きしめた。
祖国であるヴァリエール王国と隣国は長年同盟関係にあるので、国境を越えるのも簡単だ。エステルは実家の公爵家が手配した馬車に揺られて隣国の小さな町で降ろされた。
これまで窮屈な貴族社会の中で、過労で倒れることがあるくらい未来の王妃になるため努力の日々を過ごしてきた。
自由の身になったことへの喜びと、明日からどうやって生活していこうかという不安を抱えたままトボトボと歩くエステル。
気がつくともう夜も更けていた。
着の身着のままと言っても、着ているドレスはシルクの超高級品である。彼女はすぐに強盗に狙われた。
人気(ひとけ)のない路地裏でいきなり5~6人の男どもに囲まれたがエステルは冷静だ。
(あらあら、早速強盗か。治安が悪いんだなぁ。このドレスじゃやっぱり目立つわね)
呑気に構えていたら、路地に面した建物の窓から若い女性が心配そうに覗いている。
その女性がフライパンらしき物体を持って戸口に向かうのがチラッと見えた。
(あ、もしかして私を助けようとしてくれているのかも?かえって危ない・・・急いで片付けよう)
エステルは強い。魔力も体術も一流だ。
あっという間に男どもは全員地面に這いつくばり
「覚えてろよ!」
と小者感満載(こものかんまんさい)の台詞を吐いて逃げ出した。
「あ、あんた・・・強いんだね?」
フライパンを持った若い女性が戸口に立っていて、呆気に取られた顔でエステルを見つめている。
エステルはニッコリと彼女に笑いかけた。
**
その女性はモニカ・ガルニエと名乗った。
建物の一階は居酒屋になっていて、ちょうどその裏口でエステルが襲われそうになったのだ。
モニカは閉店後の店にエステルを案内して、食事を出してくれた。
黙ってエステルの食事を見守っていたモニカが心配そうに尋ねる。
「一体何があったんだい?あんた貴族のお嬢様だろう?なんで一人でこんなところに・・?」
エステルが正直にこれまでの経緯を説明すると、モニカは彼女に同情してくれた。
「まったく!ホント男なんて信用できないね!」
そう言って今度は自分の身の上話をしてくれた。
モニカは違う街で給仕として働いていた。そこで年配の裕福な商人と恋に落ちる。
妻を何年も前に亡くしてから独り身だという彼の言葉を信じ、年の差の不安を乗り越えてその胸に飛び込んだ。
数年は仲良く付き合っていたが妊娠したことを告げた途端、彼の態度が変わったという。
「悪いけど認知はできないよ。私の子供かどうかも分からないしね」
という言葉に激怒したモニカはその男に飲みかけの冷めたお茶をぶちまけて店を出た。その後、男とは当然連絡を断った。
ブチギレたモニカは、別の街に引っ越し一人で子供を産んで育てる決意をしたのだ。
そのためにはまず先立つものが必要だ。
彼女はそれまで贈り物としてアクセサリーやドレスを沢山受け取っていたので、それらを全て売り払った。
かなりの高級品だったようで思いがけずまとまった大金が手に入り、建物ごと店舗を買い取って居酒屋を開業したばかりだったのだ。
「でも、女一人で切り盛りしていると舐められそうじゃないか?だから、用心棒を雇おうと思ってたんだよ。ここは私以外料理人もいないしね。それに子供が生まれたら人手も必要になるから・・・」
「え!?じゃあ、私を働かせて下さい!料理は得意です。それにそこらへんの男より強いと思います!」
エステルは前世でも料理が好きだったし、学院時代はロランにリクエストされた料理をよく作っていた。
エステルの申し出にモニカは
「そのつもり!住み込みで働いてもらえると助かるよ。あたしは二階に住んでるんだけど一部屋余ってるんだ。給料もちゃんと払うよ」
とニッコリ笑った。
思いがけず住む場所と仕事を得ることができたエステルは自分の幸運に感謝した。
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