一一八番
並白 スズネ
第1話
逃げ水が見える夏の昼下がり、日下部真一は肩を落として、次の営業先へと向かっていた。その日も全くと言っていいほど契約が取れなかった。事前にアポを取り、資料を入念に準備した甲斐もあってプレゼンは上手くいって、相手の反応も良かったはずなのにあっさりと断られる、ということが何日も続いていた。
「それにしても、今日はいつになく暑いな」
真一は右手で日差しを遮るようにして顔を上げた。高い位置でキラキラ白く輝く夏の太陽と果てしなく澄み渡る青空が嫌味っぽく感じられた。いつになく意識が朦朧とする。きっとこれも太陽のせいだ。
すげなく断られることは仕事上あることだと割り切り、恐れずに営業経験を重ね、プレゼンを「よくわかんない」と言われたり、疑問に即答できないことは実力不足だと思い能力向上に努めてきた。その結果として入社してから10年が経って僕は社内で一、二を争う優秀な営業マンになった。が、それゆえに僕はここ最近の不調に自信を喪失していた。
「ひとまず、昼飯にでもするか」
ベルトの白く剥げかかった腕時計を見て一人呟くと、向かい側の歩道に寂しく佇む公衆電話が目に留まった。
『あんなとこに電話ボックスなんかあったっけな…』
飲食店をはじめいろんな店がひしめくこの通りは田舎にあって、都会っぽく活気があり、子供の頃からよく通っていた。真一は中学生のときに携帯を持ち始めて以来、視界の隅に追いやられていたはずであったものが今になって気になっていることが不思議であった。真一は車道を渡って、公衆電話の間近に立った。
それは思った以上に年季が入ったものだった。電話を取り囲む四方のプラスチック製の板は濁った透明色で触れると目に見えない無数の傷が入っていた。原因は指の腹についていた砂塵や花粉だった。風の強いこの辺り一帯で長い間吹き晒され続けたのだろう。屋根に印字されたNTTの文字もすっかり擦り切れて、なんて書いてあるか分からない。
役目を終えた挙句、見捨てられたこの公衆電話に真一は同情を覚えた。
「電話ボックスに同情を覚えるなんて、相当参っているな俺」
真一は自嘲気味に言った。中に入ってみようと思い、扉を開けると蒸された熱気が体にまとわりつくように吐き出された。そして、奇妙なことになぜか馴染み薄い腐った磯の香りが真一の鼻を刺激した。反射的に体がのけぞったが、気を取り直して中に入った。
「へぇ」
中は外の雑音が気ほとんど聞こえず、防音性がしっかりしていることに真一は驚いた。ピンク色の電話機はまだらに褪色し、ところどころ塗装が剥げかかって、受話器を繋ぐ線も表面を焦げついた赤茶色の錆が這っていた。視点を上にすると、110番や時報の117番など様々な3桁の数字の書かれた色褪せたポスターがあった。この数字は緊急連絡番号と呼ばれている。
真一はその中に118番を見つけると、自分がなぜ電話ボックスに興味惹かれたのかをハッと気付かされた。それは小学校低学年の頃の記憶を結ぶ素朴な疑問だった。
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