20xx年07月13日(日)

 梅雨ももうすぐ開けようとしている今日この頃。


 先日から続いていた雨は、今日はぴたりと止んでおり、買い出しに出かけるにはもってこいの一日となっている。


 少し前までの要であれば、買い出しと言えばもっぱら最寄りのコンビニ一択だったのだが、この間のひよりの指摘を受け、常にコンビニに頼る生活は自重するようになっていた。


 そういうこともあり、本日は駅前のスーパーに足を運んでいた要だったのだが、惣菜コーナーで商品を吟味していた最中「あれ」という聞き覚えのある声を背中に受け、思わず振り返った。


「やっぱり日向さんでしたか」

「・・・・・・どうも」


 買い物かごを手にした同じアパートの住人--黒猫姫こと杠葉ひよりは、こんにちはと言いながら歩み寄ってくる。


 ちらっと覗き見た彼女の買い物かごの中には、鶏もも肉や干し椎茸、タケノコの水煮や根菜関係が入っており、そこから推測される彼女の夕飯は筑前煮であろうと要は人知れず推し当てていた。


 ただ、ここで「今日の晩飯は筑前煮か」と口にしようものなら、人様の買い物かごの中身から献立を予測する悪趣味な人間という印象を与えかねない。


 人から興味を持たれなくてもいいが、嫌われたくはない要なので、ここは当たり障りのない対応が得策であると考える。


「奇遇だな。杠葉さんも夕飯の買い物か?」

「ええ、まあ。私の場合は四日分の買い物をするつもりですが」

「まじか。いつも一回の買い物でそんなに買うのか?」

「はい。その週の日曜日に水曜日分までの食材を買って、木曜日に土曜日分までの食材を買い足すっていうのがルーティーンですね。さすがに毎日学校帰りに買い出しするのは大変ですし、水曜はこのお店特売やってるので何かとお得だったりするのですよ」


 ひよりの説明するのは所謂あれだ。生活の知恵というやつだ。賢くエコ的な生活をしている人は、きっとこうやって毎日考えながら生きているのだろうと思うとつい感心してしてしまう。


「すげえな。普通そこまで徹底できないぞ」

「人間、何事も計画的にです。ここ、今度の期末テストに出ますからね」

「なんの教科でだよ」


 すかさず突っ込むと、悪戯な笑みを浮かべて「冗談です」と口にするひより。


 その天使級の笑顔を見せられると、何でも許してしまいそうになるのでやめて頂きたい。


「それにしても、スーパーで買い物だなんて偉いですね。コンビニ生活はお止めになったので?」

「まあ、さすがに毎日コンビニはやり過ぎかなと思ってな。とは言っても、やっぱり自炊する気にはなれなくて結局惣菜とかレトルトとか買ってるだけだが」

「それだとコンビニ生活と変わらないのでは」

「いや、そうでもないぞ。やっぱスーパーだと惣菜の品揃えが段違いだし、何より刺身が買えるからな」

「さすがに生魚まではコンビニに置いてないですもんね」

「そそ」

「けど、私としてはやっぱり自炊推奨です。健康的にも金銭的にも」


 話を戻された要は「うーん」と唸っている。


 ひよりとしては考えを変えてくれることを期待したのだが、彼からの返答はやはり後ろ向きなものだった。


「まだちょっといいかな」

「じゃあいつ始めるのですか」

「そのうちかな」


 この人は根っからの面倒臭がり屋なのだと改めて理解したひよりは、分かりやすく頭を抱える。


 別に他人がどんな生活を送ろうとひよりには関係のないことではあるのだが、それにしても要の食生活は酷くて見ていられない。しかも変に関わってしまった手前、無碍にして体でも壊そうものなら罪悪感に苛まれてしまいそうだ。


