第3話❷ ♫ 飯倉山の隧道はもみじ、山桜、梨の木を結ぶ-桜が秘めた物語-(下)

櫻子の気持ち


「ごちそうさま」

 櫻子の父、春夫は手を合わせると朝食のご飯茶碗をシンクに浸す。一足先に食べ終えている櫻子は、ジョギングパンツ・スタイルのままで、リビングのソファーに寝転んでマンガを読んでいる。

 春夫は珈琲をカップに注ぐと、櫻子の前のローテーブルに置いた。

「はい、珈琲ですよ」

 櫻子はマンガから視線を少しだけ父親に向けると、

「サンキュー」と俯せのまま足をばたつかせる。


「ねえ、お父さん、チョッパヤに、とりあえず今、我が家の秘密とやらを聞いておくわ」と起き上がって櫻子は春夫の顔を見る。

「そうか」

 珈琲をすすりながら春夫は頷く。

「なかなかこう言う時間もないしねえ」とカップを手にする櫻子。


 真面目な顔で春夫はゆっくりと噛みしめるように言う。

「この話はSF小説のようだけど本当に起こりうる話なので馬鹿にしないでちゃんと聞いてね」


「オッケーっしょ」

 意外に真面目に応える櫻子。

「我が家のご先祖様は櫻姫の妹君、吉野姫という飛鳥時代のお姫様に遡るんだ。山背大兄皇子のお子さんで麿王まろおうという都落ちした朝廷の血筋の人がいた。大化の改新前に敵対する勢力に追われた麿王様を慕って、許嫁の櫻姫はお伴の楓嬢と妹の吉野姫と一緒に、彼を追いかけて東国に落ちたということだ。そして時代が下って、この地で藤原系の者と一緒になった吉野姫の系譜は、平安以降、伊勢御師の伝令で『時の勘解由使かげゆし』を務めていた国司こくしから、時代を飛び越えて世の安定を任される暦人御師こよみびとおんしの称号を頂くんだ」

「時の勘解由使って何?」

大王おおきみさまと伊勢の大宮司だいぐうじ様に変わって、暦人や時の役人を任命する人だよ。表の中央政府の役人で勘解由使っていう役職があるんだけど、彼らは国司などを任命し、赴任先を考慮するんだ。いわばこれの暦人版って感じだね」

「今もいるの?」

「うん、いるよ。もし僕の代わりに櫻子がこの相馬御厨そうまのみくりやの暦人御師に任命されるときは、そのお姿を見ることが出来る。宙を飛ぶ牛車ぎっしゃにひかれて月の見える方角からやって来るよ」

「何かおとぎ話の世界じゃん」と笑う櫻子

「そうだねえ。お父さんもおじいちゃんから初めて聞かされたときはそう思ったよ」と頷く春夫。


「続けて」と櫻子。まるで物語をせがむ子どものように、目を輝かせながら父親の話を聴き入っている。

「そこで我が家はその櫻姫の家系と麿王の家系が分離した状態で暦人が存在していることに気付くんだ」

「なんて?」

「実はのちに相馬御厨の暦人御師の家がもう一軒あることを知るんだね。それが鎌が台にある印旛家いんばけなんだ。あっちは麿王さんの家系でね。いずれ両家は一緒になるからと、時の勘解由使がこの広い相馬御厨を分割統治させるために二軒の御師家を指名してしまったんだ。それが明治維新の時に発覚して、タイムゲートが二つあることを知る。そのタイムゲートを守る家も二軒あることが発覚したんだ。だけど、この複雑な状況に加えて、麿王が身の危険を避けるために使っていた『念動隧道ねんどうずいどう』のゲートキーパーの役割も両家に付託されていた」

「ふーん」

「それでこの相馬御厨の暦人御師は二つの家が存在しているんだ。そして何かにつけその維新前後に両家の問題がこじれて、周りの暦人御師を巻き込んだりしていざこざの絶えない御厨と評判になったってわけ」

