殺人2

「咲夜」

「行け」

その言葉を聞いた瞬間僕は弾かれたように飛び出す。

火の届かない塀の上を走りながらズボンのポケットから折り畳みナイフを取り出して刃を開いた。相手が反応するよりも速く人形(ドール)の上に辿り着き、ナイフを振り下ろしながら彼女に向かって飛び降りる。

ナイフは空を切った。

人形ドールは刃が届くより一瞬早く飛びのく。僕は後を追い、ナイフで彼女を奥へ、奥へと追い詰めていく。時々彼女は僕に向かって火を噴く。射程は2、3メートル程度だったが僕は後退せずに炎を躱し彼女の懐に入ろうとする。

目が冴えている。これは殺人鬼の特性だ。殺人鬼になった者は不眠症に苛まれる代わりに、身体能力の向上と精神の加速を得る。これは極限状況や興奮状態になると更に顕著だった。

瞳孔が開いている。夜だというのに街灯の明かりと人形(ドール)の炎がやけに眩しい。

知覚の処理できる情報量が大きく増えている。脳を机に例えるなら良く整理された、というより余計なものを全て下に叩き落して作業をしているような爽快さ。

もはや倦怠も酩酊も無かった。あるのは全てが拡張され、強化された自己と圧倒的な現実感だけ。

心臓はまるで鼓動が聞こえるように拍動していたが、全く息苦しさは感じなかった。脳に、内臓に、細胞の一つ一つに血が巡るのを感じる。切ないような歓喜で首筋に痺れが走り、背中に鳥肌が立つ。

ナイフを突き出した腕を蹴りで弾かれ、彼女は僕の横をすり抜ける。追いかけようとするが、彼女が走りながら噴く炎をくらった。とっさに顔を腕で守ったが、上着の袖や手、髪が焦げる。

彼女の狙いは僕の後ろにいる、魔術で鎮火しようと木材の上の空中に描いた魔法陣から雨のように水を降らしていた藍暗だった。僕はナイフを左手に持ち替え、上着のポケットから缶を取り出し思いっきり力を込めて投げた。缶は普通の人間の膂力では有り得ない速度で音を立てて飛んで行った。炎の奔流を突っ切り、人形(ドール)の後頭部に直撃する。人形(ドール)はふらつき、一瞬あらぬ方向に炎が逸れる。僕はその隙に人形(ドール)に駆け寄った。人形(ドール)は体勢を立て直し僕に向かって右手を突き出そうとするが、懐に入った僕は左手で彼女の右手首を掴んだ。炎に当たることを気にせずそのまま両手を使って腕を捻じ曲げる。骨の砕ける音とブチブチという何かが切れるような音がして火がとまる。

そのまま体重をかけて組み伏せる。

勝負はついた。しかし腕を破壊されたにもかかわらず人形ドールは全く痛がる素振りを見せなかった。無表情に虚空を見つめている。

鎮火を終えた藍暗は慎重に睦月に近づき、その額に触れる。

「ようしよしよし」

藍暗は呟く。

「殺してよし」

僕はナイフを少女の首に突き刺した。

恐ろしいほどの悦楽が僕を襲う。

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