第4話 名前

 気がつくと、先を歩き始めていた少女は俺の隣に並んで歩みを合わせていた。

 歩いている場所は草原のまま。

 少し歩いたくらいでは、周囲に変化は見られない。

 素足の裏から感じる土の感触が、家族と最後に行ったキャンプ場の土の感触を思い出させる。

 自分の身なりが寝落ちする前に着ていた上下黒のジャージだけだから、靴や靴下なんて履いていない素足の状態。

 今のところはだと思うけれど、草原が砂利や石が殆どない場所で助かった。


「ねぇ」


 ふと、感傷的になりそうだったところに少女が声をかけてきた。


「貴方の事、タクトって呼べば良いかしら?」

「いきなり呼び捨てって。別に、良いけど」


 非常事態というか、異常事態というか、そんな環境が麻痺させているせいだろう。

 出会って間もなく生意気そうな雰囲気を持つ怪しく不思議な格好をした少女に呼び捨てにされても、特に何の感情も抵抗も湧いてこないので許容する。

 妹に似ていた事が大きな要因となっている事に、俺が気づく事はない。


「ていうか、何で俺の名前知って――」

「じゃあそろそろ、私の名前を決めてちょうだい」


 喋っていた所に言葉を被せられ、俺は軽く溜息を吐く。


「何で俺が君の名前を決めるの?そういうのは君の親、若しくは、自分で決めれば良いだろう」

「親って言うなら。それならやっぱり、貴方の役目じゃない」

「はぁ?」

「まぁ良いわ。先に説明してあげる。その後、ちゃんと名前を決めてもらう事にするわ」


 少女の言ってる事が理解できない。

 けれど一先ずは、何かを説明してくれるという少女の流れに身を任せてみるかと、頭を軽く掻きながら黙っておく。


「私はタクトの能力ちからから生まれた存在で、タクトの一部なの。だから、親と言える人はタクトなわけ。解ったなら、早く名前を付けてちょうだい」

「……」


 話を聞いて、俺は歩みを止めた。

 その事で俺の数歩先を進んだ少女もまた、此方に合わせる様に歩みを止めて振り返る。

 俺は少女に、勢い良く言った。


「ごめん!全っ然!意味が解らないんだけど!」

「はぁ!?解りやすかったでしょ、今の説明!」

「どこがだよ!」

「タクト。貴方、馬鹿ぁ?」

「……」


 どこかで聞いた事がある有名な言葉のせいで、熱くなった頭が一気に冷める。

 まさか、リアルにその言葉を聞く事になるなんてな。

 とりあえず、落ち着いて会話をしよう。


「そもそもの話。当たり前の様に言っているけど、俺の能力ちからって何だよ。俺にそんな非現実なモノなんてないぞ」

「眠る前は無かったわよ」

「眠る前はって。じゃあ、今はあるのかよ」

「あるに決まってるじゃない。その証拠に、私が存在しているもの」


 自信満々に、少女は小さい胸に手を当てて胸を張ってきた。

 その姿を見て、俺は頭を抱えて下を向く。

 それならばと。

 下げた頭を持ち上げて、究極にして簡潔に答えが出る問題を投げかける。


「じゃあ、君が言ってる能力ちからが俺に本当にあると仮定して、それで一体何ができるんだ?本当なら、何か証拠を見せてくれ」


