20xx年07月31日(木)

 夏休みに入って早一週間が過ぎた。


 これといった予定もない要は、エアコンの効いた部屋で涼みながらテレビやネットを見たり、気が向いたら勉強してみたり。そんな平凡な毎日を過ごしていた。


 ただ、普通ではないことも中にはある。


 学園のアイドル--黒猫姫から定期的に手料理を振る舞ってもらっている要だが、夏休みに入ってからその頻度は増え続けているように思う。


 当初は交換条件として買い出しの協力を依頼されてもいたが、結局はあれ以降全くお願いされていないし、食費に関しても食べた分を全て支払っているかと言われるとそうは思わない。明らかに自分だけが得をしている状態が続いているのだ。


 なので、この辺で精算しようと要は考えた。


(とは言ったものの、何を買えばいいんだ)


 駅前のデパートにやって来た彼は、とりあえずしらみ潰しに店内を見て回る。


 相手は恋人でもなければ仲の良い友達ともちょっと違う。変に手の込んだものや、高価な物は逆に引かれてしまう可能性が高いだけに、そのさじ加減が難しいところである。


(夏だしな・・・・・・)


 バスグッズを取り扱う店舗もあるようだが、さすがにこの暑い時期に贈るのも違う気がしたのでスルーする。


 では、こちらも贈り物には無難なハンドクリームや香水はどうだろうか。


(冬ならまだしも夏にハンドクリームってどうよ。香水も個人の嗜好があるからなあ・・・・・・)


 候補が上がるたびに、脳内で否決されて何度も振り出しに戻る要。いっそ無難にお菓子にでもしておくかと思い始めていたその矢先、女性物を扱う雑貨店の店頭で気になる商品を発見した。


「・・・・・・お客様、贈り物でしょうか?」


 じっと見ていたのが気になったのか、女性の若い店員さんが話しかけてきた。普段の買い物であれば鬱陶しいことこの上ないのだが、今回の買い物に関しては少しでも女性の意見を取り入れたいので喜んで歓迎する。


「ちょっと友人へのプレゼントを探しているんですけど、これなんかどう思います?」


 指差したのはフラワーモチーフが可愛らしいゴールドのヘアカフだった。ひよりはなにかと髪を結んでいる機会が多いのでちょっとしたオシャレに最適なのではと要は考えたわけだ。


「お客さん、お目が高いですね。こちら透かし模様や繊細なラインを施した大人上品なデザインとなっておりますので、結び目に差し込むだけで即華やかさを演出できます。ご友人という間柄であれば丁度良い贈り物かと思いますよ」


 乗せられているというのは分かってはいるのだが、こうして誰かに背中を押してもらわなければ買えるものも買えはしない。


 だから、これ以上悩むことはやめて、要は店員さんお薦めのヘアカフを購入することにした。




 用事さえ済めば、もうこんな人混みには用はない。要は寄り道することなく、家へ帰ることにした。


「・・・・・・うん?」


 アパートに辿り着いた所で不思議な光景が目に入り、ついつい足を止めてしまった要。


 別に異常事態発生とかそういう話ではないので慌てふためくことはないのだが、何をしているのかと尋ねるくらいのことはした方が良いだろう。


「こんなくそ暑い日に外で何をしてるんだ?」

「しっ! 大きい声を出さないでください。猫ちゃんが起きてしまいます」

「そんな大きな声出してないだろ・・・・・・」


 ノースリーブにショーパン姿のひよりは、こちらを振り返ろうともせず、依然として目の前の猫と向き合っている。


 地域猫なのだろうか、特に首輪はしておらず、この暑さのせいか、アパートの日陰に隠れてお昼寝をしていた。


「可愛いです」


 猫みたいな人が猫を見て可愛いと言っている。ここに熱烈な彼女のファンがいたら「君の方が断然可愛いよ!」なんていう褒め言葉でも贈って媚びを売るのだろうが、要はそういう思考には至らない。むしろこの暑さのせいで、何も考えられなくなっていた。


「いつからここにいるんだ?」

「十五分くらい前ですかね。図書館に行くつもりだったのですが、この猫ちゃんに捕まってしまいました」

「望んでここにいるように見えるが」

「そんなことありませんよ? さっきから体をモフモフしてあげると気持ちよさそうにしています。きっと私に甘えているのですね」


 元々猫とはそういう生き物なはずだが、恋は盲目ならぬ、猫は盲目と言うべきだろうか。ひよりはすっかりこの猫の虜になってしまっていた。


「餌でもやったら喜ぶんじゃね?」

「やりたいのは山々ですけど、住みつかれても他の入居者の方に迷惑でしょうから・・・・・・」

「なるほどね」


 変なところ冷静だなと思いながら、要は流れてくる汗をTシャツの袖で拭った。控えめに言っても今日は暑すぎる。おそらく三十五度くらいあるのではなかろうか。そんな状態で炎天下に晒されていると、熱中症も心配される。