「ほう」

「で、おそらくそのもう一軒の御師の家が、君の先輩の家、印旛家というわけさ」

 煎餅をポリポリと囓っていた櫻子の表情が急変する。

「えええーっ?」


 春夫は「驚きすぎだ」という表情で笑う。

「私、ロミオとジュリエットじゃん!」

「君たち、そんな仲なの?」と驚く春夫。

「ううん。私の片思い」

「それじゃあ、まだジュリエットじゃないね。まあ、頑張れ。お父さんは別にできちゃった婚でもいいよ」と笑う。


 櫻子は『あーしをふざけた態度でギャル呼ばわりする割には、お父さんの方がよっぽど性悪だ。順番逆でも良いってか? 真顔でスルッと道理を軽んじるこというなあ、このおやじ』と思った。


「そして弓と銅鏡のことなんだけど」

「ああ、それなあ。めっちゃイミフなヤツ」と櫻子は不思議な顔だ。

 春夫は笑顔で「ちょっと付いてきて」と櫻子を玄関先で手招きする。表に出ての説明らしい。


 この家の広い庭の奥、そこからは大きな河跡湖が眼下に広がっているのが見える。

 その芝生のジュータンが敷かれた庭の中央には大きな山桜がある。人一人がすっぽりと入れるような大きな木のうろがあり、その胴部には注連縄しめなわがかけられている。

「なんなの? 庭に呼んで」と櫻子。


 春夫は木の横にある石蔵から四枚の銅鏡と母が織ったであろうテーブルクロスともタペストリーとも言える布片を持ち出してきた。布片は二重丸の大きなデザインがされており、まるで弓道のまとのようだった。その布片を春夫は山桜の洞の上にある突起にかける。ちょうど洞の入口に暖簾のように垂れ下がっている。

「木の穴の前にかけるんだ」と櫻子。

「そうだよ。下準備だね」


 春夫はそういうと今度は四枚の銅鏡を抱えて運ぶ。


「古墳時代に我が国で鋳られた銅鏡のレプリカなんだ。とっての柿のへたのような部分を覆うように太陽の光輪が描かれているんだ。一説では伊勢神宮とのご縁もある形状なんて言われているんだよ。学術的には傍製内行花文鏡ほうせいないこうかもんきょう(註 下記参照)といって内行花文鏡ないこうかもんきょうの一種らしい」と春夫。

「ないこう……?」

 あまり歴史に詳しくない櫻子は父の暦人としての知識に驚きを覚えた。初めて家庭的で、子煩悩な父ではない、別の面を見た感じだ。


「まあ、名称などどうでもいいよ。この四枚の銅鏡は魔法鏡とも言われている我が家に代々伝わる家宝なんだ。これらをね、庭先の山桜の老木の周りに囲うように四隅に配置する。山桜の洞にはお母さんが織った的の布。そして最後に香澄流家に伝わる祝詞のりとを唱えるんだよ。僕は空で暗唱できているけど、君には後でその書き写しをあげよう」

「我が家に……祝詞?」

 そう言っている間に春夫は既に、山桜の古木の前にある儀礼用の石畳みの上に立つと、太幣を手にしながら、「かけまくもかしこき あまてらすのおおかみ このはなのさくやひめのみこと……」と祝詞を奏上し始める。

「何? お父さん、神主?」


 そして祝詞が終わると驚くことに、桜の花が、まるではや回しのビデオ映像を見ているかのように、つぼみをつけて、やがて一輪、又一輪と開き始めた。そして五分後には満開となった。


「秋に花見? マジ、すげー」

「これが香澄流家に伝わる季節を操る暦人のガジェットだ。他のゲートに植えられている大木の四隅でやれば別の季節の花も咲かせることが出来る。今の祝詞は春用だけど、季節にあった祝詞を奏せばいいだけなんだ」

