一 邂逅

おもてを上げい」

 と告げる低い声を受け、平伏へいふくしていた私と父上は顔を上げた。父上は作り笑顔を浮かべながら、

「ははあ。ありがたきお言葉、この身に染み入ります」

 と、平伏していた相手――早幸藩さゆきはん領主様へ、お決まりの挨拶を返す。

「うむ。桂木風之丞ふうのじょうよ。此度こたびはよくぞ参った。永江奉行所ながえぶぎょうしょの警護が再び我が藩に回って参ったゆえ、我が藩の藩士たちへの指導、よろしく頼むぞ」

 と、領主様もお決まりの挨拶で応じた。それから領主様は、目線を私に移し、

「そちの息子も――もう元服げんぷくしておるのか」

 と確認する。父上はぺこぺこ頭を下げながら、

「ははあ。お会いするのは初めてでございますな。これは風之助ふうのすけと申します。跡継ぎとして厳しく育てておりますゆえ、ぜひ今後もよろしくお願いいたします」

 と、私のことを説明する。それから、「ほれ、風之助」と父上に促され、

「ははあ。紹介に預かりました、桂木風之助でございます。立派に父上の跡を継いで見せますので、ぜひとも今後もごひいきにお願いいたします」

 と、私も挨拶をした。

 そんな礼儀で固められた世界が、この世の全てだと思っていた。



「お前の初めての藩主様への挨拶も無事に済ませたし、よいことだ」

 帰路きろで父上は、満足げな顔で語った。

 森の中の街道かいどう。そこを私と父上は、故郷――永江へ向けて歩いていた。そこで警護に着任ちゃくにんする、早幸藩の藩士たち二十人ほどに囲まれて。

 草木の中を貫く石畳の道を歩いていると、

「――にしやがるんだい!」

 という声が、かすかに聞こえた。父上や藩士たちも反応し、私も周りを見回す。

 すると、左の森の木立こだちの間に見えた。十人ほどの集団と、そのうち二人に抱えられる一人の姿が。

 人さらいだろう。そう判断した瞬間、身体が動いていた。父上や藩士たちが反応に困る中、私は一人飛び出し、木々の間を駆ける。人さらいと思しき集団に近づき、抜刀ばっとうしながら、

「止まれ! その人を離せ!」

 と叫ぶ。

 人さらいたちのうち、手が空いた者たちも、私が近づくのを見て次々に抜刀していた。

 一番近い者が、左上から袈裟けさに切りかかってくる。私はそれを、左に足さばきしながら右に受け流し、返す刀で敵を左上から袈裟斬りにする。道場で、父上や他の門下生もんかせいを相手にさんざん木刀で練習してきた動きは、この初めての実戦でも完璧に繰り出せた。切りかかってきた人さらいが倒れる。

