四 取引
私は、森の中を走っていた。道場からこっそり持ち出した弓と矢を持って。
話は今朝に戻る。私は、豊五郎を助けたいと申し出てから、続けて、
「豊五郎の御父上とお見受けします。豊五郎を救出するのに、ご家族のご助力をいただけませんか?」
と頼むと、豊五郎の御父上はうんうんとうなずく。「それで、私らは何をすればいい?」と御父上に聞かれ、
「指定された受け渡し場所へ行き、身代金を支払うふりをしてください。人さらいたちの気がそれている間に、私が奇襲をかけます」
と、私は作戦を説明した。
そして今に至る。
人さらいたちが指定した身代金の受け渡し場所は、街道の途中にあるお堂だ。そこから少し離れた場所へ、人さらいたちに見つからずに潜伏するために、私は街道脇の木々の間を走る。
そして、
私は足を止め、木の陰に隠れた。背中の矢筒から最初の矢を抜き、弓につがえる。
数分待つと、豊五郎の御父上と御母上が、お堂の近くに現れた。お金を入れた袋を持って。それを見て、お堂の中の人影が動き出す。
汚い身なりをした男が八人――そして、その中に囚われている一人、豊五郎だ。
「豊五郎の母です! お……お金、持ってきました!」
出てきた人さらいたちに向け、豊五郎の御母上は震え声で呼びかける。それを見て、男たちは互いの目を見合ってにやけた。
男たちの一人――私から一番近い者を狙い、私は弓を引き絞った。
そして、手を離す。放たれた矢はまっすぐ飛び、狙った通り、人さらいの一人の頭に命中した。
撃たれた者が倒れるのを見て、人さらいたちから悲鳴や怒号が上がる。それを聞きながら、私は右に少し移動し、再び矢を弓につがえた。
そして撃つ。撃ってはまた移動し、移動しては撃つ。自分の位置が相手から分からないように。風の流れのように動き続ける、という桂木流の原理に従って。
それで三人倒したところで、人さらいたちの一人が、豊五郎を後ろから捕まえて彼の首に刀を突きつける。
「今すぐ撃つのをやめろ! でないと――」
私はその脅迫を無視し、豊五郎を捕らえているその一人の横に回り込み、その側頭部に矢を撃ちこんだ。
さすがに撃ち続けて、私の位置が向こうにも分かってしまったようだ。「いたぞ!」「そこか!」という声を上げながら、抜刀した残りの四人が迫ってくる。そのうち一人を撃ち倒したが、残り三人の接近に対しては、次の射撃が間に合わないだろう。
私は弓を手放し、木の陰から飛び出しながら、刀に手を掛けた。
鯉口を切り、抜刀。それに続く動作で、一番近かった一人に斬りつける。先に斬りかかってこようとしていたその者は、胴を逆袈裟に斬られ、信じられない、というような顔をしながら倒れる。
残り二人。私は左に飛び出し、そちらから来ていた者の胴をすれ違いざまに斬る。さらにその背後から回って、振り向こうとしていた最後の一人の頭に突きを入れた。
こうして私は、人さらいたちを一人残らず倒した。
刀を
「馬鹿息子め! 心配をかけおって!」
「豊五郎! 無事でよかった!」
と、豊五郎の御父上と御母上が、彼の無事を喜んでいた。私も彼に近づいて、その全身を確認する。どうやら、特に怪我などはしていないようだ。
「豊五郎。あなたも懲りませんね」
と、私もため息交じりに声を掛けると、
「いやあ、親父、お袋、それに風之助。心配かけて悪かったな。――だけど俺、まだやることがあるんだ。急いで早幸に行かなきゃ」
そう言いながら豊五郎は、お堂に入って、中から天秤棒を取り出してきた。そして街道の石畳の上を、早幸のほうへと早足で歩き出す。彼のご両親が「と、豊五郎?」「やることって?」と心配の声を掛ける中、私も豊五郎の隣を歩き、「急ぎ早幸に行かねばならない事情とは何ですか?」と尋ねた。
「早幸でひと稼ぎしなきゃいけないんだ。お前によく見せてた風景画の本、あっただろ?」
と、豊五郎は確認してくる。私が「はい。それがどうしましたか?」と聞くと、
「その本を、永江での買い付けの資金を得るために質に入れたんだよな。だから、早く取引を成立させて、その金で、担保に取られる前に本を買い戻さなきゃ」
と、豊五郎は天秤棒を揺らしながら答える。それを聞いて、私は顔から血の気が引くのを感じた。そんな大変なことを独断で行った豊五郎への呆れはひとまず脇に置き、
「それは、急がねばなりませんね」
と、私は彼に同意する。後ろから彼のご両親が「待て豊五郎!」「待って、豊五郎! また危ない目に遭ったらどうするの?」と心配の声を掛けてくるも、
「大丈夫! 頼もしい用心棒がいるからな! 永江で安心して待ってろよ!」
と答えながら、豊五郎は私の背中をぽんぽんと叩いた。私は彼の隣を歩きながら、
「まったく……。困った雇い主に捕まりましたね」
と、呆れを口に出した。頬が緩むのを感じつつ。
道中、一晩野宿もして、私と豊五郎は早幸に着いた。朝食を屋台の天ぷらや寿司で済ませてから、取引に臨む。
豊五郎が行ったのは、早幸の大きな商会だった。彼はその屋敷に天秤棒を担いで入り、出てきた時には、
「いやあ、永江の舶来品が珍しいからって、高く売れたぜ」
と言いながら、お金が入っているらしい、一抱えもある袋を重そうに持っていた。
その後、道中で食べるための弁当を買い、私と豊五郎は、また半日ほどかけて永江に帰った。
それから豊五郎がまず行ったのは、質屋だ。そこで彼が風景画の本を買い戻してから出てきたのを見て、私は安堵のため息をついた。
さらに翌日。私は、豊五郎の家に行った。そこで私は、豊五郎とともに、彼のご両親に向き合って話している。
「だからな、親父、お袋。俺ももう、一人前の商人なんだ。旅に出ることを認めてくれよ」
と話す豊五郎に続けて私も、
「はい。それにお二方も、私の武術の実力はご覧になったでしょう? 豊五郎の稼ぎだけで足りないなら、私も用心棒の仕事をして稼ぐからご安心ください」
と言った。加えて、お金が入った袋を、豊五郎のご両親に見せる。人さらいを殲滅した件を、お二方が永江の奉行様に報告してくださったので、私は報奨金を得たのだ。
それを受けて、豊五郎のご両親は、
「なら投資だ。せっかく俺がつぎ込んだ金、無駄にするなよ」
「そうね。それより、どうか身体に気をつけてね……」
泣きながらそう言って、当面の旅の資金を出してくれた。
それから自宅に帰って私は、一番説得するべき相手、つまりは私の父上に向き合う。
そこで私は、人さらいを殲滅した件を説明した上で、
「――ですから父上。私ももう、一人前の武芸者なのです。だから、豊五郎の用心棒として武者修業を積んでから永江に戻り、道場を継ぐつもりです。旅に出ることを、許していただけませんか?」
と、父上に懇願した。それを聞いて父上は、
「許す。ただし、桂木流の名に恥じぬようにしろよ……!」
と言いながら、泣いていた。
それを見て、私も目頭が熱くなるのを感じたのは内緒である。
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