4. 異世界ほのぼの日記2 ①~⑩

4.「異世界ほのぼの日記2~異世界でも夜勤になったので堂々と昼呑みします。~」


佐行 院


-① 序章~多分、死んだ~-


相変わらず平和なネフェテルサ王国で結婚してから十数年経った転生者・吉村 光(よしむら あかり)とヴァンパイアのナルリス・ダルランの間には16歳の娘が生まれていた。名前はガルナス、種族はハーフ・ヴァンパイアで隣のバルファイ王国にある魔学校に通っているのだが・・・。


光「ガルナス、いい加減起きなさい!!遅刻するよ!!」

ガルナス「起きてるって、もう準備終わるから。」


 廊下の奥の部屋から髪をぐしゃぐしゃのままにしながら制服を崩れ気味に着て玄関へと走るガルナス、そんな娘を台所から母親が止めた。


光「ほら、お弁当。」

ガルナス「ありがとう、行ってきます。」

女性「おはよう、ああ良い香りだね。今日も上出来。」


 ガルナスが玄関を出ようとするのとほぼほぼ同時、トイレから出てきた祖母・赤江 渚(あかえ なぎさ)が台所にやって来て焼き上がりを楽しみに待っていた朝一のトーストを取ろうとすると。


ガルナス「おばあちゃん、もらってくね!!」

渚「もう、またかい。相変わらずだね、また焼き直しか。このパン高いんだがね」

光「従業員割引きで安くなっているから良いでしょ。」

渚「そうだね、光また頼むよ。」


 光はこの世界に来て以来、今は無理のないペースでだがずっとパン屋の仕事を続けていた。渚はバーサーカー・シューゴが店主をする拉麺屋台の2号車で今も各国を回っている。渚本人が提案したメニューがお客に好評で、今では女将と言っても過言ではない。ただ何故か「女将さん」と呼ばれるのは嫌らしく、「お姉さん」と呼ばなきゃサービスが悪くなってしまうそうだ。

 光の家の隣には店がある、光と結婚する直前にナルリスが希望したレストランだ。光の家庭菜園で採れた野菜を使った家庭料理を中心に出している。その店の前を横切り魔学校への通学バスまで走るガルナスをオーナーシェフであるナルリスやウェイトレスでダーク・エルフのミーレンが見送った。


ナルリス「おーい、走ったら怪我すっぞ。」

ミーレン「まだ大丈夫だからゆっくり行ってらっしゃい!!」

ガルナス「行ってきまーす。」


 どうやら店の2人の声は届いていないらしく、娘は速度をどんどん上げていった。足にはかなりの自信があるらしく、魔学校では陸上部に所属していた。

 ほぼ同刻、午前7時。日本のとある自動車の部品工場で夜勤を終えた倉下好美(くらした このみ)は帰路に着いた。この時間帯では開いている店など殆ど無く、コンビニや最近増えた24時間営業のスーパーしか寄る所が無い時間帯。正直友人と呑みに行きたくても生きている時間帯が違うので出来ない。仕事終わりの楽しみの酒は昼間に家で1人楽しむしかないのだ。しかし悪い事ばかりでは無い、24時間営業のスーパーにこの時間寄ると割引シールの貼られたお惣菜が高く積まれている。好美はその光景を密かに「パラダイス」と呼んでいた。

 きっかけは突然の事だった、数か月前の4月末でゴールデンウィーク直前。当時日勤で働いていた好美は副工場長の島木(しまき)に少し話せないかと呼び出されていた。全体的に吹き抜けになっているその工場、屋上の喫煙所にある自動販売機で、好美に飲み物を振舞う島木から放たれた言葉に好美は唖然としていた。


島木「GW明けから夜勤に入ってもらうから。」

好美「へ?今何と?」

島木「リーダーの黒野(くろの)さんには俺から言っておくから安心して。」


 それから島木の好意で貰えた数日の連休を利用し体を調整し、緊張しつつ初めての夜勤へと向かった。黒野含め夜勤のメンバーは温かく好美を迎え入れ、好美は安心しながら夜勤の仕事を覚えていった。2交代制のこの工場は受注の殆どを夜勤が担っており思ったより大変だったが、仕事自体は楽しかったので好美は苦には思わなかった。

 この日も帰りにスーパーへ寄り割引のされた惣菜を肴に1杯と思っていた。


黒野「好美ちゃん、ちょっとそこのドライバー取ってくれる?」

好美「はーい。」


 ドライバーを渡そうとした好美は足を滑らせ、2階下に落ちてしまった。


-② 新たな転生者~ここ、どこ?~-


 自分に向かって叫ぶ黒野の顔を見ながら落下した好美、死を覚悟した瞬間川が見えたという。いや、どう考えても浅い川の中に寝っ転がっている。全身に冷たさを感じ、好美は体を起こした。びしゃびしゃに水を含み重くなった制服で岸に着くと、一先ず日光で服を乾かす事にした。

