第4話 ♫ 外伝-栄華の傍惚片恋狂詩曲(おかぼれかたこいラプソディ)

 --暦を司る神さまを時神ときがみとしてあがめる人たちがいる。その使者として時を旅する者たちは暦人こよみびとやカレンダーガールと呼ばれている。その時間移動には太陽と月の光、そしてそれらを祀る場所に開く「時の扉」が使われる。いにしえより続く、限られた人たちだけが、その役目のために隠密行動で時を超える。そして彼らの原動力は、いつの時代も人の世のやさしさ--



 今回は夏見栄華の独身時代と青春時代。すなわち角川栄華だった頃のお話、外伝である。この当時、栄華は飯倉いいくら御厨のタイムゲートを管理する暦人御師だった。同時に、日常的に、後に夫となる夏見粟斗なつみあわとに付きながら時空世界のルールやカラクリを学んでいた。

 一緒に行動して各地のゲートを使って過去に戻ったり、止まった時間空間の「時止め世界」を彷徨ったりと、結構な頻度でタイムゲートを行き来していた。


 その際、主に夏見が使うのが船橋大神宮のタイムゲート、栄華が使うのが芝乃大神宮しばのおおじんぐうのタイムゲートだった。それぞれ二人の管理する時空御厨に存在するタイムゲートだ。暦人たちはこのタイムゲートを「七色の御簾みす」と呼び、自分たちを「虹の国の住民」と互いに呼び合う「合い言葉」がある。


 ここに記す外伝は、そんな時空世界を愛する二人が出会った時をもう一度思い出すように、という時神の託宣が栄華のためだけに行われた日のお話だ。


 今から十年近く前、この日も二人でタイムゲートを潜り終えて自分の時代に戻ってきたところから話は始まる。


芝乃大神宮

 山手線の浜松町駅近くに鎮座する芝乃大神宮しばのおおじんぐうは時空世界においてとても重要な神社である。角川家の管理する飯倉いいくら時空御厨のタイムゲートはこの神社の近くに現れるモノが多い。


 一説によるとこの周辺には二桁のタイムゲートが存在するという。だが通常現れるのはそのうちの三個から五個程度である。そのため飯倉時空御厨御師の家系である角川家は、絶えずいくつも現れるタイムゲートを丁寧に調査しておかないといけない。何処の時代に繋がるのか、あるいはどんな亜空間に繋がるのか、とかだ。ゲートを潜るときに必要なアイテム、祝詞、キーワードなども確認が必要だし、調査も重要となる。また自然現象で現れる光の穴なので都市化によって、あるいは天候によってもその所在が絶えず異なる形状になることは知っておきたい。


 朝日の差し込んだ生姜塚近くのゲート、月と陽光のダブルライトで現れるタイムゲートは貯金塚の近くに出来る。

 そして今まさに貯金塚のすぐ横、ひとすじの斜めに入る光が作った光学現象で、亜空間の歪みから、プリズム模様の穴がぽっかりと空いたタイムゲートが出来た。


 そこから偏光グラスとジャケット姿のおじさんが現れる。

「よいしょっ、と」

 噺家はなしかの月の家圓鏡えんきょうさんではない。かけ声をかけないと動かなくなった身体で頑張るおじさん、夏見粟斗である。とはいってもこの物語はまだ角川栄華と付き合う直前のお話。今ほどのおじさんでもない。四十そこそこの頃である。


 先にゲートから着地した夏見は、タイムゲートから半身のりだした栄華の手を取る。

「大丈夫かな? 栄華ちゃん、ちょっと出口が高い位置に出来てる」と教える。

「本当ですね。階段三段分ぐらいはあるかしら?」

「掴まって」と手を差し出す夏見。


 優しく手を取って助けているのが微笑ましい。左手をスカートの膝上に当てて、右手を夏見に預ける。


『トン』と着地したローヒールの靴音がして、

「ああ、やっと帰ってきました」と胸をなで下ろす彼女。


「このゲートは今でもなんとか使えるんだよね。一九六〇年代とは桁違いに小さくなっているけど。陽光が午前九時まではなんとか差し込むんだ。でもいまは、まだ朝陽の時刻に近い時間だけに光が斜めに差し込んでゲートも小さいようだ。ビル影も影響してるかもね。太陽の光が当たる場所の大きさがゲートの大きさに比例するんだ。不思議でしょう? 都市化ってこんな影響が出てるんだよね」