 そんな思いが頭を巡り、本当は本人のためにはならないと知りつつ、ひよりはあることを提案する。


「仕方ないですね。毎日は厳しいですけど、時々でいいなら私がおかずを作って提供してあげますよ」

「・・・・・・それマジで言ってるのか?」

「あなたさえ良ければ。その代わり、たまに買い出しには協力してもらいますし、食費もきちんと頂きます。よろしいですか?」

「それくらいお安い御用だ」

「まったく、調子いいですね・・・・・・。それではさっそく働いてもらいますよ。ついて来てください」


 言われるがままに同行すると、ひよりは食用油の売り場で足を止めた。


 彼女の視線を追いかけると、目に止まったのは手作りのポップに書かれた最安値という文字。


 どうやら彼女のお目当てはお一人様一本限りのサラダ油のようで、何も言われずとも要には自分の役割がありありと理解できた。


「これを買えばいいのか」

「そうです、助かります。最近高くて困っていたのですよ」


 ひよりは口角を上げながら、サラダ油を買い物かごに入れた。


 普段料理をしない身からしたらそんなに嬉しいものなのだろうかと思いつつ、要も一本手に取る。


「てか、そもそもこれって何に使うんだ?」

「・・・・・・そんなことも知らないのですね」

「すみません、料理しないもので」

「まあ、分かってますけど。主には焼いたり炒めたりする前に使いますね。フライパンや鍋に油を敷くことで食材のくっつきを防ぐことができます。あとは揚げ油として使ったりドレッシングにもできますね」

「へえ、意外と用途あるんだな」


 それであれば二本買うのも納得として、要は買い物かごに商品を入れた。


 もちろん自分では使わないわけだが、この脂が美味しい料理になって胃袋に入るのであれば数百円の出費など惜しくなかった。


「他にも何か買った方がいいものあるか?」

「そうですね・・・・・・ちょっと調味料のコーナー見てもいいですか?」

「はいよ」


 黒髪がひらりひらりと揺れる背中を眺めながら、しばらく要は後をついて行き、指示される物を買い物かごに収めていた。




 各々会計は別で行うことになり、要はレジを通した買い物かごをサッカー台に置いた。


 普段その場凌ぎの買い物しかしない要にとっては、一回の買い物でこれほどの量を買うのは初めてであり、その重量に驚きを隠せないでいる。


「世の中の主婦って凄いんだな。こんなの筋トレしてるみたいなもんだぞ」

「まあ、今回は調味料とかも多く買いましたし、それで重くなっているところはあると思います。普段食材買うだけならそこまでではないですよ。・・・・・・ところで、レジ袋を購入しているということは、エコバッグはお持ちではないのですね・・・・・・」

「ないな。あんな物をいちいち持ち歩く神経が分からん」

「・・・・・・今、私がどんな顔してるか分かりますか」

「呆れ果てた顔をしているな」

「そういうことです。あなたは高々数円だと思って購入しているかもしれませんが、それを毎日繰り返せば、単純計算で一年間でレジ袋に千円以上も使っていることになるのですよ。勿体無いと思いませんか?」

「・・・・・・そう言われるとそうだが」


 単純計算は単純計算でしかなく、毎日買い物をしてレジ袋を買うわけでもない。だけど、そんな屁理屈を並べたところで無駄な物を買っているのは事実なわけで、要としては反論する材料を待ち合わせてはいなかった。


「と言うわけで、今度から予備を貸すのでそれを使ってくださいね」

「あ、ああ。そうさせてもらうよ」


 とりあえず今回はレジ袋にささっと商品を詰め込み、要は腕に力を入れて袋を持ち上げる。


 思った通りダンベルを持っているような感覚で、このまま家まで運ぶのは骨が折れそうだ。


 男の要がそう感じるのだから、華奢でほっそりとした二の腕のひよりではさぞ辛かろう。


 しかもひよりは調味料以外にも多くの食材等を購入しており、エコバッグ一つでは収まりきっていない。両肩にエコバッグを担ごうとする彼女は案の定よろけており、このまま自分だけさくさく帰宅するのはさすがにばつが悪い。


 だから、柄にもなく要は--。


「ん」


 要が手を差し出すと、ひよりが大きな瞳を瞬かせる。


 言葉が足りない要も要だが、こんな時だけ察しが悪いひよりもひよりである。


「・・・・・・なんですか?」

「いっこ貸せ。持ってやる」

「大丈夫ですよ、これくらい」

「よろけてんだろ。遠慮するな、こう見えても体が大きい分、人より力はある方だ」

「でも、申し訳ないので」

「いいから」


 最後は半ば強引にひよりからエコバッグを取り上げ、要は「先に行ってる」と言葉を残してすたすた歩き出す。


 学校のアイドルと一緒にいる所を見られるわけにはいかないという彼なりの配慮であろう。


 本当に、不器用で拙い優しさだ。


 けれど、そんな彼の気持ちだからこそ、ひよりは素直に受け入れることができたのだ。


 残ったエコバッグを担ぎ直して、ひよりは彼の後をそっとついて行くのだった。


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