 だが、私の攻勢こうせいはそこで終わりだった。

「こいつ強いぞ!」

「囲んで突け!」

 と人さらいたちから声が上がり、私は太い木を背にして取り囲まれる。

 そして、雨あられと突きに襲われた。私は防戦一方で、人さらいたちの刀を払うのに精いっぱいだ。敵の剣先が、何度か服をかすめる。

 だが、それも数秒で終わった。がさがさと草をかき分ける音とともに、

「風之助!」

「風之助殿!」

 と、私の名を呼びながら、父上や藩士たちが駆けつけてきたのだ。さすがにこちらが人数で勝る。敵も不利だと判断したのか、

「ずらかるぞ!」

 と、人さらいたちの一人が声を上げ、その集団は森の中へ引いた。逃走の邪魔になると判断したのだろう、さらわれていた一人を置いて。

 父上や藩士たちも深追いせず、私に追いついてきた時点で足を止める。私が刀を鞘に納めると、

「勝手な真似をするな!」

 そう怒鳴りながら、父上が私の頬に平手打ちをしてきた。父上は続けて、

「お前の身にもしものことがあったらどうする! 桂木流の後継者こうけいしゃとしての自覚を持て!」

 と、お説教を始める。

 私は言い訳をしない。ただ、「申し訳ございません、父上」とびる。周りの藩士たちがどよめく中、

「あのー、お取込み中失礼しますが」

 そんなのん気な声を上げたのは、さらわれようとしていた人だった。

 見れば、私と年の近い青年だ。髪は小さなまげ以外ではあちこちに跳ねていて、その下の丸顔や丸っこい目がにやにやした笑みを作っていた。それから小袖の上には合羽かっぱ、腕には手甲てっこう、腰には手帳、すねには脚絆きゃはん、足には草鞋わらじを身に付けている。いかにも商人の旅姿と言った格好だ。

手前てまえ、永江商会の会頭・興津おきつ豊四郎とよしろうの息子で、豊五郎とよごろうと申します。今は商会で手代てだいをやっております。この度はお助けくださってありがとうございます」

 青年――豊五郎は、聞かれてもいないのに自己紹介をした後、礼を言う。それから、

「実は手前、商売の旅に出ようとしていたところでしてな。よろしければ――あなたがたのどなたかを用心棒として雇いたい。いかがですかな?」

 なんて厚かましい願いを、揉み手しながら申し出てきた。

 それに対し、まず父上が、

「しかしそれがしには、武術道場の師範しはんの仕事がありましてな……」

 と応じ、周りの藩士たちも、

「それがしたちにも、これから永江の警護の仕事がありましてな……」

 と応じる。当然の反応だ。それを聞いて豊五郎は肩を落とすも、

「そんな……。じゃああんた! 見たところ俺と年も近いし、まだそんな偉い立場の仕事もないだろ? 俺の用心棒、やってくれねえか?」

 と、私に寄ってきながら持ち掛けてきた。しかし私も、

「申し訳ありませんが――私も、父上の道場を継がねばならないのです。お断りします」

 と、豊五郎の願いを却下した。

 藩士の一人から「さあさあ。永江の商会のご子息しそくなら、親御おやごさんが心配されているでしょう。我らと一緒に帰りましょう」と促され、豊五郎はしぶしぶといった感じで、藩士たちに連れられて街道に戻る。

 私と父上も、彼らに続いた。



 午後にずっと歩き通してから、私たちは夕方に永江の街に帰ってきた。

 南に開けた、南北に長い入り江には、異国のものや晴本はるもとのものも含めた大小さまざまな船が行き交う。その入り江の東側に広がる街へと、私と父上は帰ってきた。

 永江奉行所の近くの、道場を併設へいせつした屋敷に辿り着く。私とともに使用人たちに迎えられながら、

「この永江で桂木流を継ぐのだぞ、風之助」

 と、しみじみと語り掛けてくる父上に、私も「はい父上」と、四の五の言わずに応じる。

 自分に課せられたその義務を、私は疑っていなかった。



 翌日は道場が休みで、その翌日の午前から、さっそく稽古けいこは再開する。

 朝に道場に門下生たちが集まってくる。私もその中に混じる。

 まずは基本の剣術。二人一組になって、相手の斬撃を受け流しては反撃する練習をする。

 次に槍術そうじゅつ。またも二人一組の稽古。左前に構えて、身のたけの二倍ほどもあるたんぽ槍で練習する。突いてくる相手の槍を払って突きを返す練習だ。

 それから柔術。刀で斬りつけてくる相手や、素手で殴ってくる、あるいは掴みかかってくる相手を掴み、投げ、そして取り押さえる練習をする。

 さらには弓術きゅうじゅつ。道場を縦一杯に使い、一方の端に置いた的に、反対の端から矢を撃ちこむ。

 全ては一つの原理で。風の流れのような軽くしなやかな動きを意識して行う。それが総合武術・桂木流。

 午前の稽古が済み、午後に稽古しない門下生たちは帰っていく。私や父上は、昼食を挟んで午後の稽古に臨む。

 その、午後の稽古の始めに、思わぬ再会があった。

 昼過ぎに、道場に入ってくる門下生たちの中に、どこかで見たような顔の青年がいると思ったら、

「あ! お前おとといの!」

 と、青年も私を指差して話しかけてきた。確か――興津豊五郎と名乗った者だ。彼の厚かましい態度に、私は正直に言ってあまり好感を持っていなかった。だが無視するわけにもいかず、

