二 計画

「ちぇっ。今日も駄目か」

 稽古の合間に、用心棒の依頼をまたも私が断ると、豊五郎はそう愚痴った。

「何度もお伝えしていますが、私はこの永江で桂木流を継ぐのです。旅をする必要はありません」

 私がそう答えると、

「本当にそうかぁ?」

 と、豊五郎は問いただしてくる。続けて、

「お前も武者修行むしゃしゅぎょうしたほうがいいと思うんだけどなあ」

 と勧めてきた。「どういうことですか?」と私が問い返すと、

「この前、お前人さらい相手に苦戦したじゃん。それって、型稽古かたげいこしかやってこなかったからじゃねえか? だからお前も、もっと実戦を経験したほうがいいと思うんだけどなぁ」

 と、豊五郎は突っ込みを入れてくる。それに一理あると感じ、私は悔しくて思わず歯ぎしりした。それを見て豊五郎も、

「な? 桂木流は、実戦で通用しなくなってきてるかもしれないんだよ。そういう危機感を、お前も持ったろ?」

 と畳みかけてくる。私は反論できないまま、稽古に戻った。



 さらに後日豊五郎は、

「なあ、いいから食べてみろって」

 と言いながら、こっそり懐の袋から取り出したまんじゅうを見せてくる。私はため息をついて、

「駄目です。甘味かんみは武芸の妨げになります」

 と断るが、

「そう言わずに。一口食ってくれたら、今はすっこむからさ」

 と、豊五郎がなおもしつこくまんじゅうを勧めてくるので、「……一口だけですよ」と断って、それをかじった。

 そして――口の中に広がるふわふわした食感と強い甘みに、我を忘れた。それから、

「……私が一口だけかじったものなど、処分に困るでしょう。私が全部処分しましょう」

 と言って、一気に一口で、かじった残りのまんじゅうを全てほおばった。それを勧めてきた豊五郎のほうが、今度は呆れ顔をする。そんな彼の目線を受けながら、私は急いでまんじゅうを咀嚼し、飲み込んだ。それから、

「旅の用心棒の件ですが」

 と私から切り出すと、豊五郎は驚いた顔をする。私が続けて、

「確かに、私に武者修行が必要だというあなたの指摘は当たっているかもしれませんね。それから――私の剣が、甘味程度で鈍るものではないと証明するために、あなたと旅に出てもいいですよ」

 と言うと、豊五郎は、

「お前も意外と可愛いところあるんだな。よろしく頼むぜ」

 と言いながら、私を肘で小突いてきた。



 その日の稽古の後、夕方に、

「父上。免許皆伝めんきょかいでんの試験を受けとうございます」

 と、私は家で父上に切り出した。実戦に出ることを父上に納得させるには、それが必要だと考えたのだ。

 父上は、最初は驚いた顔をしたものの、すぐに破顔はがんして、

「そうか! 最近、新しく入ってきたあの豊五郎とかいう者と何やら密談しておって心配であったが……。桂木流の後継者として、真剣に考えておるのだな! よいことだ!」

 と喜んだ。

 私も、ただ微笑みながらうなずく。その豊五郎との旅に出るという目論見もくろみのことは、まだ伏せたまま。



 それから、午後の稽古の後に、免許皆伝に向けた特別な稽古が始まった。

 例えば剣術。真剣を使い、巻きわらを居合抜きで斬ったり、正面から縦に一刀両断したりする練習をする。

 それに槍術。やはり巻き藁を、真槍しんそうで突く。

 さらに柔術。父上と二人一組で、剣術の動きを応用し、なるべく単純かつ効果的な投げ技を練習する。

 そして弓術。練習用の丸い的ではなく、等身大に描かれた敵の人間の絵を撃ち抜く。

 それらの稽古をするたびに、人間と戦う練習をしているのだ、という実感を得て、私はぞくぞくした。

 そんな私の姿を、父上は嬉しそうに見守ってくれていた。

 父上のその姿を稽古の合間に目にして、私は期待した。この調子なら、無事に免許皆伝を得れば、私が旅に出ることに父上は納得してくれるだろう、と。



 通常の稽古の合間に、豊五郎は相変わらず私に話しかけ続けてきていた。

「まずは早幸藩で長屋を借りて棒手振ぼてふりをやろうと思うんだよな」

 そう言いながら、彼は早幸藩の地図を見せてくる。

 よくも毎度器用にしまっているものだ。さらに豊五郎は、小麦を丸く固めた菓子を見せてくる。

「ほれ。早幸の銘菓だ。旅に出たら、他にもいろいろな銘菓食わせてやるからな」

 とこそこそ告げてくる彼から、父上に見つからないようにこっそり私は菓子を受け取り、急いで食べた。硬さとふわふわ感が混じった食感と、ほんのりした甘みが、一気に私の心を満たす。

 それで、気づかないうちに顔が緩んでいたのだろう。にやにやした豊五郎に、

「……前に言った通り、私の本来の目的は武者修行です。甘味はついでです」

 と私が答えると、彼は「本当かぁ~?」と聞きながら、私を肘で小突いてきた。



 そんな日々を経て、私は免許皆伝の試験の日を迎えた。

 まず剣術。木刀を使って、型を完璧に身に付けているかどうかを試されたり、真剣で居合抜きをして巻き藁を斬れるかどうかを試されたりする。

 次に柔術。素手や木刀やたんぼ槍などの様々な攻撃をしてくる父上を投げ、そして取り押さえられるかどうかを試される。

 それから槍術。たんぼ槍で父上の突きを払い、そして突きを返せるかを試されたり、真槍で巻き藁を正確に突けるかを試されたりする。

 最後に弓術。等身大の人の絵が描かれた紙に向け、どれだけ急所を正確に射抜けるかを試された。

 私が全てを完璧にこなすと、

「よくやった風之助! 免許皆伝を与える! とはいえ、これからもたゆまず修行に励むようにな!」

 と父上は喜んで、免許皆伝の旨が記された巻物を手渡してきた。

 私は、父上から巻物を受け取ってから考えた。今なら、「あの話」を切り出すのにちょうどいいだろう、と。

 口を開く前に一呼吸置く私に、父上は「どうした、風之助?」と尋ねてくる。そして私が、

「父上。免許皆伝も得たことですし、私は実戦に出とうございます。興津豊五郎の用心棒として、旅に出たいのです」

 と言うと――父上は、この世の終わりのような顔をした。

 甲高い音とともに、頬に鋭い痛みが走る。父上に叩かれたのだ。

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