 そんな好美に女性が近づいて来て声を掛けた。


女性「・・・・・・(異世界語)?」

好美「はい?」

女性「・・・?・・・、(日本語)アナタココデナニシテル?」


 カタコトだが女性が日本語で話してくれたので好美は少し安心した。


好美「に・・・、日本語だ。」


 この瞬間、神様お得意の『あのスキル』が発動した。転生者には一番有難いとされる『自動翻訳』だ。

 いきなり女性の言葉が分かるようになった好美は少し動揺している。


女性「(自動翻訳発動)良かった、あたしらの言葉も分かるみたいだね。」

好美「あ、あの・・・。」

女性「あー、大丈夫大丈夫。あんたが初めてじゃないんだよ。あんた、日本からの転生者ってやつだろ?ウチの旦那もそうだからさ。ここはネフェテルサ王国、取り敢えず着いてきな、そのままじゃ風邪引いちゃうよ。」

好美「あ・・・、はい。」


 好美はそのまま女性に付いていく事にした、聞いた事が無い国名にヨーロッパの田舎っぽい風景と服装。なのに何故か軽トラが右往左往する世界に戸惑っていた。

 女性の家に着くと、促されるまま服を借りて脱いだ制服を乾かす事にした。するとその女性の旦那らしき男性が帰って来た。


男性「ただいま。」

女性「おかえり、あんた大変だよ。あそこにいる人、新たな転生者だってさ。」


 男性が好美に近づき警察手帳を出したので、思わずギョッとしてしまう好美。


男性「ふむ・・・、初めまして。この国で警察署長をしています。林田と申します。あそこにいるのは妻のネスタです。宜しければお名前をお伺い出来ますか?」

好美「倉下好美・・・、です。」


 好美が恐る恐る名乗ると林田夫婦は優しい笑顔でテーブルへと誘った、温かな紅茶の良い匂いが広がる。

 ゆったりとした時間を少しの間過ごしていると、日本人らしき女性達が2名程夫婦の家へと入って来た。どうやら好美より先にこの世界に転生してきた先輩らしい。


女性①「川にいたってのはあの人ですか?どう見てもこの世界の服装を着ているみたいですけど。」

ネスタ「あの子さね、服はびしょびしょだったから今乾かしてる。」


 会話に耳を傾けていると、どうやら女性達は親子で思った通り先輩みたいで好美は少し安心した。同じ境遇の人間がいると本当に助かる。

 好美と同じテーブルを囲んだ女性達はにこやかに微笑み自己紹介をし始めた。


女性①「初めまして、私はダルラン光です。ただ皆には旧姓の吉村で呼ばれてます、貴女と同じ転生者です。隣は私の母、一緒に住んでいます。」

女性②「赤江 渚と言います、よろしくね。」


 好美が2人に自己紹介し終えたと同時にネスタから意味が深そうな質問が飛んだ。


ネスタ「その子・・・、「例の儀式」終わってる?」

光「分かんない、ちょっと聞いてみるから。」


 光が指を鳴らすと、何故か理解出来ていたネスタの言葉が急に分からなくなった。部屋の雰囲気に全く合わないテレビからの音声も理解できない。転生してから幾年も経った光はどうやら一時的にだが神に与えられた能力『自動翻訳』を遮断出来る様になっていた。


光「(自動翻訳一時解除・日本語)あたしたちにしか分かってもらえない事だから日本語で話すね、私達転生者は皆同じ1柱の神様によってこの世界に送られたの。そして暫く時間が経った後、説明を何かしら受けると思うから。」

渚「(日本語)例えば「別に何もしなくて良い」とかね。」


-③ 神の存在~あ、ありがたや・・・。~-


 好美は目の前で展開される異次元の話に少し動揺していた、未だに神の存在を信じ切れていない。そんな好美をよそに光と渚は説明を続けた。


渚「自分の葬式の映像を見せられたり「応相談だけど、希望に合わせて世界を作り替えてやる」とか「たまに様子を見に来る」とも言われるね。」

光「それにきっと貴女も『作成』っていう凄く便利なスキルを渡されると思うから、後でまた説明するね。」

渚「転生者のいつもの件っぽいからこっちの世界の人には「儀式」とか「恒例のイベント」って呼ばれているよね、多分そろそろじゃないかな。」


 すると3人の耳に声が流れ込んできた。


声「こらこら、全て聞こえているぞ。「恒例のイベント」とは何だね。それと私の台詞を取るでない、お決まりの物を全て。でもちゃんとこの子にも例のスキルは与えるし相談に応じるつもりだ。倉下好美と言ったな、来なさい。」


 すると目の前が真っ暗になり好美は倒れ込んでしまった。目が覚めると目の前に顎鬚を蓄えた老人が1人、杖を片手に待ち構えていた。


好美「貴方が・・・、神様?」

神「そうだ、私が神だ。ただ今から言おうとしていた台詞を全部言われてしもうた上にネタバレもされとる、あいつらめ・・・。」


 好美は一先ず気になっている事を1つずつ片付ける事にした、最初は日本での自分の現在だ。


好美「私の葬式って?」

神「お前さんは黒野とかいう先輩の目の前で落下して、後頭部を強打。そのまま帰らぬ人にという事になっておる。正直私からすれば君の映像は見るに堪えない、どうしようか。」