 差し込む日の角度や辺りの高層建築物を手で指して説明する夏見。


「ええ、なんか入ったときと同じタイムゲートとは思えない大きさですよね」

「まあ、東京のど真ん中だから仕方ないんだけどね。このゲートは入ったら同じ場所、同じ位置から出ないと行けないゲートだね。飛んだときの出発地点には運んでくれないようだ」

「はい」

 そう言って小さなメモ帳に記入する栄華。割と真面目な性格だ。


 すでに栄華の中で、夏見に対する恋心が芽生えているこの時、

「ねえ、今日も暦人の学習にお付き合いさせてしまって申し訳ないので、何かお礼をしたいんですけど」と告げる。彼女にしてみれば、あと一歩親睦を深める、いや距離感を縮めるチャンスと考えている。


 顎に手をやり、「ん?」と考え込む夏見。もともとお礼とか、贈り物とかには無縁な人間なので、なにも想像できない。おそらく期待もしていないはず。


「別になにもいらないよ。そもそも君の大伯父である角川文吾かどかわぶんごさんがオレのお師匠様みたいなもんだ。そのご恩に報いるつもりで教えているんだから、お礼のお礼になってしまう。変な話だ」と夏見。

 夏見の理屈には一本のスジが通っている。だがそんなスジを通されると栄華の恋の行方に影響が出る。

 それを考えた彼女は彼の言葉を遮るように、「それでは私の気が済みません」ときっぱり言う。


「そんなこといってもなあ」

 直球勝負の栄華に項垂れる夏見。傾げた首で、難しい表情で固まってしまった。


 辺りを見回し、赤い色の清涼飲料水の自販機が彼の目についた。

「じゃあ、あのファントム・グレープでいいや。喉渇いたし」と言って自販機を見つめる夏見。


「は? 缶のグレープジュース?」

 お礼の規模が違うと言いたそうな栄華。

「うん」

 栄華は渋い顔でしかめっ面。

『お礼って言っているのに、缶ジュースなの? 私はなにか真心を渡すか、おもてなしをしたかったのに』

 そんな心中とは裏腹に栄華は、「そうなんですね。じゃあ、ご馳走します」と言って、自販機の前に立った。


 さあ、コインを財布から取り出して、と言うときだった。咄嗟に感知した夏見は、

「栄華ちゃん、君に託宣の兆しだ」と数メートル離れた場所で声をかけた。

「はい!」

 栄華は、あわてて財布をトートにしまうと、薄れていく町の雑音と無重力のような超亜空間を落ちる移動態勢になった。



銀座

 フッと時間のトンネルを抜けて、前が光のまばゆさで目を開けるとそこは数寄屋橋すきやばし交差点だった。

「ここは『雪国』じゃないわね」

 よろけはしたが、バランスを取ってなんとか態勢は持ち直す。冗談を言う余裕はあったようだ。アイボリー色のワンピースに、アイボリー色のヒールの今日の格好であまり尻餅はつきたくないのが本音だ。汚れが気になるコーディネートだ。


