1. 家康の上洛と降伏宣言 -4
儂こと徳川家康は言うまでもなく徳川家の当主であり、徳川家といえば有数の大名として知られている。
従って、上洛に際しては格に見合うだけの相応の供回りが必要となる。
ここで手を抜いて貧相な上洛となれば、豊臣家の家臣に侮られるだけではなく、他大名からも低く見られてしまう。
出費はかなりの額になるが、こういったところでケチると結果的に高くつくため、惜しまず投資する方が良い。
しかし、何事にも限度というものはある。
「降伏の証として上洛するというのに、2万もの軍を連れてくる馬鹿がどこにいる?」
大阪城へ向かう途中、目の前に広がる兵を見ながら本田正信に話しかける。
「いやー、他の方たちが納得しませんでしたね」
「それで短期間で動員できる上限に近い兵数を連れて行くのか?しかも徳川の重鎮揃い踏みで」
「確かにかなりの費用がかかっています。ただ、豊臣から援助が出ているので自腹の分は少ないですよ」
「経済力の差を見せつけられてるなぁ...」
「既に負け戦の空気ですね」
「道中こちらを警戒するような素振りも無し。この数を連れてきた以上、騙し討ちを警戒されても仕方ないと考えていたが」
降伏すること自体は既定路線なので問題ない。
ただ、流石にここまでされるとなると、豊臣と徳川の差というものを見せつけられてしまう。
とはいえ他大名の手前もあるので、徳川家があまり下に見られるのもよろしくない。
何とかして徳川家の存在感を示せないものか。
ちょうど榊原康政が定期報告で来ているので聞いてみるか。
「康政。豊臣家や大名達に対し、流石徳川と思わせられるような策は無いか?」
「殿。都合の良いことに先程岡崎から知らせがありました。本多重次がとある準備をしておるとのことです」
本多重次。
徳川家の家臣の中でも行政面の差配に優れ、その上武将としても能力に不足は無し。
ただ気性が大変荒く、すぐにキレるため扱いが難しい。
能力が高く真面目で公平な長所よりも、性格の難しさの方が勝っている短所から鬼作左と呼ばれるという時点で頭が痛くなる。
「...鬼作左と聞くだけで不安になるが、どういった準備をしているのだ?」
「秀吉殿の母君と妹君の宿舎に薪を積み上げ、合図があればすぐにでも焼き討ちにできる手筈が整っているとのことです」
「たわけが!今すぐ止めろ!」
「豊臣家にも連絡済みです。これで我らに手を出せません。他大名も我らを見直すでしょう」
「降伏の最中に相手方の親族の焼き討ち予告とか最悪すぎる!誰がヤバい奴らとして見直されたいと言った!?」
「開戦の際にはこれ以上無い狼煙になりますな。はっはっはっ」
笑いながら去っていく康政を尻目に、慌てて岡崎に早馬を送るが豊臣家家中に知られているというなら最早手遅れ。
今夜は豊臣秀長殿の屋敷に泊まるというのに、一体どんな顔をして会えばいいというのか。
降伏の証として、あなたの御母堂を焼き討ちにする準備を整えて来ましたと言うのか?
大阪に着いてまずやったことは秀長殿への平謝りだった。
ただ幸いなことに、秀長殿からは「状況は察しております。家中の者にも短慮は起こさぬよう言い含めております」と温かい言葉が返ってきた。
母親と妹が焼き討ち寸前というのにこの対応。
調整役が秀長殿で本当に良かった。
その後、「人質に何かあれば即開戦となりますので、徳川方もご注意下さい」と念を入れられた。流石にこれは黙って従うしかない。
「この状況で開戦となったら、世間での徳川の評判は壊滅的だな...」
「秀吉は必ず仕留めなければなりませんね。明日はこの元忠にお任せ下さい」
「それは止めろと言っただろ元忠。というか、九州の話を聞いたか?秀吉殿が出陣される際には20万の大軍を送り込むらしいぞ。見積もりが甘すぎたわ」
「流石は豊臣家。我ら徳川とはいえ、20万相手ともなるとギリギリですね。この康政、死兵となって戦います」
「いや無理だろ。その自信はどこから湧いてくるんだ...」
秀長殿の邸宅で食事を取って風呂に入り、明日の謁見に備えてゴロゴロしながら徳川四天王と世間話をしていると、床を踏み抜かんばかりの音を立てながら本多忠勝がやってくる。
「忠勝、見張りはどうした?何かあったか?」
「殿!来客ですぞ!」
「来客?そんな予定はなかったと思うが、こんな夜中にどこのどいつだ...」
「秀長殿とお供です!」
「秀長殿?事前の連絡無しに訪問されるとは珍しい。まあよい、通せ」
配慮が行き届いている秀長殿にしては珍しい。
急に訪問が必要な事態でも起きた可能性が高いが、徳川の者が暴れたとかではないのを祈ろう。
しばらくすると忠勝に案内されて秀長殿が部屋に入ってくる。
お供の者もついてくるが、頭巾を深く被り口元を覆っているため顔が分からん。
どこかの家中のものだろうか。
「家康殿。夜分遅くに失礼して申し訳ございません」
「いえいえ、ここは秀長殿の邸宅です、何の遠慮がありましょうか。いつでも歓迎しますぞ。して、何か事件でもありましたか?」
「事件などではありませぬ。ただ、家康殿とお会いしたいと申す者がおりまして」
「こちらは問題ありません。後ろの方がその方でしょうか?」
「はい。家康殿へご挨拶を」
秀長殿が促すと、お供の者が前に出てくる。
「我が兄、秀吉になります」
「やあ!家康殿!こんな時間に申し訳ないな!早く話がしたくて我慢できなかったんじゃ!」
頭巾を外したその顔は、見間違うはずもない秀吉殿だった。
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