「はい。道場主の桂木風之丞の息子、桂木風之助です。おとといお会いしましたね。何か御用ですか?」

 と応じる。豊五郎はにやにやしながら、

「風之助か。いい名前だな。あとでちょっと話があるんだけどさ、風之助――」

 とだけ言って、稽古を始める他の門下生たちに混じる。

 その後剣術の稽古の合間に、私は何度も豊五郎の視線を感じた。



 剣術と柔術の稽古の合間の休憩時間。そこで、豊五郎はまた話しかけてきた。まずは、

「俺、出奔しゅっぽんしようとしたことを親にとがめられて、『規律を身に付けろ!』ってことで桂木流を習わされることになったんだけどさ――」

 と、聞いてもいないのに説明してくる。戸惑いながらもうんうんとうなずく私に、彼は小声で耳打ちしてきた。

「……だけど、やっぱり俺、永江を出て商売の旅をしたいんだよね。だから改めて頼むけど、用心棒やってくれねえか? 俺が襲われてた時、真っ先に助けに来てくれたお前がいいって思ったんだよ」

 そう聞かされ、私は豊五郎に耳打ちを返す。

「そもそも、なぜ永江を出たいのですか?」

 と私が聞くと、彼は「よく聞いてくれた!」と言ってから、

「単純に、永江に住み続けるのに飽きてきたってのもあるんだけどさ――それだけじゃなく、永江の異国との貿易が先細りしてきてて、一方じゃ晴本の国内各地で名産品が生まれてきてるんだよ。だから、晴本の全国を巡る旅がしたいんだ」

 と耳打ちで告げてくる。私は首を横に振って、

「……残念ですが、私は用心棒を引き受けるつもりはありません。この永江で桂木流を継ぐことが、私の義務なので」

 と答えた。それから、「それより、柔術の稽古が始まりますよ」と豊五郎に促すと、彼は「ちぇっ」と言ってから、柔術の稽古を始める他の門下生に混じった。



 後日も、豊五郎のしつこい勧誘は続いた。

 彼は主に、剣術と柔術の稽古の合間に、

「なあなあ風之助~。旅の用心棒の話、考え直してくれたかぁ~?」

 と、厚かましく話しかけてくるのだ。

 それから、こっそり懐に忍ばせていた、いろいろな品物を取り出しては私に見せてくる。例えば、

「これ、舶来品はくらいひんなんだけどさ……。晴本の国内でも、これと似たようなものが作られるようになってきてるんだぜ? 面白くないか?」

 と言いながら、縞模様の布の端切れを見せてきたり、

「ほらほら! これ、綺麗じゃね?」

 と言いながら、金箔で彩られた、煙草入れらしい小さな入れ物を見せてきたり、

「晴本の各地を巡れば、こんな風景が見られるんだぜ?」

 と言いながら、風景画をまとめた本を見せてきたりした。

 それらを見せられて、それに、それらを見せてくる豊五郎のきらきらした瞳を見て、私もまったく胸ときめかなかったわけではない。だが、

「そこ! 稽古に戻れ!」

 と父上に叱られ、慌てて品物を懐にしまう豊五郎とともに、稽古に戻った。

 それでも、密談をやめようとしない豊五郎に対していつしか、

「……繰り返しお伝えしているように、私は用心棒を引き受ける気がありません。それでも――旅に出る夢、叶うといいですね」

 と、豊五郎を応援するようにはなった。

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