一 邂逅
「
と告げる低い声を受け、
「ははあ。ありがたきお言葉、この身に染み入ります」
と、平伏していた相手――
「うむ。桂木
と、領主様もお決まりの挨拶で応じた。それから領主様は、目線を私に移し、
「そちの息子も――もう
と確認する。父上はぺこぺこ頭を下げながら、
「ははあ。お会いするのは初めてでございますな。これは
と、私のことを説明する。それから、「ほれ、風之助」と父上に促され、
「ははあ。紹介に預かりました、桂木風之助でございます。立派に父上の跡を継いで見せますので、ぜひとも今後もごひいきにお願いいたします」
と、私も挨拶をした。
そんな礼儀で固められた世界が、この世の全てだと思っていた。
「お前の初めての藩主様への挨拶も無事に済ませたし、よいことだ」
森の中の
草木の中を貫く石畳の道を歩いていると、
「――にしやがるんだい!」
という声が、かすかに聞こえた。父上や藩士たちも反応し、私も周りを見回す。
すると、左の森の
人さらいだろう。そう判断した瞬間、身体が動いていた。父上や藩士たちが反応に困る中、私は一人飛び出し、木々の間を駆ける。人さらいと思しき集団に近づき、
「止まれ! その人を離せ!」
と叫ぶ。
人さらいたちのうち、手が空いた者たちも、私が近づくのを見て次々に抜刀していた。
一番近い者が、左上から
だが、私の
「こいつ強いぞ!」
「囲んで突け!」
と人さらいたちから声が上がり、私は太い木を背にして取り囲まれる。
そして、雨あられと突きに襲われた。私は防戦一方で、人さらいたちの刀を払うのに精いっぱいだ。敵の剣先が、何度か服をかすめる。
だが、それも数秒で終わった。がさがさと草をかき分ける音とともに、
「風之助!」
「風之助殿!」
と、私の名を呼びながら、父上や藩士たちが駆けつけてきたのだ。さすがにこちらが人数で勝る。敵も不利だと判断したのか、
「ずらかるぞ!」
と、人さらいたちの一人が声を上げ、その集団は森の中へ引いた。逃走の邪魔になると判断したのだろう、さらわれていた一人を置いて。
父上や藩士たちも深追いせず、私に追いついてきた時点で足を止める。私が刀を鞘に納めると、
「勝手な真似をするな!」
そう怒鳴りながら、父上が私の頬に平手打ちをしてきた。父上は続けて、
「お前の身にもしものことがあったらどうする! 桂木流の
と、お説教を始める。
私は言い訳をしない。ただ、「申し訳ございません、父上」と
「あのー、お取込み中失礼しますが」
そんなのん気な声を上げたのは、さらわれようとしていた人だった。
見れば、私と年の近い青年だ。髪は小さな
「
青年――豊五郎は、聞かれてもいないのに自己紹介をした後、礼を言う。それから、
「実は手前、商売の旅に出ようとしていたところでしてな。よろしければ――あなたがたのどなたかを用心棒として雇いたい。いかがですかな?」
なんて厚かましい願いを、揉み手しながら申し出てきた。
それに対し、まず父上が、
「しかしそれがしには、武術道場の
と応じ、周りの藩士たちも、
「それがしたちにも、これから永江の警護の仕事がありましてな……」
と応じる。当然の反応だ。それを聞いて豊五郎は肩を落とすも、
「そんな……。じゃああんた! 見たところ俺と年も近いし、まだそんな偉い立場の仕事もないだろ? 俺の用心棒、やってくれねえか?」
と、私に寄ってきながら持ち掛けてきた。しかし私も、
「申し訳ありませんが――私も、父上の道場を継がねばならないのです。お断りします」
と、豊五郎の願いを却下した。
藩士の一人から「さあさあ。永江の商会のご
私と父上も、彼らに続いた。
午後にずっと歩き通してから、私たちは夕方に永江の街に帰ってきた。
南に開けた、南北に長い入り江には、異国のものや
永江奉行所の近くの、道場を
「この永江で桂木流を継ぐのだぞ、風之助」
と、しみじみと語り掛けてくる父上に、私も「はい父上」と、四の五の言わずに応じる。
自分に課せられたその義務を、私は疑っていなかった。