 言い方が悪かったのは認めよう。

 俺の言葉にムッとした顔で反応を示す少女。

 しかしその表情とは正反対に、静かな動きで左手を俺に向けてきた。

 次の瞬間――。


 ブォン。


 俺の目の前に、薄く蒼みがかった透明に近い壁?の様なモノが現れた。


「な、なんだこれ!?」

「貴方の能力ちからよ」

「これが?」

「そうよ」

「透明な壁を出せる能力ちからが、俺の能力ちからなのか?」

「壁?」

「コレの事だよ」

「ソレ、壁じゃないわよ。ただの壁を出すだけなんて、そんなつまらないモノじゃないわ」

「じゃあ、コレは何なんだ?」


 目の前に未だ消えずに現れている透明な壁らしきモノを、指で突きながら聞いてみる。


「タクトが解る名称でコレが何かって説明するのなら、盾……かしら。バリア?とか。結界って言うのが、一番正しいのかしら」

「盾?、バリア?、結界?」

「因みに。今は解りやすく小さく板状に出しただけだけど、球状にだってできるわよ。て言うか、大体の形状に変えられる。全力を出せば……、そうね。覆うだけなら地球全部、覆えるんじゃないかしら。その分、強度や持続時間は短くなるだろうけど」

「そ、そうか。よくは解らないけど、とりあえずは解った。君が言う超能力みたいな特殊な能力ちからが実際にあるって事は、理解した」

「そう。解ってもらえたなら良かった」


 少女が言っていた能力ちからと言うモノを文字通り目の前で実際に証明され、本当に超能力みたいなモノが、非現実的だったモノが、実際に現実に有り得る状況になっている事は理解した。

 けれど。

 まだ疑う気持ちが全て、無くなったわけじゃない。


「でも、これは君の能力ちからなだけであって、俺の能力ちからって訳じゃないだろ」

「何言ってるの。タクトの能力ちからよ」

「じゃあ、俺も、コレと同じ様な事ができるって言うのか?」

「ええ。この能力ちからに関して言うなら、貴方ができないなら私には絶対できないし。私にできるなら、貴方は絶対にできるわ。私は貴方の能力ちからから生まれているんだから」


 その言葉を聞いて、自身の手のひらを見つめてみる。


「まだ信じられないなら。お手本は見せたわけだし、実際に同じ事をやってみれば良いじゃない」

「コレと、同じモノを出そうと思えば、念じたりすれば、できるのか?」

「できるわ。絶対」


 気持ちは半信半疑のまま。

 けれど少女の力強い返答に、先程の少女と同じ様に俺は左手を前に突き出した。

 そして想う。

 念じる。

 少女が出した、今目の前にあるモノと同じモノを想像する。


 ブォン。


「うぉっ!ほ、本当に出た」


 俺の目の前に少女が出したモノと全く同じ、薄く蒼みがかった透明の壁が現れた。


「ほら、私の言う通りでしょ」

「あ、ああ」

「それで、その能力ちからから生まれたのが私ってわけだから。私の親が誰かと言われたらタクト、貴方って事になるわけ。それなら私が貴方に名前を付けなさいって言うのは、何も間違っていないでしょ」