好美「やめておきます、何か怖いので。」


 神が杖の先を好美に向けた瞬間、眩しい光が瞬いた。その光が消えた瞬間、好美の体の周りを光が包んで急に自分が強くなっていくのを感じさせていた。

 改めて神からの説明を受け、言われた通り両手を前に出しステータス画面を出した。スキルの所に『作成』と書かれている。


神「右手を出して欲しい物を念じるんだ、出来るだけ強くだぞ。」


 説明した通り右手を出して「バランス栄養食」と念じてみた、その瞬間お馴染みの小箱が現れた。

 それを見た瞬間、目の前の神が呟いた。


神「光の奴もその箱を出しておったな、どうしてなんだ。」

好美「お腹空いてたから、以上。」

神「立派だ、それ以上の理由はないわな。」


 好美が栄養食を食べ終えると改まった感じで神が質問してきた。


神「最後に何か相談事は無いか?」

好美「あの・・・、私夜勤族なんですけど。昼夜逆転生活でも大丈夫ですかね。」


 そう聞くと神は頭を掻き、顎鬚を撫でて悩んでいた。


神「そうか・・・、そう言えばこの世界には日本で言う「コンビニ」や「24時間営業の店」とやらがまだ無いからな。何とかしよう、後は好きな様にしてみなさい。」

好美「分かりました・・・、今何時ですか?」

神「昼の12時頃だな、どうした。」

好美「いや、個人的な事なのでお気になさらず。」

神「そうか、じゃあたまに様子を見に来るから元気でやれよ。」


 目が覚めると好美を光と渚が優しく迎えてくれた。光が『自動翻訳』を再起動して昼食を取った後、3人で街に向かいこの世界についてのある程度の説明を受けた。ただ、「あの件」を残して。2人にショッピングに誘われた好美は大問題が1つあったので相談した。


好美「あの・・・、私この世界のお金持って無いんです・・・。」


 不安そうな好美を連れてリッチのゲオルが経営する雑貨屋のATMへと案内した。


好美「1京円・・・、嘘でしょ・・・。バタン!!」


-④ 便利な世界で働く、そして無かった物を作る-


 1京円に驚きつつ、この世界の通貨が日本と同じ「円」である事、そしてキャッシュカードやクレジットカードが使える事を知った好美。ただ大金持ちは狙われやすいのでこの世界でも働くべきだと2人に勧められた。

 案内されるがままに冒険者ギルドへと向かい、奥の受付カウンターへと歩を進めた。おどおどしている好美をこのギルドの受付嬢でアーク・エルフのドーラ林田が迎えた。


好美「私、冒険者になるつもりは・・・。」

光「この世界ではこれがルールなの、郷に入っては郷に従えって言うでしょ。」

好美「私エルフと話した事なんか・・・、言葉・・・。」

ドーラ「あの・・・、どうかされました?」


 人間と同じ言葉を平気で話す目の前のエルフに驚きを隠せない好美、数秒かけて落ち着きを取り戻すと手続きを始めた。

 難無く手続きを終え、ギルドカードを手に入れた好美は早速仕事を探し始めた。


好美「王宮の見回り?私に出来るかな・・・。」


 本当に偶々なのだが、ギルドにいたネフェテルサ国王のエラノダが自ら面接を始めた。ただ相も変わらず私服で抜け出しての御忍びなので好美は目の前の人物が国王と気付いてはいなかった。


エラノダ「えっと・・・、倉下好美さんね。見回りのお仕事のご経験は?」

好美「初めてなんですけど、私でも出来ますかね?」

エラノダ「大丈夫ですよ、簡単なお仕事ですし王国軍の者に丁寧に教える様申し伝えておきますね。」

好美「あ、ありがとうございます。」

エラノダ「因みにですが、いつからシフトは入れますか?」


 転生するきっかけとなった「あの夜勤」の翌日に日本でいた頃は合コンの予定があったが、今はこっちの世界に来てしまったので全くもって関係なくなってしまっている。


好美「いつでも・・・、大丈夫です。」

エラノダ「分かりました、では採用等についてのご連絡の為に好美さんのお電話番号をお願いします。」


 好美はまだこの世界に家を持っていないのでスマホの番号をそのまま伝えた。次は家探しだ、早速3人で不動産屋に出かけようとしたら好美のスマホに未登録の番号から着信があった。好美はこの世界での初めての電話に恐る恐る出た。


