1. 家康の上洛と降伏宣言 -5
意識が飛びそうになるのをなんとか堪えつつ、畳に頭を叩きつけながら挨拶する。
「お久しぶりです秀吉殿!ご足労頂き申し訳ございません!皆の者、頭を下げい!」
四天王たちもあっけに取られていたが、慌てて頭を下げる。
なんで秀吉殿がここにいるのか。
しかも天下人が護衛もつけず、先日まで争っていた相手の元に訪れるなど流石に予想しなかった。
「いやいや、頭を上げてくれ。今は非公式の場じゃ。気を楽にしてくれて構わん」
「そう申されましても、本来であれば我々からご挨拶に伺うのが筋ですので...」
「そういうのは明日やればよい。ほれ、酒に肴も持ってきたのでな、まずは一献といこう」
そういって酒器を握らせ、酒を注ぎ始める秀吉殿。
いかん、完全に秀吉殿の空気に飲まれておる。
「遠路はるばる大阪まで来てくれた家康殿に乾杯!」
「か、乾杯...」
秀吉殿が持ってきた酒や肴をつまみつつ、今回の上洛に対する労いや、最近の状況についてやり取りを交わす。
秀吉殿は以前と変わらず緩い空気で話をしており、相手を褒めつつ自らの苦労話で笑いを取ったりと、人たらしと呼ばれる振る舞いは健在だった。
「この度は上洛が遅くなり大変申し訳なく...。家中の取りまとめに時間がかかってしまいました」
「いやいや、来て頂けただけで何より!ウチの連中も色々言っておるが、実のところ内心では、かの徳川家との再戦が無くなったと胸を撫で下ろしておるんじゃよ」
「そういって頂けると助かります」
「ところで家康殿。今日はこの秀吉、家康殿にお願いがあっての。すまんが受けて貰えんか」
「秀吉殿の頼みとあれば、何なりとお申し付け下さい!」
「明日の謁見の際、大変申し訳ないが一度でいいから頭を下げて欲しい。あくまでも形式的なもので構わん。とはいえ、これまでの経緯を考えれば家康殿も思うところがあるはず。もちろん無理を言う以上は何らかの手当はする。何卒よろしくお願いする」
そういって秀吉殿は頭を深々と下げる。
天下人でありながら、必要とあれば先日まで争っていた相手に頭を下げることができるのは流石。
演者と言えばそれまでだが、事前の話の展開も含めてこうまでされて断れるはずもなく、こちらに選択肢は残っていない。
ただ、それでも天下人に頭を下げられて気を悪くする者もいないだろう。
この交渉の上手さが今の秀吉殿を築き上げているに違いない。
「頭を上げて下さい。この家康めの頭でよろしければいくらでも下げましょう!こちらとしましても秀吉殿に逆らう気は毛頭ございません。むしろ、他大名に下手な勘ぐりをされる危険も減りますので願ったり叶ったりです」
「おおう、そこまで言って頂けるとは。この秀吉、家康殿の心配りには感謝のしようもありませぬ」
そういってこちらの手をガッチリと握る秀吉殿。
白々しいやり取りではあるが、これは双方理解した上でやっている。つまり、契約を交わす際に必要な行為のようなものであり、このやり取りは然るべき宣誓の手順と呼んでも良い。
横にいる徳川四天王はこいつら何をやっているんだという目で見ているが、こういう行為の重要さを理解していないから脳筋扱いされるのだ。
人が人を信じるというのは難しく、ましてや他家ともなれば裏切りは当たり前。
そんな中で相互に信頼関係を築き上げるためには、お互いの意見が合致していることを明言した上で話しを進める必要がある。
ここで不満げな顔をすれば、秀吉殿はもう徳川家を信頼してくれないだろう。
上手く乗せられているのに気づいた上で、黙って全力で乗る姿勢を示し、徳川家が忠実な家臣であることを明らかにしなくてはならない。
こんな面倒な手順を踏んだり、相手の面子を立てる振る舞いを求められるあたり、儂たち大名も窮屈な生き方をしておるな。
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