「まぁ。それが事実なら、そうなる……か」

「だから!事実だって言ってるでしょ!」


 少女が言う事に未だ頭の整理が追いつかず、まだ疑いの言葉が出てきてしまう。

 その態度に、いい加減少女も苛つきだした様子。


「早く!名前!」

「わ、解ったよ。じゃ、じゃあ……ア――」


 急かされて焦った事もあり、死んだ妹と“色”は違っていてもうり二つな顔を目にした事もあり、妹の名前がつい口から出そうになる。

 けれど妹に似ている少女に妹と同じ名前を付けるというのは、凄く……嫌だった。

 妹の名前は、妹だけのモノ。

 勿論、妹と同じ名前の人はこの世の中に数多くいるだろう。

 そんな事は十分理解している。

 けれど俺がアイと少女に名付けるのと、誰かしらが相手を想ってつけるアイと言う名前は、まるで意味が違うと思う。

 咄嗟に俺は妹の名前を口走りそうになったのを避ける為、誤魔化そうとした。


「――す、すまない。ちょっと待っ」

「アース?良いじゃない。格好良いし、気に入ったわ。アース、ね」


 その所為で言葉が繫がって聞こえてしまい、そのまま名前だと思われた様だ。

 アース。

 不本意ではあるが少女がいたく気に入ってた様なので、今更違うとは言い難くい雰囲気。

 面倒になりそうだったので潔く、そのまま決定という流れにしておこう。


「じゃあ、名前も決まった事だし。ほらほら、行くわよ」

「あ、ああ」


 再び俺は少女と、アースと二人、歩みを進める。

 黙って進むのも何なので、アースが解る範囲でまだ教えてもらっていない彼女について聞きながら。

 先程の能力ちからについて学びながら、使い方を練習しながら、再び進んで行く。

 暫く進むと、河川敷だったと思われる場所に出た。

 何故、“だった”と感じたのか。

 其処は見渡す限り崩壊しており、自分の知っている河川敷と呼ばれる風景とは全く異なっていたからだ。

 ミサイルや爆弾を何度も撃ち込まれて破壊された様な、何か戦闘行為が行われていた様な有様になっている。

 河川敷というよりも、戦争跡地と呼ばれる場所に思えた。

 周囲の状況はまるで見た事もない状況だけど川の地形までは特に変化していなかったおかげもあり、記憶していた風景から此処が何処だか該当する場所を思い出した。

 アルバイト終えた自宅までの帰り道。

 時折、コンビニで買ってきた晩ごはんの弁当を河川敷で食べていた事がある。

 その時に見かけた風景、河川敷と川の記憶にこの場所はとてもよく似ていた。

 考えた俺は自分達がきた方向を振り返り、寝ていた場所までの距離を感覚だよりに思い返す。


(草原地帯になっていたから、遮る物もなく。そのまま真っ直ぐ歩いてきた。けれど此処が異世界でも何でもなく普通に地球で、自分の住んでいる地域で、住居も記憶の通りにそのままあったとしたら。寝ていた場所は、やっぱり自分の家があった場所だったんじゃないか?)


 そう考えていると、アースが声をかけてきた。


「どうするの?川の向こうに行く?それとも、川に沿って行く?」


 その言葉に逡巡する。

 どうしてこんな世界になってしまっているんだ?

 それに、どうして人の気配が全くないんだ?

 混乱しそうになる頭と心を、何とか落ち着かせて答える。


「川沿いに歩こう。もう少し行けば、橋が見えてくるはずだ」

「はーい」

「それに――」


 橋に到着すれば、橋からはあの目立つ建物が微かに見えるはず。

 俺の住んでいる県。

 県の代表の一角として使われる地名が、そのまま駅名として付けられているナゴヤ駅。

 其処には、象徴になっている二つの高いビルがある。

 此処が記憶通りの場所で橋まで行ってそれが見えたなら、都市部の方向や方角の目印になるはず。

 それに。

 嘘や夢であって欲しい気持ちはあるが未だに信じられないこの状況に、さらに現実味が持てるはず。

 本当に、嘘や夢であって欲しい。

 一先ずは橋を目指し、進行方向を確認し、誰か人がいるかもしれない場所を目指そう。

 集まっていそうな場所はとりあえず、聞いた事がありそうな有名な場所にでも行ってみよう。

 それなら、ある程度見当もつきやすい。

 目標を決めて、記憶通りなら橋があるその方向を目指して歩く。


「橋ってあれ?」

「っ」


 まだ少し距離のある、遠くに見えた橋らしきものをアースが指差した。

 多分記憶にあった橋、だろう。

 殆ど崩れているせいで、記憶にある橋かどうかの判別がイマイチつかない。

 慌ててもう一つの目印として期待していた、当てにしていた二つのビルが見える方向を確認する。


「合ってる、みたいだな」

「そう。良かった」


 アースはそう言って橋へと向かう。

 自分の足は直ぐには動かせず少しの間立ち尽くしたが、アースに置いていかれない様に何とかまた歩き出す。

 やっぱり、これは現実だ……。

 遠くに見えた二つのビル、その内の一つは半壊状態になっていたがもう一つは記憶の通りに残っている様に見えた。


「此処は異世界でも、知らない場所でも何でもない。地球で、ニホンで、俺が住んでいた場所じゃないか。じゃあ、何でこんな事になってるんだ」


 眠る前とは全く違う変わり果てた世界に対し、俺はただ呟く事しかできなかった。

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