 辺りを見ると早朝でまだ人は少ない。

「この道、そのまま真っ直ぐ行くと銀座ワコーの前、三越の交差点ね。銀座? なんで?」


 栄華は銀座の交差点方面に向かって歩道を歩き出した。後ろから来た自転車に追い越されたとき、「あっ」と一瞬懐かしい気持ちに包まれた。

『あの赤い自転車と麦わら帽子、ウチの高校の制服。誰だろう? 知り合いかな?』

 少しだけ興味を持った彼女は、信号待ちでワコーの前に止まる自転車を遠くからのぞき見る。

 次の瞬間、「うっ!」と両手で口を塞ぐ栄華。


 正真正銘、自分である。思わず地下鉄の階段の影に身を隠す。

「やば、声かけなくて良かった。パラドクスが起こるとこだった。セーフ」と天を仰ぐように深呼吸をした。


 信号が変わるとその少女は「ガシャン」とチェンの音がおかしいことに気付く。どうやらチェンが外れた音のようだ。ペタルを逆に回してスタートする独特の乗り癖のある彼女。そこで力んだとき外れたようだ。横断歩道を渡りきった百貨店の前で、キョロキョロとし出す彼女。残念だが六時前の早朝と言うことで誰も辺りにいない。


『思い出した! あれってブラスバンドの練習に付き合うために朝練時間に合わせて学校に行っていたときだ』


 思い出したからと言って栄華が昔の自分を助けるわけにも行かず見守るしかない。


 そこにフラフラとダレたネクタイに、脱いだジャケットを肩に引っかけた三十歳前後の男性がやって来た。

「どうした? おねえさん」と声をかける。

 不安そうな顔で少女は、

「チェンが外れちゃって。学校の朝練に遅刻しそうで……」と潤んだ目で彼を見つめる。


 その彼、どこかで見覚えが……。

 夏見粟斗だ。おそらく角川文吾と朝までシコタマ飲んだ帰りだ。手には深川飯の紙袋を持っている。あれは青砥一色あおといしきの行きつけの店。一色とも一緒にいたのだろう。

 彼は「うーん」と唸ったが、何も出来ない若い子を見捨てるほど冷血でもない。ただ新聞紙なども辺りにはない。結構銀座の町は清掃が行き届いている。

 暫く悩んだ後で「よし」とジャケットをガードレールに引っかけて、地べたに座り込んだ。ポケットからハンカチを出す。

「自転車、触るよ」と夏見。

「はい」

 少女は深々と頭を下げる。


 ハンカチで無造作にチェンをつまむとひょいとチェンを引っ張り上げる。手入れの行き届いている新車だったので簡単に歯車に復帰する。

「ほい、出来た」

 そう言って夏見はスタンドで自転車を立てると、ペタルを手でクルクルと回し始める。

「大丈夫そうだよ。念のため自転車屋が開いたら油でもさしてもらいな」と笑う。


 少女は直立不動に緊張しながら「ありがとうございました」と言って、ぺこりと頭を下げた。そして「お礼がしたいのですが……」と言うと、「未成年にお礼される覚えはないよ」と笑う夏見。


 彼は両手をパンパンとはたいて、埃を払うとガードレールのジャケットを掴む。

「それじゃ困ります。大事なハンカチまで汚して、気が済みません」と言う少女に、「礼儀正しいのは良いけど、頑固だねえ」と笑う夏見。


 キョロキョロと辺りを見回すと、少し先に自販機が見える。

「ああ、じゃあ、あの缶ジュースを……、ファントム・グレープをおごってよ。それでチャラ。いいかな?」

 彼女は安堵すると「はい、よろこんで!」と言って一目散で自販機に走って行く。


「居酒屋じゃないんだから、喜んで行かなくて良いって」と笑う夏見。


 冷えた缶ジュースを手渡す少女は、

「あ、手も少し汚れちゃってる」と言う。

 夏見は「大丈夫、これくらいはその辺で洗って帰るから。それより朝練がんばれよ、ピアノ弾き!」と笑って手を振った。

「なんで分かったんですか?」という少女に、「自転車のカゴに譜面が入っているよ、ショパンが得意なのかな?」と指さした。

「ああ、ありがとうございます。がんばります、親切なお兄さん」

 少女も手を挙げて、挨拶をする。

「おう、ごちそうさま」と缶を頭上にかざす夏見。

 やがて彼女が見えなくなると、夏見は手に持った缶ジュースを開ける。『シュー』という炭酸の音が朝もやのなかで響く。


「青春だねえ」


 そう言って彼は一気に飲み干した。そして地下鉄の階段に身を隠していた栄華のすぐ横を通り過ぎた。その横顔が栄華にはとても素敵に見えた。これはよくある恋の勘違い、今風の言い方では『吊り橋効果』である。大人の栄華でさえ、あの時助けてくれた親切なお兄さんは頼れる人、と思い出したのだ。


