18日目「放課後、今度は寄り添って」

 教室清掃が終わり、僕の班もそれぞれ荷物を持って教室を出る。その流れで廊下に右足を一歩踏み込もうとした、その時。


「――だめ」

「……??」

「先に行っちゃだめ! 今日は私と一緒に帰るって約束でしょ!!」

「……そうだっけ」


 甘菜あの子に捕まった。人生でだ、女性一緒に帰るのは。


「……まぁいいか。さっきいきなり怒ったお詫びも兼ねて、今日はそうしよう」

「やった! じゃあこのまま手、繋いで帰ろっか!!」


 この時の僕は甘菜あの子はとんでもなく大胆だと言うことに――



 ◇


「〜♪」

「…………」


 僕の左手を強く繋いだ右手を振り子のように動かしながら、彼女は鼻歌を口ずさむ。僕とこうして一緒に帰るのが相当嬉しいのか、彼女の頬は緩む一方だ。

 対して僕は周りに歩く人影を一人一人気にしながらなるべく早足で歩く。そもそもこのようなシチュエーションに遭遇していないからか、何よりも緊張が勝ってしまう。


「……優くん。手、震えてるよ?」

「っ……!」


 流石にここまで緊張すれば身体にも出てしまう。一先ず『初めてなんだから仕方ないだろ』と一言。だが、その一言が彼女の意地悪の火に油を注ぐ事になった。


「へぇ……私が優くんの初めて、貰ったって事だよね?」

「……まぁ、そういう事になるんじゃないの」

「えへへっ、嬉しいな〜。優くんの初めて貰っちゃった♪」


 彼女はにやにやと笑みを浮かべながら言う。何故か心の奥底から恥ずかしさが込み上げてきて、僕はふと彼女に背を向けた。


「――でもさ、ほんとはこれが初めてじゃないんだよ?」

「えっ……?」


 彼女の口からあまりにも衝撃的な言葉が放たれ、反射で彼女の方を向く。


「ずっと昔にね、こうやって毎日手繋いで帰ったんだよ? 覚えてない?」

「……そうだったっけ」


 覚えていない……というかそもそも僕は今、生まれて初めて異性と手を繋いで帰っているのだ。彼女の言う『ずっと昔』には、僕はその場にいなかったんじゃないだろうか。うん、そうに違いない。


「はぁ~、もう忘れちゃったのかぁ……寂しいな」


 甘菜あの子は大袈裟っぽく深いため息をついた。きっと僕もその『ずっと昔』の事を本当は覚えていて、わざと覚えていないふりをしたものだと勘違いしているのだろう。或いは僕に思い出させようとしているのかもしれない。


「そんな事言われても……覚えてないものは覚えてない」


 結果、これに尽きる。思い出せそうという兆しの欠片も無いのだ。そんな中で無理矢理思い出させようだなんて普通の人でも無謀だ。


「そっかぁ……じゃあ、しっかり味わうね。優くんの初めてっ♪」

「っ……!!」


 ドキッとした。その瞬間、心臓が徐々に脈を打つスピードが速く感じるのが伝わる。全身が熱くなる。


 ――何故だろう。変に彼女を意識してしまう自分がいる。これが世に言う初恋というものなのだろうか。


「――優くん?」

「あっ……えっと、何でもない」


 そんなわけないと勝手に脳内で結論づけ、適当に誤魔化す。そしてすぐに忘れるべくリュックから水筒を取り出し、ほうじ茶と共にそんな感情を一気に流し込む。


「ふぅ……ふと水筒学校に置き忘れてないか確認しただけだから。あと喉乾いたからついでに……」

「そっかぁ……」


 甘菜あの子は何故かいたずらっ子のような笑みを浮かべたと思った刹那、ぎゅっと僕の左腕に抱き着いた。そして僕の顔を見上げ、囁く。


「意識……してくれないの?」

「っ…………!!」


 逃がすかよ、と言わんばかりに強く抱きつかれ、平均的な大きさの胸が二の腕を包み込む。一気に距離が近くなる。黒茶色の長髪が揺れ、ホワイトムスクの石鹸のような優しい香りがふわりと僕の鼻孔をくすぐった。


「してくれないならぁ……無理矢理にでも意識させちゃうぞぉ……?」


 甘菜あの子の唇が徐々に若干赤く染まった僕の左頬に迫ってくる。今度は何をしてくるというのだ。まぁいくら僕でも何となく想像はつくけど。でも故に恥ずかしいという感情が僕を襲ってくる。


「や、やめっ……」

「――ぷっ、あははっ!」


 突然甘菜あの子は僕から一歩距離を置きながら腹を抱えて笑った。


「ほんと、優くんは面白いなぁ! からかい甲斐があって楽しいな♪」

「はぁ……ほんと焦るからやめてほしい……」

「ごめんごめん、ほら、また手繋いで帰ろ?」


 仕方ないな……と小声で呟きながら、僕は微笑む彼女の右手に優しく触れ、ぎゅっと繋いだ。さっきまで視界を赤く照らした夕日があっという間に住宅街に隠れる。


「――じゃ、また明日ねっ」


 そして、彼女の家の前で手を振る。その後ゆっくりと扉を閉める音が聞こえた。一人になったその時、僕はちょっとした違和感を覚えた。


「……一人って、こんな寂しいものだったっけ」


 僕はそれを紛らわすかのように、ずっと繋いでいた左手をぎゅっと掴むように握りしめ、自宅へと歩き始めた。家と家の間から差し込む朱色の光を浴びながら――

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