20xx年06月28日(土)

 その日は週末ということもあり、要は自堕落な生活を送っていた。昼近くに起きてカップ焼きそばを食べ、その後はだらだらと携帯を弄る始末。


 こうやってあっという間に休日が過ぎていくと思われた矢先の彼女の訪問であり、要の顔には動揺の色が色濃く出てしまっていた。


「なぜそんなにびっくりしているのです? 私、ちゃんと書き残しましたよね? このお礼は必ずと。・・・・・・もしかして、ちゃんと見ていないのですか?」


 ひよりに怪訝そうな視線を向けられ、要はあの置き手紙のことを思い出した。


 確かにあの置き手紙には感謝の言葉の他に、お礼についても書いてあった気がする。


 かと言っても、正直社交辞令だと思い軽く読み流していたし、まさか急にこうして尋ねてくるとも想像していない。


 まさに意表を突かれた気分だった。


「そんなことも書いてあったかもしれないが、今日いきなり来るなんて聞いてないぞ」

「それはすみません。学校では特に話す機会がないものでして。日付までしっかり書いておくべきでしたね」

「・・・・・・それで、菓子折りでもくれるのか?」

「それも考えたのですけど、さすがにあそこまで良くして頂いたのに、お礼がお菓子箱一つというのも申し訳ない気がして」


 そこで言葉を切ったひよりは、玄関からリビングの方を見遣った。


「・・・・・・相変わらず汚いですね」

「うるさい。不可抗力だ」

「まったく、自分に甘い方ですね・・・・・・」


 やれやれと肩をすくめて、ひよりは長い黒髪を後ろで結び始めた。


 露わになる首元はほっそりと長く、全体のバランスの良さを引き立たせている。誰かが言った美人の絶対条件は細く長い首というのは本当のように思える。


 そうして準備を整えたひよりは、靴を玄関に脱いで要の隣に立った。


「日向さん、これから一緒に掃除をしましょう」

「なぜそうなるんだ」

「掃除が苦手なのでしょう? 私はわりと得意なので手伝ってあげますよ」

「いや、別にいいって。気が向いたら自分でやるから」

「気が向いたらっていつですか?」

「いつって・・・・・・いつかだよ」

「・・・・・・全く当てにならないですね。とにかく冷静に考えてみてください。いつか一人でやるくらいなら、いま二人でやった方がお得だと思いますが」

「・・・・・・まあ」

「それに梅雨はカビが繁殖しやすい時期です。この機会に水回りの清掃も徹底的にやっておくべきかと」

「なに、その辺もやってくれるの?」

「食いつきましたね。もちろん、お願いされたらやりますよ。この間のお礼ですから」


 要にとって、水回りは天敵中の天敵。見えないふりをして放置しているが、既に触るのも躊躇われるレベルで排水溝などは汚い。


 そんな場所を家政婦でもない女の子にやらせるのはどうかとも思うのだが、彼女がそこまで言ってくれるのだ。ここはお願いするのが得策であろう。


「じゃあ、頼んでもいいか?」

「はい、任せてください。では、私は水回りから取り掛かるので、日向さんはリビングの片付けからお願いします」

「OK・・・・・・と言いたいところだが、具体的には何から手をつけたらいいのか教えてくれるか?」


 頭一つ大きい要のことを見上げながら、ひよりが目を瞬かせる。


 今の気持ちを率直に表せば「それでよく一人暮らしをしていますね」に尽きるだろう。


 もはや小言を言う気にもならないひよりは、諦めたように息を吐き、カーディガンを腕まくりする。


「それでは説明するので一緒にやっていきましょう」

「悪いな」


 リビングへ移動したひよりは、まず床に散らばった雑誌や衣類に目を向けた。


「最初は足の踏み場の確保です。衣類は一旦纏めて洗濯かごに入れておきましょう。雑誌は片付けながら残す物と捨てる物を分けていきます」

「選別のポイントとしては?」

「いつか読むかもしれないって思う物は捨ててください。絶対読み返さないので」

「手厳しいな」

「当然です。それくらいしないと部屋なんて片付いていきませんよ」


 今の要には返す言葉もないので、ひよりの指示通りに雑誌を選別していく。


 彼女の線引きは確かなようで、いつか読むかもしれないという微妙なラインの物を捨てるとなると、ほとんど手元に残らない感じになりそうだ。


 そうして積み重なった要らない雑誌の束を、ひよりが手際よくビニール紐で結んでいく。

 まさに連携プレイである。


「とりあえず雑誌はこれで完了ですね。お洋服関係は自分一人で大丈夫ですよね?」

「そうだな。洗濯かごに放り込んでいくだけだし」

「ちゃんと後から洗濯するのをお忘れなく」

「へーい」

「まったく。終わったら声かけてくださいね。私は水回りに取り掛かるので」


 そそくさと洗面所へ向かうひより。


 暗にサボることは許さないと言われた気がしたので、この後も要は真剣にリビングの片付けに勤しむのであった。