「はうっ!」

 思わず両手で口元押さえる。感極まって涙が流れる栄華。この時二人は既に出会っていたことが栄華の記憶の中で繋がった。


『あの時のお兄さんが夏見さんだったのね。やっぱりわたし、この人が好き! 結婚したい』と思った栄華である。


 この恋愛物語のプロット展開はわりと正統派なのだが、残念な部分もある。それは栄華の思考回路が少々ポンコツなところ。それが玉に瑕ということである。


 その理由は、通常ならここで『彼女になりたい』とか『付き合いたい!』という台詞が普通の展開なのだが、この人、そういうの全部すっ飛ばして、いきなりその次の段階である「結婚したい」、というステージに持って行く思考回路なのだ。ある意味世間に毒されていないとも言えるし、子どものままの理論、『好きイコール結婚』という単純構図が潜在意識で大人になった今もアクティブに思考として働いている。とてもピュアであり大迷惑な人である。


『時神さま、私とあの人が既に出会っていたことを教えてくれたのね。ありがとう。これからはもっとファントム・グレープを沢山プレゼントします』

 この部分も時神さまはきっと頭を抱えたかも知れない。グレープジュースのために多大な霊力を使って、時間移動させたわけでもないのだ。ここが栄華の栄華たる部分だ。いわば夏見の言う『ピアノ馬鹿』な部分である。


芝乃大神宮ふたたび

 今回の託宣は個人的なモノだったようで、その光景を見せると自動的に時間移動で元の時代に戻った。

「おかえり」

 芝乃大神宮の参道前でグレープジュースを片手にガードレールの鎖に腰掛けて待っていた夏見がいた。さっきよりは随分とおじさんだ。

「ただいま」

「託宣はちゃんと消化してきましたか?」

 夏見の言葉に「なんか今回は映像学習だったようで、過去の出来事を見学したら勝手に戻されました」と栄華。

「へえ、そういうのもあるのか? 面白いな」


 そして栄華は夏見に腕を絡める。

「何ですか? ピアノ馬鹿のお嬢さん! 一流文化人がこんなことして。誤解されますよ」

「あら美人ピアニストのこんなサービス嬉しくないんですか?」

「そういうのはファンサービスの日に、会場のファンの方々にでもやって下さい。オレは間に合ってます」

 少し顔を赤らめながらそっぽを向く夏見。


「食材買って帰りましょう。夕飯ご馳走しますね」と栄華。

「誰が作るんですか?」

「あなたです」

 平然と言ってのける栄華。料理は不得意だ。いやこの人に絶対任せてはいけない。犠牲者が出る。


「それで良くご馳走しますって言いますね。をご馳走します、って言い直して下さい」

「細かい男性は嫌われますよ」

「あなた以外の女性にはモテまくりですからご心配なく」

「口の減らない人ですね」

「そっくりそのままお返しします」



 二人はゆっくりと十五号線の方へと並んで歩き出した。そしてじゃれていたモードからいきなり真面目な顔で栄華が訊ねる。

「ねえ、私って魅力ありますか?」

「なんの?」

「そりゃ、女性って意味ですよ」

「あると思うけど」と考えずに答える夏見。もう問答が面倒くさいのだ。


「今のただ言っただけですよね」とむくれる栄華。

「何の質問だよ。タイムゲートの話ならちゃんと答えるけど、そんなのどうでも良いでしょう?」

「どうでも良いって、何ですか? 失礼しちゃいます。じゃあ、これからは全部グレープジュースでお礼を済ませますからね」

「それは嬉しい」と思いの外嬉し顔の夏見。

「何で本気で、嬉しそうなんですか? それじゃ罰ゲームになりません!」


 相変わらずのどうでも良い問答を繰り返して、二人は芝神明を後に栄華の自宅近くのスーパーに向かって歩いていった。


                              了

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