「本当に季節を操れるなんて、名前通りの暦人だね」と素直に驚く櫻子。そして「でもこの力って、何のために?」と尋ねた。


 春夫は『よくぞ、訊いてくれました』と言わんばかりに、「あの山桜の木のうろを見てごらん」と指さす。

 暖簾的のれんまとの後ろ、木の洞の中央では、渦巻くように七色の光が回っている。

「あの場所は『念動隧道』と言って、かつては江戸まで続いていた異空間の通路なんだ。この我が家の入口は春にだけ入口が開くんだ。だからそのほかの季節にこの入口を使いたいときにこの香澄流家の者が、銅鏡の内側だけ今のように季節を変えて、ゲートを開けるのさ。そうすれば他の暦人たちが御厨間を自由に往来できるようになる。いわば裏方のお仕事をする暦人御師なんだ。だから我が家は大昔から『念動隧道』のゲートキーパーって訳だ」と言う。

「江戸までって、この道で東京に行くのお父さん?」

「いや大昔の話で、今は何処まで続いているのかは分からない。とりあえず鎌が台のゲートまでは行ったことあるよ、昔にね」と笑って答える春夫。


「じゃあ、いまは?」と櫻子。

「今はお父さんとその知り合いがたまに掃除がてら使っているだけだよ」と笑う。だがそこには裏がありそうに見えた。勿論、櫻子の天真爛漫な性格では、そんな春夫の態度は読み取れてない。しかし春夫は何かの理由でこの隧道を今も使っているようだった。



