第2話

 真一は長野県に生まれてから今に至るまで一度も出たことはない。列島の中央に座す長野県は言わずと知れた海無し県であり、山脈や丘陵に囲まれている。県民にとっては交通・通信網が今こそ発展していなかった頃に比べればマシだが、やはり海は縁遠い存在であり、真一もまた海に対しては果てのなさ、底知れなさに畏怖を感じていた。


 さて、今日みたく天気の良い夏の日、家族と川遊びに来た時だった。目的の川に向かって歩いている途中であった、遊ぶことしか頭にない僕の視界に電話ボックスが映った。


 携帯電話を持たない小学校の僕にはアニメの影響もあって全てが特別な物に見えていたが、風雨に遭ったであろう乾いた泥や枯れ草がこびりつき、また蔦が絡みついてすっかり汚れた筐体の中で白色蛍光灯に照らされた真新しい電話機はより特別なものとして映り、未知なる冒険が始まるような予感を感じさせた。


 僕は両親の制止の声も聞かず、一目散に駆け出した。電話ボックスまでは小学校低学年にしては遠かったが、かえってそのことがワクワクした気持ちを湧き起こした。あっという間に目の前に辿り着くと、日光が雲間から差したことでそれは神秘的なものとして映った。


 背の低い僕は電話機を前にして顔を上げた。子供の興味関心は山の天気のように変わりやすく、僕の興味はすでに電話機ではなく、数字と漢字と絵の書かれた緊急連絡番号の一覧にあった。そして、中でも目についたのが118番、海の事件や事故のときにかける番号であった。この瞬間、ある疑問が閃いた。


 なぜその時だったのかをいま考えると、それは僕が塾に通い始めて高学年で習うようなことを先取りして、そこで得た知識を何かしらに活用して披露したいという思いがあったのだと思う。


 急いで走ってきた、苛立ちと心配の入り混じった両親の表情を今でも覚えている。僕はそんな両親はこう尋ねた。


 「この118番って海の事故や事件に使うんでしょ。でも、僕の住んでいる長野県って海ないよね。じゃあさ、この番号にかけると何が起きるの」

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