姉の甘い夢

 私の姉は一つのことに入れ込みがちな性格をしている。


 例えば、花好きが高じて学校で園芸部に入ったまでは理解できるが、世話を任されたのが菊の花壇だったからって、菊のことを勉強しすぎてすっかり菊博士になり、アクセサリーや通学バッグにつける小物がすべて菊のモチーフになっていた時には、さすがに「皇族か」とツッコミを入れずにはいられなかった。


「綺麗だからいいでしょ」

「姉さんはやること全部が極端なんだよ」

「極端なくらいが楽しいんじゃない。それを言うなら、あなたはちょっと冷淡すぎ」


 そうだろうか。と思ったが、好きなものへ燃えるような情熱を注ぐ姉の姿を見ていると、あそこまで出来ない自分は、そうなのかも知れないな。とも思った。


 そんな姉が、ある時を境に、パタリと菊を身につけるのをやめた。

 それどころか、髪飾りから服装まで、まるごと趣味を変えてしまった。可愛らしくカラフルな菊から、白黒が基調のシックなファッションに。誰の目から見ても、姉に恋人ができたことは一目瞭然だった。


 恋人の影響で服の趣味が変わるって本当なんだな。私は、すっかり大人っぽくメイクを仕上げて、ヒールのついた革靴を履いて出掛ける姉の背中を、何か幻のように見ていた。

 好きなものに一直線な姉は、いつも活力に満ち溢れていたのに、恋をしてからの姉は、やけにさらりとして静かだった。


 姉が自殺したのは、それからしばらく後のことである。


 直接の原因は分からない。捨てられたか。振られたか。分かっているのは、あれだけお洒落にめかしこんだ姉の行き先は病院で、いつも決まって廊下の突き当たりの病室を訪ねていたらしい。そこの一人部屋の名前も知らない入院患者は、重病で若死にしたそうだ。

 何も後を追わなくてもいいものを。棺桶に向かってそう言ってやりたかったが、生前に言っても無駄だったであろうことはよく知っていた。


 私は妹として黙々と姉の死後の処理をした。その一環で、姉の荷物を整理しようと、久々に姉の部屋のドアを開けた。


 瞬間、ピンク色で視界が埋め尽くされた。濃密な匂いにむせて咳き込んだ。


 部屋いっぱいにピンクの菊が咲いていた。まだみずみずしさを保っているものもあったが、角の方には枯れて茶色くしおれた花もあった。

 私は、いつかの折に、姉から「ピンクの菊の花言葉は『甘い夢』というのよ」と教えられたことを思い出した。


 姉は恋をしてから、ずっとこの部屋で、甘い夢に囲まれて過ごしていたのだろうか。私は、脳幹が麻痺してしまいそうな色と匂いとに、姉らしい燃えんばかりの情熱を感じ取って、私はそこから動けなくなった。


 ああ。私は姉が好きだったんだな。今更、それに気付いたのは、姉の遺した甘い夢に感染してしまったためかも知れない。

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