ひとときずいどう、かちよりもうでまいる

 夏見と歌恋を先頭に念動隧道を歩く一行。生暖かい洞窟内は不思議な妖気に満ちていた。

 トンネルのように壁が整備されていて、とてもいにしえの飛鳥時代に作られたとは思えないダンジョンのようだ。その後の修復のクオリティの高さに感服といったところだ。


 横の路地から時折、老婆が手招きをしているのが見える。

「あれ、おばあさんが」と舞衣香。

「見てはダメ。そして行ってはダメよ。多分邪悪な者だから」と歌恋。

「はい」

 厳しい表情で頷く舞衣香。


「どこにいるの、そんなおばあさん」と目を細めて路地の横丁をのぞき込む栄華。

「ほら、あそこです」と袴姿の麿緒が教えると、

「ええ? なにも見えないわ。池の畔に縁台が置いてあるところよね」と首を傾げる栄華。

「まさにそこに座っているんですけど……」という麿緒に、栄華は「縁台に人なんていないけど」と返す。


 その様子を見ていた歌恋は納得して頷くと、

「栄華ちゃんは心が清らかで、綺麗すぎるの。そう言う汚れのない人には念動隧道の物の怪の類いは見えないわ」と麿緒に諭す。

「そんなことあるんですか?」と麿緒。

「希に居るのよね。汚れなく無垢な心で大人になっちゃう人。ピアノ一筋、旦那様だけを信じて、周りの人には嫌な気分にさせない配慮。そんな人に邪悪な者は見えないわよ」

「ある意味凄いです」と舞衣香。


「うちのお嫁さまはピアノ馬鹿なので、当然のこと。純粋培養なのです」と笑う夏見。

「またそうやって粟斗さんは、私が何も知らないような言い方をする」

 少しむくれる栄華。斜め四十五度の下目遣いで不服そうだ。

「褒めているのに」と残念そうな顔の夏見。

「本当ですか?」と懐疑的な顔で尋ねる栄華に、「本当です」と夏見は自信を持った口調で言う。


「あのそういった二人の世界は、どっか他のところでやって頂けますか?」

 二人のやり取りに飽き飽きしたのか、歌恋は少し不機嫌に止めに入る。

「別にそんなんじゃ」と栄華は赤くなってそっぽを向く。

 夏見も照れ隠しに偏光グラスを直す仕草。変な夫婦である。



 皆の行く手に階段が見える。

『↑水分みわけ』という立て札、案内板が上にのぼれと催促しているようだ。

「ここ、きっと鎌が台だね」と夏見。

 歌恋も頷いて、

「私も分水嶺ぶんすいれいの場所という意味なので、おそらくそう思います」と続く。

「一体鎌が台の何処に出るんだろう?」と麿緒は地元だけに興味津々のようだ。そして弓を持ったままずっと歩いてきたので、ようやく休憩できて、楽になると思った。


 夏見は「行ってみるか?」と皆に尋ねた。

 一斉に「行こう」と言う声が皆から返ってきた。

 念動隧道のインターチェンジといった感じなのだろう。

 階段を一段、又一段とのぼると、日差しが皆の前に差し込んできた。

 そして最後の一歩を出ると、驚くことに夏見の目の前には、麿緒の母、印旛霞が洗濯竿に衣類を干していた。

 自宅の庭先からゲートが開いた上に、知人が顔を出す。霞は驚いたように、あんぐりと口を開ける。玄関も通らずにひょっこりとお邪魔したのである。想定外もいいところだ。


「こんにちは」

 気まずさに誤魔化しも加わって、一行の先頭だった夏見はお辞儀をした。

「あら? 夏見さん。今日はまた、そんなところからお出ましになって」と笑う。

 そして霞はぞろぞろと一行がトンネルから出てくるのを確かめる。その中に袴姿の自分の息子がいて、更に驚きだった。

「あら、麿緒。お帰りなさい」と声をかけると、麿緒も、

「ただいま」と返す。


 そこに麿緒の父、印旛加太織いんばかたおりが植え木ばさみを持って現れる。

「おや、その隧道を使ってきたのかい? 虹の国の皆さんだね」とさも当たり前のように皆に言う。

「うん、飯倉の紅葉沢からやって来たんだ。時巫女さんに破魔弓と破魔矢を頂いて」と麿緒はことの成り行きを父に話した。

「おお、多霧殿に会ったようだね。それで紅葉沢の出口の場所が分かったのか? 明治の末頃から何処にゲートがあるのか行方不明だったんだ。もし水中に出来ているとこっちから行ったら出られないから皆でどうしようと言うことになって、誰も使わなかったんだ」と言う。

 普段着の着物、着流しで加太織は、「それでどうだい、使えそうか?」と麿緒に尋ねる。


「池の中央にゲートがあって、的を射ると踏み石と光の橋が出てくる感じ」

「ということは、こちらから行っても身体ごと『池ぽちゃ』になる出口か」と残念そうな加太織。

「そうだね。あちらから入るだけのゲートだね」という麿緒。

「良い情報をありがとう。仲間の暦人にも情報共有しておくよ」と言った後、

「念動隧道のまだこの先に。桜の花びらの絵が描かれた出口があるんだ。行ってみると良い。やはりひとときで行けるよ」と言う加太織。

 彼は庭先の植木鉢を一つ抱えると、一礼してスタスタと植木台の並ぶ奥庭の方へと歩いて行ってしまった。


「仲間の暦人?」と復唱する夏見。なにやら彼の知る事実とは相反する記憶の齟齬があるようだ。

 横で栄華は「何か不自然なことでも?」と夏見に問う。

「相馬御師は、仲間はいないし、作らないのが基本だ」

「そうなの?」

「だよな、麿緒君」

「はい。基本、父は僕と母以外には御師の仕事やアイテムなどは話しません」


「何かの言い間違いかしら?」

 栄華の言葉に、

「いや、何か思うことがあるんだろう。大体、歴史背景を振り返れば、古代には御厨領域のほとんどが水中だったこの相馬御厨では、人間が生活していた範囲も少ない。ましてや都から離れた東国だ。の時代、水中だったため生活の痕跡が少ないこの地域に時空修正などの託宣が少ないんだ。船橋や柏などの当時から陸地だった場所にのみ、託宣の割り当ては限られる。そのひとつがここ鎌が台なんだ。でもオレたちは相馬殿の考えを詮索する立場でもないし、今は我々に与えられた託宣と思える『念動隧道』の復活をさせるための仕事をするだけだ」と夏見は返した。

 栄華も「そうよね」と納得の相づちで終わらせた。


更に奥へと


「では道中お気をつけて」

 霞の柔らかな笑顔で、閉じかけそうな念動隧道の入口に逆戻りをする一行。一旦閉まると、またゲートを開ける儀式を行わなければならない。どうにか閉じる前に本線復帰を果たした。暗い一本道をまた進む一行。