好美「も・・・、もしもし。」

男性(電話)「もしもし。倉下好美さんの番号で御間違えないでしょうか。」

好美「はい、そうですが。」

男性(電話)「よかった、突然のお電話失礼致します。私ネフェテルサ王国軍のニコフと申します、今回の採用についてご連絡をと。」


 電話の相手はネフェテルサ王国軍のニコフ・デランド将軍、今は昇進して将軍長(アーク・ジェネラル)になっている。

 流石にこの世界での仕事だ、通常の日勤に戻り昼夜逆転生活ともおさらば出来るだろうとワクワクしていた。


ニコフ(電話)「えっとですね、初出勤は来週の火曜日です。22時から7時で週3日の採用となりましたのでよろしくお願いします。」

好美「深夜での勤務ですか・・・?」

ニコフ(電話)「はい、常夜勤でお願い致します。ご都合は大丈夫ですか?」

好美「大丈夫です、問題ありません。」

ニコフ(電話)「では詳細については当日ご説明させて頂きますのでそのおつもりで、では失礼致します。」


 通話を終わらせた好美は顔が少し蒼白していた、また日本に続き夜勤での仕事となってしまった。また昼夜逆転生活が続くのか・・・。そう思いながら不動産屋へと向かった。

 3人で街を歩く、ちらほらと辺りを見回したがやはりこの世界には24時間営業の店が無い。せめてコンビニだけでもあればなと助かるのだが。


渚「コンビニか・・・、無いならあんたが作っちまいなよ。」

光「そうだよ、1京円あるんだからコンビニを作って2階部分を家にすれば良いじゃない。」

好美「良さそうですね、やってみようかな。」


 そうと決まれば次に行くべき場所は不動産屋ではなく商人兼商業者ギルドだ、早速3人は登録の為珠洲田(すずた)自動車へと向かった。


-⑤ 違くない?-


 好美は日本にいた頃、徒歩で通勤できる範囲に住んでいた。朝日を浴びながら散歩感覚でゆっくりと家へ帰る、帰り道の途中に「パラダイス」があるあのスーパーが建っていた。

 そこで割引の惣菜やスナック菓子を買い、それを肴に家での昼呑みを楽しんでいた。少し良い事があった時は缶ビールを1本余分に購入し堂々と呑みながら帰った。こちとら仕事帰りだ、正直朝だろうと知ったこっちゃない。

なので車など必要なかったので免許も持っていなかった、たまに遠くに呑みに行く時は近所のバス停からバスで目的地へと向かえばよかったのだから。

 ただ今、3人は車屋の前にいる。先程も書いた通り好美は免許が無いから買っても運転など出来ないのだが。


好美「車・・・、ですか?私免許持って無いのですが。」

渚「いや違うんだよ、この建物の地下がギルドになってんの。」


 促されるまま好美は「珠洲田自動車」へと入って行った、店主の珠洲田本人がにこやかに3人を迎えた。


珠洲田「いらっしゃいませ・・・、ん?なっちょじゃないか、まさかまた屋台を故障させたのか?」


 渚の使い方が荒いのか今年に入って拉麵屋台を5回も修理に出していた、珠洲田も呆れ顔を見せている。


渚「一昨日の今日で壊している訳がないじゃないか、この子をギルドに登録して欲しくてね。」

珠洲田「この子・・・、いらっしゃいませ。申し遅れました、私ギルドマスターの珠洲田です。ご登録で宜しいですか?」

好美「は、はい。宜しくお願いします。」

渚「スーさん、あたしと態度が偉い違うじゃないか。」

珠洲田「初めてお越しの方だぞ、緊張しているじゃないか。」


 そう言うと、珠洲田が温かな緑茶を振舞いながら説明を行い、好美は言われた通りに登録用紙への記入を進めていった。

 好美の事がタイプなのだろうか、ギルドマスターの珠洲田が珍しく自らずっと対応している。


珠洲田「因みに好美さんはどの様な商売をお考えですか?」

好美「コンビニを作ろうかと。」

珠洲田「そう言えばこの世界にはありませんでしたね、建物のご予定はどちらに?」


 好美はまだこの世界に来たばかりなので場所に全く詳しくない、その上ここでの登録を済ませた後不動産屋へと向かう予定だったので建物など探してもいない。


珠洲田「では建物が決まり次第お知らせ頂けますか、登録が必要なので。」


 そうして珠洲田自動車を後にした3人はその足で早速不動産屋へと向かった。店を始める24時間営業の店を始める旨を伝えると主人は街の真ん中、王宮寄りの所にある建物を紹介した。

 店舗部分となる1階の広さは日本の一般的なコンビニに丁度良く、贅沢にもエレベーターも完備していて物凄く便利だ。屋上部分にはまさかの露天風呂もあるらしい、ただ問題が1つ。


好美「15階建てなんですね・・・。」


 王国で1位2位を争う高さの高層ビルだそうで、残りの階をどう利用するか悩んでしまう。渚は不動産屋の店主に耳打ちで相談し、独断である事を決めてしまった。


渚「1階を店舗、15階に好美ちゃんが住んで残りを不動産屋に預かってもらってマンションとして人に貸すんさね。もう、ここに決めるだろ?」

好美「王宮へすぐ通勤出来そうなのでここにしようかと思ってました。」

不動産屋「では、その様にご契約させて頂きますね。お支払いはいかが致しますか?」


 値段を聞いた後、好美は渚と光の方を向いてから迷わず言った。


好美「現金一括でお願いします!!」


 その後好美達はゲオルのお店へと一度寄ってから、超高額の現金を持って不動産屋に戻り支払いを終えた。店主は唖然としていたが、好美は何となく興奮している。渚が珠洲田を呼び出し、目の前で光と建物に向かって強力な魔力を送り込んだ。建物が一気に綺麗に生まれ変わり1階部分も立派なコンビニになった。親子からの粋なプレゼントだ。


-⑥ 商売への交渉開始-


 光と渚が購入したての高層ビルを用途で使い分けができる様にと作り替えた後、2階~14階への入居者を早速募集すべく好美自らポスターの作成を行った。同時に1階のコンビニのオープニングスタッフを募集する事にしたのでその旨も書いた物を作成していく。

