時計見せて
「ねえ時計見せて」
これが、学生時代にあいつが一番私にかけてきた言葉だと思う。おはようとかバイバイよりもよく聞いた。そして、私の左手首をむんずと掴むと、やや強引に腕時計の文字盤を覗きこんでくるのだ。
「あー、五時間目まであと十分かー」
「急に手掴むな、離せ。てか、毎度私のを見るくらいなら、あんたも腕時計して来いよ」
「え。手首に異物がついてるの嫌」
わがまま星人か。両親が甘やかし過ぎたんじゃないか。いや、一番こいつを甘やかしてるのは、何だかんだ言っていつも時計を見さしてやってる私か。
とにかく、自由奔放なあいつに呆れて文句を言うのもやめた私の左手首には、それだけが理由ではないが、大人になるまで十数年間、ずっと腕時計が巻かれていた。別に時刻なんてスマホで確認すればいいのだが、なんとなく。社会人になって各々の仕事が忙しくなり、あいつと会わなくなっても着けていた。なんとなくだ。
それも、左腕を失くすまでの話だったが。
交通事故だった。命は助かった。左腕はまるまる吹っ飛んだ。
病院のベッドで目が覚めて、両手を上げようとしたら片方が無いと気付いた時には「わぉ」と声が出た。見舞い客はまばらに来た。私は麻酔の効果により、不定期に寝ては起きて寝てを繰り返した。
何度目かにまた眼が覚めた。朝か夜かも分からなかったので、朦朧としながら、右手だけでスマホを探そうとした。その時、視界の左端からにゅっと人の腕が伸びてきた。
「腕時計。ここ」
手首に巻かれた時計を見て、それから腕の持ち主を見上げた。あいつだった。
「これからは、こうして時間を見なよ」
自分の左腕を、私の無くなった腕のあたりに突き出して見せるあいつに、私は尋ねた。
「これからずっと、こうして見せてくるつもりか?」
「これから死ぬまで、こうして見せてあげるつもりだよ」
なんだよ。頼んでないのに傍若無人すぎるだろ。手首に異物があるの嫌とか言ってたのは誰だよ。言いたいことは色々あったが、なぜだか言葉にならない。
今はただ、無くなったはずの左腕が、あいつの腕に重ねられてあたたかくなっていくのを、静かに感じていたかった。
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