20xx年08月12日(火)

 要の通う学校は、お盆の前後に計二回の登校日が設けられている。


 主な目的は、連休前に提示された課題の提出なのだが、進学校ということもあり、出される課題の量は膨大極まりない。ある生徒が言うには、毎日最低五時間は勉強しないと終わらないレベルだとか。


 かくいう要もここ数日は血眼になって課題に取り組んでいたわけだが、後少しを残して当日を迎えてしまっていた。


 ただ、さすがに開き直って出来ませんでしたと匙を投げるようなダサい真似はしたくない。


 彼は朝早くに起きて登校し、学校で残りの課題を仕上げる作戦に打って出ていた。


(よし、誰もいないな)


 静寂が支配する教室。


 朝の早くから活動していることもあり、まだ気温は上がりきっておらず、暑さはそこまで感じない。


 ホームルームまであと一時間半。この環境であれば残った課題を終わらせることができそうだ。



 自分の席につき、課題に取り掛かりはじめて寸刻。まだ他の生徒が来るには早すぎる時間に教室のドアが開かれ、要はびっくりしたように顔を上げた。


「ありゃ、一番乗りじゃなかったか」


 栗色のお洒落なミディアムヘアが印象的なその少女、有栖川ありすがわ綾乃あやのはドアを閉めると、とことことこちらへ近づいてきて、右斜め前の席に腰を下ろした。


 彼女とは席が近いこともあり授業のグループ活動などで何かと会話する機会はあるのだが、こうして他に誰もいない空間に二人きりにされるととても気まずいものがある。


 その雰囲気を背中で感じ取ったのか、綾乃はくるっと振り返ると、はしばみ色の瞳をこちらに向けた。


「日向も最後の追い込み?」

「まあな」

「考えてること同じだね」

「あまり褒められたことではないけどな。てか、成績優秀な有栖川が課題に追われてるなんて意外だな」


 確か綾乃の期末の順位は二十番台だったはずと、要は記憶している。てっきり計画的に勉強を進めているタイプと思っていただけに、ついそんな言葉が出てしまったのだろう。


 綾乃は痛いところを突かれたという表情で頭を掻く。


「ちょっと夏休み満喫しすぎちゃっててさ」

「ふーん。まあお前はそっち側の人間だもんな」


 要の濁った目から見ても、綾乃は陽キャのリア充という印象だ。誰にでも笑顔を絶やさない故に友達も多い。加えて、ひよりほど圧倒的ではないにしても、このクラスで言えば間違いなく一番美形なのは綾乃だ。男子達からの人気も高いと話には聞いており、高校生初めての夏は色々お誘いも多く、さぞ忙しい毎日を送っているのだろう。


 人気者は大変だなと感じていた要である。


「じゃあ、私も課題に取り掛かるね」

「お、おう」


 綾乃のちょっとした気遣いにより気まずさが解消された要は、その後は黙々とノートにペンを走らせていく。


 おかげさまで時間前にも課題を終えることができそうだった。


 そこから更に三十分。


 ある程度目処が立ってきたこともあり、リラックスのために肩を回していた要。


 そんな彼に、綾乃は課題を進めながら徐に問いかける。


「・・・・・・ねえ、聞いてもいい?」

「なんだ」

「日向ってさ、早川と仲良いよね?」

「流星? まあ、普通に友達だな」

「あんたから見てさ、早川ってどんな人間?」

「どんなって・・・・・・いい奴だと思うぞ」

「具体的には?」


 何を聞きたいんだと思いつつも、要には流星のことを悪く言う道理はない。だから、彼の思う早川流星という人間をありのまま伝えることにした。


「とにかく明るい奴だよ。誰とでも分け隔てなく接することができるし、率先して盛り上げ役を買って出てるしな。まあ俺が言うのもなんだけど、このクラスの雰囲気が良いのはあいつがいるおかげだと思う」

「・・・・・・うん」


 噛み締めるように頷く綾乃。


 次第にペンが止まり、何か別のことを考えているように見えた。


「・・・・・・お前、もしかして流星のこと好きなの?」

「違う、そうじゃなくって・・・・・・むしろその逆」


 察してと言わんばかりに呟かれたその言葉を起点に、要は一つあることを思い出す。


(そう言えば、今いい感じの人がいるって言ってたっけ)


 そこから先は、色恋沙汰とは縁のない要でも容易に考えが及んだ。


「もしかして、流星に告られでもした?」


 綾乃は無言で頷く。

 自分のことでもないのに、要は何だか体中がむず痒くなるのを感じていた。


「あ、そう・・・・・・まじか・・・・・・それで、返事はしたのか?」

「まだ。けど、この夏休み中にはする予定になってる」

「そうか・・・・・・その感じだと悩んでるんだな」

「うん。早川はいい奴だけど、正直まだ好きって思う感情はないんだよね」

「まだっていうことは、可能性はあるっていうことか?」

「まあ。けど、好きにならない可能性だってあるわけじゃない? だから下手に付き合ってみて、やっぱ違ったから別れようっていうのは相手にも失礼なんじゃないかと思ってさ」

「・・・・・・まあ、それは相手からしたら辛いかもな」

「でしょ? だからどうしようかなと・・・・・・」


 まさかこんな真剣な恋愛相談になるとは思ってもいなかった要。


 だが、わざわざ自分なんかのために心の内を曝け出したということは、何か助言を求めているはずなのだ。


 けれど、彼女が求めている回答は要には到底分からない。分かるわけもない。


 だから、彼は自分なりに考え抜いた思いを綾乃にぶつける。


「・・・・・・俺が思うに、そんなにあれこれ考え込む必要なんてないんじゃないか。こんな言い方するのもあれだけど、所詮は高校生の浮ついた感情なわけだろ? 先のことなんて誰にも分からない。もしかしたら高校を卒業してもずっと一緒にいるかもしれないし、あっさり別れちゃうかもしれない。けれど、その不透明さが儚くて美しいのが思春期の恋っていうやつなんだと思うがな」


 振り返った綾乃は、ジト目を要に浴びせる。

 どの口が言っているんだと顔が物語っていた。


「・・・・・・あんた、どう見ても恋愛経験ないのに何でそんな語っちゃってるわけ」

「ないからこそ正論が言えるんだよ。俺にはお前らみたいな人間の気持ちは分からないからな」

「まったく、あんたに聞いた私が馬鹿だったわ。・・・・・・けど、何となく肩の荷が降りたかも。ありがとね」 


 この感謝がどっちに転ぶのかは要には分からない。だが願わくば、二人には上手くいってほしいと思う。


 なんにしても、こんな言葉をかけずにはいられない。

 

「精々青春を謳歌したまえ、若者よ」

「あんたも若者でしょうが」


 渾身のツッコミが入ったところで、要と綾乃の二人きりの時間は終わりを告げた。


 気がつけば、夏の暑さに耐えながら重い足取りで学校の門を潜る生徒達の姿があった。


 

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