 作成したばかりのポスターを不動産屋に持っていき、早速貼って貰えるように依頼してきた。


不動産屋「すぐ剥がすことになるかも知れませんよ?」


 意味深げな言葉を残しつつ、ポスターを受け取った不動産屋は店の大きな窓にポスターをでかでかと目立つ様に貼ってくれた。

 一旦、1階のコンビニ部分に戻り店舗の窓にもポスターを貼り付ける事にした好美。この店の従業員に対しては月家賃を中心に割引きを用意する事にした。従業員は家賃2割引き、また店の商品は全て1割引きを予定している。売り上げや利益の事は大丈夫なのだろうかと心配されたが、神によって振り込まれたお金はまだ十分に残っているので心配ない。

 店にはマンションの内側からも入店可能でいつでも買い物ができる様になっている、このマンションの住民になるとエレベーターに乗るだけですぐ買い物が可能になった。

 因みにエレベーターは特殊な作りになっていて、1階~14階は各階へのボタンがあるのだが好美が住む1番上、つまり15階のボタンだけが無い。これは「せめて家だけはプライベートな空間に」と渚の気遣いでの仕様で、好美が設定した4桁の暗証番号を階層のボタンで押すと15階へ行けるようになっている。

 屋上の露天風呂もプライベートの空間にすべく、敢えて共同のエレベーターではなく15階から屋上へと延びるもう一つのエレベーターを使用する事になっていた。

 エレベーターで地下駐車場へと降りるとそこから直接隣国のバルファイ王国、及びダンラルタ王国への住民専用地下通路が設置されていた。隣同士なのでバルファイ王国からダンラルタ王国へ直接行けない訳では無いのだが、距離的にはこのネフェテルサ王国を経由して行く方が近いらしい。特に魔学校へ行く学生が使うだろうと光が言っていた。

 好美のマンションから光の娘であるガルナス達が毎日利用するバス乗り場には少し距離があるので、地下通路に専用のバス乗り場を作れないかと光に相談すると少し待つ様にと伝えられたのでその通りにするとすぐ『瞬間移動』でやって来た。


光「少し、話を聞かせてくれる?」

好美「スクールバスだけは地上の道からこの地下通路に入れるようにしてここの住民のお子さんや学生の方々がすぐに乗れるようには出来ないでしょうか。」

光「確かにこの通路を使う方が通いやすいとは思うけど・・・、あの人に一言言わなきゃだめだよね・・・。」

好美「あの人・・・、ですか?」


 ちんぷんかんぷんになっている好美の前で光は突然ある女性からの『念話』を受け取った。


女性(念話)「何か面白そうなお話をされていましたが、もしかしたら私をお呼びですか?」

光(念話)「この声は結愛さんですか?いつの間に念話を?」


 そう、光に『念話』を飛ばしてきたのはバルファイ王国にある魔学校を経営する貝塚財閥の代表取締役社長で、魔学校の理事長をも務める貝塚結愛本人だ。


光(念話)「結愛さん、貴女は地獄耳ですか?」

結愛(念話)「実はアーク・ワイズマンのリンガルス警部に魔法を仕込んで貰ったんですよ、それよりバス乗り場がどうかされましたか?」

光(念話)「ちょっと待ってください。」


 訳が分からない好美は、目の前にいる光がただただ無言でアクションをしているようにしか見えないので呆然としていた。そこで光は『念話』を好美に『付与』して直接話すように促した。


結愛(念話)「好美さんでしたっけ、念話が聞こえますか?私貝塚財閥代表取締役の貝塚結愛と申します。」


 突然脳に言葉が流れ込んできたので好美は驚きを隠せない。


好美「光さん、結愛さんとかいう女神様っぽい方の声が頭に流れ込んで来るんですけど!!」

光「『念話』って言うのよ、頭の中で話しかける様に貴女も念じてみて。」

好美「やってみます・・・。(念話)貝塚社長ですか?聞こえてますかね?」

結愛(念話)「聞こえていますよ、あと私の事は「結愛」とお呼びください。それでなのですが、バス乗り場がとお聞きしましたがどうされました?」


 好美は魔学校のあるバルファイ王国へと繋がるマンションの地下通路に専用のバス乗り場を作り、学生たちに利用してもらおうと思っている旨を伝えた。勿論、結愛は賛成したが珍しく交換条件を出して来た。


-⑦ 交換条件と住民-


 結愛の交換条件が気になる好美は少しドキドキしていた、この交渉次第では数億円単位の金が動いていくはずだ。好美は慣れない念話で話し続けた。


好美(念話)「条件・・・、ですか?」

結愛(念話)「2点ほどあるのですが、少々お待ち頂けますか?」

好美(念話)「え?まさか・・・。」

結愛「そのまさかですよ、好美さん。」

好美「えっ?!」


 話の流れで『瞬間移動』して現れた結愛に驚く好美、この世界でも車は必要ないなと改めて思いつつ一先ず話を進める事にした。


結愛「この通路ですか・・・、これがバルファイ王国に繋がる訳ですね?」

好美「車が通れるように少し広めに作っているのでスクールバスでもご利用いただけるかと。」


 少し考えた結愛は深く頷き好美に例の「交換条件」を伝えた。


結愛「では好美さん、気になっておられる条件なのですが、①この通路に魔学校直通のルートを追加する事と②2階~5階部分を魔学校の学生寮や貝塚財閥の従業員が使用する社宅として提供する事です、勿論その分の家賃はお支払いいたします。いかがでしょうか?」