 掃除の基本は上から下へ。

 そして奥から手前へ。


 足の踏み場を確保した要は、ひより先生の指示の下、エアコンのフィルター掃除から始まり、床に掃除機をかけるまで、テキパキ任務を遂行していく。


 その仕事ぶりは、やればできるじゃないですかと、ひよりも思わず感心してしまうほどだ。


 気付けばリビングは見違えるように綺麗になっており、心なしか空気も美味しく感じた。


「どうです、掃除をすると身も心も綺麗になると思いませんか?」

「悔しいが、その通りだな」

「そう思って頂けたなら良かったです。これを機に、定期的に掃除するようにしてくださいね」

「まあ、頑張ってみるよ」

「はい。そうしてくださいな」


 ひよりは喋りながら器用に台所の掃除をこなす。先に掃除を終えていた要に対して「ソファでくつろいでいてください」という気遣いまで見せ、本当に高校一年生なのか疑いたくなるほどだ。


 既に借りた恩以上のものは返しているのは明白。それでも疲れた顔一つせず手を動かす彼女の姿は、流星曰く心が冷え切っているという要の心にも深く響いていた。


(あれで家庭的とか人間できすぎだろ)


 容姿端麗、成績優秀、運動神経抜群。既に突出した存在の彼女ではあるが、更にプロ級の家事スキルまで身に付けていることに驚愕する。要はひよりの評価を上方修正せざるを得なかった。


 そんな彼女がこうして自分の家で甲斐甲斐しく世話を焼いてくれているのだ。限定的とは言え、恵まれた環境にいることを自覚しなければバチが当たるというものである。


「もうすぐ終わりそうか?」

「そうですね、もう終わります」

「じゃあ、その後でコーヒーでも飲むか」

「いいですね。ついでなので、私が準備しますよ」


 要としては今日のお礼として淹れてあげるつもりだったのだが、結局それもひよりがやることになってしまった。


 ただ、掃除を終えた彼女がコップを準備しようとしたところ、どこにもコップが見当たらないことに気付く。


「日向さん。この間使ったマグカップはどこにあるのです?」

「あー、すまん。ちょっと待って」


 要は台所へ向かい、ちょうどひなたの頭上にある戸棚に手を伸ばす。


 必然的に彼女の背後を取る形となり、距離も密着してしまう。ふわりとフルーティな香りが鼻腔をくすぐるが、変に意識しなければどうってことはない。自制心には自信がある要である。


「・・・・・・なんで割れ物がそんな所に入っているんですか」

「なんでって、この場所がちょうど置きやすいだけだが。ほらよ」


 すぐ後ろに立つ要からマグカップを渡され、ひよりが顔だけ振り返る。


「ありがとうございます。日向さんって無駄に身長だけは高いですよね」

「無駄とはなんだ。それに『だけ』って言葉も引っかかるぞ」

「ちょっと羨ましいと思っただけですよ。所謂、嫉妬ってやつです」

「黒猫姫でも嫉妬することなんてあるんだな」


 ついと出たワードに、ひよりが眉を顰める。


「・・・・・・その呼び方やめてください。好きではありません」

「あ、すまん。・・・・・・けど、みんなそう呼んでるぞ?」

「誰がそう呼び始めたのかは存じませんが、黒髪に猫っぽい見た目で黒猫姫だなんて安直にも程があります。呼ばれる身にもなって欲しいものです」


 周りからチヤホヤされる感覚というのは、選ばれた人間にしか得ることはできない。


 無論、要にも分からない。

 妄想の世界では良い気分に浸れるのだが、現実では何かと弊害もあることを初めて知る。


「いっそ金髪にでもしてみましょうかね?」

「やめとけ。それだと金猫姫になるだけだ。それに杠葉さんには黒髪が一番似合うと思う」

「・・・・・・そういうこと言えるんですね。意外でした」

「なにが」

「いえ、気にしないでください。・・・・・・あと、さっきから近いと思うのは私だけですか?」


 いつ言おうか迷っていたのだろう。

 ひよりがお互いの距離について問題提起する。


 彼女からすれば、急に異性が距離を詰めてきたわけであり、気にならない方がおかしいというものである。


 要も今更そのことに気付いたようで、磁石が反発するようにさっと距離を取った。


「すまん、悪気はないんだ」

「それは分かってますよ。今度から気をつけて頂ければ結構ですので」

「ほんとすまん」


 もう一度だけ謝った後、要が踵を返す。

 

 彼女は「今度から」という単語を使ったが、次なんてあるのだろうか。そんなことを考えながら、先にリビングへ戻っていく。


「・・・・・・まったくもう」


 小さく文句を付けながら、コーヒーの準備に取り掛かるひより。その耳にほんのり赤みが差していたことを、要は知らなかった。


 

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