20xx年08月16日(土)

 要には三人の家族がいる。


 父と母、そして一人の妹だ。


 都内の一軒家に住んでいる日向家は、客観的に見ても裕福な生活を送っており、色々な理由から近所では評判の一家として知られている。


 予め断っておくと、要は家族との折り合いが悪くて親元を離れているわけではない。


 彼は小中高一貫の私立に通っていたのだが、とある事情で地元を離れ、今は隣の神奈川県で一人暮らしをしているだけだ。


 なのでお盆やお正月は必ず帰ってくるよう申し付けられており、面倒くさいがこの土日を利用して帰省する予定だと家族に伝えていた。



「ただいま」 


 必要最低限の荷物を詰めたリュックを背負い、要が玄関に足を踏み入れる。


 所謂廊下と呼ばれるものは要の家にはなく、メゾネットタイプのリビングは吹き抜けで広々としており、高価そうな家具やテレビがセンスよく配置されている。


 そうした状況の中、ソファに座ってアイスを齧っていた少女が、要を見て手を上げた。


 ミルクティーベージュの髪は大人っぽさを演出しているが、顔はまだあどけなさが残っているのが印象的である。


「あ、おにい。おかえり〜」

「おう。元気してたか、きらり」


 数ヶ月ぶりに会う妹だが、特にこれといった感情は湧いてこない。そのまま横切ろうとする要に、きらりは呆れたような視線を向けた。


「おにいドライ過ぎ。てか、前髪切りなよ」

「これが落ち着くんだよ」

「もったいない。身だしなみさえ整えればそこそこモテそうなのに。おにい、素材は悪くないんだし」

「そういうのはいいんだよ、俺は」


 我が妹ながら、会えばこれしか言わないので困ったものである。


 行きの電車で立ちっぱなしだったということもあって足を休めるためにソファへ腰掛けると、図ったかのようにすかさず麦茶が出てきた。


「おかえり。暑かったでしょ?」

「まあね」


 要の母である美月みつきはにこやかな笑顔を浮かべ、キッチンへ引き返す。


(相変わらず歳を感じさせない人だ)


 そんなことを思いながら、要は麦茶を一気に呷った。


 数ヶ月ぶりに帰る我が家だ。キッチンで忙しなく動いている母の姿や、ソファで暇を持て余すように携帯を弄る妹の姿はお馴染みの光景であり、ついつい懐かしんでしまう。


 それでもって、大黒柱が不在の状況もいつものことだ。


「・・・・・・父さんは相変わらず仕事?」

「そうね。この土日は地方で撮影ですって」

「ふーん。お盆も当たり前のように仕事とか、やっぱ芸能の世界ってブラックだな」


 要の父親は、端的に言うと映画監督をしている。ヒットした映画も何作かあったりして、業界ではそこそこ名が知れてる有名人だとか。


 ただ彼の取る映画は、所謂恋愛物が多く、思春期の要からしたらいい歳したおっさんが胸キュンストーリーに命かけてるというのはあまり公言したくないところだった。


 故に小学校高学年を最後に、要は父親の職業を他人に言うのは控えている。


 一方で、妹の方はと言うとその真逆であり。


「けどやっぱり憧れるよね〜。きらりも早く女優さんになりたいなあ」

「そのためには勉強頑張らないとね。お父さんとの約束忘れたわけじゃないでしょうね?」

「分かってるって。うるさいな〜」


 要からしたら小さい頃から見ている身内なので何とも思わないが、きらりは世間一般からは絶世の美少女という評価を得ている。


 その美貌から幼稚園のお遊戯会でも小学校の劇でも常に主役を担っており、中学三年の今では演劇部のエースを務めている。彼女見たさに他校の生徒も学園祭に足を運び、中には芸能関係者がスカウトに訪れる事態にまで発展しているとか。


 本人としても将来はそっちの道に進む気満々であり、なるべく早く芸能界に足を踏み入れたいと思ってはいるようだが、芸能一本で食べていく難しさを知っている父からは、学業は疎かにしてはならないと常日頃から言われていた。


 きらりもそれは納得した上で、父とは進学校に通うことを条件に芸能の仕事を始めるという約束になっており、現在その目標のために鋭意受験勉強中というわけである。


「お前、どこ受けるつもりなの?」

「え、すめらぎ女子だけど」

「は? 冗談だろ?」


 要の中では、我が妹は勉強ができないという認識だ。そんな妹が都内でも有名な進学校を目指すというのだから、冗談だと捉えてしまっても仕方がなかった。


 ただ、実際はあながち冗談ではないようで。


「要は知らないだろうけど、きらり三年になってから勉強頑張ってるのよ。この前の期末テストも学年七位だったんだから」

「なにお前、本気出せば勉強もできんの?」

「えっへん。そうみたい」

「・・・・・・勘弁してくれよ。ただでさえ、容姿で大幅に劣っているのだから、せめて学力だけは優越感に浸らせてくれ」

「なに妹さんに嫉妬してんの・・・・・・てか、容姿に関してはおにいも努力すれば何とでもなるっていってるじゃん。腐ってもパパとママの子供なんだから」

「腐ってもとはなんだ・・・・・・まあとにかく、精々挫折しないようにがんばれよ。陰ながら応援してるから」

「そこは家族なんだから、全面的に応援してほしいんですけど」

「悪いけど俺は離れて暮らしてるからな。残念だが、ピンチに駆けつけてやることはできそうもない」

「・・・・・・おにい、絶対女の子にモテないでしょ」

「当たり前のことを聞くんじゃない」

「・・・・・・はあ、妹は心配だよ。こんなおにいのことを将来面倒見てくれる人がいるのだろうか」

「失礼なやつだな。言っておくが、モテはしないが料理を作ってくれる優しい奴ならいるんだぞ」


 要としては悔し紛れに放った一言だった。それにより少しくらいはびっくりしてくれることを期待していた彼だったのだが、その読みは大きく外れることとなる。


「えっ!? なにそれどゆこと!? 女の子がおにいのために料理を作ってくれてるってこと!? なにその少女漫画的な展開!? ママ、事件だよ!」


 大きな声に引っ張られる形で美月が台所からやって来た。話は大体聞こえていたのか、ニヤついた顔を浮かべている。


「ママ嬉しいわ。要にもようやく春が来たみたいで」

「今は夏だけどな。てか、別にそういうのじゃねえから」

「けど、別に好きでもない相手に手料理なんて振る舞わないものよ?」

「きらりもそう思う。好きでもない人にそこまでしたくないかな普通に」

「・・・・・・その前にお前は料理自体できないだろが」

「すぐ話を逸らそうとする。照れなくてもいいのに」

「・・・・・・はあ。今、帰省したことを猛烈に後悔している俺がいる」


 自分から蒔いた種とは言え、その後も日向家の女性陣に詰め寄られていた要。


 せっかくの帰省が、どっと疲れを蓄えることになり、わずか二日で実家を後にすることになったのはこのためである。

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