 物凄い好条件、断る理由などない。


好美「分かりました、勿論大丈夫です!!」

結愛「ではそれでお願い致します。」


 結愛と強く握手を交わした好美は、早速不動産屋に連絡して2階~5階についての事情を説明した。


不動産屋(電話)「貝塚財閥が絡むとなると断る訳には行きませんね、了解しました。」


 そう言って不動産屋は事情を理解してくれ、好美もポスターに「6階以上の部分」と書き加え募集を始めた。

 すると1時間もしない内にまた不動産屋から連絡が来た、何と今の時間で全部屋が埋まってしまったという。流石は街の中心地だ、その人気を舐めてはいけない。結愛から聞いたのだが寮や社宅の部分も全て埋まってしまったという、満員御礼といったところか。

 次はコンビニの従業員だ、オーナーは勿論好美だが正直経営に関しての知識が無い。そこで入居予定の者から募集する事にした、すると過去バルファイ王国で経営学を学んでいたという4人が現れたので雇う事に。面談はまたおいおい。

 実は好美がこの世界に転生する数年前からなのだが、知能が高く人化して人語を話せるなら上級でなくとも自由な入国が許可されるようになっており、それにより今回の入居者の殆どが出稼ぎでの移住を希望していた獣人族や鳥獣人族、そして人化できる魔獣となっていた。

 不動産屋から入居者のリストを貰い、全くもって覚えきれないがゆっくりと目を通していった。そうこうしているうちに時間が経過してもう午後3時、ぐっと疲れが来てそろそろ日本にいた時の昼夜逆転生活での「あのお楽しみ」がしたくなってきた。

 まだ自らの店は開店していないのでゲオルの店へと足を運ぶ、この世界での初めての昼吞み。惣菜はどんな物かとワクワクしていた、やはり洋風の者が多いのかと思っていたら天婦羅や唐揚げなどもあり意外と酒好きにも嬉しいラインナップだ。

 一先ず呑みたいだけ缶ビールを買い込み、惣菜売り場で数種類ある揚げ物メニューを購入した。

 ルンルンとした気分で自ら決めた暗証番号を打ち込んで15階へと上がる、着いた先である好美のプライベートスペースにはもう既に日本での家財道具が『転送』されていた。まだ必要な物があるならと光が『転送』スキルも『付与』してくれていたので助かっている。

屋上の露天風呂付近にテーブルや冷蔵庫を設置していたので、今日はそこで呑むことにした。これから始まる異世界生活への希望を胸に体を上へと伸ばして深呼吸した。


好美「さてと・・・。」


 テーブルに買って来た揚げ物を並べ缶ビールを開けて一気に煽った。


好美「ああああああ、最高!!たまんないわ!!あっ、そうだ!!」


 好美はバスタオルを用意して服を脱ぎ露天風呂に飛び込んだ、横にあるスイッチを捻るとジャグジーで泡が発生した。疲弊した体を解しながらビールをまた煽る。

 好美が大好きな昼呑みを楽しんでいると後ろから女性の声がした。


女性「あら、先にやってたのかい?ジャグジーで昼呑みなんて贅沢じゃないか。」


-⑧ 侵入者の目的-


 確かここは15階、好美だけのプライベートスペースだったはず。ここに来るには暗証番号が必要なはず。どうして自分の真後ろに人が?

 少し恐怖心を覚えながら後ろを振り向くとそこには渚がいた。


渚「驚かせて悪かったね、光が早く誘って来いってうるさいから来ちゃった。」

好美「誰かと思いましたよ、『瞬間移動』ですか?」

渚「というよりこのビル、あたしらの魔力で作り替えてるから来れちゃうのよ。まぁ、私か光がたまに遊びに来る程度だから許して。」


 知らない人だったらどうしようかと心臓をバクバクと鳴らしつつ、一応バスタオル巻いておいて良かったと安心していた。確かにこの設計は渚と光からのプレゼントだ、2人の行動を否定する事はできない。いつか自分もあんな魔法を使えるようになるのかなと少し微笑んだ。

 しかし、今日はもう用事は終わったはずだ。今は何もかも忘れて思いっきり昼吞みを楽しみたい時間帯、正直言うと邪魔されたくない。今度は何なんだ?


好美「何かありましたっけ?」

渚「何言ってんの、あんたの歓迎会だよ。もう皆集まってるから早く服着てきな。」


 渚にそう言われると、持っていた缶ビールを急いで飲み干し服を着る為テーブルへと向かおうとした。その瞬間・・・。


渚「あらま・・・。」

好美「す・・・、すぐ服着てきますから!!」


 屋内へと急ぐ好美を見送りながら渚は顔をニヤつかせた。


渚「これは良い物を見ちゃったね、アハハ。」


 数分後、日本から『転送』させて来た私服を着た好美が走って出て来た。先程まで一人で呑んでいたせいか、それとも急いだせいか顔が赤い。ただ息切れしていたのは確かなので後者なのだろう。

 渚は急いで出て来た好美に自分が買って来た缶ビールを手渡し小さく乾杯すると、何とも美味そうな表情で呑んだ。何故か先程の物より美味く感じている、やはり誰かと呑む方が美味いと思える物なのだろうか。