翌日は道場が休みで、その翌日の午前から、さっそく
朝に道場に門下生たちが集まってくる。私もその中に混じる。
まずは基本の剣術。二人一組になって、相手の斬撃を受け流しては反撃する練習をする。
次に
それから柔術。刀で斬りつけてくる相手や、素手で殴ってくる、あるいは掴みかかってくる相手を掴み、投げ、そして取り押さえる練習をする。
さらには
全ては一つの原理で。風の流れのような軽くしなやかな動きを意識して行う。それが総合武術・桂木流。
午前の稽古が済み、午後に稽古しない門下生たちは帰っていく。私や父上は、昼食を挟んで午後の稽古に臨む。
その、午後の稽古の始めに、思わぬ再会があった。
昼過ぎに、道場に入ってくる門下生たちの中に、どこかで見たような顔の青年がいると思ったら、
「あ! お前おとといの!」
と、青年も私を指差して話しかけてきた。確か――興津豊五郎と名乗った者だ。彼の厚かましい態度に、私は正直に言ってあまり好感を持っていなかった。だが無視するわけにもいかず、
「はい。道場主の桂木風之丞の息子、桂木風之助です。おとといお会いしましたね。何か御用ですか?」
と応じる。豊五郎はにやにやしながら、
「風之助か。いい名前だな。あとでちょっと話があるんだけどさ、風之助――」
とだけ言って、稽古を始める他の門下生たちに混じる。
その後剣術の稽古の合間に、私は何度も豊五郎の視線を感じた。
剣術と柔術の稽古の合間の休憩時間。そこで、豊五郎はまた話しかけてきた。まずは、
「俺、
と、聞いてもいないのに説明してくる。戸惑いながらもうんうんとうなずく私に、彼は小声で耳打ちしてきた。
「……だけど、やっぱり俺、永江を出て商売の旅をしたいんだよね。だから改めて頼むけど、用心棒やってくれねえか? 俺が襲われてた時、真っ先に助けに来てくれたお前がいいって思ったんだよ」
そう聞かされ、私は豊五郎に耳打ちを返す。
「そもそも、なぜ永江を出たいのですか?」
と私が聞くと、彼は「よく聞いてくれた!」と言ってから、
「単純に、永江に住み続けるのに飽きてきたってのもあるんだけどさ――それだけじゃなく、永江の異国との貿易が先細りしてきてて、一方じゃ晴本の国内各地で名産品が生まれてきてるんだよ。だから、晴本の全国を巡る旅がしたいんだ」
と耳打ちで告げてくる。私は首を横に振って、
「……残念ですが、私は用心棒を引き受けるつもりはありません。この永江で桂木流を継ぐことが、私の義務なので」
と答えた。それから、「それより、柔術の稽古が始まりますよ」と豊五郎に促すと、彼は「ちぇっ」と言ってから、柔術の稽古を始める他の門下生に混じった。
後日も、豊五郎のしつこい勧誘は続いた。
彼は主に、剣術と柔術の稽古の合間に、
「なあなあ風之助~。旅の用心棒の話、考え直してくれたかぁ~?」
と、厚かましく話しかけてくるのだ。
それから、こっそり懐に忍ばせていた、いろいろな品物を取り出しては私に見せてくる。例えば、
「これ、
と言いながら、縞模様の布の端切れを見せてきたり、
「ほらほら! これ、綺麗じゃね?」
と言いながら、金箔で彩られた、煙草入れらしい小さな入れ物を見せてきたり、
「晴本の各地を巡れば、こんな風景が見られるんだぜ?」
と言いながら、風景画をまとめた本を見せてきたりした。
それらを見せられて、それに、それらを見せてくる豊五郎のきらきらした瞳を見て、私もまったく胸ときめかなかったわけではない。だが、
「そこ! 稽古に戻れ!」
と父上に叱られ、慌てて品物を懐にしまう豊五郎とともに、稽古に戻った。
それでも、密談をやめようとしない豊五郎に対していつしか、
「……繰り返しお伝えしているように、私は用心棒を引き受ける気がありません。それでも――旅に出る夢、叶うといいですね」
と、豊五郎を応援するようにはなった。
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