 破魔弓を霞に預けて身軽になった麿緒の足取りは軽い。


 物の怪が礼儀正しくお辞儀をしてきた。

「おにいさん、おにいさん。あたしのしっぽを触っておくれよ」

 美女の姿で、露出の多い服だ。麿緒は目のやり場に困り俯く。男性を襲う気満々の物の怪である。

 ずかさず歌恋が、時魔女の聖水を一滴その美女の頭に垂らす。

『ポトッ』という音とともに、たちまち白煙がたちこめ、隧道内は見えなくなる。


 やがて白煙が流れ去ると、そこには大きな化け物の残骸が横たわっていた。

「邪な心を餌にする魔物ね。特に男性は美女に弱いから、つけこむ隙が多いわ」と伝える歌恋。

 そして「麿緒君、こういう亜空間の中にいるときは、異性と家族、金銭などの諸問題、特に欲しいと思えるモノがある時ほど、無言、不動、視線ずらしを忘れないでね」と優しく教える。

「はい、覚えておきます」

 青年らしい清々しさで返事をする麿緒。


「今のような色気で誘うモノの他に、情で絆してくるモノや、助けるフリをして弱みにつけ込んでくるモノもいるの。まるで人間社会の縮図のような心の動きで私たちをはめようとしてくるのよ。気をつけてね」と歌恋。

 そしてチラリと夏見の方を見て、

「この人は台詞だけ見ていると一見、魔物の罠にほだされそうに思えるのに、絶対に引っかからないのよね」と肘で突く歌恋。

「オレ?」

 夏見は軽く笑う。

「オレはジョークで俗っぽい話題も出すけど、まず絶対本気にならないから。魔物のハニートラップなんて絶対に見向きもしない。女は奥さんが居ればそれで良いよ。いつまでも綺麗で可愛い人だし」とのろけが始まった。


「ああ、言うだけ野暮でした」と歌恋。

 そして「加太織さんが仰っていた看板案内『✿』マークが出てきましたよ」と続けた。

「そうですね。ここで出ましょうか、生姜飴の残りも少なくなりましたし」と舞衣香が反応する。

「了解!」

 皆の返事で『✿』マークの付いた低い階段を登ることにした。

「おや、出口になにか的のような図案で、暖簾のようなモノがぶら下がっているよ」と麿緒。

「めくって外に出ましょう。加太織さんが出ても大丈夫って言っていたから平気でしょう」と歌恋。

「じゃあ、行きます」

 麿緒は暖簾を分け入って、出口に進んだ。




親子問答

「お父さんの言っていた弓はもしかして、あのお母さんの織った織物の的に矢を中ててゲートをオープンさせるってこと?」

 櫻子の言葉に、

「お、我が娘は勘が良いね。そうだよ。すると『念動隧道』と呼ばれている亜空間の道への入口になる」と頷く。

「それが東京の方まで続くのね」

「うん。でも僕たちの仕事は開けるだけ、その先の仕事は別の暦人たちがやってくれるのさ」


 そんな会話の最中だった。突然ガヤガヤと隧道の入口が騒がしくなり、暖簾のように的の布織物をめくって麿緒が現れる。

「きゃいん! 王子様じゃん」と思わず声に出してしまった櫻子。

 その言葉、春夫が聞き逃すはずもなく、彼は麿緒の方を観察していた。


「あれ?」と辺りを見回す麿緒。そして目の前に櫻子がいることに気付くと、左手を挙げて「やあ」と挨拶を送る。

「こんにちは、いらっしゃい」とお辞儀の櫻子。


 麿緒に続いて、ぞろぞろと皆が隧道の出口から香澄流家の庭に出てくる。

 そして栄華は「なんで? 今の季節に桜が咲いているわ」と不思議そうに老木を見上げた。

 すると最後に出てきた歌恋が、「それが香澄流家の暦人御師としての仕事だからよ」と答える。


 夏見だけが「本当に香澄流家の敷地なのか?」と歌恋に確認する。

「ええ、出なければ今の季節に桜など咲いていません」と歌恋が答えると、夏見は、

「麿緒君、とりあえず君は隧道に戻ろうか」と彼の姿を隠すように肩を押して桜の洞へと誘う。暦人たちの暗黙の了解である香澄流家と印旛家の確執、対立を鑑みた夏見の配慮である。