渚「ははは・・・、美味そうに呑むね。あげた甲斐があったよ。」

好美「ありがとうございます、何よりもビールが大好きなんです!!」

渚「その言葉を聞けて安心したよ、向こうにも沢山用意しているから楽しみにしてな。じゃあ、行くよ。」


 そう言うと渚は右手を高く上げ、2人の頭上で円を描いた。その瞬間ある民家の裏庭に到着し、2人の目の前で光が冷やしたグラスに生ビールを注いでいた。


光「おかえり・・・、って母さん!!何先にやっちゃってんの、今3人分のビール注いだんだよ!!」

渚「しょうがないじゃないか、だって迎えに行った瞬間には主役の方も始めてたんだよ。誰だって呑みたくなるだろ。」


 そう言った渚が持っていた缶ビールを飲み干して光が注いだ生を受け取ると、本日の主役も急いで飲み干した。

 改めて3人が生ビールで乾杯すると、辺りから物凄く美味そうな匂いがやって来て涎が出始めた。


渚「これはあの時の牛じゃないのかい?」


 好美が転生してくる数週間前、光はネフェテルサ王国の競艇場で万舟券を獲得し思い出のある肉屋で思い出深い牛肉を買っていた。あの時と同様に一頭丸々、なので今回もネスタと結愛が解体している。前回と違うところは整形をも2人が行っているところとずっと酒片手にやっているところだ。しかも整形した肉をそのまま焼きながら行っている、ただ切れ端を焼いてるみたいなので許容する事にした。


結愛「師匠ー、次カイノミ行ってもいいですかぁ?」

ネスタ「あんた、食べたいからってわざと切れ端を大きくして無いかい?私もだけどね、アハハ。」


 どう見ても2人で呑みに来ている様にしか見えない光景だ、ただ今日の主役である好美達の顔を見た瞬間自分達のテーブルへと誘いおもてなしを始めた。貝塚財閥の社長が自ら注いだ生ビールを好美に渡して乾杯すると、2人は最高の表情で一気に飲み干した。


-⑨ 社長の変貌と意外な事実-


 貝塚財閥の社長はビールを飲み干した好美に早速と言った様子で焼けたばかりの肉にシンプルに塩で味付けすると、今まで見せた事の無い程の笑顔で好美に勧めた。

 ただその時、以前の仕事モードとは真逆の「あのキャラ」で話しかけたのだ。


結愛「この前はすまなかったな、無茶な条件つけてよ。」

好美「いや・・・、そんな何を仰いますやら。それよりこのお肉頂いてもいいのですか?」

結愛「硬くなるなって、もう一緒に仕事する仲間じゃねえか。友達も同然だよ。」


 契約を交わした時とは真逆のキャラで話して来たので少し焦りを見せる好美、ただこれが結愛の本当の姿なのだ。別に酒に酔っているとかは全く関係ない。

 好美ともっと仲良くなりたくなった結愛は自ら持って来た焼酎「魔王」をロックで渡した、これは結愛にとって「今夜は無礼講」だという事を意味している。


好美「社長・・・、こんな高級なお酒・・・。」

結愛「お前は一生俺の事を「社長」って呼ぶな、それと俺の酒が吞めねえのか?」


 好美は手が震えて仕方なかった、これを吞まなきゃ好美にとって大切な何かが壊れる気がしたからだ。覚悟を決めた好美は手渡されたグラスの酒を一気に飲み干した。


結愛「いける口だな、やるじゃねぇか。これから俺らは仲間、いや友達だ。敬語なんか使うなよ!!」

好美「は・・・、う・・・、うん・・・。」

結愛「あはははは!!これからよろしくな好美!!」


 離れたところからその光景を見ていた光がぼそっと呟いた。


光「いや、キャラ変わりすぎでしょ。」


 その言葉を聞いた男性が横から割り込んできて一言、それにより光は驚きを隠せずその場に躓いてしまった。ただビールグラスはしっかりと握っている。


男性「いや、これ日常茶飯事なんで。」

光「光明さん、びっくりしちゃったじゃないですか。」

光明「すみません、妻に頼まれた食材を採りに行くのに苦労してたんですよ。」


 男性の正体は、結愛の夫で貝塚財閥副社長の貝塚光明だ。今回も前回と同じく魚を持って来たのだろうか。しかし今「採りに」って言ってなかっただろうか。

 よく見てみたら光明の服装が少し汚れている様な・・・、しかも副社長なのにジャージ?