 ただひよりは自己管理も出来ないだらしない人間ではないので、そのうち部屋に戻るのだろう。


 リュックに入った贈り物はまた今度渡すことにしてその場を後にしようとした要だったのだが、そのタイミングで今日初めてひよりが振り返ってこちらを見た。


「そう言えば日向さん。柄にもなく外出なんかしたりして、一体どこへ行っていたのですか?」

「今更だな」


 とは言え、絶好のパスを出してくれたひより。

 こうなったら今渡すしかないと判断した要は、リュックを下ろし、中から小袋を取り出す。


「これやるよ」

「え、私にですか?」


 両手で大事そうに受け取ったひよりは、その小袋をじっと眺めている。


 要は少し恥かしくなったのか、鼻を人差し指で擦りながら誤魔化すようにぼそっと言った。


「普段のお礼というか、お返しというか、そんな感じのやつだ」

「・・・・・・これを買いに今日はわざわざ?」

「まあ、そんなところ」

「・・・・・・開けてみても?」

「いいけど、気に入らなくても文句言うなよ」

「言いませんよ、そんなこと」


 私をなんだと思っているのですかとぷんすかしながら、小袋を丁寧に開封していくひより。


 中には、日差しに照らされ更に輝きを増したゴールドのヘアカフが入っており、ひよりの大きな瞳がより一層見開かれる。


「素敵です! 付けてみても?」

「どうぞ」


 さっと髪を結んだひよりは、貰ったヘアカフをヘアゴムに引っかけた。


 どうですかとくるっと回転して見せるひより。

 黒髪に金色がとてもよく映えており、控えめに言って実にエレガントである。


「似合ってるぞ」

「・・・・・・せっかく付けてみたのに感想はそれだけですか?」

「他に何を言えと?」

「もっと気が利いた言葉がありますでしょうに」


 求めている言葉はすぐに理解できたが、それを口にするのは何となく躊躇われた。


 ただ、そこに感情を乗せなければそれはただの社交辞令でしかなく、特段頑なに抵抗する必要もないはずだ。


 要は少し視線を外しながら言った。


「可愛いんじゃないか」

「・・・・・・少し棒読みなのが気になりますけど、良しとしましょう」

「甘めの判定で助かるよ」


 柔和な笑顔を浮かべ、ひよりは改めて手を前にして礼儀正しく感謝の意を示す。


「プレゼントありがとうございました。大切に使わせて頂きますね」

「喜んで貰えたならなにより。・・・・・・じゃあ、俺はこれで」

「はい。また夜にご飯持っていきますね」

「分かった。けど、あんま無理はすんなよ?」

「無理とは?」

「いや、最近ご飯用意してくれる頻度が多いから。大変じゃないかなと・・・・・・」

「・・・・・・そんなこと気にしていたのですね。最初はまあ、あまりにも不摂生が過ぎるので哀れみで始めたわけですけど、最近は日向さんが美味しそうに食べてくれるので、ご飯を作るのが楽しみになっている部分もあるのですよ。だから、私が好きでやっていることなのでお構いなく」

「・・・・・・分かった。じゃあせめて、スーパーの買い出しとかは積極的に誘ってくれよな。夏休みだし、平日でも問題ないからさ」

「そうですね、そうします。夏は食材が痛みやすいので、もう少しこまめな買い足しが必要だと思っていたところなので。さっそく明日お願いできますか?」

「いつでもどうぞ。どうせ暇してるからな」


 ひよりはくすっと笑い、悪戯な視線を要に向ける。


「日向さんはもう少し夏を楽しんだ方が良いのでは。このままでは、私と頻繁にスーパー行った思い出だけで終わっちゃいますよ?」

「学校の男どもに話したら嫉妬で狂いそうな話だな」

「そこは秘密でお願い致します」

「分かってるよ」


 人差し指を口に当てるひよりを真似して、要も同じポーズを取る。


 そんな二人の微笑ましいやり取りを、いつの間にか目を覚ましていた猫が尻尾を振りながらじっと眺めていた。

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