 その様子を見ていた春夫は、

「夏見さん、大丈夫だよ」と声をかけた。

「あれ? オレを知っているんですか」と言うと、

「忘れちゃったかな? あなたが船橋御厨の御師やっていたときに、船橋の中部百貨店の朝日野書店で店長をやっていたんですよ」と声かけをする春夫。

 夏見は暫く考え込んでから

「ああ本屋の店長さん!」と思い出す夏見。

「いつもいつも自然や地形の本をご注文頂いていましたよね」とお辞儀をする。

「ええっ? 霞さんの次は店長さんだ」と船橋御厨時代の知人が立て続けに暦人だったことに驚く。

「私の方はあなたが御厨御師で虹の国の住人と言うことは知っていたんです。ただこちらからは言うことは出来ないので、あくまでも店員スタッフとして接していましたけどね」

「なるほど」と夏見。


 知らない仲でもないことに機嫌の良くした夏見はとりあえず何故大丈夫なのか、の理由を尋ねる。

「どういうことですか? 香澄流家と印旛家は犬猿の仲というまことしやかな噂が暦人の間では通説になっていましたけど……。実際はそんなことはないと言うことですか?」

 春夫は腕組みをしながら、少し言い出し辛そうにしていたが、ゆっくりと口を開いた。

「実は香澄流家と印旛家は、互いに櫻姫の妹宮である吉野姫の末裔と麿王の末裔と言われています。そして長い間、どちらが相馬時空御厨の御師の家かと言うことも論争のまとにされてきました。しかしそれはカムフラージュのために使われてきた我々の作り話、フェイクに過ぎません。二つの家で分担し合わないとタイムゲートと念動隧道のメンテナンスを出来なかったのです。一つに絞ってしまうとどちらかの家が両方のメンテナンスを行うことになります。船橋を任された夏見さんならおわかりでしょうけど、あそこも船橋と流山のメンテがあって、東条御厨も兼務だったはずです」

「激務でした」と夏見。

「ただでさえエリアの広い相馬御厨の不安定な時空穴の安定化とメンテを掛け持ちでやりながら、タイムゲートと念動隧道を管理して、あげく他の暦人の隧道ゲートのオープンを手伝うといった重責を全うしなくてはいけない」

「確かに大変だ」

 ため息交じりの春夫に、頷く夏見。


「そこに来て私の余命が出されてしまったのです。ここに居るまだ十代の櫻子を置いていけるはずがない。結構どうして良いのか決断と判断に苦慮しています」

 無念の滲む春夫の台詞である。

「えっ?」と誰もが固唾を呑んだ。結構な重い話だ。


 春夫のこの言葉。これはきっと素直な気持ちだと夏見は察していた。そして合わせて、今回のこの念動隧道と相馬御厨御師の両家の問題にいささか何かの企みのような匂いを夏見は感じていた。勿論陥れるような邪悪な物では無く思いやりのような柔らかいモノだ。

 いつもの彼特有の勘である。そして既に鼻のきく夏見は事実のパズルを組み合わせていた。

 横で栄華は少し嬉しそうに口元を緩ませ、『うちのダンナサマ、答え合わせの最中ね』と秒読みのポーズ、指折り数えて待っている。長年の寄りそいで、夫の習性などすぐに分かるのだ。


 夏見のカーキュレーション。

 一勘書房の島、多霧の時巫女が地図と破魔矢を提供、これで目的が作られる。櫻子と麿緒を浜松町で顔合わせる段取りは歌恋。香澄流れの家に行くことを示唆した誘導係は印旛加太織だ。そして全てをなしとげて今ここに存在している。あまりに出来すぎた行程である。通常、偶然だとしても、こんなにいっぺんに全てのパラメーターが並ぶように上手くはいかない。


『なら真の目的はなんだ?』


 夏見は麿緒と櫻子が目にとまる。

 この二人が婚姻すれば、両家はまとまる。表向きのカムフラージュにせよ、長年の両家の確執は解消されるとともに、名実ともに相馬御厨御師の家が一つになる。だが念動隧道の管理を一つの家で行えるのか、という不可逆的な状況も安易に想像できる。そうなると更にもう一人、隧道管理が行えるタイムゲート類に長けた誰かが必要になる。そんな人物が頭をよぎる。


