必要とされるのならば
三鹿ショート
必要とされるのならば
怒鳴り声と同時に、何かを叩く音が聞こえた。
廊下の曲がり角から顔を僅かに出して様子を窺ってみると、奥の方で三人の女子生徒が立っていた。
三人の様子はそれぞれ異なり、一人は怒りを露わにし、一人は悲しげな表情を浮かべ、一人は無表情だった。
怒りを露わにしている女子生徒は、無表情の女子生徒に怒鳴り続けている。
一体、何が起きたのだろうか。
耳を澄ませようとしたところで、悲しげな表情の女子生徒と目が合ってしまった。
悲しげな表情の女子生徒が、怒りを露わにしている女子生徒に何かを告げると、二人は揃ってその場を後にした。
無表情の女子生徒もまた私に気が付くと、迷いの無い足取りで近付いてきた。
私の前で立ち止まった彼女は、丁寧に頭を下げると、
「あなたが覗いていなければ、話が終わることはなかったことでしょう。ありがとうございました」
頭を上げた彼女の頬は、片方だけが赤くなっていた。
おそらく、先ほどの女子生徒に叩かれでもしたのだろう。
私がそれを見ていることに気が付いたのか、彼女は自身の頬に手を添えながら、
「友人を想う姿は立派ですが、だからといって、何の被害も無い人間に叩かれることには、納得がいきませんね」
「被害、とは」
気になるあまり、口からそのような言葉が出てしまった。
だが、彼女は特段気分を害したような様子を見せることはなく、昇降口に設置されている長椅子を指差すと、
「あそこに座って話しましょうか」
私と彼女は、並んで長椅子へと向かった。
***
いわく、彼女は先ほどの悲しげな表情の女子生徒が交際している相手と、身体を重ねたらしい。
彼女は相手に恋人が存在しているとは知らなかったため、何の抵抗もなく相手と繋がった。
しかし、相手がその行為の様子を記録しており、それが恋人の知るところとなったため、彼女が責められることになったということだった。
「きみは、何も悪くはないのではないか」
話を聞いた私がそう告げると、彼女は首肯を返した。
「私は何度も確認しましたから、虚言を吐いた相手が悪いのです」
「偏見と言われても仕方が無いが、女性に慣れている人間らしい行為だ」
私がそのような感想を漏らすと、彼女は首を横に振った。
「いいえ、彼は特段異性に人気があるというわけではありません。おそらく、私が誰にでも股を開く人間だということを知っていたのでしょうね」
突然の発言に、私は耳を疑った。
目を見開く私の様子に、彼女は首を傾げた。
「知らなかったのですか。そう言われてみると、確かにあなたとは互いに肌を晒したことはありませんね。この学校の大半の男性とは関係を持っていますが、珍しいこともあるものです」
彼女の噂を知らなかったのは、友人と呼ぶことができる人間が皆無であることが原因なのだろう。
だが、知っていたところで、彼女と関係を持つようなことがあっただろうか。
思わず彼女を見つめていると、彼女は私に顔を近づけながら、
「あなたが望むのならば、構いません。隣の校舎の空き教室ならば、立ち入る人間は存在しませんから、そこに向かいましょうか」
私の手を握る彼女の手は、柔らかかった。
女性というものは総じてこのような柔らかさを有しているものなのだろうかと考えたところで、私は首を横に振り、正気を取り戻した。
私は彼女の肩を掴みながら、
「自分を安く売ってはならない。今はそのような行為で充足感を得られるだろうが、今後の人生においては、そうはいかないだろう。何でも良い、他に満足感を得られるようなことがあるはずだ。それを見つけた方が良いのではないか」
無条件で彼女の肉体を味わうことができるということは魅力的だが、人間として、それは間違っているように思えた。
真に愛する人間と繋がるこそ、その行為に価値があるのではないか。
私の言葉に、彼女は初めて表情らしい表情を見せた。
目をわずかに大きくした彼女は、私の顔を見つめながら、
「そのようなことを言われたのは、初めてです。これまで私と関係を持った人々は、揃って自らの欲望の捌け口としてしか私を見ていませんでしたから」
心を入れ替えてくれるのかと期待したが、いつの間にか、私は彼女に唇を奪われていた。
驚いている隙にそのまま押し倒され、彼女は自身の衣服の釦を外し始めていた。
「何をするつもりだ」
顔を背けながら問うと、彼女は何の感情も籠もっていない声色で、
「断られるということに、私は慣れていません。互いに快楽を得られるのですから、遠慮することはありませんよ。私に任せてください」
「私は、そのようなことを望んでいない」
「私が、それを望んでいるのです」
そのとき、何か温かいものが顔に落ちてきた。
視線を戻すと、彼女の双眸から、涙が流れていた。
一体、何故そのような反応を見せているのか。
私が目で問うていると、彼女は衣服の袖で涙を拭きながら、
「望まれなければ、私に価値はないのです」
***
彼女は、年老いた両親から誕生した。
なかなか子どもを授かることができなかったゆえに、彼女は可愛がられ、それと同時に、両親から、
「あなたは、私たちが望んだ人間なのです。その価値は、何物にも代え難い」
常々そう言われてきたために、自分には価値があるのだと考えるようになった。
しかし、その両親が不慮の事故でこの世を去ると、彼女を求める人間は皆無となってしまった。
誰からも目を向けられることがなくなってしまい、自分には他者を惹きつける価値はないのだと落ち込んでいた中、彼女は身を預かってくれていた親戚の家で、
「私の相手をしてくれるのならば、実の子どものように可愛がろうではないか」
父親の弟を名乗るその男性の言葉に、彼女は魅力を感じた。
相手に従った結果、その言葉通り、彼女の生活は一変した。
それ以来、彼女の思考は変化した。
どのような見返りがあるのかは不明だが、求めてくれた相手に従っていれば、良いことがあるのだ。
それはつまり、自分に価値があるということに他ならない。
ゆえに、彼女は多くの男性と関係を持ったのである。
***
その話を聞いて、私は彼女に同情した。
だからこそ、私は彼女に交際を申し込んだ。
有象無象の一瞬の慰み者ではなく、一人の人間の特別な存在になれば、どれほど年老いたとしても、その価値が変化することはないのだ。
私の言葉に、彼女は胸に手を当てながら、
「私は既に、多くの男性によって汚されています。そのような肉体でも、あなたは受け入れることができるのですか」
彼女に向かって、私は頷いた。
「むしろ、そこで身につけた手腕を、私に発揮してほしい。どれほどの快楽が待ち受けているのか、楽しみだ」
口元を緩めると、彼女は深々と頭を下げた。
「このような私で良ければ、よろしくお願いいたします」
勢いで彼女と特別な関係を築くに至ってしまったが、後悔は無い。
顔を上げた彼女が浮かべていた笑みは、曇り空をも吹き飛ばすようなものだったのだから。
必要とされるのならば 三鹿ショート @mijikashort
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