20xx年10月16日(木) ②

 要のマラソン大会については、特筆すべき点は何も無いまま幕を閉じた。


 ただ、平均よりちょっと上の順位でゴールできたのは、きっとひよりとの練習があったであろう。


 マラソン大会の順位は体育の成績に直結するので、その点は彼女に感謝しなければならない。


 そんな風に思った要は、お昼休みにひよりにこんなメッセージを送った。


 --今日は疲れているだろうからピザでも頼もう。


 彼女から「いいですね!」と返事があったので、要はお昼休み中にピザを注文。放課後、帰りにピザを受け取って帰宅した。


 汗をかいていたこともあり、二人は先にシャワーを済ませ、お風呂上がりに炭酸飲料で乾杯しながら、ピザを頬張る。


 至福の時間とはまさにこのこと。


 ジャンクフードが似合わないひよりが、美味しそうに食べているのが実に印象的であった。


 そんなこんなで夕食を終えた二人は、いつになくソファでまったりしている最中である。


「さすがに今日は疲れましたね」

「だな。午後の授業が眠すぎてやばかったわ」

「確かに。皆さん、結構寝てました」

「ひよりはもちろん真面目に聞いてたんだろ?」

「はい。けれど、いつもよりは頭に入ってこなかったですね。また復習しないといけないです」

「本当に真面目だな」


 要としては褒めたつもりで発した言葉だったのだが、ひよりは少し不満そうに顔を覗き込む。


「私ってそんなに真面目に見えますか?」

「え、ああ。真面目だと思うけど。なんで?」

「……前に本で読んだことがあります。真面目すぎる女は男から好かれないって」

「それは人によると思うけどな」

「……要くんは真面目な女性をどう思いますか?」

「俺か? そうだな……俺自身が割と適当で何でもいいって思っちゃうタイプだから、自分の考えであったりポリシーを曲げない人は素直に尊敬するかな」

「確かに要くんは、私があれこれ言っても反論せずに受け入れてますもんね」

「そそ。むしろ言われないとやらないタイプの俺からしたら、その方がありがたいというか。そういう意味では、ひよりが隣にいてくれてすげえ有難いと思ってるよ」

「……私たち、相性ばっちりなのかもですね」


 自分で言って、頬を火照らせるひより。


 手はモジモジしており、要の方を見ようとはしない。彼の反応を試しているようにも見えた。


「……相性はどうかは知らないが、一緒にいて落ち着くのは間違いないな。何気ないひよりとのこういう時間が俺は好きだ」

「……私も好きです。要くんのこと」

「えっ!?」


 何か反応がおかしいと思って、先の自分の発言を瞬時に振り返るひより。


 すると自分が、とんでもないことを口にしていたことに気づく。


「あ、ち、違います‼︎ 私も要くんと過ごす時間が好きってことです‼︎」

「あ、ああ。そ、そうだよな、びっくりした……」

「すみません、勘違いさせて……」


 本当は勘違いではないのだが、この場で強引に想いを伝えるほど、ひよりに勇気は備わっていない。


 彼女は人から言い寄られることはあっても、人に言い寄るという経験はないのだから。


 要は、変に気まずくなった空気を立て直すように、立ち上がった。


「そうだ、今日はデザート買ってきてたんだった」

「え、デザートですか?」


 きょとんとしているひよりに対し、要は冷蔵庫から四角い小さな箱を持ってきて、目の前で広げた。


 小さなケーキに、ひよりは目を輝かせる。


「これ、どうしたのです?」

「一応、五位入賞のお祝い。ひより、頑張ってたからな」

「……嬉しいです。ありがとうございます」


 ひよりが早く食べたそうにしているので、要は小皿を並べながら尋ねる。


「どっちが食べたい?」

「では、こちらのショートケーキを頂きます」

「はいよ」


 目の前に差し出されたケーキを前に、ひよりはまるで小さな子供のように嬉しそうに手を合わせる。


「頂きます」

「どうぞ」


 疲れた身体に甘い物が染み渡り、ひよりが頬に手を当てる。


 幸せそうな表情を見ているだけで満足な要は、残ったチョコレートケーキに手を付けることはせず、そのまま蓋を閉じた。


「……要くん、食べないのです?」

「ああ。お腹いっぱいだ。これは持ち帰って明日にでも食べてくれ」

「いえ、それはできません。要くんが買った物ですから、自分でも食べてみてください。とっても美味しいですよ」

「そう言われても、一個も要らないんだよなあ」

「……では」


 ひよりはフォークでケーキを取り、それを要の口元まで運ぶ。


「え?」

「一口あげます。食べてみてください。美味しいので」

「……いいのか?」

「何がです?」

「あ、いや、考えすぎか。……じゃあ、頂きます」


 フォークに刺さったケーキをぱくっと平らげた要。滑らかな舌触りで、どこか懐かしさを感じるような、そんな味だった。


「美味しいですか?」

「まあな。けど、一口で十分かな」

「ふふ。では、後は私が頂きますね」


 そう言って、手元のケーキに目を落としたひよりは気づく。


(あれ、これってもしかして間接キス!?)


 要が直前で躊躇していた理由に行き着いたひよりは、頬を真っ赤に染め、固まっている。


 どうしよう。何も気にしていない素振りを見せていたのに、今更フォークを変えるのも相手を傷つけてしまうかもしれない。


 けれど、これをそのまま使えば、間接的に唇を触れ合うことになってしまう。


 どうするのが正解か迷っていると、要が心配するように顔を覗き込んできた。


「大丈夫か? もしかして、お腹痛くなったとか?」

「あ、いえ! 何も問題ありません! これ、とっても美味しいですね!」


 そう言って、勢いに任せる形でパクパク食べ進めるひより。


 もはや味など感じないくらいにドキドキしていたのだが、そんなこと要は知る由もない。


(どうしよう……間接キスしちゃった……)


 自分の唇をそれとなく触るひよりの表情は、まさに乙女が恋している時のそれだった。


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