 夏見は歌恋の顔を見る。

 見つめられた歌恋は空々しくそっぽを向いた。何かある。そう踏んだ夏見はカマをかけた。

「誰か、もう一人役者がいるはずだねえ」とあえて歌恋に行った。


 歌恋はゆるふわの髪をかき上げながら、「もう、すぐ真面目に答え探すから夏見さんはやりづらいのよ」と煙たい顔だ。


「分かっちゃいましたね。その役者はわたしですよ」

 桜の老木の影から出てきたのは『時の翁』だった。紋付きの袴に杖をついて、今日は穏やかな笑顔だ。


「オジサマ」と歌恋。

「オジサマ?」

 夏見と栄華は小首を傾げた。

 時の翁は恥ずかしそうに、

「私は名前を捨てる前は勘解由小路克二郎かげゆこうじかつじろうと言いました。この子の祖父の弟にあたります」

「大叔父ってことか」と夏見。

「いまはもう人間界の時計では暮らしていないので、それも過去のことです」と軽く笑う。

「とりあえず説明と今回の目的をお聞かせ下さい。内容によっては、協力する場合と邪魔する場合があることをお許し下さい」

 夏見の言葉に「相変わらず職務に忠実だ。暦人の鑑ですな」と時の翁。


「結論から参りましょう。香澄流春夫君はいま余命宣告を受けた身です。それを助けたいという時空のお節介じいさんがここにいます」

「ほう」

「一方で、そのお節介じいさんは、今現在、人の不幸、病を時間の流れを使って回避させることに注視しています。それには沢山の仲間の協力が必要です」

「うん」

「そこでひとつの提案を春夫君にお願いしました」

 夏見はチラリと櫻子の表情を窺った。

『安堵の顔か……。娘は了承済みって感じだな』


「その提案の中身。お聞きしましょう」と夏見。

「もしも春夫君が、私の仲間として亜空間で働いてくれれば、時間の束縛から離れた世界、隠し世に身を投じる生活になります。すなわちこの現世うつしよで進行する病魔はストップして悪化しません。この世界に戻ったときに、少しだけ進行するでしょう。でもそれはほんのわずか年に十日足らずのこと。あとの時間は隠し世で生活するので病気の進行はないのです。私は人手が欲しい、春夫君は年に一、二回ではありますが、娘さんと一緒の時間も持てます。単身赴任と思えば、それ程辛い別れでもないでしょう。逆にこのままこの世界に残れば確実に一、二年で帰らぬ人となる。生きてさえいれば、また会えるのです。それを提案しました」


 とても理にかなう避難方法だ。命の価値を重んじて、病気の進行を阻止して、しかも娘との定期的な交流もあるという、悪くない提案だ。大切な人を失うよりもどこかで生きていて、親子の立場からすれば、たまに会いに来てくれる方が親子双方ともに心の拠り所になるのは間違いない。


「約束は守れるのですか? 櫻子ちゃんと会わせることは確約できますか?」

「もちろん。私のプライドです」

『この男手段は選ばないときもあるが、約束は必ず守る男だ』と夏見。

「光栄です」と時の翁。

『しまった心読まれたか』

 そう思って夏見は心を無にした。時の翁や時巫女は読心術の能力を持っている。下手に心の中で考え事をすると心中胸の内を知られてしまうのだ。


「櫻子ちゃんは?」と顔を向けて彼女の意見も訊く。

「あーしはメチャ良くない? って感じ。年に二回だけど、会えるって分かっていれば安心だもん。墓参り行くよりは、本人と話せる方が良いっしょ」

 ギャル語ではあるが、実直な彼女の気持ちと思われる意見だ。

 春夫は「うんうん」と頷くだけだ。確かにまだ十代の娘を残して永遠の別れをするのは心残りになる。年に数日でも元気を確かめられるこの選択は彼にとっては必須であり幸せだ。


