9日目「悪魔の涙」

 放課後を告げるチャイムが鳴った。それぞれ生徒が荷物を持っては教室を出たり、友達の所に向かって話したり……過ごし方は様々だ。


「ふぅ……」


 今日は本当に酷い目に遭った。だから早く帰りたい。その一心で荷物を背負っては神速の如く教室から出た。


「あれ〜? 優くんどこいったんだろ……」


 ふと後ろで悪魔の声が聞こえた気がした――




「はぁ、はぁ……」


 また走った。同じような事が昼にも起きたような気がした。なんだかタイムリープでもしてる気分だ。


「でも……流石にここまでは追ってこないはず」


 とにかく今日は『なんて日だ』って思うくらいに酷い日だった。その原因は言うまでもない。朝から読書中に突然話しかけられ、貴重な昼休みを羞恥心しゅうちしんで埋め尽くされた。こればっかりは忘れられないトラウマになるだろう。


「早く……家に行かないと」


 幸いな事に今日は父が出張でいなく、母は友達の家に泊まりに行くとの事だ。つまり家に帰ればあの昼休みの埋め合わせが出来るのだ。こんな所で呑気のんきに休んでいるわけにはいかない。


 自分の足に鞭を打つように無理矢理立ち上がらせ、早足で家まで向かおうとした時だった。


「だ〜れだ?」

「――!!」


 突然視界が真っ暗になる。若干まぶたが暖かくなる。聞き覚えのある声が聞こえる。しかし、その声は間違いなく僕にとっては悪魔の声だ。

 

 ……でも、誰の声かは忘れてしまった。


「やっぱり……言えないんだね」

「……何のつもり?」

「友達から話、聞いたんだよね。優くん……記憶障害になったって……」 


 何で僕の障害を知っているのだろう。どこからの情報なのだろう。親がこの話を広めたのだろうか。いや、それは無いな……


 突然記憶障害の事を言われて僕は正直驚いた。僕の視界を隠す悪魔も先程のような明るさが少し失われているように思えた。


「いつからそうなったのは分からないけど、前までの優くんと全然雰囲気違って……私、やりすぎたかなっていつも不安になるんだ」

「……」

「ごめんね。私、怖がらせたよね。記憶障害を持ってるなんて知らないで……私、馬鹿だよねっ……」


 悪魔は突然泣き出した。僕はどうすれば良いのだろうか。こんな僕から励まされても嬉しくないだろうし、放っておくのもなんか罪悪感で胸がいっぱいになる。どうすれば良いのだろうか。


「でも……それでも優くんは私のわがままに付き合ってくれて……素っ気ないけど、あの頃の優しさは変わってなくて……私、嬉しかったっ……!!」


 刹那、視界が公園の木々で彩られた直後に抱きしめられる感触が背中から感じた。


「でもっ……優くんはすぐにそんな事忘れちゃって……私と過ごした事も1時間すればもう優くんの中から消えちゃうって思うと……怖くて仕方なかったの!! だって……明日になったら振り出しに戻って……それが嫌だった! 優くんに私のこと忘れて欲しくなかったっ……!!」


 僕を強く抱きしめながらまた泣いた。何故か分からないけど僕の両目が熱くなっていくのを感じた。僕も泣いているのだろうか。


「ごめんねっ……ごめんね……私、優くんのこと全然分かってなかったよ……!」


 段々僕の胸の中も締め付けられるような気がした。何だろう、この気持ちは。でも悪い気にはなれなかった。

 僕も何か言いたい気分だ。さっきまで僕が悪魔だと思ってたこの人を励ましてあげたい……そんな気になった。


「……そんなの、分かるわけないじゃん。僕が事故に遭った瞬間を見たわけでも無いし、意識不明の重体になったのも知らないでしょ」

「……」

「でも、それは僕にでも言える。僕も記憶障害も相まってか、君を避けてた。それも君を僕なんかといて傷ついて欲しくないっていう理由で」

「優くん……そんなの余計だよおお!!」


 また強く抱きしめられた。このまま絞め殺すつもりなんじゃないかって思う程に。


「優くんといて私が傷つくわけないよ! 昔からずっと仲良くいたんだよ! 何で変な気遣いするの!? 何で私を避けるの!? そっちの方が傷つくよ!!」

「……」

「こんなに好きなんだよ……私、こんなにも優くんのことが好きなのに……! 勝手に私の好きな人を卑下しないでよ!!」


 ……怒られた。初めて人に本気で怒られた。あぁ、怒られるってこんな感じなんだな。初めて……いや、何だか懐かしい気分だ。


「そんな優くんが、私は好きなの! だから少しくらい自分に自信もってよ!」

「……」


 あぁ……何か前にもあったな、こんな事。はっきりとは覚えてないけど、身体が覚えてるような気がする。でも時間が経てばいつもみたいにすぐに忘れるだろう。


「今までの思い出は全部忘れていいから……今日のこの事は、絶対忘れないでね……!」


 そんな事を言われ、自分の脳にこの事を焼き付ける自分がいたような気がした。


 忘れないようにじっくり、じっくりと脳に焼き付けた。悪魔が流した涙を――

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