2.

 夏休みが近づいているとはいえ、まだ夏休みではない今日は普通の日曜日。

 珍しく優心のいない土曜日を一日中そわそわして過ごした。

 優心が一日来ないだけで心が落ち着かないとか。これでは俺が彼女に気があるみたいじゃないか。


 俺はリビングに置いてあるソファーの前で歩きながら考える。


 いやこれは……あれだ。

 優心がいつドッキリを仕掛けてくるかわからないからそわそわしていただけだ。

 そもそも優心がいない日常が普通だったはず。

 そこに毎週のように心休まない攻撃を仕掛けてきたのだから、いつくるかわからない攻撃に対してピリついていただけ。

 結論に至った所で「ふぅ」と息を吐いてソファーに座る。

 近くにあったリモコンを手に取りテレビをつけようかと思うとチャイムが鳴った。


「! 」


 リモコンを放り投げて早足で玄関に向かう。

 返事をしながら鍵を開けるとそこには優心がいた。

 しかし——。


「何故に猫耳?! 」

「一先ず入れるにゃ! 」

「語尾な」

「は、早く入れるにゃ! 」


 恥ずかしいなら猫耳カチューシャをつけてくるなよと思いながらも、彼女をリビングに通した。


 優心がリビングに向かう途中、俺は台所へ向かい飲み物とどら焼きを用意する。

 それらを盆に置いてリビングに行くと、知り合いと思われたくない格好をした我が校のアイドル様がいた。

 彼女の突拍子もない行動は今日に限ったことではない。


「今日はより一段とはっちゃけてるな」

「猫耳、可愛いでしょう? 」

「否定はしない」


 返事をして丸机にジュースとお菓子を机に置く。

 俺がそのままカーペットに座ると我がもの顔でソファーに座る優心ぬこがソファーから身を乗り出してお菓子を手にした。

 いつもの服装ならばこの姿勢で思春期男子に刺激的なものが見えるのだが今日はそうはいかなかった。

 何故か彼女は完全武装。

 時々テレビで見るマラソン選手のような格好をしており、腕まで伸びる黒いインナーが胸元を隠していた。

 ちゅーっとジュースを飲んだ彼女はもう一個お菓子を手に取りソファーに戻る。

 やはりというべきか伸びる足にもレギンスのようなものを履いていた。

 これはこれで良きものだ、と思ってしまった俺はもしかしたら脚フェチなのかもしれない。

 否定したいが。


「で……どうしたんだ? 」

「具体的に何か、言い給え。ジェファーソン」

「猫耳をつけるわ、髪は切るわ、スポーツウェアも切るわの全部だ」

「あぁ、これかね? これはだね……なんだと思う? 」


 内心「うぜぇ」と思いながらも言葉を飲み込んで考える。


「コスプレ? 」

「……発想が残念過ぎる」

「その格好の優心には言われたくない」


 髪は女の命と呼ばれるほどに大事に扱われる。

 実際金曜日までロングだった。

 どんなことにも全力な彼女。

 きっとこの一瞬のネタにも全力を尽くしたのだろう。


「で? どう? 似合う? 」


 優心はソファーから立ってくるりと一回転してみせた。

 ドレスを着ているわけでもないのにそんな動作してどうするんだ、と思いながらも褒め称える。


「似合う、似合う」

「なにその投げやりな回答」


 優心は不貞腐れながら口をとがらせる。

 そんな彼女をみて「本心なんだがな」と思うも、それを言うと調子に乗るのでやめておく。


 実際彼女の姿は似合っていた。

 学校で仮面を被らなければ元よりボーイッシュな優心。

 ポニーテールも似合っていたが、髪を切ることによって中性的な顔立ちが際立った。

 これは女子に人気が出そうだな、と思うと少しモヤモヤする。

 しかしそれも一瞬。

 優心はポケットに手を突っ込んでスマホを取り出した。


「これこれ」


 スワイプして目的のHPを見つけた優心は俺の方に白いスマホを見せてきた。

 見るように促され俺が身を乗り出すと彼女も頭を近づけてくるのがわかる。


「マラソン大会? 」


 疑問に思い顔を上げると息がかかるほどの距離に優心の顔がありすぐに距離を取る。