 その時麿緒がスタスタと櫻子の前に飛び出して、予想外の行動をした。

「櫻子ちゃん、よかったらウチにおいで、一緒にこの先の暦人の生活を頑張ろう!」

 両手を握って、熱い視線で彼女の瞳を見つめる麿緒。暦人同士の心意気だ。

「熱血だな」と夏見。

 夏見の横に自然と並ぶように立つと栄華は、

「男気ね」と微笑んだ。

「わかるの?」

 夏見の言葉に「もうあなたの妻を何年やっていると思っているの。男の人の優しくて、馬鹿な部分よ」と頷く。

「そうだね」と顔を赤らめる夏見。



「じゃあ、決まりだね。春夫君。櫻子ちゃんはウチでお預かりするね。立派な大人になって、暦人として独り立ちできるまでちゃんと見守っていくから」

 なんと桜の洞からスーツ姿の麿緒の父、加太織が出てきた。

「加太織君!」と春夫。

「お父さん!」と麿緒。

「弓も、機織りも我が家で教えるよ。大丈夫。ピアノは妻の知人でもあるそこのピアニストさんにお願いしようかな? 時巫女と思川家の分離作業で有志が集わなかったときは我が家で面倒見るから」

 加太織は台詞とともに栄華にお辞儀をした。


「ピアノ?」と栄華。

「櫻子ちゃんのお母さんは、ウチの妻の従姉で、生前、陽河紅葉ひかわくれはというステージネームで活躍したピアニストなんです」と加太織。

「陽河紅葉……。あのシューベルトが得意だった、アメリカ帰りのですか?」

「はい」

「うそ? お母さんってそんな有名人だったの?」と櫻子。

「ええ、多分、演奏者名鑑にも名前が載っているくらい有名な演奏家よ。確か、全米コンクールで受賞しているはず」と栄華。

「そんな凄い人だったのに、私、どうしてこんな何だろう?」と半泣きの櫻子。

 知らぬ間にギャル語を話さなくなった櫻子がいた。

 春夫はおちゃらけるように「僕に似ちゃったんだね。でもお母さんに似たのが外見で良かったよ。僕にルックスが似たら悲劇だ」と櫻子の頭をポンポンと撫でる。

「それなあ」とおちゃらける櫻子。


「そんな訳で夏見さん。香澄流の家と春夫さんは私がお預かりします。これは多霧の時巫女にも了承を取っています。いま娘さんにも了承を頂けましたのでよろしいですよね」と時の翁。

「よろしいも何も、時間管理人と身内のOKが出ているのならオレが口を挟む必要はないですよ」と納得の口調で返す夏見。

「それは良かった。では近日中に春夫さんをお迎えに上がります。その旨は追ってご連絡いたしますので」

 そう言うと時の翁は霧がたちこめる中で姿を消した。


「良かったね、櫻子。大好きな王子様と一緒に暮らせるよ」と春夫は意味深だ。

「えっ?」と麿緒。

 春夫はひそひそ話をするように、「実はね、君に一目惚れだそうで」と麿緒に耳打ちをした。ただし意味深に櫻子にわざと聞こえるようにだ。

「お父さん! マジ、イミフだし」といつもの口調が戻る櫻子。しかも赤ら顔だ。

 春夫は櫻子の肩を叩くと「櫻子、お父さんは順番が逆でも怒らないから。むしろ麿緒くんなら歓迎だ。ぜひおやんなさい」と笑った。

「何をだよ」と櫻子は赤面したまま俯く。そして「普通、親が言うか……そいの」ともごもご口ごもる。

「新しい生活が始まりますね」と歌恋。



 その言葉に象徴されるように紅葉沢の紅葉も色を変え始めるだろう。紅葉の花言葉は「美しい変化」。新しく始まった二人の生活と印旛家の変化。それを噛みしめながら全てがハッピーエンドに収まった今回の念動隧道探検旅行だった。



註 銅鏡に関する情報の一部は【伊勢神宮の成立と内行花文鏡】(https://murata35.chicappa.jp/rekisiuo-ku/1606/index.html)の画像を参考にさせて頂きました。

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