結愛「おう、光明!!あれ買って来たか?」

光明「相変わらずだな、これだろ?」

結愛「おう、これだこれ。」


 光明からビニールの袋を受け取ると『アイテムボックス』から小さなナイフとおろし金を取り出した。


結愛「好美、面白い物を食わせてやるよ。」

光明「またあれをやるのか・・・、飽きないなお前も。」

結愛「るせぇよ、仲良くなった奴にしかこれはやらねぇって決めてんだよ!!好美は良いの!!」

光明「はいはい。」


 ため息をつく光明に好美はビールを手渡した、食材の採集に疲れていたのか美味そうに呑んでいる。大仕事の後のビールが五臓六腑に染み渡っている様だ。


光明「美味いですね・・・、よほど高級なビールなんでしょうね。」

光「いや、銀色の一番有名なあれです。」


 光明はぽかんとしながらビアサーバーを眺めた、自分がよっぽど大変な仕事をしたんだと実感をし始めた様だ。そんな事もつゆ知らず、結愛は光明から受け取った食材を採りだして先端の皮をナイフで剥き始めた。


好美「それって・・・、山葵?」

結愛「そうだ、好美は山葵が辛いだけのものって思ってないか?」

好美「そうじゃないの?」


 結愛は自らが思った通りの答えを好美が言うと、先端だけ皮を剥いた山葵を手渡した。

結愛「ほら、騙されたと思って食ってみろ。」

好美「う・・・、うん・・・。えっ、甘い!!」


-⑩ 幸せへの道の一歩-


 好美の驚きの言葉を聞き、結愛は改まった様子で小皿を取り出して好美が齧った部分を切り落とすと残りの山葵の皮を剥き始め、次はおろし金で擦り始めた。

 少量擦ると小皿に盛り付けまた好美に差し出した。


結愛「ほら、これならどうだ?」

好美「う・・・、うん。あっ、今度は辛い!!」


 そう、山葵はすりおろす事で細胞が破壊され細胞内に存在する「シニグリン」が細胞内の「ミロシナーゼ」という酵素と反応する事により、辛み成分である「アリルイソチオシアネート」が生成されて辛くなるものなのだ。結愛自身はここまで詳しく知らなかったのだが、擦る事によって辛くなる事を知っている事を自慢したかったらしい。


好美「こんなの初めてだ・・・。」


 改めて驚く好美に遠くから光が声を掛けた、そう言えばずっと良い匂いがするのに全然肉を食べていない。


光「好美ちゃん、焼けてるよ!!早くおいで!!」

好美「えっ、うそ!!行きます行きます!!」


 好美は駆け足で光の下へと向かい、肉汁がたっぷりと滴る焼きたての肉の串を1本受け取ると勢いよく齧り付いた。口の中で一瞬にして儚く消えてしまった肉が好美の涙を誘い、また一口また一口と食を進めさせた。シンプルに塩胡椒のみで味付けしているのに十分すぎる味わいを見せつける肉達により、好美はビールが止まらなかった。

 横でずっと山葵を擦り続けていた結愛がやっと作業を終わらせ、擦りたての山葵を好みの方に持って来ると肉に少し乗せた。


好美「えっ、何してんの?」

結愛「何って山葵乗せてんじゃねぇか。」


 恐る恐る山葵の乗った肉を一口食べるとピリッとした辛さとほのかな甘みが広がり咀嚼が止まらなくなってしまった。

 次は渚特製のタレで食べてみる事に、これは果物の甘みを活かすべく余計な物を入れずシンプルに仕上げた光のお気に入りだ。

 このタレに付けた肉により欲しくなって来た者が1つ、そう白飯だ。屋外に設置している光特製の釜で丁度炊き上がっていた。

 好美は薄めで面積のある焼肉で白飯を巻くのが大好きだった、いつも通り行うと濃いタレにより肉1枚で茶碗の半分が消えてしまった。

 次の肉を同様にタレにつけると、キムチを乗せサンチュに巻いて食べた。瑞々しくパリパリとしたサンチュと溶ける様な食感の肉が、好美の舌を楽しませた。

 そんな中、渚のスマホが鳴った。相手は渚の屋台の店主、シューゴだった。話し声から渚の貫禄を感じた。


渚「何だい?今日は営業終了のはずだろ?え、明日?話って何だい?分かったよ、んじゃいつも通り明日お店ね、一秀さんも来るんだろ?分かったよ。」

光「シューゴさん、何て?」

渚「何か話があるんだって、折角の酔いが醒めちまったさ。渚、呑みなおそう。ビール持って来て。」

光「はいはい。」


 渚は職場以外で仕事の話をする事を極端に嫌った、しかしそれも承知で電話を掛けて来たんだと思った。

 気分を悪くした渚はヤケ酒の様に渡されたビールを一気飲みし、焼けた串付きフランクに大口で齧り付いた。

 パキっと皮が破れると、肉汁が溢れ渚の顔を緩ませた。


渚「あいつ・・・、あんまり電話してくんなって言ってんの・・・、に・・・、何でこれはいつ食べても美味しいのかね。何も付けなくてもいいのが魅力的なんだよね。」

光「お母さん、何独り言ずっと言ってんの。それに顔緩んでるよ。」

渚「そんな訳ないだろ、私の顔が緩んでいる訳・・・、あら本当だね。」


 光の差し出した手鏡を見て「お笑い怪獣」の名で有名なあの大物芸能人の様なボケを繰り出した。漫才の様な光景に好美は笑いが止まらなかった、そんな中好美の口座に大量の振り込みがあったとの事なので確認すると莫大な金額が一括して入金されていた。どうやらマンションの住民達から初期費用が支払われた様だ。

 不動産屋からの連絡によると、何のクレームも無く皆快適そうに各々の暮らしを始めているらしく好美は安心して食事を再開した。もう働かなくても良い位だ。しかし働かないと怪しまれるかもだから、一応職は持っておいた方が良いと光に言われたのでその通りにして、今は目の前の肉と酒を楽しむ事にした。

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