 彼女は俺の反応に満足したのか満面の笑みを浮かべていた。


 優心は俺を弄って遊んでいるのかもしれないが、俺は心臓が飛び出るほどのドッキリなわけで。

 一歩間違えれば俺の初めてを奪われかねない距離だっただけに、今も心臓が落ち着かない。

 俺が心臓を抑え込みつつ優心を見上げると「そうだよ」と言う。


「このマラソン大会の別名は仮装大会」

「あぁ~、それで猫耳」


 その通り、と頷きながら優心はどら焼きをまた一個食べた。


「けど怪我で走れないんじゃなかったのか? 」

「あぁ~、それなんだけどね」


 どこか気まずそうに頬を掻きながら優心は昨日の事を話した。


 昨日、つまり土曜日彼女は病院にいっていたらしい。

 何でも怪我の具合を見るためとか。

 怪我をして走れなくなった優心。しかし走る事が嫌いになったわけでは無い。

 その前日走る子供達を見てもう一回怪我と向き合うために病院にいったが、医者から意外な一言が告げられた。


『怪我の方も順調ですね。これならもう走れるでしょう』


 優心はその言葉に喜びよりも困惑した。

 どういうことか医者に聞くと怪我の説明をしてくれたみたいで。

 つまりどんな怪我だったのかというと成長期に過度の負荷をかけることで起こる怪我。

 成長も安定し痛みが無くなったら再度走れるようになるとのこと。


 遅れて喜びが溢れ出し、大会を見つけて、服を揃えたということらしい。


「実行に移すの早っ! 」

「両親もビックリな早さだよね」


 優心が笑顔で言う。

 心の底から嬉しいのかいつもの数倍輝いている。


「なら清楚系ムーブは終了? 」

「そっちは徐々にかな。急には無理」

「髪を切ったことを追及されるだろうなぁ」

「マラソン大会で邪魔になるって説明するよ」


 無難だな、と答えて胡坐あぐらを組み直す。

 女性が髪を切るという行為に色々な憶測が混じる事はよくある……、と本で読んだ。

 失恋は典型例だろう。

 他にも何かに失敗したとか、気持ちを切り替えるためだとか。

 何にしろ燃え盛りそうな火種は早めに消すのに限る。


「でもなんで今日優心はその服装で来たんだ? 」

「一番最初にカイ君に見てもらいたかったからさ★ 」


 優心はキランと星が飛びそうな口調で言う。

 俺がジト目を送っていると気まずくなったのか目を泳がせた。

 耐えきれなくなりソファーに座り、そしてスマホを弄りだした。


「っと、これで終了」

「? 」

「じゃぁカイ君。行こうか」

「どこに? 」

「カイ君のスポーツ用品を買いに! 」


 優心はソファーから立ちスマホをポケットに入れて言う。

 ……、何で?

 走るのは優心であって、俺じゃないはず。


「俺は走らないぞ?! 」

「もう遅い! カイ君の登録は済ませた! 」

「ちょい待ち! そう言うのって住所やら登録が必要だったはずだけど?! 」

「なにを。ボク達は近所じゃないか。住所なんて。ねぇ」


 それを聞き天を仰ぐ。

 やってくれたな、こいつ。

 暴走特急のような昔の優心を思い出す。

 やると言ったらやる奴だ。俺の了解を得ずに登録するくらい本当にやっているだろう。


「ボクが走るのにカイ君が走らないなんてありえないからね」


 優心はさも当然のように言う。


「俺は運動が苦手なんだが? 」

「その昔唯一ボクについてこれた存在が何を言う」

「確かにそうだが……、いやわかった。降参だ。俺も走る」

「諦めの良いカイ君は嫌いじゃないよ」


 俺が両手を挙げると優心がにやりと笑い挙げた手を取った。

 彼女に引っ張られる形で俺も立つ。


 抵抗することが無駄と判断した俺は一度部屋に行き準備をする。

 服を着替え、パーカーを羽織る。

 財布の中身を確認したら、廊下に繋がる扉を開けて、一階に降りる。

 今日も不在な両親の代わりに鍵をかけて、俺は優心と共に買い物に行った。


 猫耳のままで。


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