20xx年10月16日(木) ①
今日ほど雨が降れば良いと思ったことはない。
なのに、あいにくの晴れ模様となり、予定通りマラソン大会が開催される運びとなった。
要がグラウンド横の縁石で黄昏ていると、肩に誰かの手が乗せられた。
振り返ると、そこにいたのは流星だった。
「残念だったな。ワンチャン、中止を期待してたんだろ?」
「うっせい」
「男子は八キロだっけ? 地味にキツイよな」
「いや、普通にキツイわ」
先日ひよりと練習したとは言え、あれは休み休みの話だ。
ぶっ通しで走らなければいけない本番は、やはり勝手が異なってくる。
「お、女子が先にスタートするみたいだ」
グラウンドに集まっている女子達。その中には、ひよりの姿も確認できた。
足の状態は悪くはないらしいが、無理はするなと伝えてあるので、きっと大丈夫だろう。
人知れずそんな心配をしていると、周りの男子達がざわざわと騒ぎ始める。
「誰が優勝するかな?」
「さすがに陸上部だろ。あいつら、マジで走るマシーンだから」
「じゃあ、それ以外では?」
「黒猫姫か……あとはB組の有栖川も早いってウワサだな」
そんな話を小耳に挟み、要は流星に確認する。
「そうなのか?」
「ああ。中学は陸上部だったみたいだぞ。しかも、そこそこ有名な選手だったんだと」
「へえ。何で辞めたんだ?」
「そこまでは聞いちゃいないが、なんか話したくなさそうな雰囲気だったな」
「ふーん」
位置についての合図と同時に、女子達が構える。次の瞬間にはスターターピストルから号砲が鳴らされ、一斉に駆け出した。
男子達は思い思いに応援したい女子達の名前を呼んでいる。そのほとんどが黒猫姫の名前であり、改めて彼女の人気の高さを目の当たりにする。
流星は当然ながら綾乃の応援をしており、隣にいたからか、要にも応援するように強要する。
「ほら、お前も応援しろ」
「は? 何で俺が」
「いいから。有栖川さん、頑張れー‼︎」
「たく、こんなことして意味あんのかよ。……有栖川、ファイトー」
やる気のない感じを十二分に出したつもりだったが、どうやら本人はこちらの応援に気付いたようだ。少し嬉しそうに手を振っている。
だが、問題はその後。
綾乃のすぐ後ろにポジショニングしていたひよりに見つかってしまい、彼女にふんとそっぽを向かれてしまった。
「……俺はお前を恨むぞ」
「は? なんでよ」
当然何のことかピンときてない流星は、隣で首を捻っていた。
三十分も経たずして、先頭集団が外周を走り終えて、グラウンドに戻ってきた。
さすが本業の選手たち。伊達に長距離走る身体に仕上げているだけはある。
そしてそのすぐ後ろを、二人の美少女が追いかけていた。
「すげえ、有栖川!」
「いや、黒猫姫も負けてねえぞ!」
抜いて抜かれてを繰り返し、デッドヒートを演出する二人。
彼女の頑張りが報われることを願うべく、大声を張り上げる流星。
夢中になっているからというのもあるだろうが、先ほどとは違い、こちらに応援の強要はしてこない。
であれば、要としてもやる事は一つ。同じアパートの入居者の応援に徹することだ。
(頑張れ、ひより)
声には出さないが、必死に想いを届ける要。
その力を背に受けたかは定かではないが、ひよりが最後の力を振り絞る。
一歩分、ライバルの前に躍り出ると、綾乃の顔に焦りの色が出る。
(くそっ‼︎)
もはやこれまでかと諦めかけたその瞬間、喧騒に混じって一人の男の声が綾乃に届く。
「負けるな、有栖川‼︎」
声の主は聞かなくても分かる。今この時、誰よりも自分のことを応援し、好きでいてくれる人物。そんな彼の期待を裏切ることはしたくない。
(負けられない。これだけは‼︎)
限界を超えた綾乃の力走は、勝負を振り出しに戻す。
そして。
最後は元陸上部の意地が優ったのか、綾乃がひよりより先にゴールテープを切るのだった。
女子のマラソンが終わり、次は男子の番へと移る。
直前になってタオルを忘れたことに気づいた要は、急いで教室へ取りに戻っていたのだが、その帰り、廊下でばったりひよりと遭遇した。
「あ……」
ついいつもの感じで接しようとしてしまうが、学校では話しかけないという約束を守ろうとするひより。
額には汗が滲んでおり、タオルで隠しながらすれ違おうとする。
「…………」
こちらからした約束なのは違いない。けれども、この場で無言ですれ違うというのは、先ほどの彼女の頑張りを見ていた者からすればあまりにも失礼に値するのではないか。
そんな心理が働いた要は、自ら約束を破りにいく。
「おつかれ。頑張ってたな」
「……要くん、ここは学校ですよ。話しかけてはまずいのでは?」
「他の連中は全員グラウンドに出てるから多少は大丈夫だろ。それより五位入賞おめでとう」
「……ありがとうございます。本当はもう一つ上の順位を狙っていたのですが」
「上出来だろ。相手は元陸上部の有栖川なんだから」
「……そう言えば、要くん。スタートした時、有栖川さんの応援してましたよね」
「あ、あれは隣の流星にやれって言われたから仕方なくだな。それに、ラストスパートの時はちゃんとひよりの応援をしてたぞ」
「おかしいですね、聞こえてきませんでしたよ」
「……まあ、心の中で応援してたからな」
どうせそんなことだろうと思ったひよりは、小さく息を吐く。
「声出しで応援してくれたら、勝てたかもしれませんのに」
「俺の応援にそんな効果はないと思うが」
「むしろ、一番あるというか……」
肝心な所で声が小さくなるひより。
これでは、要に思いは届かないだろう。
「なんか言ったか?」
「いえ、何も! それより、もうすぐ男子の出番なのでは?」
「いけね、もうこんな時間か。じゃあ、もう行くけど、足首しっかりアイシングはしておけよ。怪我明けなんだから」
「分かっていますよ。お気遣いありがとうございます」
玄関に向かって歩いていく要に、ひよりは言い忘れた一言を添える。
「要くん、応援しているので頑張ってください」
「……さんきゅな」
手を上げて応える要。
そんな彼の背中が見えなくなるまで、ひよりは温かい笑みで手を振り返していた。
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