第2話
僕が呆気に取られているのをいいことに十火は僕を部室に引きずっていった。
「さあさあ、入って入って」
「焔崎さん、あの──」
「十火でいいよ。高校一年って言ったでしょ?中学からのエスカレーター組なの」
部室に入った僕は驚いた。ちょっとした賃貸住宅の一室の様なのだ。
入ってすぐ右には扉がある。恐らくユニットバスだろう。
短い廊下を通り過ぎた先はリビングになっており、コの字のソファに机、その向こうの窓際にデスクトップと椅子。なんとキッチンとベッドまであった。羽雅月学園は火事とか校内暴力とか不純異性交遊という言葉を知らないのだろうか。
向かって左には扉がある。学費がバカみたいに高いのはこのせいなのかもしれない。
「驚いたでしょ。部室棟の部室はみんなこうなんだよ」
十火は僕の手を離さずリビングを通り過ぎ左のドアを開けて中に僕を引き込んだ。
その部屋には正面と片方の壁にびっしりと分厚い装丁の本が並ぶ本棚があり、もう片方には何に使うのかわからない──いや、明らかに呪術的ななにかしらに使うであろう道具が雑多に棚に収められていた。
「さて、じゃあ始めようか」
「……」
「なんか言ってよ」
「……何を始めるの?」
「入部試験」
そう言って十火は指を鳴らした。
部屋の中央の床に紫色に輝く魔法陣が現れた。
「……」
なんで指パッチンで光る魔法陣が現れるのかとかそっちから無理矢理部室に連れ込んでおいて入部試験とはどういう了見なのかとか、そういった様々な疑問はもう口に出す気にならなかった。
次々と起きる不可思議で異常でおかしな出来事はもう僕の処理能力を軽く超えていて、ただ立ち尽くしていると十火は僕の耳元に顔を近づける。桃の様な香りが鼻をくすぐった。
「英雄になりたいんでしょう?」
その言葉は僕の心の一番深い場所にリン、と響いて、思考能力を奪う。
十火は魔法陣を飛び越えて振り返り、花が開く様ににっこり笑った。
もう何も考えられない。
僕は無意識のまま魔法陣に足を踏み入れた。
「お嬢のご注文通り、
「彼が本当に私の
気づけば僕がいたのは大きな煉瓦の壁で囲まれた部屋だった。壁には火が等間隔に並んでいて部屋は明るい。
そして部屋の端に居たのは誰も見たことが無いはずなのに誰もが一目で「それ」とわかる物──物というよりも、「存在」だった。
九つの頭を持つ竜、ヒドラ。
世界で最も有名な、僕が大好きな英雄が倒した怪物。
僕の身体の20倍はあるであろう巨大な化け物が咆哮する。
「ガアアアアアアアアアア!!!!!!」
僕の村で迷子が出たとき、必ず僕が一番に見つけた。
大人達が如何に止めようと、日がな一日エアガンを持って田んぼや畑を猿やイノシシから守った。
スタンガン、催涙スプレー、特殊警棒といった合法で入手出来るありとあらゆる武器を収集し、村の剣道道場で誰よりも──師匠よりも強くなるまで努力し続けた。
挙げ句の果てには遺産相続の争いで起きた殺人事件を警察よりも早く解決したこともあった。
どれもこれもあれもそれも全部が全部、僕の人生の全ては「英雄になりたい」。
ただそれだけだった。
だが、今僕の前にいるのは正真正銘本物の怪物だ。
じっとりと汗が滲み、全身に鳥肌がたつ。
歓喜。
頭にあるのは歓喜だけだった。
これからが「僕の物語」の始まりだ。
いや、屋上の十火と目が合った、あの瞬間から僕の物語は始まっていた!
「あははははははははははははははは!!あはははは!」
「笑ってやがる……!」
「あはっあははは!狂ってる!狂ってるよ!おじさんの言う通りだった!如月蓮は英雄狂いだ!私の英雄だ!」
「はぁ……どっちもどっちか。お似合いだよあんたら」
僕は5年振りに全速力で駆け出した。一瞬でトップスピードに達する。
「英雄願望のヒステリアを確認。
右手の甲に赤く光る紋様が現れた。
そこから先どうすればいいのかを、僕は知る前から知っていた──
突進してくるヒドラと距離が縮まると、僕はヒドラの身体よりも高く跳び上がる。
右手に現れた白い炎を纏う日本刀を、僕は思いっきりヒドラに振り下ろした。
爆音が響き、目の前が真っ白に染まる。
感覚で姿勢を整え着地して振り返ると、戻った視界に映ったのはグチャグチャにされたヒドラの死体だった。
断面には白い火が勢い良く燃えていた。斬撃はヒドラどころか天井や壁を引き裂き、天井の断面から青い空が見えて自分が地下にいた事を知る。
ふっ、と目眩がし、膝をつく。身体がいうことを聞かず、そのままうつ伏せに倒れ、意識が遠のいていった。
「倶利伽羅……」
「冗談だろ……神話武器を召喚しやがった……!」
「不動明王の剣、白炎の刀。アモンの眷属に相応しい
気がつくと、僕はベッドの上にいた。横を向くと十火は椅子に座って本を読んでいた。夕日に照らされた部室で何かを考える様に、何も考えていない様にうつむいて本を読む十火は一枚の絵のようで、僕はしばらく見惚れていた。
十火が顔を上げたので、僕と目が合った。
一瞬、あるいは一時間ほどの間の後僕は
「十火が僕を英雄にしてくれるんだね」
と言った。
十火は目を輝かせて微笑み、
「そう、そうだよ、蓮。私の英雄になってよ。如月蓮」
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